あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

【自己責任系はてな村怪談】あるブロガーの末路2

【注意】

※この話は昨年に引き続き強い怨念が憑りついています。そのため、最後まで読んでしまうとこれからネット活動を行う上で何らかの影響を及ぼす可能性があります。それでも読みたい方は、やっぱり自己責任でお願いします。

 

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【昨年のお話(こちらを読んでから今回の話を読んだ方が良い)】

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「いかがだったでしょうか、と」
 僕は一か月分のブログのストックを書き終えた。これで連続更新30日は約束された。ブログを始めてから数ヶ月。最初はネタを探すのも苦労したけれど、今では書きたいことがどんどん浮かんできている。これで月間10万PVはもらったも同然だ。でも、さすがに一か月分のネタを出しきったので次に書くことがない。僕は数日振りに友達のブログなどに遊びに行くことにした。

 

「ここはいつ来ても面白い場所だな」

 僕が向かっているのは新しくできたブログタウンだ。ここには以前寂れた閉鎖的な寒村があったそうだけれど、今では新興住宅地が出来て住人の数も増え、華やいだ街並みが続いている。僕は目当てのブログに来ると、早速来訪の記念にコメントを残した。

 

「いつ見ても面白い記事ばかりで参考になります、僕もはやく一人前のブロガーになりたいなぁ」

 

 このブログにコメント欄はない。その代り、青いBと書いてあるボタンを押すことでコメントを残すことが出来るし、設定をすればTwitterにコメントとURLを送信することもできる。この便利なボタンで僕はたくさんのコメントを残して、そして友達を作ってきた。

「おいしそうなラーメンですね、お腹がすいてきます」
「猫の画像は癒されますね、大好きです」
「難しい問題ですが、考えていかないといけませんね」

 今日も様々なブログで様々なコメントを残した。コメントをしたブログの運営者は僕のコメントを辿って僕のブログにやってきて、コメントを残してくれる。こうやっていろいろ交流を深めることで、僕のブログのネタになってくれる。なんてブログは素晴らしいんだろう。


「なんだろう、見たことないブログだな」

 

 僕は友達のブログを訪問した帰り道、変なブログを見つけた。大抵のブログには画面の一番上にブロガーのプロフィールと顔写真が載っているし、記事も実用的なものばかりで参考になるものが多い。ところがこのブログはプロフィールも見えるところにないし改行も少ない変な記事ばかりだ。

 

「何がお探しですか?」

 

 ブログの管理人と思われる人物に遭遇した。そいつはアロハシャツを着て、メガネをかけた猫背の変な男だった。見た目が非常に胡散臭い。見なかったことにしたかったけれど、声をかけられてしまっては後戻りが出来ない。


「いえ、見てるだけなんで……」
「なるほど、お兄さんにとっておきのネタがありますよ」

 

 男はじろりと僕を見て、僕の腕を掴むとブログの中に引っ張り込んでしまった。

 

「あの、やっぱり帰りたいんですけど……」
「まあまあ遠慮せずに。ささ、そこに座って」

 

 男は僕を置いてあった過去記事の上に座らせた。雑多な記事が多く、見るからにPVの少なそうなブログだ。こんなブログに価値があるのだろうか? 僕は早く帰って今日拾ってきたブログのネタを下書きに残したいと考えていた。


「さてさて、お兄さん見たところこの辺にやってきたのは最近だね」
 急に言い当てられて、僕はドキリとした。


「何でわかるんですか?」
「簡単さ、お兄さんのB!の使い方が明らかにおかしいからね」
「え、何がおかしいんですか!?」


 僕は男の失礼な言い方にムッときた。はっきり言ってコメントの内容について初対面の人に向かって言うことではない。


「お兄さんは『ゴジョカイ』という言葉を聞いたことがあるかな?」
「え、それって悪口ですよね? それが何か?」


 急に悪口の話になって、僕は訳が分からなくなった。『ゴジョカイ』という言葉は聞いたことがあったけれど、それはこのブログタウンが昔の村だった時代からいた貧しい人たちが新しくやって来たきれいでお金持ちの人たちを僻んでそう呼んでいるってくらいだ。何故『ゴジョカイ』と呼ばれるのか意味は分からなかったけれど、僕は嫌な人たちもいるんだなくらいにしか思っていなかった。僕の反応を見た男はやれやれと言う顔をして、ブログの過去記事を持ってきて僕の前に座った。


「ブログ運営をしているくせに、そのくらいの認識だとそのうち潰されるぞ」
「はあ? なんであなたにそんなことを言われなくちゃいけないんですか? 嫉妬ですか?」 
「まあまあ落ち着いて。それより、こんな画面を見たことがあるかい?」


 男はブログのトップではない画面を見せてくれた。しかし、そこには僕がコメントを残してきたブログへのリンクがたくさんあった。


「何ですかこれは?」
「これは、B!を使うことで人気の記事が一目でわかるサービス。知らなかった?」
「だって、聞いたことないですし」
「でも、B!使ってんじゃん」


 男は僕の持っているB!ボタンを指さした。


「これはコメントをつけるのに便利だから使っていたんであって、人気記事を知るためになんて使ってません」
「だーかーら、その認識がヤバいんだってば」


 男は画面を操作すると、僕のよく知っているB!のコメント一覧ページを開いた。


「こうやって何気なくコメントしてるだけで、その記事は人気記事として上がってくるわけよ。その記事が有用かそうじゃないかは関係なしに、人気を捏造できる」


 つまり、男は僕が人気記事をつくるためにコメントをして回ってきたのではないかということが言いたいらしい。失礼にも程がある。


「ふざけないでください! 人をスパム呼ばわりしておいて根拠はあるんですか!?」


 僕は大きな声で叫んだ。これだけ大きな声でdisれば、相手は萎縮していなくなるはずだ。かつて僕にブログを教えてくれた先輩は「根拠のない誹謗中傷は無視か毅然として反論すること」って言っていた。こんなところで役に立つとは。


「根拠、あるぜ」


 僕の精一杯のdisをものともせず、男はニヤリと笑った。


「な、なにで証明しようって言うんですか!?」
「勿論、あんたのB!コメントの履歴さ」


 男は画面を操作すると僕のコメントの一覧画面を出した。


「これのどこが問題だっていうんですか?」

「見てみろよ。あんたがコメントをつけて回っているのはこの『バーガー馬鹿の日々』と『働かない生き方を目指すブログ』と『てんてこまい主婦が書きます』、そして『コロンビア!』『読書が世界を変えるまで』の5つがメインだ。そしてあんたのブログのB!コメント欄にはこのブログ運営者のアカウントが常駐している。これは典型的な内輪狙いのコメントに他ならない……おっと、『痴女好きにはたまらない画像20選』? 趣味悪いね」

