あのにますトライバル

ぶっちゃけ増田とかのことしかもう書いていない。

義務教育で教えてくれなかった、みたいな話

個人の好き嫌いの話です。私はデコポンは好きですが君はピーマンが嫌い。そういうことです。

 

TwitterとかのSNSで「ありえないほど大袈裟に誇張する表現」あるじゃないですか、あれそんなに好きじゃありません。別に警察やって取り締まるレベルまでではないけど、下品だなとは思う。

 

数字を使う系だと「数兆年ぶりに」とか「1秒間に地球7周半分」とかそんな感じのものは「そのくらいとてつもない」みたいなことが言いたいんだろうなーと思うのでそんなに嫌でもないけど、5000兆円欲しいだけはなんかものすごく下品な言い回しだなと思う。もうミーム化してるからこの言葉自体にそれほど意味が無いのはわかるけど、なーんか嫌だ。「どちゃくそシコれる」みたいなのと個人的に一緒のジャンルにしている。

 

で、今回「嫌だなぁ」と言いたいメインの言い回しは「義務教育で教えてほしかった」です。「小学校で教えるべき」「学校で教えてくれないのが悪い」みたいな言い回しと一緒ですね。元々は「なんて役立つ情報なんだろう、もっと早く知りたかった」という気持ちから生まれているんだろうなというのはわかるけど、それにしても下品だ。個人的には「どうして勉強するんですか?」「数学って勉強しても大人になってから使いませんよね」と一緒。

 

togetter.com

 

例えば「義務教育で国民保険について教えろと思ったけど公民でやってたわ」的な奴なんだけど、いや公民はやるでしょ……togetter見てると「公民は選択科目だから学校でやらなかった可能性ある」とか言うの結構あってうわぁーとなってしまった。いやほとんどがやってるのを忘れているだけでしょ。「やったかなぁ、忘れた」ではなく「やってません」と言い切るところに不安なものを感じる。ちなみに公民の中身は時代と共に変わっても分野そのものを教科書から削除したことは戦前に遡ってもなさそうです。

 

公民 (教科) - Wikipedia


いや、イレギュラーもあるかもしれないけどね。社会科教員がずっと反戦映画を見せ続けて授業をろくすっぽしなかったとか、サッカー好きで毎回サッカーの話しかしなくて授業をろくすっぽしなかったとか、織田信長好きすぎて織田信長に3ヶ月かけて授業をろくすっぽしなかったとか、結構考えられる。授業を趣味の発表会だと勘違いしてる人は本当にたまにいる。どう見ても履修漏れですどうもありがとうございました。


あとそもそも不登校で学校に行けなかった人が「習っていない」という可能性もあるけど、それはまた別の問題なのでここでは対象としないものとする。


話を元に戻すと、そもそもの義務教育の意義とかじゃなくて、なんていうか「知らなかった!」という驚きを表すのに「なんで誰も教えてくれなかったの?」というニュアンスが入るのが嫌なんだと思う。例えば友人に「この前美味しいお店に行ってきたんだ」と話をしたら「ずるい、なんで教えてくれなかったの?」って返ってくるような感じだろうか。素直に「よかったね」とか「今度は一緒に行きましょう」とか言えないのか。


あと「知ってる方がどうかしてる」みたいなニュアンスが嫌だなと思う。小学校なんかで物知りな子に対して「だからなんだよちぇっ」という僻みみたいな感覚に近いと思う。勉強できる人の足を引っ張るみたいな、そういう言説は何だか嫌なのよ。


まとめると「義務教育で教えて欲しかった」には「誰も教えてくれなかった」という他力本願なところがあるのに「知らなかった私悪くないもん」「教えてくれなかったお前らが悪い」という他罰的なニュアンスが加わって何とも子供じみた言い回しだなと思うわけですよ。義務教育中の子供ならまだわからないでもないけど、少なくとも義務教育は終わっているだろう大人がポンポン使う言葉でもないと思う。大人なら調べようよ。知らなかったことを恥ずかしく思う照れ隠しをしているようなフェーズは過ぎてるでしょ、と。


