あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

ドラえもんに関する果てしない妄言2

まだまだやるよ。やるったらやる。


前回のあらすじ

ドラえもん=泣ける」という図式を作った奴は俺がこの手で皮を剥いでやる。

 

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迷走の果てに

ぶっちゃけ大山ドラだって後期の映画は大して好きじゃない。好きじゃないというか「やだいやだいこんなんドラえもんじゃねーし原作の感動シーンだけ濃縮して取り出してその周囲の原作のエモさを完全に殺しにかかってるじゃねーかうんこバーカバーカ」という感じなのですが、よくわからんので具体例をあげます。


まず「ふしぎ風使い」のフーコ。おいあの着ぐるみ考えた奴誰だここに来て廊下に立っとれ。そのままゴルゴンの首で石にしてやるぞゴルァ。なんだあの全方位に媚びまくってるデザインは。フーコはあのよくわからんグルグルの台風だからめちゃくちゃ面白いのであって、着ぐるみに入れちまったら全然別の話になるわけよ。あれは「のび太の変なペットシリーズ」の話であって、あの感動がアリならスネ夫の愛玩岩サムソンが青森まで捨てに行ったのに帰ってきて「感動するなぁ」もめちゃくちゃ膨らませて大長編にできるだろうよ。あの「感動するなぁ」をマジに感動に寄せてきたらそれはそれでかなりドン引きなわけ。フーコの着ぐるみの違和感はそんなところ。ストーリーに関してはあんまり言うところがない。スネ夫がメインなら「竜の騎士」があるじゃん。なんで皆「竜の騎士」のことを忘れるんだ?わすれトンカチなのか? リメイクで可愛くなったキー坊? そいつは死んだんだ。思い出すのも辛くなる。


あと「新恐竜は恐竜モチーフの映画として3作目」とかふざけたことを抜かした野郎がいたけどどこのどいつだったんだ。ギッタギタのメッタメタにしてやんぞ。Wikipediaの記述*1は直ってないぞゴルァ!!!バンホーさんに謝れ!!!


あと「ワンニャン時空伝」も個人的に「君を殺して僕も死ぬ!」という感想。着眼点はいいのよ、名作「のら犬イチの国」を大長編化。でもさ、大長編にするのに余計な悪役を出すとか余計な設定増やすとか、そういうのはまぁ滅されたらいいのにくらいは思うけどまだ許容範囲なのだ。原作万歳主義者からしたら、一番許せないのはのび太像のシーン。あのさ、イチの国の一番エモいところはラストのコマだろうと。「けっさくだ、ガハハ。」というセリフとその後ろを歩く白けた顔ののびドラのコントラストの完成された芸術かよっていうコマ使いと話の奥行の見せ方最高じゃん。だからイチの国をやるなら「けっさくだ、ガハハ。」が必要なんよ。なんだあのなんか、なんかなアレは。僕は世界一不幸な少年だ。


まあね、なんていうかね、めちゃくちゃ説明しまくるタイプの話が好きじゃないの。「わかるように説明しなくちゃ!」って思うかもしれないけど、ちゃんとストーリーがあれば言いたいことは伝わるのよ。一度で理解できなくても、カッコイイシーンや好きな場面があれば何度でも映画を見て、それで言いたいことをある日理解するんだよ。普通はそんなことしないって?そうか、そうかもな。


嘆きと慟哭

そりゃわかってるよ、ドラえもんに対してはロートルすぎるくらいロートルなんだって言うことはね。でもさぁ、自分の推しのジャンルがさぁ、徐々に公式が二次創作みたいな感じになっていくのめちゃくちゃ辛くない? 最近に至っては「ドラえもんというコンテンツの皮を被った感動もの」という映画がいくつかあって、「それ本当にドラえもんでやらなくちゃいけないわけ?」って思うのよ。


例えば「モアよドードーよ永遠に」を元にしたアレ。もはや名前を出すことすら穢らわしいと感じるレベルのアレ。アレさぁ、「ドラえもん」である必要がどこにあったの? あとさぁ、タイムパラドックスネタ使いたかったなら何で最初からネタばらししてたの? タイムループ的なことやりたかったんでしょ? ねえねえ何であんなにあんな感じなの?あと途中の謎の家族トークis何。なんなんアレ。なんなん? まじでなんなん? ねえ。


そんで「宝島」。あのさぁ、親子喧嘩は他所でやってくんねぇかなって途中から思ってたし最後の何かバトルっぽいところで「あれこれタイトルなんだっけ」とか思ってたし、とにかく「ドラえもん」である意味が全然わかんねえんだよ。あと帽子の設定が旧作のオマージュなのか設定の間借りなのかよくわからんのよ。何をオマージュしてるのかよくわからんのに設定だけ引っ張り出すのはダメだと思うんよ。宿題はちゃんとやってから行くんだ!!海底鬼岩城はちゃんと終わらせたぞ!!!


そんな感じで毎年公式から供給されるネタが完全に漫画のキャラでやおい描きたいだけの同人誌みたいな感じになってたらどうよ。二次創作が悪いんじゃなくてさ、公式が本来の意味でやおい二次創作なんだよ。自分の推しのジャンルでやられてみなよ。めちゃくちゃ地獄だよ。「それでもいろんな人に見てもらうのはいいよね」って目の細いキャラが喋り始める感じの達観した価値観は持ってねえんだわ。デカいヤスリで削り殺すぞ。デブは嫌いだって。


そう言えばこんな感じの憤りがある人たちは何故か「南極カチコチ」を絶賛するというジンクス通り、「南極カチコチ」は好きです。あれは冒頭の南極の寒さやデカさでワクワクするところだけで「これだよこれ!!」とめちゃくちゃ喜びが溢れた幸せなシーンだったんだけど、「最初の方がお勉強みたいでつまらない」「時間の移動がよくわからないからつまらない」というのを見つけてしまい「そんなら海底鬼岩城なんかつまんないの極みじゃん!」と無敵砲台の照準を当てる妄想で勝手に溜飲を下している。爆弾を20個出してくれ。

 

