あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

面白さについての雑感

面白くないという増田を見たので書きなぐっていく。この記事を見た他のブログ書いてる人などもちょっと考えてもらいたいテーマかなと思う。

 

anond.hatelabo.jp

 

要は「私には漫画の才能がない、後から読み返しても面白くない」というところだと思う。相方のが上手とかそういうの割と関係なくてそれを読んで「いやいやそれは違うやろー」とか思ってしまった。


多分これから書くことを読んだら増田は心がガチで折れると思う。だけど「反応がないのが1番キツイ」というのでガチで書いていきます。真面目に心が折られたくなかったら読まない方がいいです、マジで。


まず自分のことから少し話をしていく。今はちょっとおやすみしてるけどまあまあ創作は好きで文章をちょっと書いている。ちょっと書いてその辺にワーっと出して、後で読み返して「フフッ」ってやって、結構それで満足。そういうわけで増田にとっては話に出てくる相方さんにかなり近いスタンスを持っています。


で、これは実体験なんだけどカクヨムの最初のコンテストに応募するのにたくさん書いたのよ。書いたけど、反応はほとんどないどころか全然読まれなかったのよ。そりゃ自分の書いた作品だもん誰かに読んでもらいたいよね。でも読まれないの。面白いともつまらんとも言ってもらえないの。それって残酷なことだと思うよね。でも我が身として振り返ってみて、他の人の作品を読んで「面白かったです!」って言って回る暇があるのかって言ったら、そんなものはないって思うじゃん。自分がそれを出来なかったらやっぱり読んでもらえないわけよ。しゃーないね。


じゃあ自分の作品が面白くないかって思ったら、全くそんなことは思わない。「あっこの表現ヘッタクソだな」「展開がわざとらしいし恥ずかしい」とか思うことはあるけど、基本的に自分の作品は好きだ。たまに「こりゃあかん」という駄作もあるけど、大体は当時の「こりゃあ面白い」を濃縮して創作したものなので、大体好きに決まっている。学生の時作った俳句を当時は先輩方から「趣がない」「ただの説明」「だからなんだ」と散々酷評されたけど、短歌とか何百首も詠んだ今でも「やっぱりあの俳句は悪いとは思えないんだよな」と思う。そのくらい自分の作品は庇っていきたい。テクニック的な面では修正しないといけないとは思うけど、そこで表現したい情緒だけは絶対譲れない。


というか、なんか自分の中で「創作」って言葉がムズムズする感覚があってあんまり好きじゃない。自分を表現するというか、「こういうの面白くない?なくない?」みたいな表現をするときに「つくる、つくる」っていう字面がなんか仰々しくてアホらしくなる。「創作が趣味なんです」なんて恥ずかしくて死んでも言いたくない。でもやってることは基本的に「創作」だからもうこれは死ぬまで恥ずかしいんだろうなと思ってる。


ちょっと脱線するけど、ブログ界隈で定期的に「面白いブログとは何か」って話題になってるけど、そんなん自分が面白いと思うかどうかじゃないかって思ってる。ただその「面白さ」の加減とか方向性が人によって全然違うのが面白さでもあり、ある意味で罪だと思っている。「掃除をしたら部屋がきれいになりました!」という記事に真剣に「いいですね、よかったですね、参考になります!」って思っている人もいるし、「掃除をしたら部屋がきれいになるのは当たり前、何言ってんの?」と思う人もいる。中には自分のブログに誘導するために無理矢理褒めている人もいる。「自分にはよくわかりませんが、これはためになりますね」とか真剣にコメントしている人もいる。わけもわからずスター連打をしている人もいる(最近また現れたよね、スター連打君)。


話を戻す。とりあえず面白さの基準っていうのはまず自分を基準にしないと話が全く始まらないと思うのです。自分は何が好きか、どういうことをしたいのか、今日は何を食べたいのか、コーヒーに砂糖は何杯入れるのか、などなど自分のことをしっかり見つめないと話にならんと思うのです。


