モヤっとしている、というより論点がごちゃごちゃしているので自分なりに整理しておく。
道徳の授業で「お母さんの家事にもお金を払うべき」という子供の意見が「母の愛は無償」という教えにかき消された瞬間 #クロ現 - Togetter
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家事は無償有償の問題よりも「無償が素晴らしいに決まってる!」みたいな下手な授業方法が問題なのでは。
2018/04/24 12:49
【この話題から導き出せる論点】
- 家事労働に報酬を出すべきか
- 母親の愛は本当に無償なのか
- 教員の価値観の押し付けにならないか
- そもそも道徳の教科化がダメなのではないか
- だから多様性のない学校嫌い
5はいいとして、1と2は今回の話に無理に絡めないほうがいいと思う。物語の内容じゃなくて、あくまでも授業の進め方が今回のテーマだと思うから。
【多様性とは何か】
そもそも規律規範を教える道徳の授業で多様性を考慮するのはかなり難しいことだと思う。「生き物を殺してはいけません」「人の物を盗んではいけません」「困っている人には優しくしよう」などという命題に多様性はない。そういうルールであることを教えるのが道徳の授業の本来あるべき姿だと思っている。じゃあ多様性は教えられないのかとなると、そもそも多様性とは教わるものではないと思う。教える、教わるというのはどうしたってブコメ欄に現れる人たちの嫌いな「価値観の押しつけ」になってしまう。
実際、多様性をどこまで容認するかというのが学校現場で頭を抱えるところのひとつだと思う。判断力のない子供に対して「あっちはよくてこっちはダメ」を理解させることが難しく、「最初は全部ダメ」としてしまうのはある意味避けられないところなんだと思う。だから道徳教育は「最低限の倫理観を身に着ける」を目標にして、豊かな心をはぐくむのはまた別の機会の方がいいと思う。
【道徳教育に対する不安】
一連のコメントなどを見ていて思った新たな不安は「せいきゅう書の話をそもそも理解できない子供はどうするんだろう」ということ。最近騒がれている「読解力のない子供問題」と絡めて、考えを深める以前に考えそのものにアプローチできない層にはどう指導すればいいのだろうと思ってしまった。
せいきゅう書の話も、そもそも「せいきゅう書」がなんだかわからなかったりお母さんが「0円」と書いたことから「無償の愛」という概念を導き出せなかったりする子もクラスに一人か二人はいるだろうと考える。そういう子は隣の子が書いている文章を真似したり「誰々さんと同じ意見です」と言ったりしてなんとか授業をやり過ごしている。見た目には理解できているように見えて本人は全然理解できていない。「どうして他人に親切にするんですか」と尋ねると「そう授業で習ったから」と言いかねない。
読解力の他に、他人の心情を想像できない発達障害の子にもこういったタイプの授業は難しいと考える。いっそ昔の修身の教科書みたいに「嘘をついてはいけません」「障害者には優しくしましょう」みたいなワントピックの事例集みたいなのでいいんじゃないかと思う。道徳の概念の前に読解力で躓く子がいるのはかなり問題じゃないだろうか。今日はこんなところでおしまい。