あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

あっと驚く2019下半期増田アワード15選

令和元年もまもなくおしまい。そんなわけで今年の増田を振り返っていきましょう。BGMとして第九の第四楽章がオススメです。

 

例によって例のごとく、何らかの基準があるわけではない好き勝手なセレクトなのでご容赦ご勘弁願います。なお上半期編はこちらからどうぞ。

 

nogreenplace.hateblo.jp

 

トラバ大賞

anond.hatelabo.jp

 評)元々の増田は「みんな前世ではどんな最後だった?」という平凡なアンケートものだったのを昇華しきった素晴らしい増田。元増田がアンケートタイプなので比較的多いブクマが集まっていたのに対してこっちにはあまり注目が集まらなかったのが残念で仕方がない。

 

anond.hatelabo.jp

評)更にくだらない増田の解説を全力で行う増田もさそりアーマー効果*1でかなりポイントが高く、とても熱量が高くて前者と合わせて歴史に残る傑作になると思う。

 

とりとめない賞

anond.hatelabo.jp

評)その始まりから予想も出来ない着地点が見事。何かを書こうとして書いていたらこの着地は絶対有り得ない。そしてこういうタイプの文章は今やネットで読めるところはそうそうないと思う。

 

全裸賞

anond.hatelabo.jp

評)こういうヴィジュアルがパッと出てくる増田は心に残りやすい。そもそも覆面してるんだから全裸とは言わないのではないかとか裸で何が悪いとかそんなことを考えてしまう。インパクト勝負増田。

 

アオハル賞

anond.hatelabo.jp

評)セクハラ的な内容もあるけど、男子校高校生のいい意味でアホな感じが滲み出ている増田。エロ漫画の効果音係は一番盛り上がっただろうな。ここだけでも印象深い増田。こういう系の話だと「修学旅行の夜に天下一武道会が開催されその後正座」という話が今のところ個人ランク最高一位だけど個人的すぎる話だなこれは。

 

ポエム賞

anond.hatelabo.jp

評)匿名故か、増田には性体験の告白がとても多い。個人的な好みになってしまうが、珍しい性体験の話も好きだけどこういう素朴な頭を使って書いていない文章に惹かれてしまう。セックスのドライブ感が溢れているからだろうか。

 

流行語賞

anond.hatelabo.jp

評)1発ネタの短文増田なんだけど、決済音の引き笑いがリアルに想像できる躍動感に溢れる増田。「〇〇ペイ」が流行語になったことだし、もっと評価されていいと思う。

 

頑張ったで賞

anond.hatelabo.jp

評)「片付けができない女」とか言われて久しいけど、こういったメンタルの不調で片付けを中心とした生活ができなくなるというのは恐ろしい。そして「料理はやればやるだけレベルが上がる」というのは間違いないと思う。味音痴やメシマズを除き、料理に自信の無い人は大体スキル不足だったりすることが多い。これは片付けにも言える話で、自転車に乗る練習みたいなものだと思う。増田は今は回復したのだろうか。

 

令和の時代到来賞

anond.hatelabo.jp

評)ここの評を書くのに3回くらい読み返したんだけど、まるで何を書いていいのか検討もつかない。それほどここに書いてあることは衝撃的だし、もう「読め」というしかない。変わったセックス枠にしておくには勿体ない怪作。

 

旅日記賞

anond.hatelabo.jp

評)本人がカクヨムにも掲載したということから増田アワードに載せることを迷ったけど、内容は文句なしでここに載せたいものなので載せる。内容はぶっちゃけ全裸とかあまり関係なく外国の風俗記として読んでも面白い。最近流行りのサウナ道の体験記としても興味深い。

 

ライフハック

anond.hatelabo.jp

評)この根拠の無い自信は素晴らしい。そりゃ感じられないより感じられる方が人生は豊かになるだろう。だからと言って乳首を開発すれば人生が豊かになる訳では無い。人生はむずかしい。

 

キッズ賞

anond.hatelabo.jp

評)特にオチがないところがとてもいい。増田には変な告白をするようなタイプと何気ない日常をうまく切り取るタイプがあって、これは後者のいい例だと思う。だけどそういうのは地味だからあんまり目立たない。積極的にそういうのを選んでいきたい。

 

まなび賞

anond.hatelabo.jp

anond.hatelabo.jp

 評)とりとめがないのだけど、学問に向き合っている姿勢が見て取れる増田。派手か地味かと聞かれたらひたすら地味な増田なのだけど、10年後に読み返すならこういう増田の方がいい。

 

モシモシ賞

anond.hatelabo.jp

評)おそらく本文が半角4文字で1000userを超えるというのはもう二度と出ないのではないだろうか。個人的な話になるが、この増田を見つけた日にキウイフルーツが爆発するというどうしようもない出来事があって超落ち込んでいたところにこの増田を見つけて超幸せになれたのでこの増田には感謝している。個人的にも下半期のナンバーワンを送りたい。

 

マドレーヌ賞

anond.hatelabo.jp

評)この勢いの文章はなかなか見かけない。まず誰に語りかけているのかわからないし、誰の話をしているのかも読んでいかなければわからない。それでいて食べ物と密接に絡み合った家族の記憶が増田の中だけで徐々にほぐれていくような、でも読者は完全に置き去りというスタイル。「失われた時を求めて」の冒頭のような心象鮮やかな増田。

 

ヒストリー賞

anond.hatelabo.jp

評)タイトルにある某氏の話にとどまらず、本当にインターネットコミュニティの黎明期からいろんなことを見てきた人の証言として貴重。2019の締めくくりとして読み応えのある増田になっている。

 

2019年アワードまとめ

anond.hatelabo.jp

 

上半期ではこの人魚増田をナンバーワンにしていたけど、📞🐘と対決させたときに📞🐘のインパクトにはちょっと叶わないかなと思うので個人的2019ナンバーワンは📞🐘です。というか、増田史上にも「最短文1000user越え」という点で📞🐘はしばらく残ると思う。

 

でもなんで📞🐘ごときが1000user越えをしたのかと言えば、昨今の増田の情勢に一因があると思われる。特に献血騒ぎの頃から増田には常に言い争いをするだけの場になってきていて、ちょっとクスっとなる増田が減ってきてると感じていたところにちょうど📞🐘がすっぽりハマったという感じだと思うのです。

 

nogreenplace.hateblo.jp

 

最近は増田の利用層が変化してきているという話もあり、いろんな話がバリエーション豊かに入ってきているかと言えば実はそんなことはなくて「喧嘩」が増田の基本になっていることは嘆かわしいことだと思うのです。そうなると誰でもクスっと来たりグッと来るようなものを探すと下ネタか猫になってしまう。個人的に献血騒ぎのようなことが持ち上がると確実に増田の雰囲気が悪くなるのでやめてほしいです、というか増田とブコメでずっと喧嘩しているヤツらは自分のブログでやれよって思っちゃう。思っちゃうけど、多分「ブログでやれ」っていうこと自体が既に時代遅れになりつつあるんだと思う。個人が個人を保ったまま長い文章を書くことはカッコ悪いことという認識が少しずつ広まっている気はする。その辺が「長文失礼」に込められている気もする。

 

nogreenplace.hateblo.jp

 

増田をじっと見ているだけでも何となく時代の流れみたいなのを感じる。これが令和なのか。令和とは一体どういう時代になるのか。不安になったところで次回は「不安になる編」です。梅を見ながら待っていてください。

 

他の増田アワードはこちらから

nogreenplace.hateblo.jp

 

 

*1:2014年に「夢の中で童貞喪失した」という増田についていた「俺はさそりアーマーに殺される夢を見たな」というトラバから。元増田の熱量に相反するようなすごくどうでもいい返しが増田愛好家の中でレジェンドとなっている。

面倒くさい私見

面倒くさいけどとりあえず私見

 

anond.hatelabo.jp

以下こっちは元増田。

 

anond.hatelabo.jp

以下こっちはトラバ増田。


総合見解

面倒くさいから七並べでもしようぜ。


以下読まなくていい本文

元増田の悩みは「差別」と呼ぶには範囲が広すぎると思う。差別と括るには後輩女性と比べて不利益を被ったり無視されたりといったマイナス要因を並べないと厳しいと思う。身も蓋もないことを言えば要は「私も特別扱いしろ」*1ってことなのでこれは業が深く、差別というより個人的な嫉妬の可能性が高いと思う。それを先輩に責任転嫁しているように読めるため、非難が集中したと考える。