 
「月面探査記」に関しては、キャラデザがジャイアンリサイタルだったけど中身自体はかなり頑張ってたとは思う。安易な感動じゃなくてよかった。キャラデザはジャイアンリサイタルだったけど。どこ向け需要だよアレ? ジャイアンのリサイタルだよ。もっとロップルくんみたいな感じにしてくれよ。なんかママ世代の人が「萌える」とか感想見たけど、マジ萎えだわ。萎え。


でもさぁ

でもさ、こうやっていくら嘆いてもドラえもんはもう帰ってこないわけですよ。ドラえもんはもう未来の国に帰ってしまって、後に残ってるのはドラえもんというコンテンツを使ってる連中なわけですよ。


「時代のせいだ」という意見もあるけど、ゲゲゲの鬼太郎クレヨンしんちゃんは既存ファンもある程度満足しつつアップデートできてると思ってる。鬼太郎なんか斬新なデザイン変更だったけど、中身はちゃんと鬼太郎やってるもんな……。


あと新恐竜については本当に見るのが怖い。予告の時点で「キューとミューはミクロラプトルとかかな?」と思ってたけどネタバレを見て心底ガッカリしたというのがあるので。ところでその辺の話は「南極カチコチ」的な感じにしようと思えば出来た気がするけどどうなんざましょ?世界三大恐竜博物館と言われる福井県立恐竜博物館出しておいてそれぇ?とかもぉ……もぉ……。


そろそろ長くなるので一度終わります。次回も完全に私怨なので読まなくていいし楽しみにしないでください。


次回予告

星野源、てめーはまだ許す。
星野源ドラえもんを新OPにした奴、
てめーは許さねぇ。
あとこうやってグダグダしてたら解釈違いの根本を発見できたけどめでたくないわな、ちぇっ。
以上。

 

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ドラえもんに関する果てしない妄言 1

最初に断っておくと、この記事を書き始めたのは「新恐竜」の予告を見て延期が決まった辺りです。そんで未だに新恐竜は見てないです。というか脚本の名前を見た瞬間に「終わった」とか思ったのでコロナに加えて不安を抱える日々を送っていたというのが正直なところです。


そんで今は何だ?パピが延期になってるぞ1年前の自分。こんな不穏な記事に何エネルギー使っとんねん。以下は大体去年に書かれたものに少しずつ修正を加えていったものです。


とにかくもうドラえもんに限ったこういう話をグダグダしていこうと思うのね。今からここに書くのは「旧ドラ原理主義者」のかなり過激な発言で、新ドラや旧ドラでも後半の丸くなった声の大山のぶ代しか知らない世代の方にはかなりドン引くものがあると思うのですが、知らねぇよここは俺のブログだということでガンガン行きます。30代、いや40代以上推奨の記事になります。20代以下でこれに共感できる人はなかなかいないと思うので、はい。


※今から綴る内容は「旧ドラ原理主義者」を自称する哀れな老害のお気持ち長文です。真面目に取り合うだけ無駄なので異論反論はするだけ無駄です。笑いたければ笑えばいい。弁解する気にもなれない。


声優はいいんだよ

新ドラといえば「声優交代」「声優が変わってから見てない」という声が圧倒的で、どうしても声優がクローズアップされがちだけど、個人的に声優の変更はどうでもよかったりする。最初は違和感あったけど、そういう声だと思えばそんなに気にならない。じゃあ何が気に食わないかと言えば、もちろんそれは「脚本」や「演出」に他ならない。そこをグダグダ言ってる人もいるけどグダグダ言います。このブログの人気が落ちるかもしれないけど2ページくらいやります。


確執の始まり

ことの次第は「のび太の恐竜2006」を見たところから始まる。恐竜研究自体が随分進んで初代の「のび太の恐竜」からズレてきているところもあるのでリメイクの意義自体はわかる。わかるし、恐竜の動きもなかなか頑張ってたのもわかるんだよ。でもなぁ、どうしても納得できない点があって、それが今でも「新ドラ」の根幹にある気がするんだよ。


懸命な方ならわかると思うけど最大の変更点は「のび太がタイムパトロールに連れられていくか、自力で日本に行くか」なんだよね。もうね、これがね、本気で許せなくて「あぁ自分は旧ドラ原理主義なんだな」と自身の信仰に気づいてしまったんだよね。


自分は初代の「のび太の恐竜」のラストが本当に好きで、ついつい何度も泣いてしまう。最近初代を見直して、わかっていてもラストで涙がだーだー流れる事態になるくらい好き。どこが好きなのかといえば、やっぱり「ドラえもんの冒険は子供のやることでドラえもんたちは無力だ」というところにしみじみくるところがあるんだと思っている。だから黒い男に簡単に捕まるし、タイムパトロールに保護される。それがいいんだよ。無力な子供時代の思い出だからいいんだよ。何がおしりペンペンだのび太のくせに生意気なぶっ飛ばしてやる。


だから「新・日本誕生」もかなりnot for meである。主にあの宴会のシーンをカットするとはけしからん! という言いがかりとツチダマがザコに成り下がってる辛さからなるイチャモンだということはわかっている。あとね、ドラえもんであんまりバトル要素出して欲しくないんだわ。最後なんか一生懸命戦ってるけど、そういう話じゃないでしょお?大魔境も海底鬼岩城も最初の冒険有りきなんだ!!