経験上の話だと、こういう「自分のことを決められない人」っていうのは結構いる。ただの世間話で「何色が好きか」と問われても答えられなくて隣の人が「私は青かな」と言うのに「じゃあ私も青」と言ってみたり、お遊びの七夕の短冊に願い事を書けなかったり、カラオケで歌う歌を決められなくて配偶者に選んでもらった歌をひたすら歌っていたりとか、そういう感じの人に「あなたが面白いと思うことは何か」と問うのは酷だと感じる。ちなみに今出した具体例は全部実際に体験したり聞いたりした話です。ちなみに経験則だと七夕の短冊にウケ狙いで「世界征服」など自分事ではないことを書く人も「決められない人」の側にいると思っています。それでもウケ狙いを考えるだけ全然マシですが。


知っている芸術家の話をしようと思う。彼女はある分野のオタクで自分の作品にオタク気質な面をぶつけている。するとそれが界隈では新鮮な面白みらしく、やたらと高評価を受けている。しかし彼女が言うことはいつも同じで「自分が面白いと思ってやっているだけなのに、どうしてみんなこれを評価するんだろうね、もっと上手な人はたくさんいるのに」と。


多分この言葉は増田は漫画の上手な相方から何度も聞かされてきたことだと思う。「自分が面白いと思ってやっているだけ」っていうことこそ、創作というか全ての文化的活動をするものにとっての命だと思うんだよね。じゃあ後から読んでつまらない増田の漫画ってなんだって話。増田では終始相方の漫画のが評判いいとか反応がないとか外の事象ばかりに焦点が当てられていたけど、本当に考えるべきは増田の内面であって、いかに面白くない漫画に向き合うかってことじゃないかと思うんだよね。「長く続けてきたから才能はある」なんて自分を慰めているようじゃ多分面白いのは一生描けないと思うよ。


昔言われた言葉のひとつで大事にしているもののひとつに「お上手、って言ってもらっているうちはダメなの。っんまい! って思って貰わなきゃ。うまい! じゃないよ。っんまい!だよ」って言うのがある。要は言葉で的確に表現できてしまううちは大したものにはならないってことで、言葉にするスピードよりも早く頭の中に稲妻を光らせるかどうかが大事みたいな話で、これは今でも自分の中に生きている言葉である。似たような感じの言葉に「やりたかったらとりあえず1000回やってから考えろ。やりたいって言ってるうちは絶対できないから」っていうのもある。マジかっこいい。


今までは自己の内面に絞った話をしてきたけど、逆に自分が大して面白くないと思っていたことも「それすっげぇ面白いんじゃないですか?」と言われることで面白くなることもある。


このブログ読んでる人はわかると思うけど、この文章書いている人が今ハマっているのは「はてな匿名ダイアリーを読むこと」で、その中でも変な投稿を見つけるのが大好きだ。最初は自分の中で引っかかった投稿を自分だけわかるようにタグ付けして後で読み返して「フフっ」ってなってたんだけど、そのことに気がついた人がいて「そのタグ面白くないですか?」という反応があって、気がついたらそのタグを愛用して「すごく面白い」と思ってる自分がいて、今でもその「面白い」を大事にしています。


増田の話に戻すと、増田が自分の面白さに気がついていない可能性もある。基本的に自分の面白さなんて自分で面倒みろよとは思うけど、他人に指摘されて始めて気が付く面白さっていうのもあると思う。だから自分のことを「面白くない」と断ずる前に「他人は何を面白いと思っているのか」のアンテナを張るのもひとつ自分の面白さを磨くのに良いと思うのです。とりあえずひとつのテーマに絞って作品を集めたりするとヒラメキがあるんじゃないかと思うのです。


ちなみにそこから出来た記事はこんな感じで、面白いと反応を最初に出したのはid:AQMさんです。多分id:AQMさんが気がついてなかったらまとめ記事とか作ってないと思うので感謝です。

 

nogreenplace.hateblo.jp

 

そんなわけで思うところを取り留めなくガーっと書きました。通常運転だけどこのテーマになるといわゆる「お気持ち長文」ってやつになるのかな。多分ここまで読んで増田の心がベッキベキになっているなら多分救いはあると思うし、本当にピンと来なかったらそれは本当に向いてないと思う。このままダラダラ書くと本当にダラダラしちゃうのでこの辺でスパッと終わっておく。おしまい。