ただ、ここに書いたことはあくまでも「元増田」から読み取れることなので元増田の文章の外に酷い扱いを受けたとかそういうことがあればそれは「差別」になると思うけど、その決定的なエピソードがないので「差別」と呼ぶには躊躇いを感じてしまう。


個人的に興味があるのは、その後元増田はその後輩や先輩にどう接してきたかってことかな。そういう気持ちを抱いて元増田はフラットに接することができたのだろうか。もしそこでモヤモヤを抱えて無意識に嫌な態度を出してしまっていたならそれは元増田も同じ穴のムジナだと思う。「それでも私はそんなことおくびにも出さずフラットに過ごしました」というなら、誰も何も言うことはできない。つまりは「お互い様」なんだよねこういうのは。


「お前に何がわかるんだ、私は辛かったのに」と思うかもしれない。それと一緒で、元増田の気持ちだってわからないし緊張しちゃった先輩の気持ちだって不当に扱われて不服かもしれない後輩の気持ちだって元増田にはわからないし、文章を読んだ私たちも文章からわかることしかわからない。わかってほしかったら「そんなもんか」と突き放すのではなく、言葉を尽くさないと伝わらない。


はてなではしばしばこれと似た話が発生する。もしこの元増田が男で「俺が先輩から軽んじられたのはKKOだからだ」という増田だったら目も当てられないフルボッコだったのは目に見えるようである。この場合男性と女性の立場の非対称性があるので完全に入れ替えることは不可能だけど、似たような趣旨の増田だったら「自意識過剰」「身なりを清潔にしろ」「その僻み根性を女性は感じているんですよ」「後輩に八つ当たりするな」となりそうなものである。おそらく今回の増田の反応より苛烈なものが返ってくるだろう。


それを踏まえてキツすぎるトラバ増田のほうへ目を向けると、キツすぎて目も当てられない。元増田の文章の添削と言ってもいい。ぶっちゃけこんなキツい言い方をされたのは元増田の文章がよくなかったのが最大の原因だと思っている。


しばしばネットで叩かれる文章には特徴があって、そのひとつに「俺悪くないよなメソッド」というのがある。これは個人的に命名しているものなんだけど、よく読むと元増田の文章にはこのメソッドが見え隠れする。実際文章を解体すると「気持ちのすれ違い」レベルの話なんだけどそれを「差別」という言葉で括って大袈裟にしてしまったのが最大の敗因。個人的に差別という言葉を使わずに「態度を変える」だったらブクマ数は半分以下で「そういうこともあるよね」「ドンマイ」というレスも多く変なトラバもつかなかったと思う。


なんていうか、元増田の文章というか思考には思考にはどこまでも自分しか存在していなくて他者の存在が感じられない。多分それは元増田の性格でそのせいでいろいろ苦労しているところもあるんじゃないだろうか。実生活でもこの増田の反応みたいなことを貰って悩んだこともあるかもしれない。元増田に言えるのは「これからは与えられることだけじゃなくて与える視点に立って欲しい」っていうことかな。かつて悲しい思いをした元増田を生み出さないことがこれからの元増田の使命だと思って欲しい。


そんでトラバ増田は残念なことに言葉を選べと思うところはあるけど、明らかに間違ったことは言ってないと思う。だから「正論」と括ったけど、正論だからと言って正しいわけではない。特にこのような人間関係の話に正解もクソもない。だから人間関係は難しい。「差別」にも「ちやほや」にもグラデーションがあって、文章から読み取れる濃度と元増田の気持ちの濃度が一致しなくてエラーを吐き出した感じだろうか。


問題はそれを「トラバ増田の言う通り!」というブコメが異常発生したところにあると思う。「この増田の言う通りだ」「モヤモヤがスッキリした」などというブコメが予想外に膨れ上がり、元増田のブクマ数の2倍近くになっている。


このことからわかるのは、人々は個人の愚痴じゃなくて自分の中のつじつまや物語を大切にしたがるってことだと思う。匿名で文字だけの存在に人間性を求めてヨシヨシするのは結構難しい。やはりある程度自分と同化して物語を消化しようとする。そうすると元増田の記事の場合、「素敵な人の前でドキドキするのも差別と非難されなきゃいけないのか」って、反発は仕方ない。だけどそれはやはり元増田のブコメやトラバでやるべき話で、トラバ増田を読んで「その通り!」というのもなんだかなぁという印象。

 

個人的には全ての差別の解消なんて不可能だと思ってる。前から言ってるけど見た目怖いオジサンでもナイーブな面があるだろうし、吹けば飛ぶような女の子でもものすごく芯が強いかもしれない。でも人は見た目に引きずられる。もうこれはある程度諦めて、でも理想くらいは持っていたいよねというスタンスでいるのが一番ストレスがないと思う。これは元増田にもちょっと潔癖なところがあるトラバ増田にも「その通り!」と思ってしまった人にも言える話だと思う。大事なのは第一印象よりその後の信頼関係だと思うので。


まぁ好きな増田をブクマすりゃいいと思うし、誹謗中傷にならない程度に好きなブコメすりゃいいと思うんだよね。だけど今回めっちゃ星をもらってもそんなに嬉しくはないし、どうせならトラバ増田と同じ趣旨の事書いた元増田のブコメに星が欲しかったとか余計なことを考える。そういう嫌な気持ちって半分くらいは自分の中との戦いだからなぁ。


確かに元増田の文章にはツッコミどころや隙がありすぎる。しかし、それを暴露されて果たして元増田は幸せなのか。以前も似たような記事があったけど、それも含めてトラバ増田も似たような状況を乗り越えてきてマッチョなことを書いてる可能性は高いと感じている。あんだけ強い言葉を使うならトラバ増田は自分のブログでやればいいのにとは思う。多分一部でカルト的な人気を誇るに違いない。トラバ増田は今すぐブログを作るんだ。


そう考えて、もしかしたらトラバ増田も普段からこんなキツい正論吐いて嫌がられているかもしれないなとか思った。「それを言っちゃおしまいよ」がわかんないから優しい気持ちであったとしても誤解を生む。だから次はそんなトラバ増田が理路整然と愚痴を吐き、「いや、そういうことじゃねえよ」というレベルであーだこーだ言われてみたらいいんじゃないかな。もしかしたらもうやってるのかもしれないけど。


まとめ

いろいろ考えても面倒くさいから今年の増田でも振り返ろうぜ。次こそ2019増田、まとめるからさぁ……。

 

*1:理想は「後輩にも態度を変えないで欲しい」がベターなんだろうけど、それを他人に求めてしまうのもある意味傲慢だと思うんだな。

「増田=はてダ=はてブ」 はてな匿名ダイアリー概念まとめ2019

そろそろ今年の統括的な季節が来ていますが、皆さんいかがお過ごしですか。時候の挨拶をしたところで早速本題です。

 

anond.hatelabo.jp

 

この辺についての話について一度まとめてみようと思います。自由研究ってやつです。一応この記事の続編です。

 

nogreenplace.hateblo.jp

nogreenplace.hateblo.jp

 

なお今回は「増田とは何か」をある程度わかってる人向けに書くので「増田……?」という人は上の記事を読んでからどうぞ。

 

結論

anond.hatelabo.jp

 

「クラス」というので比較的若い人が増田を読み回しているということなのだが、この増田の真偽はともかく本当に「比較的若い層」が増田をよく読んでいることがTwitterでぼちぼち検索かけていたら実体が見えてきた気がするのでそんな事例を沢山集めたら超長くなったので「増田の主な利用層に新たな枠、若いオタク層が加わった」ということが確定したよっていうハナシ。去年似たような記事書いてるので時間ない人はそっちと大体趣旨似てるのでそっちでよろしく。

 

nogreenplace.hateblo.jp

 

では増田についてのいろんな事例の話して行きますのでよろしく。いろんな話があるから超長いよ!