ドラえもんはギャグ漫画だ

誰がなんと言おうとドラえもんはギャグ漫画だ。チョーチョ、チョーチョ、ヒーラヒラなんだよ。やろう、ぶっころしてやるなんだよ。こち亀でたまにノスタルジックな回があっても、こち亀をノスタルジック漫画と思う人はいないと思う。それと同様にドラえもんも基本はギャグ漫画なんだけど、たまにいい話をやるから面白いのであって「基本はいい話」を前提にされると「こち亀ってマジで泣けるからいいわー」とか言われてるような感覚になる。


余談だけどこち亀は全部読んでるわけじゃないけど、部長がポケモンやる話とポケットピカチュウみたいに万歩計式のどきメモが出る話が好き。ぶっちゃけ例え部長のやり直しセーブデータだろうが両津のセーブデータだろうがダイスケくんのセーブデータがぶっ飛んだのは事実なので、部長があの後マジでどうなったのかめちゃくちゃ気になる。


とにかく「ドラえもん=泣ける」みたいな図式を作って売り出した奴はいっぺん「私が悪うございました」というタスキをかけて「酔拳2」みたいな感じで新宿のサザンテラスあたりに吊るされてもいいんじゃないかと思う。


どの辺からその流れが来たのかよくわからないけど、個人的に映画の中編で「さようならドラえもん」をやったあたりからかなぁとは思う。独立した「さようならドラえもん」自体は好きだけど、それだけを見て「ドラえもん泣けるよね!」みたいな奴がいたらジャンボガンを取り出す所存である。「おばあちゃんの思い出」が泣ける? 「結婚前夜」が最高? お前ら熱線銃で煙になってしまえバーカバーカ。そして僕の生まれた日をここに持ってくるのはどうかと思う。あれは終盤落とすためにああいう話になってるけど基本ギャグでしょ。


ちなみに余談だけどこの中編シリーズを語るなら「ミニドラSOS」が最高と思ってる。今見ると明らかにレトロフューチャーな感じなんだけど、そのレトロ具合含めて「いいなぁ」って思う。あのスーパーマーケットとかいいよね。ドラえもんズの前の中編ドラミちゃんシリーズは全部好き。


ちなみにマイドラえもんの泣けるエピソードは「ココロコロンとオモイデコロン」「ぞうとおじさん」「のら犬イチの国」だ。トイストーリーで感動した奴はオモイデコロンで泣いてこい。ぞうとおじさんは元になった話もエピソード自体のオチも素晴らしいけど、あの伝説の「日本が負けるの」があるのが素晴らしい。「のら犬イチの国」はストーリーがもうなんて言ったらいいかわからないけど神が神でほんとに神なんだわ。あの神像の顔とジャイアンの表情でいつも泣く。他にも「ロボット雪だるま」「3月の雪」の雪の話が結構泣ける。「3月の雪」はひとりで責任を感じて雪かきをするのび太がめちゃくちゃ好き。他にも好きなのあるけど止まらなくなるからこの辺で。


次回予告

フーコ?キー坊?けっさくだ、ガハハ。
モアよドードーよ永遠に。
キャラデザがジャイアンリサイタル


まだまだ続くんじゃ。

 

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ドラえもんの気になるひみつ道具についてのメモ

昨年のこの記事から「わさドラに関する恨み言」を言語化しようとしてきたけど、これがなかなか難しい。

 

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すごく拗れた一ドラえもんファン(ここ大事)として誰からも共感を得られないような文章を書こうとして、だけど漫然とし過ぎてて自分で読んでも気持ち悪い何かで書いたり消したりをしていて1年経ってしまった。出来れば宇宙小戦争の公開くらいには完成させたいと思っている。宇宙小戦争?パピかわいくなくね?


さて、そんな拗れたファンとして「どんなドラえもんの道具が好きか」をテーマにちょっと語っていこうと思う。話の面白さも入れるとややこしくなるので純粋に道具の話だけしていきます。

 

中身ごと伸び縮みカップ

これあれば食料問題とエネルギー問題解決じゃね?と思う。コップ1杯の質量が庭いっぱいくらいになる。期限とかなければ逆にコップを広げて中に物を入れてから縮めれば収納にもなりそう。庭いっぱいの荷物をコップ1杯にできるならよさそう。スモールライトやガリバートンネル的なものより用途が限定されてるのがいい。あと未来の家は小型化しててワンシーズンが灯油がスプーン1杯で済むような小さな家に小さくなって住むんだそうだ。難点があるとすれば、ゴキブリやネズミが原寸大で出てくるみたいだけど、しっかり管理が出来ていればありかもしれない。


時門

時間がゆっくり流れるようになる道具。とても使いたい。この道具は全世界を巻き込むという点で「未来の世界はどうしてるんだ!?」と思う。何か公的に必要な時に「何時から何時まで時門を使用します。各自時門時間は~」みたいなアナウンスがあるんだろうか。そうすれば宇宙ターザンみたいな悲劇は防げる。しかし面倒くさい。でも欲しい。

 

ドライライト

太陽光を固めた塊。エネルギー問題を解決する道具その2。本編ではドラえもんの浅ましさに加えて「どら焼きの刺身」というパワーワード(アニメ版だけかな)がものすごく好きなのだけど、それを差し引いてもドライライト欲しい。光熱費めっちゃ浮くじゃん。欲しい。


アニメ箱

漫画を入れるとアニメ化してくれる箱。作画とか声優はどうするんだろう。漫画を書く道具の時は作者を指定するとコンピュータが自動でそれっぽい作品を書いてくれるというAI美空ひばりみたいな自体になっていたけど、これはどうなんだろう。「京アニ風で」「TRIGGERっぽく」とか出来るんだろうか。ハルヒの原作を庵野監督がやるとかそんなこともできるんだろうか。やべえな。なおこのアニメ箱の回で伝説の「悪いなのび太、このビデオは3人用なんだ」が出てくることでも有名である。


タイムライト

「時の流れを可視化する」という、要は「時間は待ってくれないんだぞ、無駄な時間を過ごすな!」とのび太に言うためだけに登場した道具。一体誰が何のために開発したのかと思うと「さすと雨が降る傘」より存在意義が謎過ぎて好き。


コジツケール

こじつけるための道具。サイラン液で酒を増やす回で鮭と酒を間違えたドラえもんが酒瓶にサイラン液とコジツケールを垂らして酒瓶に採卵を促すという超展開。どんな場面で使うのか検討もつかない道具。多分作ったのは小林製薬

 

自動コジ機

現物は出てくる漫画にお目にかかったことはないけど、ひみつ道具大百科か何かで見て忘れられない道具。敷物のボタンを押すとスピーカーと缶が出てきて「右や左の旦那様~」とアナウンスされる。アウトなシロモノなのは間違いないけど、未来の世界でこの道具がどう使われているのか気になる。ちなみにキャッシュレス化が進んだ中国では空き缶でなくQRコードを展示している人がいるという話を聞いて、近未来やべえなと思ったのはここだけの話。