「全部それはぼ、僕の勝手でしょう!」


 顔を真っ赤にして叫ぶけれど、構わず男は僕の履歴を辿って行く。


「確かに勝手さ。だけど、小銭と言えどブログ運営で金を稼いでいるのにマッチポンプなんて随分せこい運営じゃないか」
「ぼ、僕は金儲けなんてしてないですよ!?」
「例えばあんたがコメントしたブログの記事、これ読んでみろよ」


 僕の反論を聞かずに、男は『読書が世界を変えるまで』さんの過去記事を表示した。タイトルは「本を読まないで過ごす日々は退屈」というものだった。


「これがどうしたって言うんですか?」
「いいか、本文を読みあげるぞ……『こんにちは。今日は本を読まないで過ごしました。本を読まない日もたまにはいいと思いましたが、やはり本を読まないで過ごすのは退屈です。本を読むのは楽しいです。本を読まない人は損をしています。ぼくは昔は本を読みませんでした。とても勿体ないことです。みなさんもぼくみたいな後悔をしないように本をたくさん読みましょう』……それに対してあんたのB!コメントは『セカドクさんでも本を読まない日があるんですね~マイペースにのんびりいきましょう!』と来たもんだ。他の連中も似たようなコメントをしてこの記事は人気記事になった。」
「それの何が悪いんですか? こんなに面白い記事なんですから人気記事になって当たり前でしょう」


 すると男は目を丸くして僕を見た。まるで変な生き物を見たような蔑んだ顔だ。


「この記事の何が面白いんだ?」
「それは、セカドクさんが書いた記事は全部面白いに決まってるんですよ」
「じゃあ同じ内容でセカドクさんが書いてなかったら?」
「そんなの、どの記事も面白いかどうかわからないじゃないですか」


 何故この人はそんな当たり前のことを言っているんだろう? 頭を抱えるこの男を見ていると哀れに思えてきた。


「仕方ないな……あまり使いたくなかったんだけれど」


 男は眼鏡を外すと、右目を取り出した。あまりのことに声を出せないでいると、目玉はB!ボタンに変わって、淡く光り出した。するとこのブログの外観が消えて、荒れ果てた廃墟のようでいてところどころ武装している要塞のような建物が姿を現した。


「な、なんですかこれは……?」
「これがこのブログのB!を通してみた姿。あちこちに暴徒が傷をつけた跡があって、そのたびにブログ記事で防いだり時にはトラップを仕掛けたり、そうやってこの世知辛いブログ界隈を乗り越えてきたんだ」
「なんて物騒な……」


 僕が言葉を失っていると、男は僕のブログを表示してくれた。


「外見は繕っていても、ブログの評判なんて大概傷がついているのさ」


 そこに映っていた僕のブログは、いつもの素敵な姿が全くなかった。記事の周りには顔のない生物が張り付いていて、直接反映されていないB!コメントが斧のようにブログ全体に刺さっている。そのコメントには『互助会』の文字が並んでいる。


「だから何なんですか互助会って!?」
「そうやって自分で調べないからこんなひどい外見になってんじゃねーの?」


 男は下品に笑った。


「どうやって調べればいいんですか?」
「別にあんたの使ってるPCで検索すれば一発じゃねえか。なんでそれもしないの?」
「それは……」


 何故だろう、頭がとても痛い。答えられない。


「それは?」
「とにかく不快です、誹謗中傷です! 僕は帰ります!」


 僕は強引に男のブログから外に出た。まだ男のB!ボタンの影響なのか、辺りの景色が物騒に見える。はやくこの気持ち悪い幻覚から解き放たれたい。気持ち悪いブログから離れれば離れるほど気味の悪い風景も薄くなっていった。途中足のない女に掴まれそうになったけれど、なんとか走って逃げてきた。

 

「さて、記事を書くぞ」

 何とか自分のブログにたどり着いた僕は、早速次回の更新記事を書こうと思った。タイトルは決まっている、「はてな村民、ブロガーをdisる」だ。これ以上僕の奇妙な体験を表すタイトルは存在しない。早速書いて、みんなに見せるんだ。そして拡散してもらって、もっともっとこのブログを大きくしていくんだ。

 

『何のためにブログを書いているの?』
 どこからか変な声がする。うるさいな、邪魔をしないでくれ。
『そんな誰もためにもならない薄い記事ばかり書いていて楽しい?』
 僕にとっては楽しいんだ、そんなの人それぞれじゃないか。他人のことなんて気にしている場合じゃない。
『それで結局、君は誰のためにブログを書いているの?』
 僕自身のために決まってるじゃないか。PVが増えたら楽しいだろう?
『そうか、それじゃ、君は一体誰なの?』
 僕? 僕は、僕に決まってるじゃないか。ほら、プロフィールもちゃんとある。

 

 僕はいじめられていたから中学校から不登校で、フリースクールに通いながらも大検の資格を取って4大を卒業して、IT企業で働くけれどブラックすぎて辞めてミニマリストを目指しながら世界をバックパックひとつで回ることを目標にしてアフィリエイトで稼ぐことができればなぁと思いつつ自己啓発の本を読むことがやめられない活字中毒で週に2回ジムに通っていて筋肉もそれなりについてきてアイドルや深夜アニメにも興味のあるどこにでもいる至って平凡な人物。それがボクだ。

 

 それがボクだ。それ以上、僕に何を求めるの?

