あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

私たちの求めるものは「所属」なんだろうな

ここ最近のTwitterの没落、推し活の隆盛、社会全体に広がる「寂しさ」みたいなのを見ていくと、私たちが本当に必要なのはTwitterでも推しでもなくて「何者なのか」ということなのかな、と思う。

 

アルコール依存症がどうこうという話があったけど、「星の王子さま」には大人の象徴として呑み助が出てくる。彼は酒を飲み続け、酒を飲んでいることを忘れたくて酒を飲むという。子供の頃「じゃあ飲まなきゃいいのに」と心底思った。そして子供の自分にその疑問をぶつけられたら、今でも答えられる自信はない。「何故呑み助は酒を飲むのを止められないのか」。

 

答えは「アルコール依存症だから」なんだけど、子供の頃の自分に依存症の概念が理解できるとは思わない。「そういう病気だから」と言っても「じゃあ病院で治してもらえばいい」くらいにしか思わないだろう。それ以上の絶望や焦燥感、薬物で塗りつぶさないといけない黒い感情の正体を子供の自分にはあまり教えたくない。そして言葉で説明したところで、子供は真の意味で理解できない。目の前が真っ暗で目が覚める度に「寝ている間に死んでいればよかったのに」と思うような気持ちは、知らなくてもいい。

 

とはいえ、我々は大人になって、白い感情も黒い感情も灰色だとして、ずるい汚い人間になってしまっている。あの頃「上から塗りつぶせば真っ白になるのに」と思っていた心の黒ずみはトイレの黄ばみより強力にこびりついて剥がれない。だけど、心が黒ずむことこそがやはり大人の特権で、ただ白いだけのやつには理解できないこともたくさんある。

 

Twitterがなくなったらどこに行けばいいのか。推しが性被害を受けていて、それがずっと組織ぐるみで行われていたら*1。我々は何者かであろうとしてネットでアカウントを作り、ネットでのキャラを作り、ネットで理想の自分を演じる。

 

本当に欲しいのはTwitterの代替のサービスでも推しでもなく、Twitterでフォロワーの投稿を見ていてもいいと思える瞬間や推しについて語っても許される空間なんじゃないかなと思う。呑み助が本当に欲しいのは酒じゃなくて、酒を呑まなくても受け入れてくれる誰か、みたいなものだと思う。

 

自分が常に何者かを証明し続けないといけない時代になったんだろうなと思う。キャラを作り、その通りに振る舞うことを周囲が望む。タレントでなくても、Webでの振る舞いはタレントのそれと酷似する。

 

私たちが本当に欲しいのは、多分情けない部分もまるごと受け入れてくれる誰か。寂しさを忘れさせてくれる何か。黒を塗りつぶしたと錯覚させてくれるような白い何か。フェミとか陰謀論もそうだと思う。

 

みんな寂しいんだろうな。寂しいよね。

寂しいに根本的な解決策なんかないし。

じゃあね。

*1:正直そういうのはJだけじゃなくて他の事務所でもあるんじゃないのと思っているので私はアイドルという存在自体が苦手なんだと思う。