あのにますトライバル

旧さよならドルバッキー。

最近「感想」について思ってること

ちょっと思ってることをまとめておく。話題がふたつなので話が長いです。前半は宇崎ちゃん、後半はジョーカー絡みですが言ってることは大体一貫してるつもりです。長い話が嫌な人は結論だけ読んでください。あと宇崎ちゃんの絵がセーフとかアウトとかいう話では全くないのでそういうのが読みたい人はお帰りください。


結論

万人受けする表現もないし、万人が納得する批評もない。「これは不快だ」という意思表示含めて表現に反対する人は必ずいる。それを踏まえて話をしないと何を言っても議論ではなく喧嘩にしかならない。


以下本文です。

 

お前らってクラスの女子に面白い漫画貸してって言われたら宇崎ちゃん貸せるの?

人によるとしか。普段から映画観ない人に「ミュージカル映画教えて」と言われても基本的にダンサー・イン・ザ・ダーク勧めないし、人によっては勧めるとしか/「面白い漫画紹介」と「ポスター掲示」の関連性も微妙。

2019/10/28 09:42

 

こんなブコメをしたんだけど、漫画じゃなくて「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を選んだのには100字じゃ言えない事情がある。以前どこかのブコメでもした実話である。


「初心者向け」という看板

ちょうど「ラ・ラ・ランド」がヒットしていたあたりの頃、TSUTAYAに行ったら「初心者でも楽しめるミュージカル映画特集」っていう棚があって、大正義「サウンド・オブ・ミュージック」や「雨に唄えば」、そんで「ANNIE」や「ヘアスプレー」に混ざって「ダンサー・イン・ザ・ダーク」も置かれていて、「これはちょっと……」と思ったという話。


普通に考えて、特集コーナーなんだから「ラ・ラ・ランド楽しかった~! 他のミュージカルも見てみたい!」って人が対象なわけで、「ミュージカル映画ならなんでもいいわ」って人向けではない。いや、ビョークの歌声は最高なんだけど、多分「ラ・ラ・ランド」見てミュージカル映画見たいと思った人は絶対見ないだろ、というか間違えて見ちゃってミュージカル映画嫌いになるかもよとも思う。


だけど、じゃあその棚に「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を置いちゃいけないのか? と言われると排除するまでのことは無い気がする。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」は映画として面白いし、ミュージカル映画に興味のある人には是非見てもらいたい作品ではある。でも「初心者」と看板を立てられると、どうもしっくり来ない。そもそも「初心者」とは何なんだろう。


万人受けする表現はない

ここでは初心者を「あまり作品の記号に触れていない人」だと思って話を進める。とにかく物語やキャラクターというものには記号的な決まり事や「お約束」という物事が多い。だから記号を理解していればとても面白く、逆に記号を理解できなければ途端に難解になってしまう。


そこでお約束を理解していない場合、途端に面白さは半減する。ひとつは単純に面白さが理解できないというところ、もうひとつは「面白がる前提条件がある」ことに納得がいかないというところにあると思う。後者は内輪ウケなんかが理解できなくて蚊帳の外に出てしまったような寂しさがあるのだろう。まあ面白くないよね。


ここで自分の「面白くない」をいくつか例に上げてみる。初めに「カードバトルものアニメ」。カードゲーム自体にそれほど興味が無いのでこういうアニメをたまにテレビで見かけても「うーん、何が面白いのかさっぱりわからない」となる。もちろん「カードバトルめっちゃ好き」という男子の気持ちは尊重したいし、自分にとって面白くないからと言って滅べとも思わない。


また、超万人受けすると思われるコンテンツ「アンパンマン」も個人的にはちょっと受け入れ難い。子育てに関わっている人ならわかると思うけど、基本的に幼児グッズというのはアンパンマンに駆逐されている。おもちゃ売り場にはかならずアンパンマンランドが建設されていて、一歩中に踏み入れたら価値観全部がアンパンマンになってしまう。