 

 僕は今日も記事を書き続ける。『最新ドラマのひとこと感想』なら一日ひとつ記事が書ける。『怖い生活習慣予防のためのサプリ7選』『人生は変えられる、努力と本気があれば』『実は健康に悪かった? 牛乳を飲んではいけない』なんていう記事はみんなの役に立つんだろうなぁ。水素水みたいな健康によさそうな記事も積極的に取り入れていこう。ボクはみんなの役に立つ記事を書いているんだ。お金なんて関係ない。みんなの役に立てば、それでいいんだ。それで、それで……。

 

 ふと、僕はあの気味の悪い男のように自分のブログの直接B!ボタンを当てた姿を見たくなった。ブログの外見はひどいことになっていたが、記事の中までは気味の悪い怪物がいなかった。それなら、このブログの中にいれば安全だ。ボクは男のようにB!ボタンをいじったけれど、何も変わらなかった。


「やっぱり、僕のブログはきれいなままなんだ」

 

 その時、僕のブログのストックが自動更新されて早速訪問者がやって来た。いつも一番最初にやってくるのは『働かない生き方を目指すブログ』さんだ。ところが、今僕の最新記事を読んでいるのは先ほど見た、顔のない生物だった。

 

「あなた、誰ですか!?」
「やだなあ、働かない生き方を目指すブログですよ」


 顔のない生物は僕を見てコメントをした。いつもの髭を少し伸ばしたおちゃめなアイコンの『働かない生き方を目指すブログ』さんではない。これは一体どういうことなんだろうか。

 

 それから次々にボクのブログを訪問してくるのは、顔のない生物ばかりだった。顔のない生物は身体から気持ちの悪い粘液を出していて、その跡を伝って普通の人間が何人か来たけれど、顔のない生物を見るなり帰ってしまう。

 

『面白いですね』
『流石ですね』

 

 顔のない生物が次々とコメントをして、ボクのブログを粘液まみれにしていく。


「やめろ、あっちに行け! 気持ち悪い!」


 すると、一匹の顔のない生物が何かをこちらに差し出した。それはB!ボタンの飾りがある鏡だった。


「気持ち悪いって、同じ仲間に冷たいなぁ」


 そこに映し出されていたボクは、彼らと同じ顔のないじくじくと粘液を垂れ流す生物だった。鏡に映しだされたボクの姿はひどく醜悪で、ボクを見た人が顔をしかめるのもよくわかる。

 

『気が付いていなかったんだね』
『かわいそうに、自分が本気で面白いと思っていたんだ』
『哀れだね、滑稽だね』

 

 ボクは気持ちの悪い生物ごとブログを叩き壊した。そして、ボク自身も永遠にネットの世界から消えるようアカウントを消去した。これでぼくはいなくなった。気味の悪い、顔のないぼく。かわいそうなぼく。さようなら、さようなら。今度はもっとまともなぼくに生まれ変わって、あの男に復讐をしなければ。

 

 * * *

 

「あーあ、ブログ消しちまった……ちょっと面白くなってきたのに」


 男はB!ボタンを自分の目にはめ直すと、残念そうに肩をすくめた。


「でも、アイツの記事の魚拓残ってるんだよなー。どこの複アカの自演野郎だったんだろう。調べてみるか」


 B!の光を介して見る新興住宅地には、たくさんの人間と一緒にたくさんの気味の悪い生物が住みついていた。そして彼らは自分が人間だと信じて、人間のふりをしながらブログを更新している。彼らの特徴は、あらかじめ決められた行動以外のことは出来ないことと、常に流行を追うことに懸命で己の軸というものが存在しないと言うことだ。

 

「でも面白いんだよなあ、あいつらをいじるとすぐに『誹謗中傷』って言って更に気持ちの悪い怪物に進化するの。やめられないぜ」

 

 既に男の家の周りをたくさんの怨嗟にまみれた怪物が取り囲んでいた。彼らは人間に憧れてたまに人間を襲うことがあっても、顔のない生物に手を出すことはない。それは彼らが同じ人間の出来損ないであるということをよくわきまえているからであった。


「さて、あんたらが仲良くしている画面の向こうのお友達は、本当に存在しているのかな? それとも顔のないお友達相手に気付かずに一人で仲良くいろいろ話しかけたりしていないかな? 顔のない生物はそんな奴が大好物だ。人間だと思っていても、ある日を境にいつの間にか顔のない生物になっているんだ。そうやって奴らは仲間を増やしている。さて、あんたが『人間』だって誰が証明してくれるのかな?」

 

 

 ≪了≫

潮焼きそばの振り返り

 いろいろありましてやっとまとまった時間がとれたので潮焼きそばの振り返りをしていきます。

 

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〇海と聞いて想起したイメージとしては『悲しみよこんにちは』のようなカラリとしているけれどどこかじっとりとした怨念が立ち込めているような海でした。それと個人的に「海」といえば「焼きそば」というくらい海に行ったら焼きそばを食べたくなるので無理矢理コラボさせた感じです。冒頭の波に揺られているときに「海に入った後は焼きそばだよなぁ」と思ったので焼きそばを出しました。そういえば「桜の季節」の時も焼きそばを出していた。あの野菜を炒める音と香ばしいソースの香りは、食欲をそそるモチーフとしてちょうどいい。この匂いの郷愁度合いは、夕方くたくたに遊んで一番星が出る頃に漂ってくるどこかの家のカレーの匂いと並んで日本人の何かを刺激するものだと思う。食べ物じゃなければ蚊取り線香の匂いか。

 

鉄板の上の花見 -短編小説の集い宣伝- - さよならドルバッキー

 

〇この『潮焼きそば』も読む人によってのリトマス紙のような構造になっている。美幸に感情移入をするかしないかで景色が変わるように設計してある。彼女の視点から見れば一皮むけた成長譚になるのだが、彼女を一人の大人として見れば「ガキじゃねえの」と思うくらい幼い思考に不安になる。さて、この話を何も考えずに読んだあなたはどうだったろうか。川添さんより以下の感想をいただいたけれど、その読後感が作者の思う通りなのでなんともうれしい限りです。

 

結末はちょっと都合が良すぎて、その後夏のシーズンが終わってからが逆に心配になる。こういう我が強いくせに状況に左右されやすい芯のない子に甘い環境を与えても、それがなくなればまたすぐ元に戻ってしまうぞ。(短編小説の集い「のべらっくす」第22回:感想編 - Letter from Kyoto

 

〇字数の都合などカットしたが、美幸は30歳だ。和子の娘と同じくらいの年、というのはミスリードで外見もそのくらい幼く見えるということである。ここを明記するとしないでより読者の受け止め方が分かれると思い、敢えて彼女の年齢の部分を隠した。仕事や恋愛のいざこざというのも全て彼女の独りよがりな妄想によるもので、非常に幼稚な精神の女性を書くことを今回は目指した。年だけは取っていくが、精神年齢は中学生くらいである。そういえば昔、中学生が自殺をしようとするだけの話を書いたことがあった。この話も構造としては似ている。

 

ボクの自殺日記|霧夢むぅ|note

 

〇そんなわけであのラストは「よかったよかった」となりそうなのだけれど、今後のことを考えると非常に不安になる。彼女が年相応に成熟しなかったのは実は彼女の親子関係にあるのだが、そこを書くととりとめがなくなるので疑似的に和子という理想の母親を登場させた。客商売をする中で娘を一人の人間として尊重し、適度な距離感を保っている和子は美幸を客として、また一人の人間として扱っている。その辺の微妙な人間関係があればそれでいいかなと思った。

