あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

1月29日の話

〇雪が降ったね。寒いね。まだ解けないね。寒いね。

 

〇映画ブログをガンガン更新していくのでガンガン書いているところです。半年もほっぽらかしてしまったのでしばらく連続更新が続くと思います。あと映画ブログのほうもB!ボタンとスターを再開させてみました。様子を見て「うわぁ」となるようだったら個別のブコメ非表示とか再度の撤廃も検討しようと思います。「怖そうな映画ですね……私は怖いの苦手なので見ることはできませーん汗」みたいなコメントはガンガン消していく所存でございます。

 

〇最近気が向いたときに増田のベタ読みしかやってない。ヘンなタグを増やしているけどなんかすごく楽しいので寂しい人生を送っている気がする。

 

〇気になった増田と言えば、偉そうなはてブid一覧を作っていたら日が暮れる件 で適当にそれっぽいブコメつけたらその気もないのに人気になったの真顔で見ている。そもそもブクマもブコメも何か「言及する」という行為で、ヘンに遠慮をしていたら何も言及なんかできない。ある程度の図々しさがないとネットで生きていくことはできない。あとヘンな丁寧語ブコメと謙虚を勘違いしているのあるけど、丁寧語だろうが罵倒だろうが「何かしら言及した」時点で謙虚ではない。つまり能動的に行動しなければならないネットでは受け身の体勢以外、謙虚であるということは当てはまらないわけで……。

 

〇ちょうど話題のこの記事について少し。

小学校から配られたプリント『入学前にお子様に身に付けさせてほしいこと』の難易度が高かった「大人でもコンプリートは無理」 - Togetter

 いや、「返事やあいさつをする」とか「身の回りの整理整頓をする」とかそれ人間として基本的なことじゃん……そもそも挨拶など基本的なことの何をもってコンプリートとするのかわからない。野球部の絶叫みたいなあいさつと軽く会釈するのどっちが偉いみたいな話なの? うーむ。

 

 このまとめから察するに、根本的にツイ主がこのプリントが配られる理由を勘違いしているような気がする。育児や教育は「できるようになったらおしまい」ではない。正しい行いが出来る日もあれば出来ない日もある。それを少しずつ繰り返していって習慣化するのが躾けというものだ。そもそも「学校の準備を最初から全部小一に任せる」って発想がなんかもう……「最初はおうちの方も手伝って、最終的に一人で出来るようにさせましょう」とプリントでは明文化しておいたほうがいいのではないだろうか。

 

 多分多くの人が勘違いしていると思うんだけど、「多様性」っていうのは「ワガママ」という意味じゃあない。自分と他人の違いを認めて、お互い気持ちよく生きていくための考え方だと思う。このプリントに書いてあることが出来ないことが「多様性」であるならば、悪口を言って人を不快にさせたり整理整頓を怠って他人の物を失くしたり、人の話をろくに聞かないで何か失敗をしたりというのも「多様性」になってしまう。実際それらを苦手をする人もいるだろうが、肉体レベルでできないのか単に躾をしてなくてできないのかは大きな違いだと思う。前者であれば考慮の必要があるけれど、まずは後者であることを考えたほうがいい。「うちの子は言っても聞かないんですよ」というのは簡単。あとはどう言い聞かせるか。個人的に「言っても聞かない」という家庭では基本的な信頼関係が崩壊しているので、もう躾以前のところなのかもしれない。「多様性」と言えば聞こえはいいけど、なんか責任転嫁してない? とは思う。もちろんみんながみんなダメなわけではなく、支援が必要な人が適切な支援を受けられるといいなぁとは思う。だからこそ、ちゃんと躾してないだけを「多様性」という言葉で誤魔化してもらいたくないなあと思うのです。

 

 あとこのプリントの反応で「誰とでも仲良くできるわけではない」というところに反発があるみたいだけど、原則誰とでも仲良くするのはとても大事なことだと思う。ただ無理に合わない人とは無理に仲良くなる必要はないし、その辺は誰だって承知しているだろう。たまにこの辺がお花畑になってる教員いるけど、それはそいつの問題。ここで「誰とでも仲良く」と書かれている意図は、要は「気に入らない奴がいるからといっていじめをしてはいけない」ということなんだろうと思う。

 

 それに不安なのは「このプリントの項目を守らせるなんて大人でも無理」とか反応があるけど、「靴をそろえる」とか「身だしなみをきちんとする」とか「悪口を言わない」も難しいのであればそれは何かを考えたほうが良い気がする。特に「自分のものと他人のものを区別する」は徹底しないとダメだろう……「できませーん」とか言ってる場合じゃない。単なる手癖の悪い奴じゃないか。今は発達障害とかそういうのもあるっていうけど、特性に甘えて開き直って他人に迷惑をかける前提になるっていうのはやっぱり行儀が悪いと思うよ、うん。

 

〇ウーロン茶飲みたいな。ホットで。

 

学校図書館増田にモヤっている人へ

 思った以上に燃えてしまった増田に「けしからん!」な反応がたくさんあるのでちょっと書く。要旨は「この増田の書き方が非常に悪いために余計なヘイトを生んでいる」というところなのでこの増田を読んで悲しくて悲しくて辛くなってしまった人は読まないほうがいいと思います。多分もっと悲しくなるから。あと思った以上に長くなったのでお時間と心の余裕のあるときにお願いします。

