あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

勉強なんかやりたくねえよというときの覚書

まあ増田本体は釣りなんだろうけど。ラストの浮き具合が全てを物語っている。

 

anond.hatelabo.jp

 

以下蛇足です。


大体において「どうして勉強するの?」という言葉は文字通りの意味ではなく98%くらいの確率で「勉強やりたくない」という意味。増田や知恵袋で「純粋に疑問なんですけど、どうして結婚なんてしなくちゃいけないんですか?何が楽しいんですか?」という質問があったらこれも文字通りの意味ではなく「結婚なんてデメリットしかないのによく結婚とか時代遅れの風習やってますねおならプップー」という話である。類義語に「どうして解散するんですか?」というものもありましたね。


さて、そんなクソガキお子様に「勉強しなさい」といわなきゃいけないとき、どうすればいいのか。事例によって対応は全然変わってくる。


ケース1:受験生

入試科目だから大人しくやっとけ、で終わる。ウダウダ悩んでいるなら「じゃあ勉強やめて受験やめるかっ!」と「もし入試に失敗したら人生どうなるのかシュミレーション」なんかやってみると面白いかもしれない。ついでに結婚出産家を買うなど人生の大イベントの話なんかもサラッとできるといいかもしれない。単に疲れているだけだと思われるので気晴らしに雑談くらいの話でいい。ちなみに中学受験生にはちと難しい手段なので、勉強を休む日を与えた方が効果的かもしれない。

 

4/2 10:00追記

結婚出産家を買うイベントの話をすると言ったが、例えば家庭教師や塾講師、学童職員など自分の子供が対象でない場合、子供によってはLGBTや複雑な家庭環境により「したくもない結婚を押し付けられた!」と考えなくもないので下手なことは本当に言えない。また、非常に一般的な話(結婚式にはお金かかるよとか月々の家賃は払わないとね~とかそういうレベルの話)をしても「うちの子に余計なことを吹き込みやがって!」みたいな反応をされる親御さんもいるのでしないほうが無難である。ちなみに家賃の話をした場合、子供が「うちの家賃はいくらなの?」と両親に尋ね、「この子はお金のことなど考えずに暮らしていけるようにしているのにそんな庶民的なことを教えないで欲しい」とか、そういうクレームもなくはない。下記でも触れているが、子供のケアではなく家庭のケア案件は意外と多い。

 

ケース2:反抗期

小学5年生~中学2年生くらいの子によくある謎の万能感から「大人を論破してやろう」という系の発問の場合。多くの人がこの辺りの子供を想定していると思われる。家の場合、やりたくないというものを無理にやらせてもよくないので最低限の宿題などだけやらせて後は好きにさせておいた方がいい気がする。漫画やゲーム、スポーツが好きならそこから何か「調べて知識を得る、学習する」という機会を設けるといいと思う。ポケモンの名前と属性を言えるとか、野球選手の打率に一喜一憂するとか、そんなんでいいと思う。「学校の勉強と生活がリンクしてるぞ」という体験を重ねていけば、自然と学習する体勢に戻っていくと思う。問題は好きなものがない場合。これは……ケースバイケースで対応するしかない。一概にどうとは言いにくいけどケース4と併発している可能性もある。


ケース3:夢追い人

「俺〇〇(スポーツ選手やYouTuberなど)になるから勉強いりません!」とか言うタイプの攻略は必殺ワードがある。「こんなことは言いたくないが、もしなれなかったらどうするの?」である。ちびまる子ちゃんで「ノストラダムスの大予言でどうせ世界は滅びるから遊んで過ごそう」というまる子に勉強をさせたのはお姉ちゃんの「はずれたらどうするの?」である。その次のコマで1999年に遊びまくってちゃらんぽらんな大人まる子が「みんなちゃんとしてる」と焦る想像をしている。「プロを引退したらどうするの?」でもいいと思う。ちなみに経験則ではあるけど、真面目にスポーツを頑張る子はストイックなので勉強もそこそこ頑張る傾向にあると思う。レアケースであると思うけど、指導者が「勉強する暇があるなら練習!勉強する必要ない!」とかいうハズレ案件もある。出来ればそういうブラック企業もドン引き案件からは撤退していきたい。

 

ケース4:不登校発達障害

ここからはケースバイケースなので一概には言えないことになるけど、傾向として勉強そのものに苦手意識を持ってしまっている子に勉強の必要性を説くのは酷である。学習障害であれば特性を把握する、学習そのものに興味を持てない場合柔軟に対応する(漢字の書き取りの回数を減らしたり計算問題は数字を書くのは指導者にするなど学習の負荷を減らりたりなど)。学校が嫌いになっている場合、勉強=学校の嫌な思い出がフラッシュバックなど複合的なものがあるので指導者だけで解決せず大人の連携が必要になってくる。大事なのは1人で抱え込まないことだ。

 

いろんなケースを見てきたけど、「どうして勉強するの?」というのはまだマシで真にヤバいのはそんな発問も出来ずに親に言われるまま「勉強して良い学校に」というタイプ。このタイプかつ子供の点数は全部指導者のせいという保護者にぶち当たると指導者に求められるのは真面目に対応するよりスルーする能力だったりする。


いや本当はスルーなんかせずにきちんと向き合わないとダメなんだけど、向き合ったところでまず話し合いにはならないし相手の要求ばかりでこちらの要求はほとんど聞かないし多分親御さん自体にもなんか事情あるだろっていうことがチラホラ。そんな時に大事なのはまず自分の心を守ること。メンのヘラの世界に引きずり込もうとする動きに飲まれない。冷たいかもしれないけど、自分が動けなくなってしまったらおしまいだから。世の中の精神を病む先生の何割かはこういう生徒や保護者、引きずられて一緒に引きずりこもうとする同僚に引きずられていると考えている。彼らに必要なのは学習ではなかったりするが、それが何でどうすれば彼らを救えるのかはまだわからない。いわゆる教育虐待って、どうすればいいんですかねぇマジで。


つまり「勉強なんかやだぁ!」という子供の方が健全である。対話が出来るということは素晴らしいことである。真っ向から答えてもいいし、子供の嫌だという気持ちに寄り添ってもいい。とにかく対話と信頼関係が大事である。結局子供の問題は信頼関係なのかよってなるけど、ぶっちゃけ信頼関係のメーターが100%に到達しないと何の支援もできないってところがこの手の問題のややこしさなのである。どうして勉強ってさせるんでしょうねえ。おしまい。