あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

ドラえもん映画についての雑感(イチャモン)

まだ今年のドラえもん、見に行けてません。評判を聞く限りスーパーな地雷がなさそうなので映画館に行けそうなのですが、例によって映画館に行くのが難しいので見に行けていません。


そしてただ今思っていることを書こうかなと思います。これは映画を見てから感想(いちゃもん)と一緒に書こうと思っていたのですが、思っていることを思っている時に書いた方がいいと思ったので書いておきます。


ドラえもんは誰のもの

ドラえもんは子供の漫画、ギャグ漫画、子供の友達なんですよ。「ともだちともだち、時々喧嘩をしてプンプン顔中怒ったりもするけれど一人は何だか寂しいね、だからともだちともだち全員呼んでこよう、明日も遊ぼう青い空」なんですよ。


だからドラえもん本編も子供の視点で書かれている。のび太の浅はかさもジャイアンの凶暴性もスネ夫のずる賢さも、子供の世界のもの。そしてママの憤怒にパパの怠惰、周囲の大人の理不尽さ全ても子供のもの。大人は理不尽で恐ろしい存在。だけどたまに大人の視点に立った話があったり尊敬できる存在*1が出てきたりで「大人も悪いもんじゃない」とバランスを取っている。


しかし、現代社会でそういう理不尽はギャグにならなくなってきた。ママがガミガミ叱るのは逆効果。漫画を捨てるのは虐待。「廊下に立っとれ!」は体罰。仕事仕事で家族を顧みないパパは良き父にあらず。そもそもドラえもんの世界は野良犬がのび太に噛みつき、滑って落ちる汚いドブがあり、子供に店番をさせる児童労働がまかり通るよく言えば非常におおらかな世界だ。ネタであろうが「のび太ADHDの可能性が高く、療育に通わせないママは子育てを間違っている」「しずかちゃんのお風呂は性犯罪を助長している」というような言説が本気にされかねない昨今だ。


ただ、個人的に「それを抜きにしてしまったら封印されかねない作品がたくさん存在するぞ」と思っている。しずかちゃんのお風呂回は別にして「ゴルゴンの首」「無生物催眠メガフォン」はそれぞれ廊下に立たされる、漫画を捨てられるというピンチが起点になっている話なので、特にゴルゴンの首で「廊下に立たされる」を回避するのはかなり難しいのでは……と思う。これを「朝礼で立たされるのは嫌」となっては衆人環視でゴルゴンの首は難しいし、それに学校で使用したから裏山に落ちて後半のスリラー展開が楽しいのである。「無生物催眠メガフォン」の「君たちは風船だ」のシュールさが失われるのも悲しい。


きれいなジャイアン

翻って現代のドラえもん。映画館で「帰ってきたドラえもん」を見てしまい「ドラ泣き」が浸透している世代が親になり、そういう層に向けて「ドラえもんでも感動路線を全面に出しましょう!」となっている。例えば「天の川鉄道」のテレビ版の改変で車掌がゴン助になり無理矢理感動路線に変更されていた。元は「銀河の果てに置き去りにされる恐怖」というところが「役目を終えた鉄道車両への感謝」になってしまい、原作ではなく原案レベルの別物になっていた。ついでに言うとゴン助が出てきたのも特にゴン助である理由がなくてなんだかなあとなった。

 

 


これは個人的な思い込みなんだろうけど、「銀河鉄道」というモチーフには偉大なる先達があるためなのか常に「死」「果ての無いものへの恐怖」というものがつきまとっている気がする。「銀河鉄道999」も元気な冒険物語というよりダークなものが多いし、キョロちゃんに出てきた銀河鉄道回もなかなか怖いものだった。ドラえもんの「天の川鉄道」も原作はそういうダークさが振りまかれていたのだけど、そのダークさがすっかり漂泊されてダウニーもりもりで洗濯されたものが出てきたような気分だったのね、例の回は。それを単体で見るなら面白いと思うんだけど、原作があるものをあそこまでメッセージ性を改変してまでやるっていうのは違うと思うんだよな。