 

anond.hatelabo.jp

 

増田が燃えた原因

 まずなぜこの増田が燃えてしまったのかというと、増田の書き方が非常に悪いために誤解を生んでしまったというのが8割くらいだと思うのです。多分この増田は思ったことをつらつら書いてしまってそのまま投げてしまったのでこんな反応になってしまっているんだと思います。

 

 まず誤解とは何なのかというと、おそらくこの増田を読んで多くの人は「増田をはじめ学校図書館を運営している奴は子供に読ませる本をコントロールしている!思想弾圧だ!許せん!」と読み取ったことと思います。多分このルールは全て増田由来だと思った人もいるんじゃないでしょうか。それにはてなの世界では教育系の話をすると高確率で学校に対する恨み言を述べる場になる傾向があります。最近ではTSUTAYA図書館や図書館カフェなど、図書館に関する話題もネットでは炎上しやすい傾向にあります。何故でしょうね。

 

 まず序文として学校司書と司書教諭の違いについて説明しています。ここは説明なので「まぁそうだよな」というところです。ただ、この説明パートの最後に気になる文があります。

 

ツイート元の方の言う学校の司書がどれに該当するかによって話が少し変わってきそうです

 

 これだけ読むと「ははぁ、立場によって決められる決まりとかそういうのがあるのかな」と読者は身構えます。しかし、その後に続く話はローカルルールの提示で、最後まで学校司書と司書教諭の違いが話に出ることはありません。説明した意味がないし、これ以下のことを訴えたいなら正直違いとかどうでもいいと思う。

 

発端のツイートのように、「この本は借りてはいけない」

または「この本は購入しない」「この本は戸棚の中や倉庫に隠す」というのはウチの学校や他の学校でもあります

フェイクのためどれが自校でどれが他校の話かは伏せさせてもらいます

また、それらのルールについては司書の意思の他に「司書教諭の命で仕方なく実行している」「学校の方針」「前々々々任の司書が決めたルールで、変える機会がなくずっと続いている」などさまざまなケースがあります

 

 その後非難轟々のローカルルールの例示になるのですが、この文が読みにくいために「例示は増田の学校ですべて行われていること」と誤読した人も結構多い気がします。ただよく読んでみると、増田がこの文で言いたいことはこんなところだと思います。

 

訂正例

発端のまとめ記事のように、実際に学校図書館では「本を貸さない、購入しない」「なるべく隠す」ということはあります。その決まりは学校に寄って違っていて、司書教諭が独断で決めるものもあれば学校の方針、更には昔決めたことを意味もなくただ続けているだけというものもあり、内容は「個人的にはちょっと……」と思うくらいのものもあれば「理不尽だな」と思うものもあります。以下、いろんな学校の人から聞いたことのあるルールを思いつく限り書いてみます。

 

 あくまでも「増田の知っているヘンなローカルルールの例示」であって、ここに紹介するものは増田もヘンだと思っているという一文が欲しかったですね。増田が例のtogetterを「おかしい」と思うなら、以下のルールも同様にヘンだと思っていないとつじつまが合わないので。それにこれらのヘンなルールが一校に集中しているわけではなく、様々な学校でひとつずつあったりなかったりというような感じであることも元の文章で強調できているとよかったかもしれません。

 

 あとブコメでも指摘されていましたが、「フェイク」の使い方がヘンですね。「フェイク」とは「特定されないようにニセの情報を入れること」ですので、自校他校をぼかすだけではフェイクとは到底呼べません。それともその後の例示に何かニセの情報が紛れているのでしょうか。それなら不幸な子供は少なくなるのかな。

 

・図鑑、百科事典は貸し出し禁止。これらの本は授業で使う機会が定期的にあり、いざという時図書館にないと困るから。また、飛び出す絵本など貸し出ししたら即ボロボロに破壊されそうな本も貸し出し禁止。禁帯出マークの赤いシールを貼って見分けられるようにしている。

 

 これは妥当ですね。どこの図書館でもそうだと思います。

 

・本は3冊借りることができるが、かいけつゾロリのみ例外で1冊までしか借りられない。子どもたちには「ゾロリはとても人気だから、1人が1冊までなのよ」と説明しているが本当は「字が大きくて漫画じみて幼稚な内容のゾロリはあまり借りて欲しくないから」。ゾロリを一斉に廃棄処分にして0冊にした学校も

・強制ではないが、高学年はあまりゾロリは借りないようにすること。6年生にもなってゾロリばかり読んでいるなんて恥ずかしいから。低学年向けの絵本や○○のひみつシリーズもなるべく借りてほしくない

 

 これ、けしからんと怒るのは簡単だけど何でこんなルールが出来たのか背景を考えると結構辛いものがあります。このあと増田が例示するように「低学年向けの本を高学年が先にごっそり借りてしまう」のは確かに問題だし、「ゾロリでも本の窓口になればいいのに!」というのもわからないわけではないのですが、多分ここで想定している「ゾロリをごっそり借りる子」のイメージの乖離が双方にあると思います。この辺は長くなるので余談で話します。

 

