あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

現実と創作と再現とどうしようもない現実と

洗濯バサミ問題見た後の女装についての増田を読んで世界の再構築について考えたので誰も得しない話をする。

 

洗濯バサミ問題とは、簡単に言うと洗濯バサミを髪留めにしている女性はいるのかいないのかという話である。女装についての増田は、クオリティの低い女装で街中に出るなという内容だ。両者に共通するのは「現実性に乏しい再現をするな」ということなのだと思う。さてモニャモニャしていく。

 

b.hatena.ne.jp

anond.hatelabo.jp

 

クオリティの低い世界の再構築

先に女装増田のほうからやっつけていくとする。元増田の主張は「ちぐはぐな格好をするな」ということなのだが、もしこれを男性ではなく女性へ向けた言葉にしたら炎上は間違いないだろう。「街中で似合わないゴスロリ着てんじゃねえ」みたいに書いたら、まあアカンわな。「他人が何着てようがてめえに迷惑かけている訳でもないんだしいいじゃねえか」となりそうではあるが、元増田は別に女装をするなと言っているわけではない。「やるならちゃんとやれ」というわけである。女装がしたいのであれば、大抵の女性がしているようにムダ毛を剃ったり小物にまで気を使うような神経が必要であり、ただ女物の服を着ただけでは女装とは言えない。そんなツッコミどころだらけのものを強制的に見せられるのは苦痛である、というわけだ。例えるなら「コマンドーオフ会」として山手線の車両にいる人の多くが茶色の短髪で緑のシャツ筋肉ムキムキマッチョマンの格好をして乗車していたら、他の一般乗客は「何が起こってるんです?」と聞きたくなるというものだ。そういう話であると思う。

 

日常生活において疑問を持つというのは意外とストレスである。「あれは何故こうなったのだ」と考えることは脳のリソースを消費する。「性同一性障害に苦しんでいる昔からの友人」と話すことは昔からの仲であり、そこに疑問を挟む余地はないので問題ないが「いきなり告白してきた異動してきたばかりの会社の同性の同僚」に対して「あー自分の友達も性同一性障害だから理解あるんスよねーおっけおっけ」とはならない。意識の高いはてなーには信じ難いだろうが、多くの人にとって既知のものではなく未知のものと遭遇し、それについて知ろうとすることはあまり歓迎されることではない。ちなみに異性の同僚であっても互いをよく知らないうちに告白するのはちょっとどうかと思う。やはり信頼を得るためのコミュニケーションがいろんなところで大事になる。

 

女装増田の話に戻ると、元増田から見て女装しているオッサンの情報が外見だけであり、とても少ない。オッサンはもしかしたら火事で家を焼かれたあとで、着る服もままならなくて仕方なく女物の服を着ているのかもしれないし、罰ゲームで誰かが見張っているので仕方なく着ているのかもしれないし、多重人格でオッサンの外見だけど内面は女性なのかもしれないし、急に妖魔が現れた時オッサンプリズムパワーメイクアップして美少女戦士として戦ってくれるのかもしれないし、とにかくオッサンの事情が何一つわからない。ただこれらの情報があるだけで「あのオッサンはそういうわけで女物着てるんだな」と納得出来るかもしれない。違和感は情報量の少なさにも起因する。

 

ただ、個人的に「くたびれたビジネスカバンからQ-potの板チョコミラー*1」はちょっときついな、と思った。「地元最高!」の最初の方で「自分をお姫様だと思ってる女の子」が出てくるけど、たぶんそれに近いものだと思う。ここで「Q-potの板チョコミラー」について考えようかなと調べてみたらQ-potの板チョコミラーという商品自体が検索にひっかからなくて、もしかしたら100均あたりのチョコレートっぽい鏡をチョコレート柄としてQ-potと見間違えたのではないかと思ってしまった。それなら納得は……いかないか。この辺は話の本質に合わないから省略。例えるなら「腕時計だけゴージャスなのに中学のときの名入ジャージ着て外出してる」みたいな感じだろうか。

 