 

増田の用法問題

現段階でこんな感じではなかろうかというものを作ってみた。随時更新、改定していきたい。

増田とは

はてな匿名ダイアリーの略称。

「――を見る」

はてな匿名ダイアリーの投稿者を指す。

「――の意見に賛成する」

はてな匿名ダイアリーの閲覧者を指す。

「――たちの意見を募りたい」類語:おまいら

はてな匿名ダイアリーの投稿者が自称する際に用いる。

「――は就職して辛かった」

はてな匿名ダイアリーに投稿する、閲覧する。

「――を書く」「――してしまう」

 

増田の呼称問題

正式名称は「はてな匿名ダイアリー」で、「アノニマスダイアリー」から「増田」なのだけど、増田が広まるに連れて様々な呼び名が生まれている。以下特徴的な呼び名をしているツイート及び増田を例に出しながら紹介していく。

匿名ブログ、匿名ダイアリー

かの「保育園落ちた」増田が脚光を浴びたとき「匿名ブログ」として紹介されたためにこの呼称が多いかと思ったのだけど、意外と少ない。誤差の範囲と思って取り上げないけど、「はてなの匿名ダイアリー」という表記は結構見られた。

 

匿名はてなダイアリー、匿名はてなの呼称はまま見られる。

 

これも「匿名はてなダイアリー」の例。

 

anond.hatelabo.jp

この増田は「元増田」という用語を使用しながら「匿名はてな」を使っている。

 

はてな匿名ブログ」の例。

 

はてなの匿名ブログ」の例。「はてな」というサービスと「匿名ブログ」が合体したのだろうか。

 

はてな匿名ブログ」の例。

 

はてなダイアリー

意外とこの呼び名が多かった。「はてなダイアリー」は最近終了したはてなの別サービスなのだが、大事な「匿名」が抜けてしまうパターンはかなり多く見られる。

 

「匿名ブログ」と「はてなダイアリー」が混ざったパターン。

 

文脈からここの「はてなダイアリー」は増田の事だと思う。

 

この「はてなダイアリー」も従来の「はてなダイアリー」ではなく増田を指すものだと思われる。

 

anond.hatelabo.jp

増田の中でも「はてなダイアリー」。

 

後述するが「お気持ち」というワードからこの「はてなダイアリー」は増田であると推測できる。

 

はてなダイアリー」はサービス終了しているのでこれは明らかに増田。

 

はてなブログ

これを見かけるとちょっとギョッとする。

 

anond.hatelabo.jp

前回も取り上げたけど、「はてなブログ」とあるのでどこかのブログのコピペなのかも思ったらそうでもなかった例。「はてなで書くブログ」は皆「はてなブログ」である。

 

はてブロ」のリンクが増田の例。

 

はてブ

はてブは大抵「はてなブックマーク」の略称であるので、はてブの民は「なんで増田とはてブが混ざるんだ」となると思う。各用例で解説を入れていく。

 

anond.hatelabo.jp

はてブロ」というワードがあるので「匿名のはてブ」は「はてなブックマーク」のほうだろうか。

 

明らかに増田を指して「はてブ」と言っている気がするが、もしかしたらブコメ込みで「気持ち悪い」という意味かもしれない。

 

はてなブックマーク」由来か「はてなブログ」由来かは不明。

 

はてブのエントリー」とあるので「はてなブックマークのエントリー=増田」と呼ばれたのだろうか。

 

この例は上記の例の裏付けになると思う。「はてなブックマークのエントリー=増田」に見えるのかもしれない。

 

もうひとつ裏付ける言説。増田を認識する際、一緒に認識するサービスははてなブックマークであり、はてなブログじゃないんだなぁ。

 

 意訳するなら「ブックマークに入れておいた匿名ダイアリーを読んだ」ということか。

 

 トピ主、スレ主

主に増田内で見られる。「元増田」はまだ見かけるが、「トラバ先」などという言葉はそろそろ死にかけている。

 

anond.hatelabo.jp

自分を「主」と呼称するのはどこ発祥の文化なんだろう。

 

anond.hatelabo.jp

釣り感が否めないが、「トピ主」使用の例。

 

anond.hatelabo.jp

「スレ主」使用の例。

 

もはや呼び名など関係ない

上記の通り、「はてな匿名ダイアリー」は現在混沌としている。もはや何て呼んでいるかなど問題ではない。各自好きに呼べばいい。

 

もう何が何やらわからない。

 

ヲタクが喜ぶ時も使えるサービスです。

 

「このはてな」という表現が危なっかしい。

 

 前の「はてな」と「はてな匿名ダイアリー」の違いは何か。

 

anond.hatelabo.jp

増田内でも「はてな」呼びがあった。

 

anond.hatelabo.jp

「はて匿」、そこで略すのがまぁ普通だよな。

 

はてな増田」=「はてなはてな匿名ダイアリー」 

 

 「お気持ち匿名はてな

 

 「お気持ち文」

 

 「匿名長文はてブ

 

キーワードは「お気持ち」

以上のように、増田を表す言葉は多岐に渡っている。もちろん全て本気でそう思っている訳ではないのはわかっていて、そういう言葉で表現することで何が起こっているかを探るのがこの研究の趣旨である。そう考えて見ていくと「お気持ち」というワードが頻出していることがわかる。

 

「お気持ち」とは現上皇陛下が退位の意向を発表した際に用いられたのがきっかけで、初期は「また女さんのお気持ち表明かよ」などフェミニズム関係の煽りによく使われた印象がある。それがオタク界隈に広がり、何かに異議申し立てをしたり自分の萌え(萎え)を語りたい時に使用されるようになっていった。しかし煽りの言葉であったことからあまりポジティブな意見には使われにくい性質がある。

 

自分のブログにネガティブなことを書くと面倒くさいことになり、Twitterで愚痴を呟くなど以ての外という面倒くさい事態にも対応できるのが「はてな匿名ダイアリー」ということなのだろう。実際以上のような「お気持ち」の投稿は以前よりも増えている気がする。更にそんなお気持ち増田をTwitterに流してTwitter上で学級会が開かれることも珍しくなくなった。これは以前に唱えた「増田長文スクショ説」の更に先を行く事態になっていると考える。

 

 

要は増田を見ても「増田(はてな匿名ダイアリー)」と認識されないということなのだろうか。

 

余談

最近「はてなブログ」を「はてブ」と略するムーブがきている。

主にアイドル界隈で使用されている感じはある。「この気持ちはてブとnoteどっちに書こう」みたいなツイートもよく見られ、元からジャニーズブログが盛んなはてなブログはともかくnoteもそんな記事が多く書かれ始めたというところが興味深い。

 

 そういえば「(内容的に)増田とnoteの区別がつかない」という内容のツイートは定期的に見るな。noteの初期の客層ってそんなんだったかなぁ……? それに「長文増田」という概念が生まれているのも面白い。短文増田もあるんだろうか。パンティーとか。

 

コメント欄問題

また、増田で悩ましいのが「コメント欄」という言葉をどう捉えるかというところ。おそらく一見さんはトラックバックを指して「コメント欄」としているような気もするし、ブコメ欄を指して「コメント欄」としているのかもしれない。また「欄」ではないがTwitterでのコメントも多く、もはや「コメント欄」という概念すらあやふやになっている気がする。

 

トラックバックを「下の方のやつ」という表現が個人的に大好き。

 

 名乗りを上げる増田の是非

昔から増田を書いてブコメで「ブログ持ってないけど100字以上語りたいから書きました」みたいなセルクマを付ける奴はそれなりに存在していた。

 

anond.hatelabo.jp

 

以前の「増田の概念が溶けていく」ではTwitterアカウントを作成して増田を書き、拡散希望のタグを付けてTwitter上でのみやりとりをするという例を見たけど、実はそういう例は結構増えている。

 

ここでは紹介しないが、増田のURLでTwitter検索をかけると「実はこの増田俺が書いたんだよねー」「この前書いたはて匿読んでください!」みたいなツイートがたまにひっかかる。なおそういうツイートにブクマをしておくと高確率で後に消えている。おそらく増田を書くくらいなのではてなアカウントを持っていて、通知が行ったことでビビったんだろうと思う。あと「はてな匿名で愚痴ったら思いのほかブクマ着いちゃって特定が怖いから消した」っていう趣旨のツイートも見かけて、調べたら全くそれと同じ条件の増田が見つかるということもあり、いやいらんこと呟いて特定されてますがなという気分になったこともあり、思いのほか「匿名」という概念自体が結構揺らいでいる気もする。

 

名乗りを上げるどころか増田を伝言板のように使用しようという例もある。「URL拡散して!」というところが今風である。

 

 また、拡散したツイート主に増田がお礼に行くということも起こっている。これは増田というよりもマシュマロというツールがあったからなんだろうか。

 

anond.hatelabo.jp

mobile.twitter.com

 

また、何故か増田で出会い系を始めてしまう人も現れた。捨てメアドではなくTwitter捨て垢というところもなんか新しい。

 

長文スクショ化する増田

「増田が長文スクショの代わりになっている説」を飛び越えて増田が長文スクショとして使用されている例も見られる。たまにブコメまでスクショされててまぁ面白い。ただリンク貼ればいいのに、というのは古い考えのようである。

 

 

 「まとめサイト」化する増田?