 ただ、「6年生にもなってゾロリばかり読んでいるなんて恥ずかしいから。」は明らかにヘイトを煽る書き方で非常に適切ではない。もっとマイルドな別の表現があっただろうに。ここにガソリン注いでいると思われてもおかしくないだろうし、この一言でこれだけ炎上している気がしないでもない。ただこの増田からすると「私は恥ずかしいと思ったから恥ずかしいと書いた。それで傷ついた人がいたとしてもそれはその人の責任だし私もそう言われて傷ついた」とか言いそうだなぁとか何かを思い出すなど。

 

あさのあつこのNo.6は教科書に紹介されているのだが、だんだんBL描写が激しくなっていくので購入するのは1巻のみ。公共図書館から取り寄せたいという時だけ対応する(自校の図書館にない本を公共図書館にリクエストして配達してもらうというシステムがある)

 

 ちょっと笑った。確かに『No.6』はそういうケのある作品だと思うし、この文章書いてる人もディストピア読みたいって思って『No.6』読み始めたら何だかそういう感じになっていって「ちゃうねん俺が読みたいのとちゃうねん」って思ったからこの辺は個人の感覚が強いと思う。ただ「読みたい」と言って取り寄せてもらえるのであれば別に構わないと思うんだけどなぁ。 

 

公共図書館から取り寄せてほしいとリクエストがあった本でも、漫画のノベライズ版、オカルト本などこれはちょっと……というものは「こういうのは駄目よ」「近場の公共図書館になくて……(嘘)」などと言って諦めてもらう

 

 嘘はよくないけれど、漫画のノベライズは学校図書館としては結構微妙なところだと思う。この辺は図書館ラノベ論争でよくある話なんだけど、個人的には「娯楽」は自分で買って楽しむものだと思うので学校図書館で無理に取り扱わなくてもいいと思う。それに何でもかんでも取り扱い始めると続刊が続々出てキリがないっていうのもラノベを取り扱わない理由にあった気がする。そういった事情含めて厳選したシリーズだけ購入しているなんてところは結構多い気がするけど。

 

・保健体育系の本は、性器などの写真がモロに載っていてそれを見て騒ぐ子がいるので普段は戸棚の中に隠していて、勉強で必要になった時だけ出す。何回注意してもやめない、もし一人が注意を受け入れて騒ぐのをやめても別の子が騒いでまたその子を何回も注意して……と大変疲れるので隠した方が早いし楽

 

 これは致し方ない部分だと思う。「子供の学習の機会が~」という人にはちんこちんこまんこまんこ騒ぐ小学生の群れを誰でも一発で黙らせる秘策があれば是非教えてほしい。あとこういう話が苦手な子に「ホレ」と見せつけて嫌がらせする奴とか絶対いると思うので大人の監視下で閲覧可というのは話としてわかる。

 

・「表紙がキラキラしててかっこいい!」「表紙にドラゴンが載っててかっけー!」などの理由で、漢字どころかカタカナもまともに読めないような小さい子が、挿絵もルビもない重厚なファンタジー小説を借りようとすることがあるが「借りても全然読めないでしょ」と説得して貸し出しをやめさせる

 

 これは完全に増田の書き方が悪い。「貸出をやめさせる」じゃなくて「違う本へ誘導する」でしょう。このルールに対して怒ってる意見が結構あるけれど、「その子の発達段階にあった本を選ぶ」というのも立派な学校司書の仕事だと思う。明らかに読めない本を持って帰らせるより、簡単でも全部読める本を渡す方が読書教育としてあるべき姿だろう。昔実際にあったことだけど、「表紙がかわいいから」という理由で「星の王子様」をそれこそカタカナも読めないレベルの子が読もうとしていたことがあって、「読めるの……?」と尋ねたら「意味が分からないから何度もわかるまで最初のページを読んでる」と返ってきた時は「これは難しい本だから違う本に挑戦してもいいんだよ」と言ってあげたなぁ。つまりケースバイケースです。あとこれを大人がやると「洋書をインテリアとして出品したら売れた」という事例になるなぁと思った。

 

思い出せないだけでもっとあるかもしれませんがこんな感じです

低学年向けに購入した新しい本を高学年が いの一番にごっそり借りていくと、うーん……とは思いますが口には出さないですね

あと、1年生から6年生まで各学年向けの本を並べたコーナーを作っていますが自分の学年じゃない本を借りてもOKです

 

 この辺から完全に増田は当初何を書きたかったのかを忘れてただ思いつくことを思いつくままに書いている感じがします。そして、この文章に足りないのは「私の学校では」という文の主体です。ここでビシッと「変なルールがある学校もあるけれど、ウチの学校はそんなことしないよ!」と書いておけばまだこんなに燃えなかったかなぁとか思います。これだけだとただの増田のぼんやりした感想になってしまう。

  

今回、ツイート主の親戚の子が年齢を理由に貸し出しを禁止された本は

赤毛のアン」「西遊記」など児童書としてはド定番の作品ばかりで

学研が出版している「10歳までに読みたい世界名作名探偵シャーロック・ホームズ」は11歳になったら借りちゃ駄目だけど

講談社が出してる青い鳥文庫の「新装版名探偵ホームズ」はOK!みたいな感じになってるんでしょうか

 

 正直これだけなら「知らねーよ増田の方が専門なんだろ俺たちだって知らねーよ」と読まれてもおかしくないでしょう。おそらく増田は反語(借りちゃダメなのだろうか、いや借りてもよいに決まっている)の意味で疑問の形をとっているのでしょうが、全体的にふわふわしている文体から「ああこの増田もよくわかっていないのかな」と読み手に不安を与えてしまっているので単純な疑問として捉えられてしまうのだと思う。