これが顕著なのは「ゴールデンヘラクレス」でおなじみの「奇跡の島」であり、原作となった「モアよドードーよ永遠に」のテーマをなかったことにして裏テーマとして「タイムルーム」を持ってきて、エッセンスに「おとりケース」要素を盛り込んだ上に謎の部族をゲストに迎えて意味も無く「家族って素晴らしい」と語らせる。要はさ、「モアよドードーよ永遠に」をじっくりやりたかったわけじゃないんだよね。ただ要素を要素として絡めていっただけでタイムパラドクスものとしても初っ端で種明かしをしているため破綻しているしもう映画として成立しているのかも怪しい。でも「泣けそうだからいいでしょ」と突破されている気がする。「封神演義」に続いて「モアよドードーよ永遠に」もアニメ化されていないのだ。

 

 


集客が望めるドラえもん

そんな話は毎度毎度しているのでいいとして、「ドラえもんは誰のもの」という話である。ドラえもんは子供のもの? ノンノン、昨今の風潮を見て見ろよ。父の日特集で「アドベン茶」をやって庭でBBQをするオチに変更したその後で「パパ、いつもありがとう」と各人の父親を出す演出。誰向け? 誰向けの演出なの? アドベン茶はさ、パパを馬鹿にする系の話だぜ? いいパパ回だけどさ、それで「パパいつもお疲れ様」とはならんよ。他にパパが被害を被る系として「たましいステッキ」「断ち物願掛け神社」「強いイシ」がある。だいたいタバコ系だな……これも時代で出来ない話だ。


ドラえもんは子供のもの、というよりそれを見せる親のものなんだろうなと思う。かつてママをバカにしていた話は炎上し、演出によりきれいなジャイアンだけが残り、勝手な話を付け足されて野比一家は令和の世の中を生きていく。


そんでここからは自分で見たことだけ書いていくんだけどさ。


今年のドラえもん映画、とにかく来年の予告が気になって公開直後にTwitterドラえもん映画について検索したのよ。そしたら「ドラえもん早速見てきた、泣いたよ、ハンカチ一杯持って行って」という多数の声が。以下公開直後の「ドラえもん映画」で検索したTLの再現です。


ドラえもんマジ泣けた」
ドラえもんで泣くとは思わなかった」
「推しの声が最高」
「推しの声聞いただけで泣けてくる」
「推しが最高」
「推しを見に行った」
「推しマジで尊い
「推しがあそこでああなるは」
「推し本当に神」
「推しの声聞きたいけど女一人でドラえもん映画とか恥ずかしい」
ドラえもんマジ泣けた」
「舞台挨拶チケット譲ります」
「推しのグッズ即完売悲しい」
「推しのぬい交換します」
ドラえもん映画見た後でランチ~(飯画像)」
ドラえもんマジ泣けた」
「推しあーマジ推し尊い
「主題歌マジ泣ける」
「主題歌がいいよね」
「推し推し推し生まれてきてありがとう」
「推しのためにあと3回は見る!」


問:以上のTLを見たこのブログ書いてる人の心境を表した①に入る台詞を答えなさい。

「(①)」
「きゃあ自分ごろし!」

 

 


この件について、きっともう何かを期待するのがダメなんだろうと思っている。タイアップ、集客、大事なこと。だけど、なんかもっと大事なことがある気がするんだ。なんだろう、自分がずっと好きだったコンテンツが注目されるのは嬉しいけどさ、その注目のされ方がアイドル消費的っていうのはなんだろうな、と思う。ある意味ドラえもんはアップデートされているというのは正しいと思う。


ドラえもんに限らずこれが現代の集客、現代のキャラクター消費でありそこにあるメッセージなんて割とどうでもいいのだろう、そういうメッセージなんてタルいのはオタクの仕事であるんだろうなと思う。


結論

これは何回か書いてる気がするんだけど、「こち亀」の人情話は確かに素晴らしい。でもこち亀は際どいギャグ回が面白い中に人情回があるから面白いし泣けるのであって、「泣けるこち亀」と全面に出されたりギャグ回を改変して両津がやたらと善人になって感動路線にされたらこち亀ファンは嫌だと思うんだよね。でもドラえもんではそうなっちまったんだよなあ。なんでだろうな。なんでだろう。おしまい。

*1:ジャイアンの叔父さんやテレビに出てきた苦労人のボクサーなど