以上のようにお気持ち表明、長文スクショ化してきたことで増田のことを「まとめサイト」として捉える層が確認された。

 

 

この視点には2つの切り口がある。ひとつは呼称問題でも触れた通り「はてなブックマークを増田と混同してる説」で、もうひとつは「まとめサイトとは特定の言説を切り取るなどして悪質にPVを稼ぐサイトだと思ってる説」である。前者については上記しているのでここでは後者について述べていく。

 

既に「まとめサイト」という言葉には単なる情報のまとめだけではなくネガティブな意味が付加されているのはここを読んでいる人なら何となく理解していると思う。そして「日本死ね」ムーブから「増田=過激な発言をする場所」みたいに捉えている人も少なくはないことが伺える。じっくり増田と向き合うとそういう投稿は多いわけではないのだけれど、目立つものが目立つわけでそう捉えても致し方ないところはあると考える。

 

増田についての考察ツイート

その他気になったツイートについて考えてみる。

女性も書き込むという特徴を上げているが、昨今の増田の利用層を考えると女性ならではの書き込みは増えているのは間違いない。少し前の小町流入あたりから増えて、最近は若いオタク層が増田に注目していると考える。

 

ブログで金儲けブームの影響でいわゆる日記を書くという文化は相当駆逐されたけど、それが残っている場所が増田という指摘は興味深い。

 

このやりとりはTwitter上で何度か見かけたことがある。増田のURLを呟いたところツイート主が増田であるとされて「私はこの記事を書いた人ではありません」と続くというのが大体のパターン。これはニュースアカウントに感想をリプライする現象に似ていると思う。

 

この指摘はその通りだと思う。どちらにも共通しているのが「現実と虚構の境目が曖昧」というところ。創作実話嘘松と呼ばれる類の話が盛り上がる土壌は大体そういうもんである。

 

現代の、というところが引っかかるけど「匿名またはアライさんの仮面を被って言う」みたいなところは似ている。

 

これツリーになってて一連の話がなかなか興味深い。若手俳優界隈で局所的に「匿名はてなブログ」という文化があり、推しは明かせないけど感想だけは書くよ、みたいなことがあって学級会が開かれてワーワーしたという話である。「匿名」という言葉の意味が揺らぐ件である。

 

このツイートから始まる一連のリプライが興味深い。増田がリプライで総叩きになり、それに対して「個人のブログを晒して叩くというのは如何なものか」と苦言を呈する人が現れ、「まあそれが増田の仕様だから」という解説が入る。確かにそれが増田の仕様だけど、苦言の内容自体は確かにその通りだ……。

 

この辺については散々語り尽くされて旧はてな村はダムの底に沈んでいるのでそっとしておいてあげてほしい。

 

個人的にチコちゃんはVTuberと一緒で「チコちゃん」というペルソナを被ったキム兄だと思ってるんだけど、増田もそういうことなんだろうか。増田Vtuber、うーん嫌だ。

 

その他呼称、概念問題

以上のように増田やはてなブックマークはてなブログの利用層が年月とともに移り変わっていることが分かる。そして利用層の変化とともに使用される言葉も変わってくる。

 

anond.hatelabo.jp

最近熱いのが「トップコメ」問題。一番スターを貰っているコメントをトップコメと言っていたけれど、スターの変動でトップは入れ替わるので現トップが「トップコメに反対」なんていうちぐはぐなことが起こったりする。また人気コメントをトップコメに含めてしまっていいのかなど非常に曖昧な言葉になっている。個人的にこの表現は非表示があった場合適さないのであまり使用したくない。

 

anond.hatelabo.jp

これはかなり前から見られていた現象。どうやら「増田」をはてな内で他人を指す隠語と勘違いして使用しているらしい。基本的に「ブログ主」「ツイート主」に変換が可能だが最近では「ブクマカ」という意味で使用されている例もある。

 

ここで紹介した「はてな匿名ダイアリー」にはどうやら「エモい」という意味があるらしい。「エモい」とは「感傷的な、強く心を揺さぶられる」とか、そんなくらいの意味だと思ってください。何故そんな用法が出たのかと言うとおそらく「お気持ち」関連の部分からだと考える。

 

おわりに

この記事を書くに当たって「増田とは」タグを作って何となく調べ始めたのが2017年の暮れでした。それから約2年、いろんなことがありました。増田の存続も危ぶまれる事件が起こったり、増田ばかりホッテントリに来る日があったり、増田にゴリラや猿や猫がやってきたり……。そんなこんなで気長にこのサイトと向き合っていきたいと思います。次回は2019増田まとめになる予定です。それではどうもおつかれさまでした。おしまい。

 

性教育増田についての覚書

元増田が「ネタ仕込んだのに」と言うので言及。

 

anond.hatelabo.jp


この増田はこの前バズった性教育増田のアンサーとして書かれている。

 

anond.hatelabo.jp


ブコメでもネタとして見てくれたのか、アンサーの方は「ネタやろ」という方が優勢で、文章から漂う一昔前感は「ネタです」という前フリだろう。でもネタとして落とすなら最後に「パンティー」と書いておけば良かったと思う。あと「よく知らない人、気持ち悪い」は2015年のネタなので、最近のはてなーは知らなくて仕方がない。増田でバズりたかったら内側に思いっきり寄せる(パンティー)か内側感は一切排除するほうがよいのかな、と思う。あと「忖度」もネタっぽいと思った。


元ネタ

topisyu.hatenablog.com


この増田について言いたいことは大体おしまいなんだけど、追記で「実際に性教育で嫌な目にあった」とあるのが気になった。そこで「父母の詳細なセックスについて父親から話された」というのはこの増田の実体験であることが浮き上がってくる。これは嫌だなぁ……。あと娘に増田に書いてバズったバズった喜ぶのも、性教育とは別に何か嫌なことがあったのだろうと考える。この点については後述する。


ちなみにこのブログ書いてる人は少し前、実家の掃除をしていて普段使ってない棚を開けたらゴムが結構な数入っていて、アラカンの父母が定期的にわっしょいしてるのを知ってしまい、ほのかに温かい気持ちになったというエピソードがあるけど誰にも話せないのでここに置いておく。その後母親が「その棚使ってないから掃除しなくていい」と来たけど、遅かったねぇ。

 

中絶禁止について

結構激しい言葉で「中絶禁止」に関して非難する人たくさんいるけど、これは別に普通のことだと思うけどな。逆に考えると「万が一、仮にもし妊娠してもバックアップがある」というのは素晴らしいことじゃないのかなぁ。


「中絶するな」は「もし妊娠したらいろいろ大変だぞ、責任が取れないうちは安易なセックスはするな」という話でもあり、性教育としては立派だと思う。もちろん何らかの疾患とか様々な事情で母体に負担がかかるとか、そういう事情で中絶はやむを得ないという状態ならこの元増田は「絶対」は取り消すと思うんだ。