 

訂正例

今回、ツイート主の親戚の子が年齢を理由に貸し出しを禁止された本は学研が出版している「10歳までに読みたい世界名作」シリーズで、「赤毛のアン」「西遊記」など児童書としてはド定番の作品ばかりです。「10歳までに読みたい世界名作」シリーズの「名探偵シャーロック・ホームズ」を11歳以上は読んではいけなくて、同じような内容の講談社が出してる青い鳥文庫の「新装版名探偵ホームズ」は年齢に関係なく読んでよいのでしょうか。

 

 文をリライトしていて思ったけど、この増田の文をよく読むと主述がとれてないところがかなり多い……多分釣りじゃなくて天然だ。思ったことを思ったままに書いているぞ。これをわざと書けるんだったらすげぇ天才だ。

 

大なり小なりどこもローカルルールがあると思うので「誰でもどんな本を好きなだけ借りられるようにするべき!反対するなら教育委員会に言いつけるぞ!!」という流れになるのはちょっと困りますがさすがに今回は理不尽すぎるので炎上もやむなし

とか書いてる間に追記を読みましたがそんなギチギチにルールのある図書館なのに他の先生が把握してないって色んな意味で問題ですね

私の周りだと司書の立場が弱すぎて先生たちにNOと言えなくて……という悩みは山ほど出てくるんですが司書が独裁国家築いてるパターンとは

 

 ローカルルールがあるのは致し方ないところもあるし、この前の図書館カフェみたいに学校の特色によって様々な考え方があってもいいと思います。それに「何でも自由にさせろ!」というのは学校図書館の場合結構難しいところがあるので……詳しくは余談で。

 

 ただ、ここで増田は「togetterの事例はおかしい!」って明言しているんだよね。それなら例のヘンなルールを紹介する前に「私はおかしいと思います」って一言いれないと誰もここまで真剣に読んでくれないよ。まずは自分のスタンスを明かす。それから例示。これ文章を書くときの鉄則。

 

 あと「パターンとは」って何なんだろう。おそらく後に「珍しい」というような意味の言葉が省略されていると思うのですが、これだけだと何が何だかわからないですね。

 

関係ないですがオオカミ王ロボ小学生の時から大好きなので元ツイの子が無事に借りられることを願っています。ロボはイケメン

 

 全く関係ないし多分書いているうちに当初書きたかったことを忘れているんだろうなと思った。個人的には学校司書と司書教諭の違いで例の件がどうなるのかしっかり書いてほしかったな。

 

まとめ

 増田のシンプルな主張としては「togetterの件はおかしいし、学校図書館って変なところもあるんだよねー」なので全然おかしなところはないのですが、余計な情報と増田のヘンな書き方のせいで余計なヘイトを生み出してしまった哀れな増田です。まぁそういうほうが増田らしいと言えば増田らしいのですが。それにしてもこの増田の計算されつくした天然と思われる煽り……何かに似てるんだよなぁ。何だろう。

 

 最初のtogetterについては理不尽すぎて意味が分からないので真相究明の報告は欲しいところです。邪推するならば例の図書館の係りの先生が何らかの何らかを何らかであるくらいが現実的かなぁとは思うのですが、何らかな話なのでそのまま闇に葬ったほうがいい案件かもしれない。

 

余談

ゾロリ迫害の件ですが、あり得る話としては読書教育に無頓着な教員が「必ず一人一冊借りて読んで感想を書くこと」なんてルールを作った結果、「俺はゾロリでいいや」となって結果読む気はないけど読みやすいゾロリばかり借りられてしまったなんていうことも十分想定できます。

 

〇この件で怒っている人はおそらく読書が大好きな人がほとんどでしょう。しかし、学校図書館は読書に興味のない子や読書と聞くだけで眩暈を起こすほど読書が嫌いな子、あるいは識字障害の子など様々な理由で本に苦手意識がある子にも読書教育をしなければなりません。高学年になってたまたまゾロリを手に取って「面白かった!次も次も!」となる子はごく稀で、大体はそのまま読書をしないまま読書嫌いとして過ごしていくことになります。「きっかけとしてゾロリを」というのは正しいのですが、その正しさすら無力に思えることが多いのが読書教育だと思います。

 

〇この感覚を体育で例えるなら「ラジオ体操から体育全般の楽しさを知ってもらいたい」くらいの感覚だと思います。確かにラジオ体操なら大体誰でも出来るし、球技みたいにバカにされることも少ないと思うのですが毎回体育の時間にラジオ体操やってればいいかというとやはり教員としては発展したものにも取り組んでほしいという想いはあると思う、みたいなところでしょうか。そもそもラジオ体操すら嫌がる子もいるし、出来ない子だっている。そんな子たちでも好き勝手させておけば勝手に体育が出来るようになるかというと、そうでもないよねっていうことで。

 

〇何が言いたいかと言うと「ある程度の集団を教育するためには最低ラインはどこかで設けなければならないし、個別で対応が必要な案件もあるが現状だと後回しにされがち」ってところでしょうか。全部個別対応できればそりゃー楽なんだけど、できないからいろいろ面倒くさいことになっているんだしわざわざヘイトを煽るようなことをするもんでもないと思う。それだけ。