他にも苦手なところがあって、話が「キャラクター頼み」で特に話の展開がないというのも辛い。なんとかマンが出てきてバイキンマンがやってきてなんとかマンの邪魔をしてアンパンマンが「やめるんだ」とか言ってバイキンマンが攻撃して「新しい顔よ!」となってバイバイキーンになって、おわり。これ以外にもいろんなパターンはあると思うけど、どうしてもなんとかマンを魅せたいので話が単純にならざるを得ない。幼児向けなんだから仕方ないと思う反面、アンパンマンに慣れすぎるとキャラクター把握でしか物語を理解できなくなるのではという危惧もしている。実際昔からの童話をアンパンマンに置き換えて話を作っている動画なんかもあって、もう世の中がそのうちアンパンマンに駆逐されるんじゃないかと気が気でない。そういうわけで個人的にアンパンマンは好きじゃない。だけど子供が無邪気にアンパンマン好きなところに上記のことを言いながら入っていく気もない。完全にマイノリティである自信はある。


何が言いたいかといえば、公共のポスターにカードバトルもののキャラクターが使われていれば「同じようなものを量産して楽しいのかな」と懐疑的になり、アンパンマンが使われていれば「こんなところにも増殖してきたかイースト菌野郎が」くらいは思う。思うけど、公共性の高いものなんだろうと思って何も言わない。彼らにも露出する権利があるし、彼らのファンに突っかかるように言うのもかなりの野暮であるからである。


宇崎ちゃんのポスターについて

でも宇崎ちゃんのポスターの場合は違う。宇崎ちゃんポスターを批判している人は「巨乳の表現に傷ついて、巨乳を性的消費している人たちに怒っている」という構図である。ぶっちゃけそこに宇崎ちゃんは存在しなくて、「宇崎ちゃんを見て傷ついた私に謝れ、取り下げろ」となっている。だから議論するべきは「宇崎ちゃんはエロいかエロくないか」ではなく、「いち表現に傷ついた人をどこまで救済するかしないか」ではないだろうか。


その時大事なのは「その作品を見て、どう思ったか」ではないだろうか。そこに作者の意図なんていうのは存在しなくて、どんなに誤読があっても「私がこう思ったからこうなんだ」っていうのは尊重しないといけないと思う。ただ宇崎ちゃんの場合、一足飛びに「環境型セクハラ」と断ずるのではなく「私はこのポスターを不快に思う、次からはこういう場所に掲示するならこういう構図は辞めてほしい」と主語を明確に「私」にしたほうがよかったと思う。当たり前だけど宇崎ちゃんが嫌だと思う人もいれば、宇崎ちゃんの漫画が好きな人だっているからね。「環境型セクハラ」だと「私以外にも傷ついている人がたくさんいるんですよ!」というニュアンスが含まれてフェアじゃないと思う。


元の宇崎ちゃんを女子に貸せない増田は「俺は無理」って言うけれど、それはクラスの女子が「宇崎ちゃんのような漫画はきっと好みではない」という偏見を持っている時点でフラットな視点ではない。もしかしたら宇崎ちゃんみたいな漫画が大好きかもしれないし、もしかしたらよく知らないクラスの女子はエロ同人書いてるかもしれない。ワンピースオタクかもしれないし、そもそも漫画なんて読んだことないかもしれない。


だからこそ、個人と個人の貸し借りは「人による」としか言えない。その人がどんな人かわからないのに個人に何かを勧めることは相当難しい。万人受けすると思って「HUNTER×HUNTER」を貸しても「絵が好みじゃない」とか「話が難しい」とか言われるかもしれないし、「サザエさん」を貸しても「読むのがダルい」と言われるかもしれない。ちなみにサザエさんにとあるトラウマがあってサザエさんを見るだけで嫌なことを思い出すという知人がいる。サザエさんだって誰かの地雷になりうるわけで、本当に万人受けするコンテンツというのは難しいということをとりあえず言いたいわけです。


だから、まあ、宇崎ちゃんをあんまり責めるのもどうかと思うし、逆に「お気持ち」と揶揄しすぎるのも失礼だと思う。宇崎ちゃんを見て嫌な気持ちになった人がいるのは事実だけど、その事実を客観的に証明しようとすればするほど「何故私はこの表現が嫌いか」ということになり、その表現が好きな人をまた傷つけていく構図になってしまう。まあ不毛だよね。誰も幸せにならない。


どちらかと言うとこの問題の根っこは表現の方法というより「双方やたらと喧嘩腰になる」方が根深い気がするのだけど、その辺は何故なんだろうね。多分お互いを仮想敵にして勝手に憎悪を募らせているだけだからだと思う。一緒にご飯でも食べて話し合えば案外解決するんじゃないかと思ってる。無理か。


「感想は自由」なのは本当?