もちろん当人がよく考えて、やむを得ない事情があるなら中絶を選択するということもあるだろう。しかし世の中は男も女も「中絶すればいいや」と軽く考えている人が思いのほかたくさんいる。特に未成年の場合、目先のことしか考えていないということもかなり多い。だから元増田のように「中絶という選択は基本的に有り得ないと思った方がいい」と釘を刺すのはおかしなことではない。


最近「八日目の蝉」を読んで、ヤるだけヤっといて男から「中絶してほしい」と頼む身勝手さを見たので「妊娠したなら覚悟を持って育てるから生んでほしい」という表明がどれだけ心強いことかと思うのです。

 

前提と見ている世界の乖離

このふたつの増田を見て興味深いと思ったのは、賛否分かれるうち「気持ち悪い」と感じる側には「父が娘に話すなんて」という異性間で性教育をする嫌悪感を感じたということ。それは誰でも素朴に持つ感情だと思うし、なんか嫌だなと思うくらいは全然アリだと思う。でもそこを乗り越えて「この父親は娘を支配しようとしている!」まで行くと飛躍しすぎてるなと思う。


大前提として、この元増田は「親が子に」話して聞かせているわけで、子供を持つ親が「いざとなったら中絶しちゃえばいいんだよ」なんて言うかって話。その前提を飛ばして「娘の身体を私物化してる」というのはどうかと思うんだよね。まあ元増田の家庭はかなり意識が高くてtopisyu家やしんざき家みたいな感じなんだろうと想定して読んだのでそんなに違和感はなかった。


なんていうか、心情的なサリーとアン問題に似た雰囲気を感じるんよ。サリーとアンについて簡単に書くと、サリーがボールを箱にしまって遊びに行って、その間にアンがボールを箱からカゴに移した。さて帰ってきたサリーはボールをどこから探すでしょうという問題で、サリーの立場を自己に投影できる人は箱と回答するけど他人の置かれた状態を想像するのが難しい人はカゴと答えてしまう、というもの。


おそらく「中絶禁止」に反応した人は、アンサー増田を書いた増田と同じく性教育というものやそもそも娘として父親に嫌悪感を抱いている可能性が高い*1。その自身の体験や心情が引き金になって嫌悪感を持っているのだろうと思う。


だからこの話を「親が子に教える」の図ではなく「男が女に教える」としてしまう。そうすると元増田の言いたいことが随分と変わって見えてくる。もちろん「私は嫌だと思ったけど娘と向き合ってよいお父さんね」という意見もある。この話のポイントはあくまでも「娘と性について真剣に向き合う」であって、「娘に中絶を押し付ける男親」ではない。でもそこをクローズアップするしかない体験をしている人がたくさんいる。


これはこういう事例に限った話ではなく「人は自分の読めるようにしか話を理解できない」ということでもあると思う。貧困家庭で育ったので裕福な家庭の人の言うことが想像出来ない、偏食なので好き嫌いない人のことが理解できないなどスケールを小さくすればそういうことはたくさんある。それを「偏見」というのだけど、自分の環境にどっぷりで偏見を偏見と思わない人も多く、それがネットで衝突しているような気もする*2


この問題は容易に解決出来ないし、解決するとするならばパレスチナに平和が訪れるより後になると思ってる。ただみんな胸の内に「自分の外の環境ではそんなことは常識ではないかも」みたいな感覚はどこかで覚えておいて欲しいなとか思うくらいです、はい。

*1:反出生主義の考えを持つ人も散見されたが、今回の話と絡めるとよくわかんないことになるので考えないものとする

*2:こう書くと「お前もそうやって偏見がある人を差別している差別主義者だ」と過去に何度も言われているけど、そういうコメントしている時点で同じ穴の狢です

長い増田を読んでみた

とっても長い増田があったからリライトしてみた。

 

anond.hatelabo.jp


長いので読むのが面倒な人のための150字要約

事務のバイトを始めて、先輩に「新人だろうが事務員なんだから電話に率先して出ろ」と毎日怒られていた。しかしその後入った後輩は全く電話に出ず、トラブルになって確認したところ「忙しいから電話に出なくてよい」と上司が言う。その後先輩は「新人が可哀想だから率先して電話に出ろ」と説教をするので意味がわからない。


記事の所見

〇「事務員は電話をとる」が自明のように書かれているけど、電話はコールセンターでもなければ基本取れる人がとるものでは……??? コールが鳴ってて出ないのはダメだけど、他の人が先にとる分には業務に全く支障がないのでは………????


〇電話のことばかりクローズアップしてるけど、本来の事務の業務はどうなんだろう。電話のことは口実で、実はその他に説教させる要因があったのでは。電話はただの行きがけの駄賃と言う奴で。


〇増田の話だけ聞くと、「悪いのは先輩」なんだろうけど、一番悪いのは「増田が入社当時に電話に出ないことを伝えておかなかった上司」じゃないのかな。増田がいる間に人事異動でもあって方針が変更になったのかな。


〇このエピソードのすごいところは、主な登場人物が全員思い込みで仕事してて見事にすれ違っているところだ。筆者である増田からして「事務員は必ず全員電話に出なければならない」という思い込みがある。ベテラン事務員も後輩に辛くあたる前に上司に相談するべきだろうし、後輩も上司からそう言われていることを伝えるべきだった。そもそも上司もトラブルになるまで方針を伝達していないのが謎。更に元を正せば元増田も定時後30分も説教食らうならさっさと上司に相談したほうがよかったのでは。全方向においてホウレンソウとは一体。


〇そんな業務の指示が混乱してる会社は嫌だし、それが見えなくて全部正社員の先輩が悪いみたいなまとめをしている増田もちょっとどうかしてる。この辺、電話に出る出ないの話以前の気がする。


〇リライトしてて思ったのが、「俺悪くないよなメソッド」がチラチラ見え隠れしていたというところ。どちらかというと「私頑張ってるのに認めてくれないメソッド」かもしれない。増田は頑張ってるねぇ、よしよし。


〇とりあえず全方向イライラするっていうのもなかなかない感じだなと思いました。所見おしまい。

 

文字数半分以外のリライト

私は事務のアルバイトをしています。電話をとるのも業務のうちなので最初は出るぞと意気込んではいましたが、営業さんやベテランの事務員さんはとにかく電話に出るのが早くて先に出てくれることが何度もあり、定時になって帰ろうとしたところを正社員の先輩に呼びつけられて30分ほど怒られることが何度もありました。


「あなたはまだ仕事慣れてないでしょ、だれにでもできる仕事をしているんでしょ。だったら電話ぐらいでないと駄目でしょ」


それからとにかく電話に出ました。営業さんは電話ぐらい構わないと言っていましたが、定時後の説教が嫌で電話を譲ってもらいました。


1年が経って先輩は嫌味を言うけどだいぶマシにはなった頃、私にも後輩ができました。ところがこの後輩は一向に電話に出てくれないし、先輩もチクチク言ってる様子はない。さすがにベテラン事務員さんも「一度出てみない?」と声をかけてた。それに対して新人さんは「まだ修行中なんで、そのうち出ます」と返してた。


それからこのベテラン事務員さんは後輩につらく当たるようになった。後輩が上司に相談して話し合いをすることになり、「事務員さんはお仕事忙しいから、電話出なくてもいいって私が言ったんです」と上司が言った。仕事も忙しく残業もして子育てもしているベテランさんはその話し合いで心が折れたらしく、後輩と共にも辞めてしまった。


その後、二人の新人さんが入ってきた。この二人はとても電話に出るのが早い。二人とも「仕事まだ慣れてないので電話ぐらい出ます」と出てくれる。私も頑張っているけど、やはり先に取ってくれることが多くなってた。


それでも気に入らない先輩は昨日、「新人さん仕事慣れてないのに電話出させるの可哀想でしょ?あなたも自分の仕事はあるし、私の仕事も引き続き渡していきますけど…それでも、お客さんと話しているとき以外はちゃんと電話出てください」と言ってきた。


先輩、私には「仕事に慣れていない新人は電話ぐらい出てください」って言いましたよね!何か…私のこの扱い、何…?と思わずにはいられないという愚痴でした。

 

 似たようななんか

nogreenplace.hateblo.jp

 

nogreenplace.hateblo.jp

 