 

〇個人的に「アンパンマンやディズニーには詳しいけれど幼児期にアンパンマンとディズニーにしか触れていないために物語の引き出しが狭い子」が最近観測されているので「好きなものを読ませろ」は大正論だけど「好きなものだけ読んでいればそれでいいのか」は立ち止まって考えてもらいたいなぁとは思っている。

 

〇個人的に山田悠介の初期作品は学校図書館に置いてほしくないと思ってる。話の内容以前に文章の整合が真面目にとれていないので面白がる分にはいいんだけど、教育には本当によくないと考えている。この辺は個人の感覚が強いので致し方ないところがありますね。ちなみに意外と子供って「怖い」「グロい」ものが大好きなんですよ。だから際限なく与えるのはどうなんだろうという視点は大事です。だから「うんこ漢字ドリル」みたいに「怖い絵計算ドリル」を作ったらまぁまぁ売れる気はする。本物のグロ画像は刺激が強いから、恐怖を煽る絵で楽しく勉強、みたいな。企画段階で反対されそう。

 

≪追記≫

学校図書館増田にモヤっている人へ - さよならドルバッキー

初期、と限定してるあたり、最近だと山田悠介氏の本は「文章の出来は大丈夫」ってことなのかな? 気になったのでブクマ。

2018/01/24 22:03

 

 「初期」としたのは最初のアレ自費出版だったせいか本当に話にならないくらい日本語も内容も全てが崩壊していたのですが、それからの作品は「最初のアレ」以降きちんと編集などを通すことになってから最低限の誤字脱字や主述の崩壊などはとりあえず少なくなったので文章「だけ」に関しては「まぁ、まぁいいかな」と言ったところです。最新作も試し読みをしてみましたが冒頭だけなら読めなくはない文章でした。本音を言えば全体的に今はやりのエルサゲート動画みたいな感じなので正直公立図書館に置くならまだしも、教育現場に置いておきたくないなあとは思います。「そんなのでも読書のきっかけになるのであれば……」という人はたぶん真剣にアレを読んでアレにはまる子のことを見てないんだろうなぁ、という感じです。エルサゲートだよエルサゲート。そんな感じです。

 

「創作実話」にまつわる簡易まとめ

 前の記事でまた今度というようなことを書いたので簡潔に書いていきます。

 

〇「長文スクショの代替」に関して、そもそもの「長文スクショ」がごく最近生まれた文化で「Twitter上で140字以上のことを伝えたいときにスマホのメモ帳に文章を書いてスクリーンショットで画像にする」行為はバズを生みやすい一方「過度な美談やいわゆる嘘松の温床」というイメージがあって忌避されやすい手段と認知されている変な文化だ。実際に長文スクショというものを見てみると確かに「お年寄りに席を譲らなかった奴を懲らしめた」「意地悪な上司をギャフンと言わせた」というような武勇伝めいた話が多い。または「飛行機で黒人が隣に座って気持ち悪いと騒ぐおばちゃんに対して、黒人をファーストクラスに移動させる策をとった」的な良い話ネットロアもあって、この辺のことを語ると「facebookのイイネ拡散」とか「ゲーセンであった女の子」とか、遡ると「一杯のかけそば」にまで話が広がるので一回止めにする。

増田関連の雑感 - さよならドルバッキー

 

 きっかけはこの記事を書いてからそこそこ伸びたこちらの増田。

 

anond.hatelabo.jp

 

 この文章を書く人はこの言葉を現状では肯定も否定もしません。ただ「嘘松」という言葉が生まれた背景を考え、広まった理由を考えたいだけです。以下「嘘松」に至るまでの「創作実話」の形などを思いつく限り列挙してみます。何か思いつくものがあれば追加も検討します。

 

ネット有史以前

「この話は本当にあった話です」

 怪談の枕詞。実話であろうがなかろうが「本当にあった」という言葉をつけるだけで怖さが倍増する。類義として「この話は友達のいとこから聞いたんだけど」など実在すると思われる第三者の視点を使うというものがある。

 

一杯のかけそば

 大晦日に母子で一杯のかけそばを分け合う美談が実話と言う触れ込みで話題になったが、創作ではないかという指摘でブームが去った。

一杯のかけそば - Wikipedia

 

ネット黎明期・2ちゃん文化

釣り

 匿名掲示板などであることないや大変大げさなことを書き込み、その反応を楽しむもの。エサを垂らして魚が食いつく様子に似ていることから「釣り」と呼ばれる。また、強い言葉を使って読む者の不快感を引き出す行為を「煽り」と呼ぶ。

 

「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」

 2ちゃんねるの管理人だったひろゆき氏の有名な言葉。「ネットの情報は真贋の判定を自分自身で行わなければならない」ということを端的に表現している。

 

ネットロア

 オカルト板で生まれた「信じようと、信じまいと―」など、いわゆる「都市伝説」と呼ばれるもの。都市伝説に関しては「オルレアンの噂」などネット有史から噂話として処理されるものが多くあるが、ネットの普及により爆発的に広まった。怪談や妖怪のほかに「ハンバーガーはミミズや猫の肉である」「品種改良により生まれた8本足の鶏でフライドチキンは作られている」といった食品に纏わる話や「〇〇死亡説」「子供番組で失言をした子供が次のシーンでくまのぬいぐるみになっていた」など信憑性のない噂まで多岐にわたる。