 

〇実はこの話も書きながら着地点を考えて、そこに向かっていくという行き当たりばったりな書き方で書かれている。ラストから主人公の気持ちを導いていくのではなく、今の気持ちをラストにつなげるという書き方が苦手だったのだけれど、それもやっと悪くないと思えるようになった。冒頭の4行を書いているときは、主人公の年齢も性別も何も決めていなかった。この書き出しにふさわしい主人公を与えたような、そんな書き方だ。

 

〇いつも書くときに「五感」をなるべく大切にしようと思っている。事象を並べるだけでは「お話」の面白さしかない。ではプラスして与えられる面白さはやはり「描写」の面白さだと思っている。目を刺すような太陽の光や肌にまとわりつくような潮風、胃袋を刺激する匂いに足の裏が焼けるような砂の熱さ。そういったものは映像よりもしつこく言葉を尽くすことで体の中に染みわたっていくと思っている。耳がちぎれるような寒さは言葉の中にしか存在しない。今回はそれを海に関連させてしつこいほど使用しているので、少しくどくなっているかもしれない。

 

〇実際目の前に「死にたい」という顔をした人がやってきたらどうするだろうか。とりあえず何も言わずに腹いっぱい何かを食べさせて風呂に入れてやってぐっすり寝かせるのが良いらしい。人間ろくでもない考えを起こす時は大抵腹を空かせているらしい。刹那的でも「死」から目をそらすと言うことが大事なのだそうだ。ちなみにこれを書いている人は一度そんな経験をしている。そんな時に「絶対死んではダメだ」と力説すると反発するらしい。うつ病に頑張れは禁物、みたいなものだそうだ。これは個人の経験なので全てに当てはまるわけではないけれど、何かあった際に参考にしてほしいです。

 

〇前回「ドロドロした話が書きたい」と言っていた割に結局ベタベタしていたのは潮の香りだったので、次回のお話については次回考えることにしようと思います。おわり。

 

夏休みに頑張って書いた読書感想文風な桃太郎

「へえ、不思議なことがあるもんだ」

 ぼくがおどろいて声を上げると、台所からお母さんが出てきた。

「何の本を読んでいるの?」

「もも太ろうだよ、はじめてこんなにすごい本を読んだよ」

 ぼくがもも太ろうという本を見つけたのは学校の図書館でした。その日は夏休みの本を借りるということで普通は1冊しか借りられないのに3冊借りていい日だったので、借りようと思っていたいきものずかんと先生が借りろと言ったかわいそうなぞうと何を借りたらよいかわからなかったので先生に聞いたら

「なんでもいい」

 と言った。ぼくは知っている話ならすぐ読み終わるだろうと思ってもも太ろうを借りたのだった。

 家に帰ってもも太ろうを読んで、ぼくはびっくりした。ぼくはもも太ろうの話を知っていると思っていたけれど全然知らなかった。まさか犬とさるときじが出てきて

「もも太ろうさんもも太ろうさんおこしにつけたきびだんごひとつわたしにくださいな」

 と言うと思わなかった。動物がしゃべるのはおかしい。このまえうちで飼っているねこのハムがしゃべったらいいなとお父さんに言ったら

「ねこがしゃべるわけないだろ、ばか」

 と言った。だからぼくは犬やさるやきじがももたろうとしゃべるのはおかしいと思う。それと犬はほねがだいこうぶつだし、さるはバナナを食べるしきじはくだものを食べると思うのできびだんごをもらってもうれしくないと思った。もしもぼくがおにたいじに行くのにきびだんごをもらっても絶対行かないと思う。

 あとぼくがびっくりしたのは、アンパンマンが出てこないことです。ぼくの思っていたもも太ろうには、アンパンマンが出てきました。チーズと、赤ちゃんマンと、しょくぱんマンが出てきました。ほんとうのもも太ろうにはアンパンマンが出てこなくてびっくりしました。

 この本を読んで、ぼくはもも太ろうがつよくてとてもびっくりしました。またいろんな本を読みたいです。おしまい。

 

(原稿用紙で大体3枚目の数行目くらいの文字量)

 

【先生からのコメント】

 楽しい本が読めてよかったですね。かわいそうなぞうの感想も書きましょう。

 

 

※桃太郎にアンパンマンが登場するのはネタじゃないです。数年前のものですがこんな記事がありまして……。

アンパンマンは昔話でも大活躍!? 小学校古典導入を控えて - きょういくじん会議 - 明治図書オンライン「教育zine」

 

 

被害者の情報を報道すること

 普段から割とムカついているので端的に。

 

 

 そこに飛び込んできた話題のツイート。「匿名発表だと、被害者の人となりや人生を関係者に取材して事件の重さを伝えようという記者の試みが難しくなる」とのことです。

 

渡辺志帆 Shiho Watanabeさんのツイート: "神奈川県警「現場が障害者の入所する施設で、氏名の非公表を求める遺族からの強い要望があった」→匿名発表だと、被害者の人となりや人生を関係

このページ開いたらそのタイミングでウィルスソフトの広告「プライバシーを守りましょう!」って出てきて吹いた。

2016/07/27 23:27

 

渡辺志帆 Shiho Watanabeさんのツイート: "補足です)記者は、報道被害を生まないよう十分気をつけつつ、社会で起きた事件を正確に記録し人々に伝えようと努めています。被害者・遺族の意

“議論が深まればと思います。”この件で一体何の議論をしていたんだ……?

2016/07/28 12:07

 

 今回の事件に関して匿名か実名かが大事なのではない。大事なのは「被害者の情報」をどこまで報道するかということだ。

 

 例えばツイートした通り、実名報道が必要な場合もある。災害や事故などの安否確認のための報道だ。何らかのトラブルで行方が確認できなかったり、列車事故や飛行機事故など多くの方が亡くなるような事件に関しては実名で「だれだれさんが亡くなりました」と知らせるのは当然のことだと思う。外国で事件が起こったときに「日本人の被害は確認されていません」と報道するのは現地の状況を知ろうと大使館などに連絡が殺到するのを防ぐためであると言う理屈と同じだ。

 

 今回の問題は「被害者の実名や背景を報道しないと物事の重さが伝わらない」ということらしいのだが、この文章を書いている人は昨今の「被害者報道」が心底嫌になっているのでこの記者の言い分は理解しかねる。例えばスキーバスの事故で大学生が多数亡くなる事故があった。それは気の毒だし、再発防止を訴える必要はある。