プログラミング教育と作文教育とかの雑感

こんな記事を読んで思うことをつらつらと。

 

qiita.com

 

はてブの反応は厳しい。確かに筆者は口が悪いけど、「全くやる気のない奴に何かをイチから教える」という作業をやったことがあったら幾分かは筆者のマイナスな物言いに同情したくなる。


実はこれ、「勉強が出来ない子の傾向」として出しても全く違和感がない。以外筆者の上げた傾向をいくつか「勉強全般」に置き換えてみる。


知的好奇心がない

勉強が出来ない、というより未知の物事に対して興味がなかったり知ることを恐れていたりする。物事の仕組みを理解しようとするのではなく、答えを丸暗記してその場をやり過ごす癖がついている。


そもそも考えることが好きではない

好きとか嫌いという次元ではなく、「思考する」という概念が存在しなかったり考えることに罪悪感を覚えている場合がある。例えば過干渉家庭の子供は親の顔色を伺うことに慣れて自分で考えることが出来なかったり、全て親が先回りするので考える習慣がなかったりする。勉強全般の話にすると、例えば「どうして雨が降るの」「夏と冬で昼の時間が違うのは何故か」という生活に密接した疑問が浮かばない子はいる。これは考える力の他に観察力がないことも原因として挙げられる。視野が異様に狭いため、疑問を疑問と感じない。


検索する癖がない、分からなかったことを分からないままにしていても生きられる

勉強全般の話にすると、わからないことを調べる習慣がない。またはわからないことを質問するという概念が存在しない。そもそも「わかった」が存在しないため「わからない」という概念も存在していない。

 

エラー文や警告文を恐れている・読まない・目に入っていない

丸暗記による0か1かの世界で生きているため、トライアンドエラーを嫌う傾向にある。計算ミスをして「どこで間違ったか確認しよう」という手順を踏まずにただ答えを丸写しする子は意外と多い。


日本語じゃないと諦める(英語を読みたがらない・恐れている)

数学が嫌いな子は「数字がたくさん出てくるのが怖い」と思っている子が多いと思うし、国語が嫌いな子は「文字がたくさん出てくるのが怖い」と思っていると思う。


分かっていないのに分かったフリをする

誰かの回答を丸写しする、家の人に全部宿題をやってもらうなど分かったフリをしてそのままやり過ごすと、中学の真ん中あたりから怪しくなってきて、高校に行く頃にはどうしようもなくなっている。

 

プログラミングができる人やハッカーのことを雲の上の存在だと思い込んでいる

勉強できる人は別の人種だと思っている。故に「できる」というビジョンを描くことが出来ず、勉強に限らず成功体験を得ることが難しくなっている。ここでコンプレックスをこじらせると人間関係のトラブルに発展する可能性もある。


とまぁ読んでいて「プログラミング以前の問題じゃん」という感想を持った次第という話なのですが、どうもこういう話をすると「そんなことない差別だ」という話になりやすい。

 

anond.hatelabo.jp


そんなこと言ったって、出来ないものは出来ないしやろうとしないことは出来ない、もしくはやる気があってもやり方を理解していなかったら永遠にできるものも出来ないわけで。「懇切丁寧に手取り足取り教える」をしても出来ない人は、そこそこいる。もうこれはどうしようもないことで、それを踏まえた社会設計をしていくしかない。


そんなことをつらつら思っているうちにこの前書き損ねたことを書いておこうと思った。「やる気のない人へのアプローチ」のつもりで書いていく。

 

blog.tinect.jp


しんざきさんの勉強アプローチの記事は毎回ためになるけれど、要求する水準が少し高いのでこういうブコメがトップになるのはいたしかたないことなのかもしれない。

 

小学2年生の次女が、サクサク作文の宿題をこなせるようになった「技術」についての話。 | Books&Apps

一番楽しかったことは?「忘れた。」がんばったことは?「がんばってない」じゃあインタビューしてみよう。「えー何を質問すれば良いかわからない」たとえば~「えーめんどくさい」これがうちの子やで。

2019/11/01 10:58

 

しんざきさんのケースの場合は「材料と調理器具はあるけれどどう料理していいかわからない」という場合で、ブコメの場合は「そもそも材料の調達方法すらわからないし調理器具もない」という場合なので話が噛み合わない。ここからは材料の調達と調理器具の適切な使い方を少し考えていく。


予め雛型を作っておく

作文の場合、「はじめに」「つぎに」「それから」「さいごに」の段落構成さえ出来れば大体は見栄えのする作文になる。作文の宿題が出た時、まずは指導者がこの雛型を作成し、そこに意見を入れていくスタイルが重要になる。自由な発想力? そういうのはやりたい人だけやればいいと思います。出来ない人はまず指示通りにすることからです。


質問は「具体的に」「答えが決まっているもの」を

ブコメのやり方の何がまずいかと言えば、「楽しかったことは?」という設問に対する答えがたくさんあるということ。思考する癖のない子供だとこの時点で面倒くさくて後のことはどうでもよくなるので、必ず答えが決まっている質問を設定してください。例えばしんざきさんの場合は運動会の振り返りという題材なのでそこからこんな風に展開できる。


「運動会の日の天気は?」「晴れ」
「最初に出場した競技は?」「徒競走」
「その結果は?」「4位」
「次に何に出場したの?」「玉入れ」
「勝った?負けた?」「負けた」
「その次は?」「騎馬戦」
「結果は?」「帽子を取られたけど勝った」


これなら答えがひとつしかないので答える方もスムーズに質問に答えていけるだろう。しんざきさんの場合はたまたま子供に質問力があったので自分で考えさせることが出来たが、子供がそこまで意欲のない場合には指導する側が質問をするしかない。本来は学校でここまで済ませて置いてもらえればいいのだけれど……。


出てきた事実を元に感想を考える

具体的な出来事がわかったら、それにひとつずつコメントを付ける方式で感想を考えればとても立派な作文になる。「天気が晴れて気持ちよかった」「徒競走が4位で悔しかった」「来年は勝ちたい」など話しているうちに「なんで開会式でラジオ体操をするんだろう」「友達が転んでビリになったけど最後まで走って偉かった」「6年生のダンスがかっこよかった、自分もあんな風に頑張りたい」など質問以外の出来事にも触れることができるかもしれない。


この辺は作文指導以外に普段からの会話力やコメント力が試される。素朴に「よかったね」「かわいそうだね」「それは怒りたくなるよね」「これはそんなに興味ないね」など、子供から引き出したり指導する側の感想を伝えるなどして「こういうときはこういう言葉があるんだ」という学習が出来れば良いと思う。引き出しを増やすのも立派な作文教育。


紙に清書するのは一番最後

実は作文を書くのが嫌いな子にはいくつかパターンがあって、「意見を考えるのが苦手」なパターンや「文字を書くのが苦手」というパターンやその複合型などがある。だから作文に苦手意識があると指導する側が思ったら下書きなどはタブレットの文字入力機能を使ったり、指導する側が代わりにメモを取ったりして文字を書くことを最低限減らすことが重要になる。書くことが決まっていてあとは字を書くだけ、となれば子供の心的負担もかなり減る。


以上、ブコメを見て「こんな指導が出来ないかな」と思ったことでした。もちろんこれもいち指導例で、お子さんの状態によってアプローチを変えなければいけないことはたくさんあるでしょう。常にケースバイケースだから教育とは難しい分野なんですよね。


まとめ

最初の話は「学習出来ない人」というのはどの分野にもいて全体的に学習自体出来ない人であるということで、個人的にプログラミング教育なんかやってる場合じゃないと思う。次の話はそんな場合は相手の出来るところまで降りていってじっくり学習することが大事ということで、そんなこと言っても出来ない子は全く出来ないし、無限にアプローチを変え続けるのも大変なので教育ってやっぱり大変っていう話でした。おわり。

 

最近「感想」について思ってること

ちょっと思ってることをまとめておく。話題がふたつなので話が長いです。前半は宇崎ちゃん、後半はジョーカー絡みですが言ってることは大体一貫してるつもりです。長い話が嫌な人は結論だけ読んでください。あと宇崎ちゃんの絵がセーフとかアウトとかいう話では全くないのでそういうのが読みたい人はお帰りください。


結論

万人受けする表現もないし、万人が納得する批評もない。「これは不快だ」という意思表示含めて表現に反対する人は必ずいる。それを踏まえて話をしないと何を言っても議論ではなく喧嘩にしかならない。


以下本文です。

 

お前らってクラスの女子に面白い漫画貸してって言われたら宇崎ちゃん貸せるの?