 

チェーンメール

 携帯電話にメール機能が備わった頃に爆発的に広まった迷惑メール。「このメールを受け取ったものは〇人に送信しなければならない」という文句がついており、その内容は「送らないと呪われる」と言った恐怖を煽るものや「幸せをおすそわけ」などクスっと笑える小話などバリエーションは豊富。中でも「RH-の血液が足りません」や「ペットショップの閉鎖で犬がたくさん処分される」など良心に訴えるものや「某番組の企画で〇人に回す実験です」「〇人に転送すると絵文字がもらえます」といったイベント参加型などはデマの発信源になり、様々な弊害をもたらした。

 

電車男

 ネット発の純愛ストーリーとして各種メディア化した物語。「実話」が元だという触れ込みであるが、ネットでのやりとりしか根拠がなく辻褄の合わない部分などを指摘されて「創作では」という声は尽きない。

電車男

電車男

 

 

ケータイ小説

Deep Love

 いわゆるケータイ小説の走り。ネットで連載中に寄せられた読者の実体験を元に途中から執筆されているため、無理矢理でスピーディな展開がこの後のケータイ小説に影響を与える。今となっては「読者の実体験」も本当のものであったのかどうか定かではない。 

Deep Love―アユの物語 完全版

Deep Love―アユの物語 完全版

 

 

天使がくれたもの

 「これは本当にあった話です」が効果的に作用したケータイ小説の元祖。当時の女子たちは物語の展開より「本当に存在した」というところに感動していた。中には「長い字ばかりの本を初めて全部読めて感動した」というものもあった。作者と読者の間の隔たりが溶けてきたのもこの頃だと思われる。

天使がくれたもの

天使がくれたもの

 

 

恋空

 ケータイ小説の代名詞になるくらい有名な作品。最初は「ノンフィクション」だったが途中から「実話を元にしたフィクション」に変更された。ちなみにこの文章を書いている人は当時いろいろあってガラケーで無編集状態の恋空に挑戦したが、途中どころかずっと頭が痛くなったのを覚えている。なお書籍版は頭の痛いところはわりときれいになっている。この時期に『リアル鬼ごっこ』が流行したことを考えると、一度何かがメルトスルーを起こしていた可能性が高い。 

恋空〈上〉―切ナイ恋物語

恋空〈上〉―切ナイ恋物語

 

 

まとめサイト

震災デマ

 東日本大震災時に広まったデマ。「製油所が爆発して黒い雨が降る」「原発からキノコ雲が見えた」「物資の支援をお願いします」などのチェーンメールが飛び回った。当時スマホが本格的に出回り始め、mixiに続いてTwitterfacebookなど新手のSNSが流行の兆しを見せていたころでそういった媒体もデマの拡散に使われるようになった。しかし同時にデマであるということもすぐに広まるようになったりと「デマとの付き合い方」について新しい道が見えてきた時期でもある。ちなみにこの文章を書いている人は某所に実際に行った避難所のことをぼそっと書いたらなんか知らんけどウケてめっちゃ拡散されて焦った記憶がある。

 

ゲーセンで出会った不思議な女の子の話

 2ちゃんで話題になったスレ。哲学ニュースnwkでまとめられ何故かはてブで3000user超えの伝説的スレッドになってしまった。「泣ける」と評判であるがその内容はケータイ小説の文脈と電車男の文脈のmixで、著者も「フィクション」を明らかにしている。これに絶賛の声が上がっていた当時この文章を書いている人は「ゲーセンで一生泣いていろ」と吐き捨てたとかそうでないとか。

ゲーセンで出会った不思議な子の話 (ファミ通BOOKS)
 

 

SNS

創作実話

 この言葉が出てくるのは結構最近の話。主に「ちょっといい話」を書いて反応を貰うという構図のものが目立ち、「お年寄りに席を譲った」とか「ヤンキーに復讐した」みたいないわゆる「スカッとする」ものが多い。一時期mixiやfecebookなどで拡散、イイネ稼ぎで使われた。

 

釣り(現代版)

 かつて「釣り」という言葉があったが、時代が下るにつれて「反応をみて面白がる」の他に「自サイトのPVを上げて広告費を稼ぐ」といった目的で釣りを行う者が出始めた。主に真面目な人をバカにしたり倫理的におかしなことを言ったりすることでヘイトを稼ぐことで閲覧数を上げるので「ムカつくことを書く=釣り」という図式で理解している層が微妙に存在している。

 

嘘松

 上記のような創作実話について「創作をするな(嘘をつくな)」という意味で使われ始めた言葉。由来としては諸説あるようだが、「おそ松さんファンが好んで創作実話をするところから」というのが一般的。その使われ方は否定的なものが多く、「はい嘘松」と書くと「嘘をつくな」の他に「お前の話(お前の存在)はつまらない」と人格否定が混じったニュアンスになってしまう。そのためこの言葉を忌避する傾向もあるが、語呂の良さゆえか当のおそ松女子と思われる人たちも「これからする話は嘘松なんだけど~」などと積極的に使用する例も見られる。主に「夢女子」と呼ばれるジャンルの方々と親和性の高い言葉だと思われる。

 