 

今回はこのくらいにしておいてやる。気が向いたら続編もやるよ。あとは好きなひみつ道具の話でもしておいてくれ。メジャーマイナーは問わない。しかしマイナーな道具を出して「俺の方が詳しいんだぞ」みたいな奴はこの手で皮を剥いでいく所存である。よく考えるとダッピ灯もかなりひどい道具である。じゃあなのび太。来ないとただじゃおかねえぞ。

 

旭川の事件についてなどの雑感

まとまりそうもないので箇条書きで。


旭川の事件がざわざわしてるけど、あの記事を読んで最初に思い浮かべたのは「子供たちが屠殺ごっこをした話」という物騒なタイトルのグリム童話だ。確か話が二つあって、そのうちのひとつはこんな話だ。

 

子供たちが悪意なく屠殺ごっこをして子供を一人殺してしまった。このことに大人たちは困惑し『りんごと金貨を並べて、りんごを取れば分別がついてないとみなし無罪、金貨を取れば判断ができたということで大人と同じように裁く』と決める。子供たちはにこにことりんごを選び、裁かれることはなかった。


この話の後味が悪いのは「本当に子供たちが無邪気であることを証明できない」というところだと思う。金貨を欲するほどの価値判断ができるのであれば、大人の思惑通りの振る舞いをすることで自らの死を回避できるのではないか。また、裁判は形式的なもので大人たちも本気で子供を裁こうとはしていなかったのではないか。そんな気がしてならない。


〇要は「やった結果は邪悪なんだけどそれに至る過程に悪意があったか」というのはすごく証明が難しいのだと思う。だから我々は結果で判断をするのであって、社会のいろんなところで過程を気にするということはしない。どんなに役人が頑張っていても、コロナ患者が増えたのは政府のせいである。そんな感じである。


〇しかし、その過程まで含めて日々ジャッジしなくてはいけないのが学校というものなのだと思う。学校という組織には「過程主義」というものが蔓延しているのではないかと思うくらい「過程」を大事にする、というか「結果」を大事にしないところがあると思う。例えば部活で良い成績を残せなくても「一生懸命頑張ったからヨシ!」であり「今回の反省をして次回に生かそう」とか言うと「頑張った奴らに水を差す気か!」とか言うと怒られる。


〇つまり「いじめられる方にも原因がある」というのは「どういう成行きでいじめが発生したのか言ってごらん」ということなのである。例えば殴り合いがあったとして、殴った殴られたの事実より「どうして殴り合いに至ったのか」ということを非常に重視する。何故ならそこに至った過程を示して、子供たちに過ちがあればそこを正さなければならないからだ。ここで「殴った方が悪いから全面的に殴った方が謝れ!」とかやるともうアウトである。それは警察の理屈であり、教育界の理屈ではないのである。


〇じゃあどう指導すればいいのかとか考えると、いじめについては個人的にずっとケースバイケースだから一概にどうこうというのはやめた方がいいということは主張している。いじめっ子が精神的におかしくなっている場合とか、いじめられっ子が精神的におかしくなっている場合とか、いじめに家庭が密接に絡んでいる場合(あそこの家の子とは遊んじゃいけません的な奴とか虐待とか)とか、あと担任がいじめたりいじめられたりしている場合とか、それぞれ対処法が全然違う。


〇そんなわけで個人的には「いじめ」という言葉を使うのをやめたほうがいいと考えている。いじめがあったかなかったかとかそんな認定をしている暇があるなら、暴力を受けている場合診断書を提出したり落書きがされているなら証拠の写真を撮ったりしてトラブルの改善を求めたほうがいいと思う。「学校は調査してくれない!」ってよく言うけど、冷静に考えると学校が生徒間トラブルを解決させなきゃいけない義理って全くないんだよなぁ。


旭川の件では担任が非難されているけど、見方を変えれば「働き方改革でちゃんと不当な残業をしていない!えらい!」と言えなくもない。担任が初期対応を誤ったのは間違いないけど、個人的には「いじめ対応というものに属人的な対応を求める教育システムがおかしい」と考えている。だからシステム化しちゃえばいいんだよなと思う。校則も肌着の色は白とかそういうのだけじゃなくて「意図的な仲間はずれが発覚しいた場合、仲間外れにしたグループの解散を命じる」とか「触法行為は罰則部屋行き」とか。空き教室を改造して悪いことした奴はそこで少年院の先生とかから講義をみっちり受ける、とか。いや、そうすると罰則部屋が第二の保健室になってしまう。いいのか。


〇そんなわけでいわゆるネットリンチもケースバイケースだと思ってます。なりすましで誹謗中傷を集めた人や自らヘイトを溜めてやってきた批判を「誹謗中傷だ!」という人を一緒にすることはできないと考えている。

 

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〇例えばブログでしょーもないこと言ってかなり燃え上がった人がいたとして、そのしょーもなさがギリギリ倫理的にどうかと思うような攻めた発言だったり常に争いの元になるような内容だったりすれば、発言した本人が迂闊だったねえで終わる話だったり、逆に明らかに発言者がギルティな場合全力で叩きのめせで終わる話だったり、炎上と言っても本当にケースバイケースで一概に「誰が悪い」と言うのは非常に難しいと思う。例えば同じ炎上事件でも「長谷川豊」と「宇崎ちゃん献血事件」と「唐澤弁護士」では事件の内容も糾弾されるべき人物も何もかもが違う。事件の内容についてはそれぞれ調べてくださいな。


〇増田で上がってるから少年革命家について語っておくけど、彼自身が本気で全国の不登校児に力を与えたいと思っているならあんなパフォーマンスじみたことはしないと考えている。じゃあ誰のためにあんな挑発じみたことをしているのかと言えば、もちろん叩かれるためだろう。そして狙い通り批判を受けてから「アンチはひどいな!俺は可哀想だな!」という声明を出す。要は某高知の方方式でこういったやり方を選んでいる時点で個人的に擁護はしたくない。何故彼がこんなやり方を選択しているのかは考えたくない。「不登校」の響きでそっち方面の人とか食いついているけど、要は構ってちゃんなので本当に構ったら負けだと思う。学校に行く行かないではなく、人を見下すか見下さないかで考えていきたい。