 

 だけど、「劣悪な労働条件のスキーバス運行の問題」を重く受け止めるのに被害者の通夜の様子などを事細かに報道する必要があるのだろうか。個人のSNSの写真を全国ネットのニュースで流して「かわいそうですね」と語り合うことで、労働条件は改善するのだろうか。これは非常によくないと思う。

 

 何故なら、「被害者かわいそう」「いのちはたいせつ」という共感ベースで事件が消費され、改善も反省も何事もなく芸能人のスキャンダルやゴシップと同じ扱いになってしまう可能性があるからだ。

 

 今年の春に広島の中学生が学校の手違いで高校の推薦を受けられなかった問題で、明らかに学校側の怠慢によるミスで厳しく追及をしなくてはいけない場面でも生徒が自殺をしてしまったと言う結末ばかりがクローズアップされて「いのちは大切、自殺をしないようにしましょう」という話になってしまっては問題の本質がそれてしまう。大事なのは学校の体制に問題がなかったのかであって、生徒個人を責めてはいけない。個人的には生徒が自殺していなくても全国レベルの不祥事だと思っているので、変なヒューマニズムのようなもので誤魔化されることが大変腹立たしい。

 

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 報道で大事なのは事実を事実のままに受け止めて、わかりやすい悲劇だけを切り取らないことだと思う。時に実名やその周辺にあるエピソードは事実をそのまま受け止めるのに邪魔になることがある。まるでSEOに浸食されたグーグル検索のように「被害者は良い人だった」「被害者はこんなに立派な人であった」「被害者の友達は口をそろえて良い人だったと言う」などの情報が引っかかる。特にスキーバスの事故の時はそう言った報道に嫌気がさしてテレビもネットでも意図的に情報を見ないようにしていた。「悲惨な事故で死んだら見世物になる」というように見えるからだ。

 

 見世物になるということに、我々は鈍感になっているのかもしれない。社会的な問題と見世物は、また別の話だ。社会的な問題は広く議論されなくてはいけない。しかし、見世物はただそれが哀れで面白おかしくて「自分と違う世界の奴だ」と思うから安心してみていられる。悲劇を書きたてることは事件の重さを理解させることと反対の作用を生む恐れもある。見世物そのものが悪いのではない。社会的な問題と見世物を混同してしまうことがよくないのだ。悪名高い24時間テレビもこの辺の区分が曖昧になっているから反発を食らっているのだと思っている。

 

 ただ、遺族も「死んでしまった人のことを覚えておいてほしい」という気持ちがあってそのような報道を望むかもしれない。特に理不尽に殺されてしまったりすると犯人を憎んだり精神が参っていたりして、必要以上に故人の情報を流すかもしれない。そんなとき、報道サイドが煽って何か情報をひねり出させるのではなくそっと諌めたり寄り添って慰めるような機関であることが真の意味で「民のため」なのではないだろうか。ゲスな情報を知りたいと思う視聴者側も、いつ「報道される側」になるのかわからないのだから。

 

 今回の相模原の事件そのものについての言及はあまりしたくない。起きてしまったことはどうにもならないし、万人が納得するような完全な動機の解明なんて出来るわけがない。あーだこーだと推論を述べたり自分の政治的思想に絡めて事件の概要を展開するのは非常に滑稽だと思う。それだけです。 

 

応援上映があったら面白いなぁと思う映画 5選

 応援上映。映画館で声を出してもいいというその試みが非常に盛り上がっているらしい。そこで「こんな映画で応援上映したら絶対楽しい」と思う映画をいくつか考えてみた。考えただけです。

 

【貞子VS伽椰子】

 呪え! 呪え! 呪え! 呪え!

 

 

 「絶叫上映」もやってるこの映画。正直この記事を書こうと思った元凶の映画です。呪いの家に入った少年たちに「少年後ろ後ろー!」とやったり中盤の除霊シーンで一緒に呪文読み上げたり、最終盤のバトルではもう「貞子がんばれ!」「伽椰子負けるなー!」の貞子派VS伽椰子派に分かれての熱烈応援マッチ! もちろん怖いシーンではみんなで悲鳴を上げるのもお約束。

 

【マッドマックス 怒りのデスロード】

 V8!  V8!  V8! 

 

 

 爆音上映や絶叫上映などもやっていますが、是非「応援上映」をどこかでしてもらいたい。一緒にV8したり、バイクババアを応援したり、勿論決め台詞は「What a lovely day!」でどうかよろしく。

 

【新アリゲーター 新種襲来】

 ツッコミを入れながら応援しよう!

 

 

 もしかしたら応援上映って、こういうくっだらないワニ映画とかサメ映画とも相性がいいかもしれません。「B級映画オールナイト応援上映(ヤジ可)」っていう企画があったらスキモノ映画大好きっ子はハマるかもしれない。例に出した『新アリゲーター』は設定の全てにおいてツッコミどころが用意されているのに脚本は荒唐無稽までは行ってなくて割と筋が通っていると言う面白い映画。ところどころにやってくる「なんでやねん」コールでアレな映画もきっと楽しく鑑賞できるでしょう。

 

沈黙の戦艦

 敵さん逃げてー!!

 

沈黙の戦艦 [Blu-ray]

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 応援上映と相性がいいだろうセガール映画。本命としては「イントゥ・ザ・サン」とか「沈黙の断崖」がいいんだけど、ここはやっぱり「沈黙の戦艦」かなぁと。もちろん応援するのはセガールではなく、やられ役の人たちです。「セガールが来るぞー!」「にげてー!」「ああ死亡フラグだあああああ」などなど、敵に気持ちをぶつけるのもセガール映画の醍醐味です。

 

コマンドー

 コマンドーはアメリカで生まれました、日本の発明品ではありません。

 

 

 もし現代の日本でこれを応援上映したら、どちらかと言うと「実況上映」になるのではないだろうか。世の中には「コマンドーの台詞は全て暗記している」という猛者もいるし、吹き替え版の決め台詞には事欠かない。「とんでもねえ、待ってたんだ」「OK!」「トリックだよ」「あれは嘘だ」「説明書を読んだのよ」と書き出せばきりがない。そしてセガール映画同様、応援するのはメイトリクス大佐ではなくサリーだったりクックだったりベネットだったりしたほうが面白い。崖の上のサリーのところでは「サリー! サリー! サリー!」「助けて大佐ー!」からの「あれは嘘だ」「ぎゃあああああ!」までがワンセット。サンドイッチの具を予想してみたり手荷物を預けてみたりと思い思いの掛け声を言うシーンもあり、まさしく娯楽映画の殿堂でしょう。