嘘松」と「創作実話」のニュアンスの違い

 当の増田をはじめ、「創作乙や創作実話じゃダメなの?(プンスカ)」という意見が多数あったが、上記の流れを考えると「嘘松」と「創作実話」という言葉は使われ方がかなり違う。個人的には「創作実話」という言葉は現在の「フィクションを現実に起きたことのように吹聴する」行為と別と捉えている。

 

 そもそも「創作(フィクション)」と「嘘」という言葉を同列にできないと思っている。小説家に対して「お前は嘘つきだ」という言葉を当てはめることやホラ吹きに対して「お前は創造力豊かだ」という言葉を当てはめることができないところから察してほしい。どちらも「虚構」という面では同じ性質だが、そのニュアンスは正か負かで大きく違う。

 

 元から「創作実話」という言葉にもよくないニュアンスはあったが、やはり「嘘」という言葉をダイレクトに盛り込んだことで「嘘松」のほうに完全に侮蔑の意味がついてしまったのがこの言葉の不幸なところで、この言葉を良くなく思う人が多いのも無理はない。個人的にこの言葉を連発する人は「女さん*1」「インスタ蠅*2」くらいの意味で使っていると思っている。

 

何故ここまで「創作実話」は忌避されるのか

 「創作だっていいじゃん、本人たちが楽しんでいるんだから」という意見も多く見られる。確かに最初から「これは創作です」「妄想用アカウントです」と銘打ってあるものに対してまで「嘘松」と罵るようなことは少ない。「嘘松」が使われる背景をいくつか考えてみる。

 

空想と現実の区別がついていないのではという不安説

 個人的にはこの説を推したい。現実世界でもあることないこと言う人は存在だけで不快に思われることが多い。ネットだからこそこういった発言を許容しがちであるが、現実世界で面と向かってこんな話をされても困ってしまうどころか発言者の心配をしてしまうと思われる。ネットとリアルの垣根がゆるくなった結果、こういったところに歪が生じているのだと思う。

 

嘘をつく理由が創作行為ではなく承認欲求由来と思われている説

 一般的な理由としてはこの辺が妥当と思われる。いわゆる「イイネ稼ぎ」のためにあることないこと言いまくっているのはやはり行儀が悪いと見なされても仕方のないことだと思う。

 

PV稼ぎの「釣り」によるヘイトの蓄積説

 イイネ稼ぎに飽きたらず、あることないこと言いふらして自サイトに誘導して広告費を稼ぐといった行為もまとめサイトをはじめよく行われている。単なる個人の問題からビジネスに発展するとどうしても胡散臭いものを警戒してしまう。

 

単に作り話のクオリティが低い説

 話し手としては「こうだったらいいな」という願望を話しているのかもしれない。しかし、よく考えて発信していないので「私はこうだった」としか読み取れない発信をしている可能性もある。誰でも気軽にSNSに投稿できるようになった反面、このような悲劇が起こっていることも念頭に置いておきたい。

 

まとめ

 こうやって考えてみると、個人的には「嘘松」に代わる言葉は「創作実話」ではなく「釣り」だと思うのですが、そうするとまた別のニュアンスが入ってきてしまうのでやはり違うな、とも思います。ただ「嘘松」には確かに行為そのものの呼び名に加えて人格否定の意味も入ってくるのでバンバン使用するのは難しいところであります。

 

 以上、「創作実話」という言葉や概念に纏わることについて思いつく限り列挙してみました。今後情勢が変わる可能性も十分あると考えられるので、「これが絶対正しい!」という保証は一切いたしませんし、この記事をネット文化の研究という名目で卒業論文などに使うのはやめたほうがいいでしょう。もしそういうのをやりたいのであれば、このくらい自分で具体例も含めて調べないとダメです。まずは小町、増田ウォッチから始めましょう。おわり。

 

 

*1:あえてマイルドな表現

*2:インスタ映えから来ている何でもインスタ映えを気にする人の蔑称

嘘松についての覚書

〇この記事は年明けから増田やtogetterなどを見ていて「2018年初頭において嘘松とは何だろうか」と思ったことをつらつら書いていくだけの記事です。そういうのに興味ない人はお帰りください。「嘘松ってなあに」という方はこの記事では親切に説明するつもりはないので自分で調べてください。グーグルでもヤフーでも検索すれば大体のことはわかると思います。

 

〇そもそも嘘松という言葉の発生源がかなり曖昧。一般的に「そのようなツイートをするアカウントのアイコンが大体おそ松さんだった」というのが通説になってるけど、「おそ松似のイケメンがいたみたいなツイートがバズって、それが非現実的な内容だったから」「このようなツイートが流行していた時たまたまおそ松さんが放映されていたから」みたいな説もあって、この辺よくわからない。現状「嘘松=釣り」と考えていいと思っています。

 

〇そして嘘松という概念と仲良しが「白ハゲ漫画」「長文スクショ」だと思うのです。「白ハゲ漫画」も同時期に現れた概念で、要は「わりと何でもないことをドヤァと漫画に描いて啓蒙する行為」だと解釈しています。「長文スクショ」もこの辺と親和性があって、根本的に「私ってすごいでしょ」というのが隠れているのが見ている人をイラっとさせているんだろうと思っています。

 

〇とは言えSNSなんて大体の人は「私ってすごいでしょ」と言う場なので、そんなに目くじらを立てて怒る必要はないと思っている。イラっとはするけど、だから何という感じではある。それがマルチ商法みたいなのに繋がっていると怖いと思うけど。