〇まとめるとケースバイケースを一言で語ることも出来ないし、当事者にしかわからない事情もあると思う。だからあんまりいろんなことをワーワー言うのはよくないと思う。事案と自分を同一視してもいいことはひとつも無い。ネット炎上の多くが「事案と自分の同一視」だと思っている。だから必要以上に傷つくし必要以上に怒るし、必要以上に煽るバカもいる。必要以上のインフレ。なんの話だっけ。旭川の事件については警察と児相仕事しろ。おしまい。

 

入学準備にママ友LINEは必須か(いらない)

新入学のこの時期、なんでいつも道路が混むのかわからない。今日はなんかイラッとする増田とトラバのホラーな増田の話です。

 

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先にこの増田の個人的な見解と「ママ友LINE(いわゆる母親のみのコミュニティ)」についての雑感です。前回の記事の内容も絡みます。

 

個人的な見解

話の内容がママ友LINEと分かりにくい小学校プリントに行きがちだけど、この話のポイントは「次女」という点に尽きると思う。「初見殺しだ!」ではなく、「長女で1回やってるのに初めて大変ですみたいな顔できるの?」という感じ。


別に準備をしていなくても、長女を見ていれば自ずと次女に何が必要かわかると思うんだ。それを「初めて知りました!」みたいに言われたら、妻側としてはイラっとくるんじゃないかな。「サブバッグ?ああ長女も使ってるもんね必要だよね」ってなれば何も問題はないのに「なんで俺に黙って用意するんだ」って怒るから言い返されたんだと思う。


全くの外野からの意見になるけど、子供の学用品の準備ごときで「俺は仕事を任された!」って思って全部1人で完璧にこなそうとしている時点でこの増田の器がかなり小さく感じる。家庭の仕事なんだから家族でやればいいじゃん。風呂掃除当番じゃないけどサービスで風呂洗った家族に「俺が洗う予定だったのに!!」って怒っても仕方なくない?そこは「やってくれてありがとう」だと思うけどな。これが給料の発生する仕事だったら仕事を横取りされたことになるから問題になるかもだけど、サービスだからね。


それよりもママ友LINE、というか保護者のコミュニティにいきなり「今年は準備任されたんで情報収集のために参加します」って元々コミュニティに入っている人の配偶者が参加してきたら男女関係なく変な空気を感じる人はいると思う。だって情報収集だけだったら配偶者と話をすればいいのであって、わざわざ参加するものでもない。個人的にこんな人がいたら(配偶者の仲が上手くいってないのでは……)(奥さんと口も聞けないのに子供のことを把握しようとか離婚を考えているのかしら……)と思われても仕方ない。


そんでブコメで「ママ友LINEでないとわからない小学校準備怖い」みたいなのあるけど、ママ友LINEで共有されてるのは担任の情報とかで、サブバッグや着替えが必要というのは長女での経験。ママ友LINE発じゃないよ。流石に必須のものをママ友LINEに頼る小学校はどうかと思う。あと既に在学生の子がいるママが小学校のママ友LINEで新しい学年の情報交換をするのは全くおかしなことだと思わないけどな。


「教えてくれなかった」は通用しない

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で、前の記事の続きみたいな話になるんだけど個人的にママ友LINE的な場所での情報交換って別に悪でも何でもないと思う。それよりも「教えてくれなかったからできませんでした」というほうがどうなのかな、という視点も大事だと思う。


そもそも、そもそもの話なんだけど日常的に子供の学用品や必要なものを準備するのは親の役目であることは間違いないんだけど、それを確実に親に伝えるのは子供の役目であってママ友LINEじゃないと思う。小学校低学年くらいまでは仕方ないところもあると思うけど、それ以降は子供と一緒に準備をするのがいいと思う。そうすれば「思ってたんと違う」系の話は大体解決すると思う。準備物を何の用途で必要なのかをきちんと説明できる力もこれからの社会を生き抜く上で大事だと思う。プリントクチャクチャにしてわからなくなったら困るのは自分、ということをしっかり教えていかないといけない*1


でも、みんながみんな全部用意できるとは限らない。うっかり忘れることもあるだろうし、学校の意図とは違ったものを持っていくこともあるかもしれない。でもその時大事なのは「あくまでもミスはミスとして同じミスは繰り返さない」ということではないのだろうか。学校が何でもかんでも手取り足取り教えてくれるわけでもないので保護者の側もレベルアップしていかないといけない。ママ友LINEはあくまでも補助や保険であるということにしないと面倒くさいことになると思う。


そりゃまあ学校の無茶ぶりも多少はあるだろうけど、「ママ友LINEに入っていなかったのでわかりませんでした!」っていうのは子供のいるいい大人がちょっと恥ずかしいとは思わないのかって思う。そんで元増田の話になると、「教えてくれればやったのに!」というのも「教えてくれないとわからない!」と逆ギレしているに近いと思う。この増田に必要だったのはママ友LINEではなく日頃の家族の話し合い。日常的に長女の面倒を見ていればサブバッグの存在やママ友LINEの存在には気づいていたのではないだろうか。

 

たらればの話をしても仕方ないので、今後は家族間の情報交換は意識的にやっておいたほうがいいと思う。例えば娘が学校で友達トラブルに巻き込まれた時、普段からある程度交友関係を把握してるのとそうでないのでは動き方が全然違う。無能を嘆くなら全部勝手に自分で背負い込むようなところをどうにかした方がいいのでは、と短い増田から感じました。増田でいじけている前に家族の話をもっとよく聞こう。

 

ママ友LINEトラブル増田について

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そんでトラバのすげえママ友LINEトラブル増田。個人的に釣りではなくフェイクありの大体本当にあったことだと思う。正直怖い。特に給食試食会に関しては単なるママ友LINEトラブルはなくかなりヤバいトラブルだと思う。