あと個人的にこの前の「断腸の思い」がなんかムカつくのでここで言わせて欲しい。

 

togetter.com


大まかな話は「イギリスで食べるラー油を上げたら奴らハマったぜ」ということなんだけど、タイトルに「断腸の思いで」ってあったから「食べるラー油とこの人にどんなドラマが……」ってハラハラしながら開いたらそこに何の説明もなくて心が盛大にズッコケたんだよ。


元々「断腸の思い」って言うのは我が子をとられて悲しみのあまり腸がちぎれてしまった母猿の故事から生まれた言葉で、「我が身を引き裂かれるような強い悲しみ」という意味だと思っていた。つまり「自分の一部であるようなものを喪失する」というニュアンスで考えていたわけ。「コレクションを断腸の思いで処分する」とか「断腸の思いで彼との連絡を断つ」とか、もうそういう感じで「この人にとって食べるラー油は毎回ご飯に乗せないと死ぬレベルで大事なのに、イギリス人がどうしても譲ってくれと聞かなくて、泣く泣く手放したんだろうか」とか、そういう大層なドラマがあるもんだと思ったわけだよ。だってタイトルに入ってるんだもん。断腸の思い、大切でしょ。


そしたらツイートにドラマも何もなかった。ただの「アジアの食すげー」みたいな話だった。「なんだ、食べるラー油とツイート主の壮大なドラマを期待したのに出てきたのはこれか、これなのか!!」って憤慨くらいしたいですよ。嘘大袈裟紛らわしいJAROがあるじゃろだよ。マジでタイトルがJARO案件じゃろ。


その思いを書いたら100字を超えるので「文脈がよくわからなかったなぁ」とマイルドにブコメしたら、なんか大量スターと激しい「アホじゃねーの」ブコメが来て、いやイギリスで食べるラー油が珍しくて泣く泣く手放したんだろうっていうのは本文読めば理解してるよ。でも「断腸の思い」っていうのは最上級の悲しみなわけで、食べるラー油を手放して明日から仕事も手につかないとかそういう状況になるのか?「悲しみの表現だから別にいいじゃん気にならなかったよ言葉の間違いに神経質だね♪」って、それにも程があるんだよ。個人的には「彼女が病気で死にます」という映画を見に行ったら「彼女が食中毒で死ぬほどやつれた」くらいのオチを見せられた気分なわけだよ。それでも「精神的に死にかけたわけだし、死にますって別に間違ってないでしょう」と平然としていられるならそれはそれでいいけどさ。


つまりツイート主というよりタイトルつけた奴が悪いと思ってる。また、ツイート主もこの場合「後ろ髪を引かれる」「泣く泣く」「惜しいけど」という表現だったら誤解を招くようなことはなかったと思う。流石にいくら海外にいようと、いつかAmazonで買えるものなら母猿の腸も切れないと思うんだ。


まとめると、SNSだからついつい大袈裟な言い回しで注目を集めたいと思う気持ちもあるんだろうけど、大袈裟過ぎて言葉の使い方を誤って伝えたいことが伝わらないのはアウトでしょという話。「へえ、そうなんだ」という反応より「義務教育で教えてくれればよかったのにー」なんていう捻ったようなコメントの方が確かに目立つけど、嫌味なニュアンスに気づけないと嫌味な言い回しに引っ張られるからよくないと思う。


「言葉は生き物だから使い方が変わるのは当然!」と言語学者が言うのと、よく言葉を知らない奴が都合のいい言い訳で使うのは全然違う。特に何かを発信する人は最低限自分の言葉に責任を持って使って欲しいんだけど、SNSでは誰もが発信できるのでその責任までものすごく軽くなったなぁと思う。Twitterで言いたいことだけ言って反対意見が来ると「アンチ」「クソリプ」なんて言う奴、何なんだろうなって思う。クソリプも元々は「返信に困る微妙なリプライ」だったのが「気に食わないリプライ」くらいの意味合いに変わってる気もする。言葉は生き物、しょうがないねえ。おわり。