早い話、「現実世界に寄せる気のない模倣をどうするべきか」というところだと思う。ここで大きな問題があって、オッサンの見ている世界が元増田や我々と大きく違うかもしれないということである。オッサンからすればチョコレートのミラー持ってるだけでテンションあがってるのかもしれないし、初心者なりに一生懸命コーデしているのかもしれない。それを「現実に寄せる気がないから消え失せろ」というのはあまりにもオッサンが可哀想である。オッサンだって好きな服着たっていいじゃない。

 

クオリティの低い世界のインプット

ここで話題は「クオリティの低い世界の再構築は消え失せるべきである」という話になり、洗濯バサミの話になる。個人的には女装オッサンと同じく「いいじゃねえか別にてめえらに迷惑かけてないんだからほっといてやれよ」くらいにしか思わないのだけど、「洗濯バサミで髪をまとめる女性などいない!」というのはそれはそれで世界のインプットが足りない気はする。

 

もうこれに関しては「洗濯バサミっぽいヘアクリップを着用している」「ブラのホックを外したタイミングで冷蔵庫の中身が気になって開けてしまった」くらいしか言いようがない。それでも何故「こんな女性は現実に存在しない!」と言い切れるのか。

 

実はこれは女装増田と話が地続きで、世界の再構築を見た側が「こんなのは現実と違う!」と言い切ることこそが実はナンセンスなのではないかという話である。洗濯バサミで髪を留める女性もいるかもしれないし、変なテロテロした服で出かけている女性もいるかもしれない。テロテロした服で出かけている女性という現実を模倣したテロテロしたオッサンを見て「現実はそんなんじゃない」と言われても、じゃあ現実ってなんなのよとなるわけで。

 

そういえばもうすぐハロウィンの時期なので「地味ハロウィン」の話もする。地味ハロウィン、最初は面白い人が面白いことやってるなと思ったんだけど回を重ねるたびに「面白くない人が面白いことをやってる感」が強くなったなと思う。多分これも今やってる世界の再構築の話と一緒で、「現実の世界にどれだけ寄せて模倣するか」というところなんだと思う。個人的に「特殊なシチュエーションでそうとしか見えない格好」だから面白いのであって、ただの私服着た人がニヤニヤして「〇〇っぽい人」というのは現実の切り取り方が恣意的でその人の内面をバカにしているなあという印象が強くて好きでは無い。例えば「警備員」とか「書店店員」みたいなお仕事系とか「ゲリラ豪雨にあった人(ずぶ濡れ)」「遅刻寸前のOL(すっぴんで上着だけ羽織って中パジャマ)」みたいな見た目で面白いのが地味ハロウィンの醍醐味だと思う。仮装なんだから見た目でガッツガツいこうよ。

 

我々が思っているより現実というのはかなり幅が広い。壊滅的なファッションセンスの人もいるし、衛生観念がない人もいる。またいろんな感覚がぶっ壊れているとしか言いようがない人はその辺にたくさんいる。「子供を狙うなんておかしい人間のすることだ!」というより「子供を狙う感性の個体がランダムで出現する」という感覚が近い。もうマジで人間は個体差、多様性、抑圧からのフリーダム万歳であり、本当に何でもアリなんだと思う。

 

つまり多様性をどんちゃかするなら、女装オッサンだって洗濯バサミだって「そういうこともあるよね~」と受け入れる度量が必要なのかもしれない。その上で「テロテロおっさんマジでテロテロだわ」と思ったり「実際に洗濯バサミで髪の毛はまとめられないのでは」と思うことは自由である。ただし、それを武器に「世界の再構築をやめろ」と言うなら、それは自身の見ている世界を疑う第一歩なのではないかとも思う。同時にオッサンはコーデの上達に務め、洗濯バサミはもっとリアルな表現の追求をしないと行けないと思う。まあ他人が再構築した世界に自分の居場所があると思う方がどうかしている、自分の居場所が欲しかったら自分で世界を再構築してみせろよくらいは思ってる。創作の腕がない?そんなん知らねえよ誰にも迷惑かけてないんだから好きな世界を作ってみせろよ。自分の好きな世界で好きなことをする、最高じゃん。おわり。

 

 

*1:スイーツのアクセサリーなんかのブランド。チョコレート柄の10万円くらいするランドセルが印象的だっった。