特に「例年号泣しながら給食を食べる」が本当なら、何で学校は数年も放置していたのだろうか。最近は多様な形の家族の形態があるのに、こういう保護者強制参加イベントはあまり好ましくないと思う。どうしても参加できない保護者も絶対いるし、そもそも父母共にいなかったり家族の仲が悪く学校になんか来て欲しくない子供もいるかもしれない。毎年それなのに見栄のためにほぼ強制参加、そして保護者のいない子は号泣とかいうなら学校側が明らかに何らかの対策を即しないとダメでしょ。給食の試食だけなら授業参観と兼ねて保護者だけ別室とかでも出来るんと違うかね。まあコロナで真っ先に消えただろうイベントだけど。


それにしても「コミュニティでボコられるから」という理由で参加せざるを得ないというところもどうなんだろうと思うし、「親の来ない子が泣いてかわいそうだった」と聞いて来ない子の親を叩く方向に行くのもよくわからない。なんでそんなんなるまでほっといたかなぁというモヤモヤがモヤモヤ。私立の見栄っ張り地区なんだろうか。タワマンに住んでない人を見下すみたいなアレなのかな。やべーな。


あと伝聞やフェイクなどが入ってるんだろうけど、新卒の先生が一年で辞めるってよっぽどのことがないと有り得ないと思う。余談だけど低学年特有の「新卒だからダメ」クレームを避けるためなどでベテランのおばちゃん先生を低学年につけると、良い言い方をすれば昔ながらの、普通に言うと時代錯誤の学級運営とかし始めるのでベテランだから良いというものでもないということは言っておきたい。


メゾピアノで揃える系の話は絶対学校で対応すると思う。「学校に必要のないものを持ってきてはいけません」っていうのは勉強に必要ないからという建前の裏に盗難防止という超現実的な理由がある。「なんでスマホ持ってきちゃいけないんですか?」っていうのは「単価数万円する奴を持ってきて紛失するようなことがあったら誰が責任とるんだい?」っていうことである。でも生徒を泥棒呼ばわりできないので建前上「必要ないから」を通しているのだと思っている。


そもそも、ママ友LINE関係なく持ち物がブランドじゃないからっていじめるようなメンタリティの子供がいることのほうが大問題のような気がする。それをママコミュニティが煽っているとか、アホすぎて関わり合いになりたくない。多分ブランド物関係なく何かしらのトラブルを抱えている可能性があるので学校の苦労が忍ばれる。


あとダンボールの話で昔のことを思い出した。授業参観の図工で「制作物を飾る色紙や包装紙を家から持ってくること」という連絡があった。大体はクリスマスのプレゼントに使われていたような可愛い包装紙や千代紙なんかを持ってきてたけど、ひとり、近所のスーパーのロゴしか入っていない、果物を包んでいたような包装紙を持ってきた。包装紙には違いないけど、その図工の授業の意図とはマッチングしていなかった。それを見て、何だか寂しい気持ちになったのを鮮明にに覚えている。当時はあまり考えなかったけど、今思うと生きていくのに困難が伴う子だった。本人も「やっちまったな」というのに気づいているのか気づいていなかったのかもわからない。どうすればよかったんだろう。でも、多分どうにもならない。


このママ友LINE増田を読んで「ママ友LINE怖い!」って思う人も多いと思うけど、怖いのはママ友LINEという存在じゃなくてそこにいる変な人というのはいつも覚えておいて欲しいところだと思う。変な人と付き合いたくないばかりに有益な付き合いから目を背けるのは機会の損失でもあると思うし、この話レベルの変な人はそんなにいないと思う。普通に保護者やってる人のが多いけど、変なのが目立って全部が変だと思われるんだよな。そいつは損だな。


まあいろいろつらつらと書いてきたけど、うちのも今年から幼稚園児ということで昨年買った上履きを引っ張ってきたらサイズアウトしてて慌てて買いに行ったらひとつ上のサイズがラストワンで「あぶねーっ!」ってところでした。危なかったですね、おしまい。

 

*1:とはいえ、その子の特性などもあるのでこの辺のさじ加減は目の前の子供に合わせなければならない。

義務教育で教えてくれなかった、みたいな話

個人の好き嫌いの話です。私はデコポンは好きですが君はピーマンが嫌い。そういうことです。

 

TwitterとかのSNSで「ありえないほど大袈裟に誇張する表現」あるじゃないですか、あれそんなに好きじゃありません。別に警察やって取り締まるレベルまでではないけど、下品だなとは思う。

 

数字を使う系だと「数兆年ぶりに」とか「1秒間に地球7周半分」とかそんな感じのものは「そのくらいとてつもない」みたいなことが言いたいんだろうなーと思うのでそんなに嫌でもないけど、5000兆円欲しいだけはなんかものすごく下品な言い回しだなと思う。もうミーム化してるからこの言葉自体にそれほど意味が無いのはわかるけど、なーんか嫌だ。「どちゃくそシコれる」みたいなのと個人的に一緒のジャンルにしている。

 

で、今回「嫌だなぁ」と言いたいメインの言い回しは「義務教育で教えてほしかった」です。「小学校で教えるべき」「学校で教えてくれないのが悪い」みたいな言い回しと一緒ですね。元々は「なんて役立つ情報なんだろう、もっと早く知りたかった」という気持ちから生まれているんだろうなというのはわかるけど、それにしても下品だ。個人的には「どうして勉強するんですか?」「数学って勉強しても大人になってから使いませんよね」と一緒。

 

togetter.com

 

例えば「義務教育で国民保険について教えろと思ったけど公民でやってたわ」的な奴なんだけど、いや公民はやるでしょ……togetter見てると「公民は選択科目だから学校でやらなかった可能性ある」とか言うの結構あってうわぁーとなってしまった。いやほとんどがやってるのを忘れているだけでしょ。「やったかなぁ、忘れた」ではなく「やってません」と言い切るところに不安なものを感じる。ちなみに公民の中身は時代と共に変わっても分野そのものを教科書から削除したことは戦前に遡ってもなさそうです。

 

