あのにますトライバル

ぶっちゃけ増田とかのことしかもう書いていない。

ニュー・シネマ・パラダイスと故郷

なんか記事書こうかなと思っていたところにちょうどいい話が来たから書くよ。なお、あくまでも何か関連性ありそうくらいの与太話なので真面目に読まないでください。

 

togetter.com

 

ニュー・シネマ―パラダイスとトイ・ストーリー3

「好きな映画は?」と言われるとベタだろうけど「ニュー・シネマ・パラダイス」は挙げたいくらいにはニュー・シネマ・パラダイスが大好きで、他に挙げるのが「ビッグ・フィッシュ」と「LEGO(R)ムービー」なので、そういう映画大好き枠です。個人的にここまで美しいエンドはないよというくらいラストのシーンが大好き過ぎて、あの音楽と相まってもう「おとうちゃーん!」となるわけで。


野暮を承知で「ニュー・シネマ・パラダイス」のラストの話をすると、父親のように慕っていた男性が亡くなったので久しぶりに故郷に帰ってきた男に、男性の家族から一本のフィルムが渡される。それは「大人になったら見せてやるよ」というものだったんだけど、それが台詞でほとんど説明されないで「少年の成長を見守っていたひとりの男」の生き様が濃縮されてるみたいなものでそういうのに弱い私は死んでしまう情けない生き物なわけで。


でも「ニュー・シネマ・パラダイス」の魅力ってそこだけじゃなくて、少年が大人になって久しぶりに地元に帰ってきたときのエモさが本当にすっごいのよ。子供時代の「天国」だった映画館の寂れっぷりと「あれ、ここってこんなに色がなかったかな?」という感覚が本当にすっごい。武田鉄矢の「少年期」を聞いて泣く人は間違いなく泣けると思う。色鮮やかな少年時代と、様々なものが見えたけどその分現在の景色にはあの頃にはなかった色彩も見えてしまう、みたいな。心のどこかで大切な何かにもう二度と触れられないとわかった瞬間の寂しさ。それを大人はみんな持っている。本当にそんな映画。さっきから「本当に」しか言ってねえな。


そんな「子供時代の喪失」と言えば言わずと知れた「トイ・ストーリー3」なんだけどさ。1から見てると3のエモさ大爆発でスタッフがドヤ顔してるのが見えるくらい本当に見事に落としやがった。個人的にロッツオの闇堕ちシーンがめちゃくちゃ好きなんだけど、それは個人的な好みなので置いておいて。「トイ・ストーリー3」と言えば「子供時代に遊んだおもちゃ、大人になってからどうする?」というシンプルなテーマ。途中にギャグありロッツオありで楽しいのだけど、シンプルなテーマなので帰結も本当にシンプル。そのシンプルさがグッとくる。


ここも早い話、大学に進学することになったので思い出のいっぱい詰まったおもちゃを近所の小さい子にあげるというだけのことなんだけど、多分このシーンはどの時代でもどこの国でも共感を得られるという点でかなり強いと思う。あと100年はしっかり持つと思う。「ニュー・シネマ・パラダイス」の感動もまだまだ現役だし。ちなみにピクサーはその後このテーマを「インサイド・ヘッド」で変態的にこねくり回してるのでそっちも好き。


郷愁という喪失体験

さて、「人生は生まれや環境がすべて」の話になるんだけど、別にこれはTwitterに限った話でもなくて人類的に昔から大人気のテーマだと思うんだよね。


例えば国語の教科書で読んだ人も多いと思われる魯迅の「故郷」なんてまんまその話だったりするじゃん。まあまあいいところの坊ちゃんが久しぶりに幼なじみに会ってみたら貧困と苦労が可愛らしかった少年を卑屈な中年男性にしてしまったとか、近所の超可愛かったはずのお姉さんが意地悪ババアになってたりと、子供時代を懐かしめば懐かしむほどそのギャップが苦しくなる。


現代日本で例えると大学進学して久しぶりに地元に帰ってきたら幼なじみがパチンコとソシャゲとデリヘルの話しかしない男になっていて、可愛かったはずの初恋のあの子がプリン茶髪で子供3人くらいとマックの袋抱えてるみたいな話じゃないだろうか。中学受験を控えている小学生の息子と初恋の子の子供を遊ばせて、「また会おうね」と約束されても、それは希望と言えるのだろうか。


つまり、別にTwitterだからとか年齢層がとかではなく、こういう話って古今東西大人気だと思うのが個人的な見解。この手のテーマはいつでもどこでも誰でも、ある程度の共通体験として刺さるってだけで、そこに世代とか場所とかそんなにいんじゃないかなあ。


誰だって幼かった頃があるわけで、その幼い頃の記憶っていうのが心のどこかに残っている。最近「おばあちゃんちのグッズ」みたいなツイートが流行っていたけど、それはそれでひとつの「郷愁」というジャンルなんだと思う。昭和レトロとかいうけど、今更本気で昭和の家に住みたいという人もそんなにいないだろう。


最近あった個人的な郷愁をひとつ書くと、小さい時に日中親戚の家に預けられていたことがあった。そこの家のばあちゃんには本当の孫のように可愛がってもらって、よく夕飯までご馳走になっていた。それでこの前、甘口のカレーを作って食べたらすごく懐かしい味がして、両親にも食べてもらったら「これはあのばあちゃんの味だね」と言う。うちの母も同じようなカレーを作っていたけど、ルーの種類や隠し味の関係なんかでばあちゃんの味とは少し違っていた。そのことがわかった瞬間、ばあちゃん家で食べたカレーの他に筋子が入った入れ物があって、ばあちゃんは筋子が好きだったなとかたまにラーメンの出前頼んでたなとか、ばあちゃんの手が暖かくて好きだったなとか、そんなことをいろいろ思い出した。もうばあちゃんもばあちゃん家もないけど、確実に幼少期の一場面としてばあちゃん家がある。今でもいろいろあって、あのばあちゃんは「すごい人だったな」と思う。今でもたまに「ばあちゃんならどうしてたかな」と思う。多分実の祖母じゃないから余計思い出が深いのかもしれない。


幼少期の記憶って、無駄にざらざらしているくせに鮮明で匂いや味でぐっと昔に戻れる。どっかに書いたような気がするけど、父に内緒で連れていかれた暗い喫茶店で食べたクリームソーダとか、大人なら歩いてすぐのところにある神社まで冒険のように出かけていたとか、そういうことがぶわっと頭の中を駆け巡るけど、同じ体験はもう二度とできない。大人になるということはそういった喪失体験が必須であるというのも「インサイド・ヘッド」のテーマであったと思う。失くしたものを懐かしむ、それは大人の特権でもある。


「人生は生まれや環境がすべて」というのは、言い換えると「生まれや環境という過去は変えられない」になると思う。そう考えるとTwitter小説は「喪失体験」というより「あったかもしれない体験」の話だと思う。無くなってもいないものをあったかのように語ったり、本当に大事なものを見逃したりしているような人を滑稽に描いているというか、そんな感じがする。人間賛歌とは別のベクトルの、なんか悪趣味な奴。嫌いじゃないけど、個人的に趣味ではないかな。


なんていうか、配られたカードで勝負するしかないというのも寂しいんだけど他人のカードを羨んで悪口を言ったり盗んだりというのも悲しい。とりあえず自分の人生を生きるしか選択肢は無い。エンタメ作品だと異世界転生とかあるけどね。おわり。