ここで宇崎ちゃんの話から離れて「誰がどんな感想を抱いてもいいのか」という話になる。確かに心情の自由はあるし、どんな感想を持とうが誰も知ったことではない。源氏物語を「罪の子持ったらお前も浮気され返されてやんの、はい勧善懲悪」と昔の人は言っていたけど、今はそんな風に解釈する人はほとんどいないだろう。だからといって昔の人が劣っているとか間違っているとかそういうことではない。かくも感想とは難しい。

 

note.mu

anond.hatelabo.jp


少し前に話題になったこのジョーカー評とそのツッコミだけど、読めば読むほど「個人の感想というのはどこまで許されるのか」と不安になってくる。


正直槙野さんの記事を読んだ直後の感想は「この人ちゃんと映画見たのかな」だし、映画でも明示されていないわからないことをさもわかったかのように書いている時点でジョーカーよりも信用できない。ついでに言うとTwitterで「映画はほとんど見ないけど小説はいっぱい読むから物語の構造はわかるよ!」みたいなことを言っているけど、とっても恥ずかしい台詞すぎてわざとやってるのかなと思った。

 

 


槙野さんのジョーカー評については増田のほうで丁寧にツッコミがなされているのであまり触れないけど、ひとつだけ言うとするならジョーカーがジョーカーになったのを、

「自分にはもっとすばらしいものが与えられるべきだったのに、そうではなかったから、自分が与えられるべきだったはずのものをもらっているやつらを燃やす」


と書いているけど、実際はとある明確な出来事がきっかけでジョーカーに変化する。その出来事に触れないで憶測でこのようなことを書くのは不誠実であると思う。「北斗の拳」のサウザーのことをお師匠様のエピソード抜きに最初から慈悲のない男と言い切るようなものである。


しかし、槙野さんは「そう思った」んだろうから、その感想は尊重しないといけないのかもしれない。実際槙野さんの感想に「共感した」というコメントもいくつか見受けられる。とはいえ、相当映画の内容を逸脱している。これはこれで許してしまっていいのだろうか。


「カッコイイ」のみの感想

話は変わるが、民放の連ドラを見ていたときの感想に纏わる話をする。Twitterハッシュタグでドラマの感想を探してみたら「俳優の誰々がかっこよかった」という情報しか入って来ないという事態に当初は困惑し、「この人たちは本当に同じ作品を見たのか」と不安になった。もちろんちゃんと探せばそれなりの感想を探すことはできるけど、「かっこよかった」のノイズを除去する作業はなかなか大変だ。ヒロインの苦悩とか問題の解決とかお話として見るところはたくさんあるのに、「俳優がかっこよかった」しか呟かれないのはどういうことだろう。


対照的に朝ドラや大河ドラマなどは「俳優かっこいい」のツイートもたくさんあるけれど、「どこどこのシーンの誰がよかった」「誰々がかっこいい、次回はどうなるのだろう」とストーリーに言及する形で呟かれることも多く、感想を探すことでノイズを除去するという感じはあまりない。


これは動機の違いなのだと思う。朝ドラや大河ドラマは「ドラマ」を見たい人が見ていて、俳優がかっこいいのは副次的なものだから自然と内容に言及したツイートが多いのだろう。先程の民放の連ドラは内容よりも「俳優」を見たい人が見ていて、ドラマの内容よりも俳優がどんな動きをしたのか、どんな顔をしていたかのほうが重要なので内容についてのツイートはあまりしない。それどころか「とある人物はかわいそうな境遇であるので何か手助けを」という話なのに「あの人物かわいそうぶってムカつく!」という製作者の意図を大幅に汲み取れない感想も出てくる。


当たり前だが、「かっこよかった」だって立派な感想であり、真面目なストーリーの考察の邪魔だから呟くなというのは相当おこがましい話である。しかし、個人的な心情を述べれば「製作者の目に入るものは製作者が喜びそうなことを書いた方がよい」と思ってしまう。せめて「どこどこのシーンがよかった」「このセリフは心に響いた」「来週の展開が気になります」など、一言でもいいから内容に触れてあげて欲しい。ドラマは俳優のPVではないのだから……。