公民 (教科) - Wikipedia


いや、イレギュラーもあるかもしれないけどね。社会科教員がずっと反戦映画を見せ続けて授業をろくすっぽしなかったとか、サッカー好きで毎回サッカーの話しかしなくて授業をろくすっぽしなかったとか、織田信長好きすぎて織田信長に3ヶ月かけて授業をろくすっぽしなかったとか、結構考えられる。授業を趣味の発表会だと勘違いしてる人は本当にたまにいる。どう見ても履修漏れですどうもありがとうございました。


あとそもそも不登校で学校に行けなかった人が「習っていない」という可能性もあるけど、それはまた別の問題なのでここでは対象としないものとする。


話を元に戻すと、そもそもの義務教育の意義とかじゃなくて、なんていうか「知らなかった!」という驚きを表すのに「なんで誰も教えてくれなかったの?」というニュアンスが入るのが嫌なんだと思う。例えば友人に「この前美味しいお店に行ってきたんだ」と話をしたら「ずるい、なんで教えてくれなかったの?」って返ってくるような感じだろうか。素直に「よかったね」とか「今度は一緒に行きましょう」とか言えないのか。


あと「知ってる方がどうかしてる」みたいなニュアンスが嫌だなと思う。小学校なんかで物知りな子に対して「だからなんだよちぇっ」という僻みみたいな感覚に近いと思う。勉強できる人の足を引っ張るみたいな、そういう言説は何だか嫌なのよ。


まとめると「義務教育で教えて欲しかった」には「誰も教えてくれなかった」という他力本願なところがあるのに「知らなかった私悪くないもん」「教えてくれなかったお前らが悪い」という他罰的なニュアンスが加わって何とも子供じみた言い回しだなと思うわけですよ。義務教育中の子供ならまだわからないでもないけど、少なくとも義務教育は終わっているだろう大人がポンポン使う言葉でもないと思う。大人なら調べようよ。知らなかったことを恥ずかしく思う照れ隠しをしているようなフェーズは過ぎてるでしょ、と。


あと個人的にこの前の「断腸の思い」がなんかムカつくのでここで言わせて欲しい。

 

togetter.com


大まかな話は「イギリスで食べるラー油を上げたら奴らハマったぜ」ということなんだけど、タイトルに「断腸の思いで」ってあったから「食べるラー油とこの人にどんなドラマが……」ってハラハラしながら開いたらそこに何の説明もなくて心が盛大にズッコケたんだよ。


元々「断腸の思い」って言うのは我が子をとられて悲しみのあまり腸がちぎれてしまった母猿の故事から生まれた言葉で、「我が身を引き裂かれるような強い悲しみ」という意味だと思っていた。つまり「自分の一部であるようなものを喪失する」というニュアンスで考えていたわけ。「コレクションを断腸の思いで処分する」とか「断腸の思いで彼との連絡を断つ」とか、もうそういう感じで「この人にとって食べるラー油は毎回ご飯に乗せないと死ぬレベルで大事なのに、イギリス人がどうしても譲ってくれと聞かなくて、泣く泣く手放したんだろうか」とか、そういう大層なドラマがあるもんだと思ったわけだよ。だってタイトルに入ってるんだもん。断腸の思い、大切でしょ。


そしたらツイートにドラマも何もなかった。ただの「アジアの食すげー」みたいな話だった。「なんだ、食べるラー油とツイート主の壮大なドラマを期待したのに出てきたのはこれか、これなのか!!」って憤慨くらいしたいですよ。嘘大袈裟紛らわしいJAROがあるじゃろだよ。マジでタイトルがJARO案件じゃろ。


その思いを書いたら100字を超えるので「文脈がよくわからなかったなぁ」とマイルドにブコメしたら、なんか大量スターと激しい「アホじゃねーの」ブコメが来て、いやイギリスで食べるラー油が珍しくて泣く泣く手放したんだろうっていうのは本文読めば理解してるよ。でも「断腸の思い」っていうのは最上級の悲しみなわけで、食べるラー油を手放して明日から仕事も手につかないとかそういう状況になるのか?「悲しみの表現だから別にいいじゃん気にならなかったよ言葉の間違いに神経質だね♪」って、それにも程があるんだよ。個人的には「彼女が病気で死にます」という映画を見に行ったら「彼女が食中毒で死ぬほどやつれた」くらいのオチを見せられた気分なわけだよ。それでも「精神的に死にかけたわけだし、死にますって別に間違ってないでしょう」と平然としていられるならそれはそれでいいけどさ。


つまりツイート主というよりタイトルつけた奴が悪いと思ってる。また、ツイート主もこの場合「後ろ髪を引かれる」「泣く泣く」「惜しいけど」という表現だったら誤解を招くようなことはなかったと思う。流石にいくら海外にいようと、いつかAmazonで買えるものなら母猿の腸も切れないと思うんだ。


まとめると、SNSだからついつい大袈裟な言い回しで注目を集めたいと思う気持ちもあるんだろうけど、大袈裟過ぎて言葉の使い方を誤って伝えたいことが伝わらないのはアウトでしょという話。「へえ、そうなんだ」という反応より「義務教育で教えてくれればよかったのにー」なんていう捻ったようなコメントの方が確かに目立つけど、嫌味なニュアンスに気づけないと嫌味な言い回しに引っ張られるからよくないと思う。


「言葉は生き物だから使い方が変わるのは当然!」と言語学者が言うのと、よく言葉を知らない奴が都合のいい言い訳で使うのは全然違う。特に何かを発信する人は最低限自分の言葉に責任を持って使って欲しいんだけど、SNSでは誰もが発信できるのでその責任までものすごく軽くなったなぁと思う。Twitterで言いたいことだけ言って反対意見が来ると「アンチ」「クソリプ」なんて言う奴、何なんだろうなって思う。クソリプも元々は「返信に困る微妙なリプライ」だったのが「気に食わないリプライ」くらいの意味合いに変わってる気もする。言葉は生き物、しょうがないねえ。おわり。

勉強なんかやりたくねえよというときの覚書

まあ増田本体は釣りなんだろうけど。ラストの浮き具合が全てを物語っている。

 

anond.hatelabo.jp

 