 

 

 

 ……とこんな感じで「最初と最後が書きたかっただけだろ」みたいな記事はおしまいです。「コマンドー」の応援上映は、年齢層もぐっと上がっていいんじゃないだろうか。おわり。

 

潮焼きそば ~短編小説の集い~

 海に浮いている。波に揺られて上下するリズムが心地よい。上の方は青空が広がっていて、雲ひとつ見当たらない。夏の日射しが海に浸かっていない肌をじりじりと焼く。時折火照った肌に海水をかけると、塩気が肌に張り付く。低い位置にあった太陽は高いところへ昇り、今少し傾き始めている。こうして今日も、海の上で太陽を眺めて終わる。

 

「いつまで、こうしているんだろう」

 

 全身の血潮が海に溶け出すのではないかと思うまで、空気の入ったマットと海に身体を預けていた。すっかりふやけて、日に焼けた美幸(みさち)が陸に上がるころには日は随分と傾き、浜辺に来ていた親子連れはすっかり姿を消していた。代わりに増えてきた花火を持っているカップルを見て、美幸は苦々しい顔をする。歩いて浜辺の民宿まで戻ると、この宿の主人の和子(かずこ)が返却された浮き輪を洗っていた。民宿とは別に、この宿は海水浴客向けに遊具のレンタルや軽食サービスなども行っていた。どちらかと言えば本業はそちらで、民宿は格安で提供されるおまけのような営業振りだった。

 

「あら、お帰りなさい」

 

 美幸は和子に軽く会釈をすると、店の前の蛇口で足の砂を落としてから数日滞在している部屋に戻る。それからシャワーを浴びて、髪も乾かさないまま部屋の窓を開けた。窓の外には海が広がっていて、先ほどまで美幸の全てを受け止めていてくれた。夕日の色に染まった海は美幸を受け入れることはなく、ただ潮の香りだけを風に乗せて部屋に運んできた。静かに寄せる波がキラキラしてきれいだ、と美幸は思う。あのキラキラの中に入れたら、もうこんな思いもしなくていいのに、とも思った。

 

 ゆるやかに死んでいくのに、きれいなものになれたら素晴らしいじゃないか。

 

 美幸がこの浜辺にやってきたのは、仕事にも恋愛にも全てにおいて望みを絶たれた数日後のことだった。死ぬことを思い立ったら、後は早かった。家の中で死ぬのはいろんな人に迷惑がかかると思って、美幸は身の回りの物をまとめて外へ出た。そしてせっかく死ぬのだからどこか知らない、きれいなところで死のうと思い直した。そんな気持ちで電車に揺られ、たどり着いたのがこの海辺の町だった。

 

 まだ夏休みの始まっていない浜辺は海水浴客はまばらにいるけれど、それほど賑わってはいない。それに浜辺からは高く突き出た岩場があって、真下が浅い磯になっている。頭から落ちれば命はないだろう。誰も岩場に登ることはなかったが、その不穏なオブジェも美幸の頭にこびりついた「死」を想起させた。夕方に近い時間帯の浜辺は人も少なく、傾き始めた日の光すら美幸には血の色に感じられた。

 

(あそこから飛び降りよう)

 

 後は決行するだけだ。遺書も何もない。未練も汚い思い出も何もかもをこの世に置いて、きれいな心持ちであの世に行きたかった。死ぬための心の準備が整えよう。そう思いついた美幸は、浜辺の店の前へふらふらと歩いて行った。死ぬ前にお腹一杯食べるものは何にしよう。海の家の焼きそばがいいかな。そうしよう。

 

「ごめんね、焼きそばは売り切れなの」

 

 海沿いの露店でその目論見はあっけなく崩れてしまった。数個並んでいる会議用テーブルとパイプ椅子。その奥に鉄板と冷蔵庫が見える。店内にはマジックで書かれた「浮き輪あり□」「水着レンタル」の文字が躍っている。その店内の楽しそうな装いに自分には場違いな場所だ、と美幸は内心嘆いた。

 

「ところであんた、泊まるところあるの?」

 

 じゃあいいです、という言葉を告げる前に露店の主人にそう言われ、美幸は反応に困ってしまった。

 

「見たところ遊び道具のひとつも持っていないようだし、体一つで遊びに来たって言う感じかい?」

 

 そうです、と答えることで美幸は精一杯だった。まさか死にに来た、ということも出来ないし、何より初対面の人と話すのが苦手だった。

 

「で、どこに泊まるんだい?」

 

 それから美幸は何を話したのかよく覚えていない。気が付いたら、この店は民宿も兼ねているからそこに泊まって行けと言う話になっていた。一泊二千円と格安な値段で泊まることを勧める女主人の和子に、断る理由が思いつかなかった美幸は「はい」というしかなかった。

 

「いつまで、こうしているんだろう」

 

 それから何もしないわけにもいかず、水着と空気マットを借りて美幸は岩場を眺めていた。遊泳区域の中でふわふわと浮いているのは楽でいいけれど、他にすることがあるだろうと自分に言い聞かせる。例えば遊泳区域を仕切るブイの向こうへ行ってしまうとか、浜辺に落ちているガラスの破片で皮膚を傷つけるとか、いろんな方法があるはずだ。だけど、そう思ってもすぐに波のリズムが死にたいという気持ちを押し流してしまう。

 

 とにかく夏の日射しと潮の香りが美幸の心を鈍くさせ、死にたいという欲求を波に乗せて隠そうとする。手入れのされている宿の部屋だったが、どこか畳まで潮でべとべと湿っている気がする。敷きっぱなしの布団の脇には、持ってきた荷物が乱雑に散らばっていた。夏の頭にせっかく買った高い日焼け止めは、今はもう使っていない。スマートフォンも、電源が切られたまま部屋の隅に転がっている。

 

(そうだ、私は死にに来たんだった)

 

 腹の虫がぐう、と鳴いた。今朝から何も食べていない。泊まった翌日の朝などは和子がサービスしてくれた朝食などを食べていたが、どうせ死ぬのに食べても食材が無駄になると思うとひどく申し訳ない気がして、今朝は勇気を出して断ったのだ。「あら残念」と和子はぽかんと言っただけだった。そのまま顔を合わせるのが気まずくて、美幸はすぐに浜辺へ向かった。それからずっと波に漂っていたり浜辺に座り込んだりしていて、なんとなく夕方になるのを待っていた。そういえば水も飲んでいない。目の前が黄色くなったような気がした。