人によるとしか。普段から映画観ない人に「ミュージカル映画教えて」と言われても基本的にダンサー・イン・ザ・ダーク勧めないし、人によっては勧めるとしか/「面白い漫画紹介」と「ポスター掲示」の関連性も微妙。

2019/10/28 09:42

 

こんなブコメをしたんだけど、漫画じゃなくて「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を選んだのには100字じゃ言えない事情がある。以前どこかのブコメでもした実話である。


「初心者向け」という看板

ちょうど「ラ・ラ・ランド」がヒットしていたあたりの頃、TSUTAYAに行ったら「初心者でも楽しめるミュージカル映画特集」っていう棚があって、大正義「サウンド・オブ・ミュージック」や「雨に唄えば」、そんで「ANNIE」や「ヘアスプレー」に混ざって「ダンサー・イン・ザ・ダーク」も置かれていて、「これはちょっと……」と思ったという話。


普通に考えて、特集コーナーなんだから「ラ・ラ・ランド楽しかった~! 他のミュージカルも見てみたい!」って人が対象なわけで、「ミュージカル映画ならなんでもいいわ」って人向けではない。いや、ビョークの歌声は最高なんだけど、多分「ラ・ラ・ランド」見てミュージカル映画見たいと思った人は絶対見ないだろ、というか間違えて見ちゃってミュージカル映画嫌いになるかもよとも思う。


だけど、じゃあその棚に「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を置いちゃいけないのか? と言われると排除するまでのことは無い気がする。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」は映画として面白いし、ミュージカル映画に興味のある人には是非見てもらいたい作品ではある。でも「初心者」と看板を立てられると、どうもしっくり来ない。そもそも「初心者」とは何なんだろう。


万人受けする表現はない

ここでは初心者を「あまり作品の記号に触れていない人」だと思って話を進める。とにかく物語やキャラクターというものには記号的な決まり事や「お約束」という物事が多い。だから記号を理解していればとても面白く、逆に記号を理解できなければ途端に難解になってしまう。


そこでお約束を理解していない場合、途端に面白さは半減する。ひとつは単純に面白さが理解できないというところ、もうひとつは「面白がる前提条件がある」ことに納得がいかないというところにあると思う。後者は内輪ウケなんかが理解できなくて蚊帳の外に出てしまったような寂しさがあるのだろう。まあ面白くないよね。


ここで自分の「面白くない」をいくつか例に上げてみる。初めに「カードバトルものアニメ」。カードゲーム自体にそれほど興味が無いのでこういうアニメをたまにテレビで見かけても「うーん、何が面白いのかさっぱりわからない」となる。もちろん「カードバトルめっちゃ好き」という男子の気持ちは尊重したいし、自分にとって面白くないからと言って滅べとも思わない。


また、超万人受けすると思われるコンテンツ「アンパンマン」も個人的にはちょっと受け入れ難い。子育てに関わっている人ならわかると思うけど、基本的に幼児グッズというのはアンパンマンに駆逐されている。おもちゃ売り場にはかならずアンパンマンランドが建設されていて、一歩中に踏み入れたら価値観全部がアンパンマンになってしまう。


他にも苦手なところがあって、話が「キャラクター頼み」で特に話の展開がないというのも辛い。なんとかマンが出てきてバイキンマンがやってきてなんとかマンの邪魔をしてアンパンマンが「やめるんだ」とか言ってバイキンマンが攻撃して「新しい顔よ!」となってバイバイキーンになって、おわり。これ以外にもいろんなパターンはあると思うけど、どうしてもなんとかマンを魅せたいので話が単純にならざるを得ない。幼児向けなんだから仕方ないと思う反面、アンパンマンに慣れすぎるとキャラクター把握でしか物語を理解できなくなるのではという危惧もしている。実際昔からの童話をアンパンマンに置き換えて話を作っている動画なんかもあって、もう世の中がそのうちアンパンマンに駆逐されるんじゃないかと気が気でない。そういうわけで個人的にアンパンマンは好きじゃない。だけど子供が無邪気にアンパンマン好きなところに上記のことを言いながら入っていく気もない。完全にマイノリティである自信はある。


何が言いたいかといえば、公共のポスターにカードバトルもののキャラクターが使われていれば「同じようなものを量産して楽しいのかな」と懐疑的になり、アンパンマンが使われていれば「こんなところにも増殖してきたかイースト菌野郎が」くらいは思う。思うけど、公共性の高いものなんだろうと思って何も言わない。彼らにも露出する権利があるし、彼らのファンに突っかかるように言うのもかなりの野暮であるからである。


宇崎ちゃんのポスターについて

でも宇崎ちゃんのポスターの場合は違う。宇崎ちゃんポスターを批判している人は「巨乳の表現に傷ついて、巨乳を性的消費している人たちに怒っている」という構図である。ぶっちゃけそこに宇崎ちゃんは存在しなくて、「宇崎ちゃんを見て傷ついた私に謝れ、取り下げろ」となっている。だから議論するべきは「宇崎ちゃんはエロいかエロくないか」ではなく、「いち表現に傷ついた人をどこまで救済するかしないか」ではないだろうか。


その時大事なのは「その作品を見て、どう思ったか」ではないだろうか。そこに作者の意図なんていうのは存在しなくて、どんなに誤読があっても「私がこう思ったからこうなんだ」っていうのは尊重しないといけないと思う。ただ宇崎ちゃんの場合、一足飛びに「環境型セクハラ」と断ずるのではなく「私はこのポスターを不快に思う、次からはこういう場所に掲示するならこういう構図は辞めてほしい」と主語を明確に「私」にしたほうがよかったと思う。当たり前だけど宇崎ちゃんが嫌だと思う人もいれば、宇崎ちゃんの漫画が好きな人だっているからね。「環境型セクハラ」だと「私以外にも傷ついている人がたくさんいるんですよ!」というニュアンスが含まれてフェアじゃないと思う。


元の宇崎ちゃんを女子に貸せない増田は「俺は無理」って言うけれど、それはクラスの女子が「宇崎ちゃんのような漫画はきっと好みではない」という偏見を持っている時点でフラットな視点ではない。もしかしたら宇崎ちゃんみたいな漫画が大好きかもしれないし、もしかしたらよく知らないクラスの女子はエロ同人書いてるかもしれない。ワンピースオタクかもしれないし、そもそも漫画なんて読んだことないかもしれない。


だからこそ、個人と個人の貸し借りは「人による」としか言えない。その人がどんな人かわからないのに個人に何かを勧めることは相当難しい。万人受けすると思って「HUNTER×HUNTER」を貸しても「絵が好みじゃない」とか「話が難しい」とか言われるかもしれないし、「サザエさん」を貸しても「読むのがダルい」と言われるかもしれない。ちなみにサザエさんにとあるトラウマがあってサザエさんを見るだけで嫌なことを思い出すという知人がいる。サザエさんだって誰かの地雷になりうるわけで、本当に万人受けするコンテンツというのは難しいということをとりあえず言いたいわけです。


だから、まあ、宇崎ちゃんをあんまり責めるのもどうかと思うし、逆に「お気持ち」と揶揄しすぎるのも失礼だと思う。宇崎ちゃんを見て嫌な気持ちになった人がいるのは事実だけど、その事実を客観的に証明しようとすればするほど「何故私はこの表現が嫌いか」ということになり、その表現が好きな人をまた傷つけていく構図になってしまう。まあ不毛だよね。誰も幸せにならない。


どちらかと言うとこの問題の根っこは表現の方法というより「双方やたらと喧嘩腰になる」方が根深い気がするのだけど、その辺は何故なんだろうね。多分お互いを仮想敵にして勝手に憎悪を募らせているだけだからだと思う。一緒にご飯でも食べて話し合えば案外解決するんじゃないかと思ってる。無理か。


「感想は自由」なのは本当?