以下蛇足です。


大体において「どうして勉強するの?」という言葉は文字通りの意味ではなく98%くらいの確率で「勉強やりたくない」という意味。増田や知恵袋で「純粋に疑問なんですけど、どうして結婚なんてしなくちゃいけないんですか?何が楽しいんですか?」という質問があったらこれも文字通りの意味ではなく「結婚なんてデメリットしかないのによく結婚とか時代遅れの風習やってますねおならプップー」という話である。類義語に「どうして解散するんですか?」というものもありましたね。


さて、そんなクソガキお子様に「勉強しなさい」といわなきゃいけないとき、どうすればいいのか。事例によって対応は全然変わってくる。


ケース1:受験生

入試科目だから大人しくやっとけ、で終わる。ウダウダ悩んでいるなら「じゃあ勉強やめて受験やめるかっ!」と「もし入試に失敗したら人生どうなるのかシュミレーション」なんかやってみると面白いかもしれない。ついでに結婚出産家を買うなど人生の大イベントの話なんかもサラッとできるといいかもしれない。単に疲れているだけだと思われるので気晴らしに雑談くらいの話でいい。ちなみに中学受験生にはちと難しい手段なので、勉強を休む日を与えた方が効果的かもしれない。

 

4/2 10:00追記

結婚出産家を買うイベントの話をすると言ったが、例えば家庭教師や塾講師、学童職員など自分の子供が対象でない場合、子供によってはLGBTや複雑な家庭環境により「したくもない結婚を押し付けられた!」と考えなくもないので下手なことは本当に言えない。また、非常に一般的な話(結婚式にはお金かかるよとか月々の家賃は払わないとね~とかそういうレベルの話)をしても「うちの子に余計なことを吹き込みやがって!」みたいな反応をされる親御さんもいるのでしないほうが無難である。ちなみに家賃の話をした場合、子供が「うちの家賃はいくらなの?」と両親に尋ね、「この子はお金のことなど考えずに暮らしていけるようにしているのにそんな庶民的なことを教えないで欲しい」とか、そういうクレームもなくはない。下記でも触れているが、子供のケアではなく家庭のケア案件は意外と多い。

 

ケース2:反抗期

小学5年生~中学2年生くらいの子によくある謎の万能感から「大人を論破してやろう」という系の発問の場合。多くの人がこの辺りの子供を想定していると思われる。家の場合、やりたくないというものを無理にやらせてもよくないので最低限の宿題などだけやらせて後は好きにさせておいた方がいい気がする。漫画やゲーム、スポーツが好きならそこから何か「調べて知識を得る、学習する」という機会を設けるといいと思う。ポケモンの名前と属性を言えるとか、野球選手の打率に一喜一憂するとか、そんなんでいいと思う。「学校の勉強と生活がリンクしてるぞ」という体験を重ねていけば、自然と学習する体勢に戻っていくと思う。問題は好きなものがない場合。これは……ケースバイケースで対応するしかない。一概にどうとは言いにくいけどケース4と併発している可能性もある。


ケース3:夢追い人

「俺〇〇(スポーツ選手やYouTuberなど)になるから勉強いりません!」とか言うタイプの攻略は必殺ワードがある。「こんなことは言いたくないが、もしなれなかったらどうするの?」である。ちびまる子ちゃんで「ノストラダムスの大予言でどうせ世界は滅びるから遊んで過ごそう」というまる子に勉強をさせたのはお姉ちゃんの「はずれたらどうするの?」である。その次のコマで1999年に遊びまくってちゃらんぽらんな大人まる子が「みんなちゃんとしてる」と焦る想像をしている。「プロを引退したらどうするの?」でもいいと思う。ちなみに経験則ではあるけど、真面目にスポーツを頑張る子はストイックなので勉強もそこそこ頑張る傾向にあると思う。レアケースであると思うけど、指導者が「勉強する暇があるなら練習!勉強する必要ない!」とかいうハズレ案件もある。出来ればそういうブラック企業もドン引き案件からは撤退していきたい。

 

ケース4:不登校発達障害

ここからはケースバイケースなので一概には言えないことになるけど、傾向として勉強そのものに苦手意識を持ってしまっている子に勉強の必要性を説くのは酷である。学習障害であれば特性を把握する、学習そのものに興味を持てない場合柔軟に対応する(漢字の書き取りの回数を減らしたり計算問題は数字を書くのは指導者にするなど学習の負荷を減らりたりなど)。学校が嫌いになっている場合、勉強=学校の嫌な思い出がフラッシュバックなど複合的なものがあるので指導者だけで解決せず大人の連携が必要になってくる。大事なのは1人で抱え込まないことだ。

 

いろんなケースを見てきたけど、「どうして勉強するの?」というのはまだマシで真にヤバいのはそんな発問も出来ずに親に言われるまま「勉強して良い学校に」というタイプ。このタイプかつ子供の点数は全部指導者のせいという保護者にぶち当たると指導者に求められるのは真面目に対応するよりスルーする能力だったりする。


いや本当はスルーなんかせずにきちんと向き合わないとダメなんだけど、向き合ったところでまず話し合いにはならないし相手の要求ばかりでこちらの要求はほとんど聞かないし多分親御さん自体にもなんか事情あるだろっていうことがチラホラ。そんな時に大事なのはまず自分の心を守ること。メンのヘラの世界に引きずり込もうとする動きに飲まれない。冷たいかもしれないけど、自分が動けなくなってしまったらおしまいだから。世の中の精神を病む先生の何割かはこういう生徒や保護者、引きずられて一緒に引きずりこもうとする同僚に引きずられていると考えている。彼らに必要なのは学習ではなかったりするが、それが何でどうすれば彼らを救えるのかはまだわからない。いわゆる教育虐待って、どうすればいいんですかねぇマジで。


つまり「勉強なんかやだぁ!」という子供の方が健全である。対話が出来るということは素晴らしいことである。真っ向から答えてもいいし、子供の嫌だという気持ちに寄り添ってもいい。とにかく対話と信頼関係が大事である。結局子供の問題は信頼関係なのかよってなるけど、ぶっちゃけ信頼関係のメーターが100%に到達しないと何の支援もできないってところがこの手の問題のややこしさなのである。どうして勉強ってさせるんでしょうねえ。おしまい。