 

(今なら死ねる気がする)

 

 胃袋が空っぽの状態で死ねば、摂取した栄養も無駄にならない。そんなどうでもいい考えが美幸の頭を支配していた。美幸は薄手のパーカーを羽織ると、部屋を飛び出した。そっと忍んで岩場まで行こうと思ったのに、店の前でまだ和子が浮き輪を洗っていた。美幸は何か話しかけられるのではないかと戸惑った。美幸がおどおどしている間に、和子が美幸に気が付いた。

 

「あら、ミユキちゃん。どうしたの?」
「ミユキじゃなくて、ミサチです……」

 

 やはりこの和子という女性は苦手だ。平気で人の領分にずかずかと踏み込んでくる。頼んでもいないのに宿を提供したり、朝ご飯を出してくれたり、そしてこんな大事な時にも人の邪魔を平気でする。美幸は内心の嫌な気持ちを押しとどめることで精いっぱいだった。

 

「あらあらごめんなさいね。こんな時間にどこに行くの?」
「ちょっと、そこまで散歩です」

 

 何とかうまく誤魔化せたと美幸は思った。店から出てしまえばこちらのものだ。こんな汗をかくような気持ちとも、永久にさよならができる。

 

「それならちょうどいいから、そこに座っていなさい」

 

 美幸は内心毒づきながら、パイプ椅子に腰かけた。きっぱりとここで「いいえ」と言えればいいのに、言えないことでずっと損をしてきた。小学校の先生には「もっと自分の意見を言いましょう」と言われ、ずっといろいろと損な目にあってきた。せっかく久しぶりに自分の意見で行動しようとしているのに、またしても自分の意見が言えないために死ぬことすらできなくなっている。

 

「何をするんですか?」
「サービスよ、サービス」

 

 和子は浮き輪を並べ終えると、調理台の方へやって来た。冷蔵庫から手際よくキャベツの玉を取り出すと、芯を取り除くこともせずザクザクと切っていく。

 

「あたしもねえ、こう見えてもあなたと同じくらいの娘がいるの、今年で二十三よ。だけどね、高校を卒業したらナントカの専門学校に行くんだって言って出て行って、それからずっと帰って来ないのよ。年に何回かは顔を出すんだけど、夏の間はあたしが忙しくてね。思えばゆっくり娘と夏休みを過ごした記憶がないのよ」

 

 だから何なんだ、と美幸は腹を立てていた。私はオバサンの世間話を聞きにここに座っているのではない、自分の意志と反するところで縛り付けられているのだと言う不快感で顔色がどんどん変わっていく。

 

「そしたら今年は孫が生まれたから夏の間久しぶりにこっちに帰ってこようかななんて言うんだよ。あの子は昔はウチの家業を嫌っていたのにね。好きな男の子が夏休み明けに『おまえんちの母ちゃんのラーメンうまいな』言われて、それが何だか知らないけれどダメだったみたいなの。ホント子供ねぇ」

 

 和子は手を動かしながらクスクスと笑った。美幸は話の笑いどころがわからなかった。

 

「まぁあたしたちも人様に顔向けできる立派な仕事をしているわけでもないし、こうやってお客から金を巻き上げている商売なんて思われても仕方ないわよねえ。でもあたしはこの仕事が好きなのよ。いろんな人に出会えるからね」

 

 美幸は和子の話を聞きながら、店の外を見ていた。夏の長い日はまだ空にしがみついていたが、夕方の涼しい風に帰りの海水浴客たちは上着を着込んでいた。

 

「まだ時期が早いからお客もいないけれど、もうすぐしたら遠くから波乗りどもがやってくるんだよ。昔からの馴染みの奴らでね。何日かウチに泊まりこんで朝から晩まで塩漬けになってるんだ。気持ちのいい連中だよホント」

 

 和子は野菜を刻む手を止めて、美幸をじっと見た。美幸はその目を見ていないふりをした。

 

「それからね。ミサチちゃんみたいな子もたまにやってくる」

 

 美幸は聞こえないふりをした。

 

「何をしに来たんだかよくわからない子。そういう子は海に来る恰好をしていないからすぐわかるんだ。水着もビーチサンダルも持っていない。しかも一人でやってきている。昔からね、何度かあったんだそういうことは」

 

 美幸はドキリとして和子の方を見た。和子は刻んだ野菜を熱した鉄板の上に置いて、じゅうじゅうと炒め始めた。

 

「わかって、いたんですか?」

 

 カラカラに乾いた声が美幸の口から漏れる。この計画は最初から失敗だった。いつまでもグズグズ死ねなかった美幸の負けだ。

 

「そりゃねえ、今にも死にそうな顔をしたお嬢さんが一人でふらふらやってきて『焼きそばください』なんて、滅多にあることじゃないよ。だから、あの時は嘘をついたの。何が何でもあんたをここに置いておかなければならないって思った。それから海で遊べば気分も変わると思って、水着とかを渡したの」

 

 美幸は目の前がくらくらと白んでいくような気分になった。それ以上私の心を暴かないで。これ以上みっともない姿をさらしたくないの。

 

「後はあんたに任せるしかないって思ったの。それでも決心が固い人をあたしが止めるなんて、少しでしゃばった話だからね。でも、少し元気になったみたいだから、今日は嘘をついたお詫び」

 

 鉄板からソースを焦がす香りが漂ってきた。じゃあじゃあとヘラを使って和子は器用に鉄板の上で麺をほぐし、ソースと野菜を絡める。

 

「はい、大盛り焼きそばお待ちどうさま。お腹が空いたでしょう」

 

 美幸の前に出来たての焼きそばが運ばれてきた。和子は更に売り物のラムネをケースから出して、脇に置いた。

 

「ウチでよければ、気が済むまでいていいのよ。もちろんお金は気が向いたときに払えばいいから」

 

 美幸は震える手で割り箸を割ると、急いで焼きそばをかき込んだ。海の味がする、しょっぱい焼きそばだった。一口食べると、体が焼きそばを求めて箸が止まらない。カラカラの喉にはラムネが沁みた。甘いはずなのに、ラムネまでしょっぱいような気がした。

 

「そうだ、よかったらこの夏の間ウチの手伝いをしないかい。それで焼きそば代はチャラにしてあげるから。早速明後日から海の男どもが来るからありがたいね」

 

 和子の声が遠くで聞こえた。アツアツの焼きそばの湯気で視界が見えないのでもない。ぼたぼたと何かが終わったように美幸の目から海が溢れていた。いつの間にか外は暗くなっていて、店の前の街灯が音を立てて光り始めた。そうして美幸が岩場に行く機会は永遠に失われてしまった。