ここで宇崎ちゃんの話から離れて「誰がどんな感想を抱いてもいいのか」という話になる。確かに心情の自由はあるし、どんな感想を持とうが誰も知ったことではない。源氏物語を「罪の子持ったらお前も浮気され返されてやんの、はい勧善懲悪」と昔の人は言っていたけど、今はそんな風に解釈する人はほとんどいないだろう。だからといって昔の人が劣っているとか間違っているとかそういうことではない。かくも感想とは難しい。

 

note.mu

anond.hatelabo.jp


少し前に話題になったこのジョーカー評とそのツッコミだけど、読めば読むほど「個人の感想というのはどこまで許されるのか」と不安になってくる。


正直槙野さんの記事を読んだ直後の感想は「この人ちゃんと映画見たのかな」だし、映画でも明示されていないわからないことをさもわかったかのように書いている時点でジョーカーよりも信用できない。ついでに言うとTwitterで「映画はほとんど見ないけど小説はいっぱい読むから物語の構造はわかるよ!」みたいなことを言っているけど、とっても恥ずかしい台詞すぎてわざとやってるのかなと思った。

 

 


槙野さんのジョーカー評については増田のほうで丁寧にツッコミがなされているのであまり触れないけど、ひとつだけ言うとするならジョーカーがジョーカーになったのを、

「自分にはもっとすばらしいものが与えられるべきだったのに、そうではなかったから、自分が与えられるべきだったはずのものをもらっているやつらを燃やす」


と書いているけど、実際はとある明確な出来事がきっかけでジョーカーに変化する。その出来事に触れないで憶測でこのようなことを書くのは不誠実であると思う。「北斗の拳」のサウザーのことをお師匠様のエピソード抜きに最初から慈悲のない男と言い切るようなものである。


しかし、槙野さんは「そう思った」んだろうから、その感想は尊重しないといけないのかもしれない。実際槙野さんの感想に「共感した」というコメントもいくつか見受けられる。とはいえ、相当映画の内容を逸脱している。これはこれで許してしまっていいのだろうか。


「カッコイイ」のみの感想

話は変わるが、民放の連ドラを見ていたときの感想に纏わる話をする。Twitterハッシュタグでドラマの感想を探してみたら「俳優の誰々がかっこよかった」という情報しか入って来ないという事態に当初は困惑し、「この人たちは本当に同じ作品を見たのか」と不安になった。もちろんちゃんと探せばそれなりの感想を探すことはできるけど、「かっこよかった」のノイズを除去する作業はなかなか大変だ。ヒロインの苦悩とか問題の解決とかお話として見るところはたくさんあるのに、「俳優がかっこよかった」しか呟かれないのはどういうことだろう。


対照的に朝ドラや大河ドラマなどは「俳優かっこいい」のツイートもたくさんあるけれど、「どこどこのシーンの誰がよかった」「誰々がかっこいい、次回はどうなるのだろう」とストーリーに言及する形で呟かれることも多く、感想を探すことでノイズを除去するという感じはあまりない。


これは動機の違いなのだと思う。朝ドラや大河ドラマは「ドラマ」を見たい人が見ていて、俳優がかっこいいのは副次的なものだから自然と内容に言及したツイートが多いのだろう。先程の民放の連ドラは内容よりも「俳優」を見たい人が見ていて、ドラマの内容よりも俳優がどんな動きをしたのか、どんな顔をしていたかのほうが重要なので内容についてのツイートはあまりしない。それどころか「とある人物はかわいそうな境遇であるので何か手助けを」という話なのに「あの人物かわいそうぶってムカつく!」という製作者の意図を大幅に汲み取れない感想も出てくる。


当たり前だが、「かっこよかった」だって立派な感想であり、真面目なストーリーの考察の邪魔だから呟くなというのは相当おこがましい話である。しかし、個人的な心情を述べれば「製作者の目に入るものは製作者が喜びそうなことを書いた方がよい」と思ってしまう。せめて「どこどこのシーンがよかった」「このセリフは心に響いた」「来週の展開が気になります」など、一言でもいいから内容に触れてあげて欲しい。ドラマは俳優のPVではないのだから……。


ちなみにWebでテレビドラマの感想を探すと「あらすじネタバレ感想」というサイトが大量に引っかかり、半分くらい出演者の名前であとは本当にあらすじだけ書いてあって感想は「ハラハラしました!」くらいで終わりというものがまだまだ多いのでTwitterよりノイズ除去の心的なハードルが高くなるのであまりオススメしません。頑張ってるブログもあるんだけど、現状かなりキツいのと自分に合うレビューブログをまだ見つけていないのでぼちぼち探していきたいなと思います。


映画感想を書いてる人たちが気をつけていること

そんなわけで「面白い感想が見つからないから自分で書いてやる」とずっと映画感想のブログを続けてきているのですが、映画の感想になると「かっこよかった」オンリーの感想ってすごく減るのが興味深い。俳優目当ての感想であっても大体ちゃんと映画全体の感想になっている。この差はテレビドラマと映画という媒体の違いも大きな要因だと思う。CMを挟みながら数十分の物語を何週も見ていくのと、二時間まとまった内容の話を見るのとでは湧き出る感想も違ってくるのだろう。


自分が好きで見ている映画感想ブログを書いている人たちは文章が上手というか、思ったことを的確に書くことができていると思う。同じ感想だと嬉しいし、違う感想になったとしても「この人はそう見たのか」と違う視点を貰った気分になる。そんな人たちを観察して、「これが感想を書く上で大事な視点かな」と思うことをいくつか発見した。


ひとつは、基本的に肯定的な意見を書くということである。正直映画の悪口ばかり言っているブログはそんなに面白くないし、特に監督や役者の悪口に徹しているものは不快である。ただ、時には面白くない映画の感想を書くこともある。その時は「この点がつまらなかったが、この点は面白かった」とプラスの点も併記してあることが多い*1。そういう記事はきちんと映画を見ている感じがして好印象である。


もうひとつは、主語を「私」に限定してあることである。「私はこれを面白いと思うけど、つまらない人もいるかもね」「これは私の好みではないからつまらないと感じたけど、こういうのが好きな人は是非見てみて」と、どんな人が読んでも「個人の感想だから参考くらいにしてね」という感じがある。いろんな人が読むのを想定して書いているのは誠実であると思う。


ここで槙野さんのジョーカー評を思い出す。確かに冒頭に「個人の感想です」と書いてあるが、槙野さんの文章には2回も「おわかりいただけただろうか」というフレーズが出てくる。個人の感想であるのに、読者に「私の見解は以上のように正しい」という印象を与えてしまうし、そのように書かれているように見える。これは感想ではなく批評に近い。批評であるならば「個人の感想」では済まない。いろんなところから怒られても文句は言えない。ついでに言うなら、そういう反応を期待してわざとこういう記事を書いたと言うならそれはそれで悪質だなぁと思うし、無邪気に書いたのであってもやっぱり救われないなぁというのが個人的な印象です。


しかし、槙野さんは「そう思ってしまった」のだから、それには自信を持って欲しいし、変に撤回などはしてほしくない。ジョーカー評の増田が変に個人攻撃していることは気になったが、それに負けずに槙野さんの詳しい小説の分野などでちゃんと作品レビューができることを証明されたらいいのではないかと思いました、はい。

 

まとめ

長々と書いてきたけど、要は「どんなに気をつけても万人受けする表現はないし、万人が納得する意見もないんだからその都度折り合いを付けていくしかないだろう」ということです。宇崎ちゃん*2や変な感想を見つけて「嫌だな」と思うことはあっても、「不快だから取り下げろ」と言うのはちょっとどうかと思う。その代わり「私はこの表現が嫌だと思った」ということを伝える権利はあると思う。ただ、万人が納得することは絶対ありえないのでどこで落とし前をつけるかはその時次第、ということでいいんじゃないのかなぁと思う。長くなりすぎた。おわり。

 

*1:もちろんこき下ろす時は徹底して論拠を出してこき下ろしている。

*2:明確にセクハラかどうかとっても微妙な奴。