ちなみにWebでテレビドラマの感想を探すと「あらすじネタバレ感想」というサイトが大量に引っかかり、半分くらい出演者の名前であとは本当にあらすじだけ書いてあって感想は「ハラハラしました!」くらいで終わりというものがまだまだ多いのでTwitterよりノイズ除去の心的なハードルが高くなるのであまりオススメしません。頑張ってるブログもあるんだけど、現状かなりキツいのと自分に合うレビューブログをまだ見つけていないのでぼちぼち探していきたいなと思います。


映画感想を書いてる人たちが気をつけていること

そんなわけで「面白い感想が見つからないから自分で書いてやる」とずっと映画感想のブログを続けてきているのですが、映画の感想になると「かっこよかった」オンリーの感想ってすごく減るのが興味深い。俳優目当ての感想であっても大体ちゃんと映画全体の感想になっている。この差はテレビドラマと映画という媒体の違いも大きな要因だと思う。CMを挟みながら数十分の物語を何週も見ていくのと、二時間まとまった内容の話を見るのとでは湧き出る感想も違ってくるのだろう。


自分が好きで見ている映画感想ブログを書いている人たちは文章が上手というか、思ったことを的確に書くことができていると思う。同じ感想だと嬉しいし、違う感想になったとしても「この人はそう見たのか」と違う視点を貰った気分になる。そんな人たちを観察して、「これが感想を書く上で大事な視点かな」と思うことをいくつか発見した。


ひとつは、基本的に肯定的な意見を書くということである。正直映画の悪口ばかり言っているブログはそんなに面白くないし、特に監督や役者の悪口に徹しているものは不快である。ただ、時には面白くない映画の感想を書くこともある。その時は「この点がつまらなかったが、この点は面白かった」とプラスの点も併記してあることが多い*1。そういう記事はきちんと映画を見ている感じがして好印象である。


もうひとつは、主語を「私」に限定してあることである。「私はこれを面白いと思うけど、つまらない人もいるかもね」「これは私の好みではないからつまらないと感じたけど、こういうのが好きな人は是非見てみて」と、どんな人が読んでも「個人の感想だから参考くらいにしてね」という感じがある。いろんな人が読むのを想定して書いているのは誠実であると思う。


ここで槙野さんのジョーカー評を思い出す。確かに冒頭に「個人の感想です」と書いてあるが、槙野さんの文章には2回も「おわかりいただけただろうか」というフレーズが出てくる。個人の感想であるのに、読者に「私の見解は以上のように正しい」という印象を与えてしまうし、そのように書かれているように見える。これは感想ではなく批評に近い。批評であるならば「個人の感想」では済まない。いろんなところから怒られても文句は言えない。ついでに言うなら、そういう反応を期待してわざとこういう記事を書いたと言うならそれはそれで悪質だなぁと思うし、無邪気に書いたのであってもやっぱり救われないなぁというのが個人的な印象です。


しかし、槙野さんは「そう思ってしまった」のだから、それには自信を持って欲しいし、変に撤回などはしてほしくない。ジョーカー評の増田が変に個人攻撃していることは気になったが、それに負けずに槙野さんの詳しい小説の分野などでちゃんと作品レビューができることを証明されたらいいのではないかと思いました、はい。

 

まとめ

長々と書いてきたけど、要は「どんなに気をつけても万人受けする表現はないし、万人が納得する意見もないんだからその都度折り合いを付けていくしかないだろう」ということです。宇崎ちゃん*2や変な感想を見つけて「嫌だな」と思うことはあっても、「不快だから取り下げろ」と言うのはちょっとどうかと思う。その代わり「私はこの表現が嫌だと思った」ということを伝える権利はあると思う。ただ、万人が納得することは絶対ありえないのでどこで落とし前をつけるかはその時次第、ということでいいんじゃないのかなぁと思う。長くなりすぎた。おわり。

 

*1:もちろんこき下ろす時は徹底して論拠を出してこき下ろしている。

*2:明確にセクハラかどうかとっても微妙な奴。