 

≪了(4906字)≫

 

novelcluster.hatenablog.jp

 

 邦画っぽいのを目指しました。何か「うまそうなものを書こう」と思うと、高確率で焼きそばか屋台のものになるのは何らかの心的要因が選ばせているのだろうか。

 

十八時からの交信の振り返り

 久しぶりに自分の作品の振り返りをします。何かの種にしてください。

 

nogreenplace.hateblo.jp

 

〇まずテーマを「時計」にしたところで最初に浮かんだ物語が「腕時計を巡る別れ」だったのだけれど、全体的にウェットな気分だったのでウェットになる話はやめようということと、何となく書く気にならなかったところでなんとなくどこかに行ってしまった。「時計をプレゼントするということはあなたの時間を拘束する」みたいな、そんな話。うぜぇ。

 

〇で、結局いつもやってる「時間を超えてどうのこうの」というのもイマイチ頭に思い浮かばなくて、放置していた。こういう時無理に考える話は大抵面白くない。とにかく何か思い浮かぶまで熟成するのがいいって『思考の整理学』にも書いてあったと思う。そもそも書く気にならなければ何も面白いものは生まれない。難しい。こればかりはコントロールしてどうにかなるものでもない。私的な話をすれば今年度に入ってから少し仕事量が増えて、忙しさがアップした。仕事量自体は大して増えていないけれど、業務の内容がケタ違いに難しくなった。結局そちらに頭の大事なところが裂かれて、どうでもいいことを考える時間が少なくなってしまった。もうどうしようもない。

 

〇さてどうしたものかと悩んでいるうちに、Twitterで『ひとりぼっち惑星』というアプリが人気になっていた。その雰囲気が好きですぐにインストールして、一通り進めた。内容はボトルメールと放置ゲーの融合のようなもので、惑星に生き物がいないという点が非常に気に入った。アンテナを組み立てると言うのもなかなか良い。

 

ひとりぼっち惑星を App Store で

ひとりぼっち惑星 - Google Play の Android アプリ

 

 とりあえず受信機を最大まで大きくして、送信機を組み立てたらゲーム自体はなんとなく飽きてしまった。何通かこえを受信してみたけど、なんだかぴったりはまるものがなかった。「ハマるのがなかったら自分で作ればいいじゃない」ということで「誰もいなくなった惑星に残された人工知能」の話を書こうと言うことになった。

 

〇元々人外の思考を書くのは大好きなので、大体の流れはすぐに出来た。自分が一人称を選択するのは、短編小説の場合最初と最後の思考の変化の過程を書くのが好きだからだ。この揺れ動く感情を追っていく感じが好きだ。作者は物語の結末をある程度知っているけれど、登場人物は何も知らない。「何が起こっているのだろう」と自分自身に問いかけている登場人物が大好きだ。その期待に答えたり、時に裏切ったりするのが非情な作者と登場人物との距離だと思っている。

 

〇この作品と短編小説の集いで書いてきて似ている作品と言えば、『鉄板の上の花見』だろうか。これも最初はカン助の一人称で書こうとしていたけど、ぐっと引いた視点で書いたほうが生えると思ってこの形に収まっている。多分この時代のずっとずっと先の話が今回の物語の世界なのだろう。

 

nogreenplace.hateblo.jp

 

人工知能どうしの会話で楽なことは、セクシュアリティを気にしないでよいということです。人間の場合、どうしたって年齢と性別で限定されたキャラクターになってしまいます。その制限が面白いと言えば面白いのですが、「人類消滅後」という人類の枠が外れた世界で「性別」という概念は邪魔かなと思いました。人間に逢いたい、というより何でもいいから自分以外の存在と触れていたいと言う知性体としての欲求(?)がメインです。

 

〇この作品を書き終わって思うのが、結末が非常にありきたりになってしまったということです。どうしても「出会い」があったら「別れ」を描かなければ主人公の心情の変化は生まれにくい。それに、そちらのほうがとりあえずドラマティックになってくれる。もっと時間をかけたらもっと別な道があったのかもしれない。ただ、この世界にはかなり制限がかかっているのであまり突飛な展開にもしにくい。適度に説得力のあるこのくらいの終わり方でよかったのかもしれない。

 

〇誰もいない星で機械だけが動いている、というと最初に思い出すのが『火星年代記』の『優しく雨ぞ降りしきる』だ。ティーンの時にこれに出会ってしまって、それ以降ずっとこの短編が引っかかっている。読んだ時は「人間がいないのに物語が成立している」というところでとにかく驚いた。擬人化したものが出てくるわけでもなく、淡々と描写されるシーンに心を打たれた。また、『ロボットの心』という新書には「果たして知能とは何か」ということで「チューリングテスト」や「中国語の部屋」などロボットの思考パターンから「心」というものが生まれるかということが書いてあった。非常に面白いので読んでもらいたい。

 

ロボットの心-7つの哲学物語 (講談社現代新書)

ロボットの心-7つの哲学物語 (講談社現代新書)

 

 

〇割と本気で「ロボットに心はあるか」ということは考えている。その逆は「人間には全て心があるか」ということにもなって、「自分の心を表現できない者は心を持っていると言えるのか」ということにもなってくる。個人的にこの辺の隙間を埋めるのが物語の存在だと思っている。その辺の見知らぬ爺さんと自分の家の犬のどちらかを助けるかと言えば、まず自分の家の犬を助けるだろう。また、見知らぬ爺さんと長年使用しているペッパー君だったら、やはりペッパー君に軍配が上がるのではないだろうか。ペッパー君は直せばいいかもしれないけれど、二度と戻ってこないとなった場合、見知らぬ爺さんに勝ち目はない。この差は「自分と共有した物語」の量にあって、同じ時を過ごしただけ愛着と言う物語が発生して、そこに「心」を見出す。「心」というのは自分自身の内面を外部に写し取ったものじゃないのだろうかと最近は思う。

 

〇そんなわけで人工知能の話を書きました。タイトルは海野十三の『十八時の音楽浴』からです。話の内容はこちらの作品とあまり関係ないのですが、『1984年』をもう少しカジュアルにしたみたいな話で好きです。ちなみに作品内で時報が十八時になったのは偶然です。

 

十八時の音楽浴

十八時の音楽浴

 

 

〇いつも最初は思うのに途中でくじけて違う話に逃げるので、次回こそベタベタしてねっとりした人間関係を書きたい。終わり。