 

〇話が変わって、どうも最近「嘘松にマジレス」案件が増えたなあと思うのです。一昔前で言えば初動ブクマで「釣り」判定されているような記事がするっとホッテントリになって喧々諤々やってるなあという印象なのです。ここ最近だけでもこれだけ「あれこれ釣りじゃね?みんなわかっててマジレスしてるよね?」という気持ちになってます。

 

togetter.com

 

 これに関しては公式を当たっても「もともと女性向けのコンセプトだから」という以上の話は見つかりませんでした。ただ古い話だと2006年の2ちゃんに「ナンパする奴が多いから女子オンリーになった」という記述があったくらいでしょうか。それも信憑性が一切ありませんが。

 

6 :名無しさん ~君の性差~:2006/04/25(火) 15:21:32 id:fIk7L5LT
店内で女性客をナンパするバカ男が多くて女性客が迷惑するから
男オンリーは禁止にしたらしいよ。

【入店拒否は】タカノフルーツパーラー【性差別】

 

togetter.com

 

 これも古来より伝わる「妖怪いっぱい持ってるんだから少しわけてくれたっていいじゃないケチ」の文脈で話が終わるし、長文スクショだし……。ただ、投稿者のツイートを遡るとどうやら盗まれかけたのは間違いなさそうだ。多分長文スクショと注意喚起めいた説教がこの話を限りなく「嘘松」くさく仕立てあげている。 

 

anond.hatelabo.jp

 

 これはわかる人なら「牛丼屋」「親子連れに注意する」という組み合わせだけで鉄板の創作実話ネタだとわかるだろう。タイトルも釣る気まんまんのルアーがハリボテ案件だ。そもそも「子供が騒ぐ」っていうあたりに具体的言及がなくて、不快なレベルでぎゃんぎゃん声を断続的に出していたのか、微笑ましくきゃっきゃとしばらく笑っていたのかの程度が全く不明な状態で「うるさい子供」と断定することはできない。また、騒いでいたとき親は別のところにいたということは、子供を席に残して会計をしていたのかもしれない。「依然として」の時間の感覚もわからない。数十分放置しているなら問題かもしれないが、牛丼屋でのテイクアウトの待ち時間なんて数分くらいだろう。たまたまその部分だけを切り取られて「静かにさせろ」と言われたら、まぁ「バーカ」くらい言われても仕方ないと思うけどな。子供は電池で動くおもちゃじゃないから、静かにさせろと言ってもすぐに静かにはならないし、静かにさせようとして諦めた現場を増田は見ていなかった可能性もある。その後店を出てからもしつこく付きまとうあたりはもう「バーカ」でいいと思うし、完全に増田のほうが不審者だろう。

 

 この増田の釣りメソッドとして「俺悪くないよな論法」が使われていると感じる。主に小町や増田など長文系の釣り堀で威力を発揮する論法で、具体的には「彼女にフラれた」という題目なら「彼女にフラれた。毎日LINEをしたのに既読無視されてもそんなことをしたら他の男に嫌われちゃうよと優しくLINE送りまくっただけなのに二度と連絡しないでくれと言われた。だから俺は嫌いにならないよと言っただけなのに、心の狭い女だったんだろうか」みたいな感じのもので、「筆者の主観では相手が悪いことになっているが、客観的に見ると筆者側に非がある文章」は「文章のアラを指摘したい層」や「なんでもいいから説教したい層」に非常にウケがいい。

 

 詳しく分析すると、この「俺悪くないよな論法」が一番強く出ているのはここである。

 

自分は「ここは公共の場だから静かにさせなさいよ」と母親に注意した。

すると母親は「何言ってるんだバーカ」と暴言を吐いた。子供が公共の場で騒ぐのは当然と考えているようだ。

隣で喫食していた男性(母親とは無関係)も母親に同調するような発言をした。

 

 あくまでもこれは筆者の主観であり、本当に「ここは公共の場だから静かにさせなさいよ」と言ったのかどうかはわからない。「あっあの子供が騒いで迷惑だから静かにさせるべきかなぁとか思うんですけど!」とか「ちっうるせーよガキを静かにさせろ」とか言ったのを「ここは公共の場だから静かにさせなさいよ」と脳内で意訳している可能性もある。同様に「あなたには関係ないでしょう」というような母親の言葉も「何言ってるんだバーカ」と意訳して書いている可能性もある。トドメが無関係の男性がどのような同調意見を言ったのか書いていないところが怪しい。「さっきまでは静かでしたよ」とか「僕はそんなに気にならないですよ」なのか、とにかく筆者にとって都合の悪いワードがあったので具体的な台詞を出せなかったと見るのが妥当だろう。

 

 つまりこういうメソッドを素直に受け取って「キイィ許せない!」という気持ちを引き出すことが増田の最大の目的であって、こんな感じで必要以上に誰かを責める書き込みを見たら「まずは筆者を疑う」ということも念頭に置いたほうが穏やかなネットライフが過ごせると思う。そもそも「躾けのなってない親子」も「牛丼屋でエバる増田」も存在していない可能性が高い。見えないものに本気で怒ってもしゃーないからな。

 

b.hatena.ne.jp

 

 予想通り記事が消えてしまったのではてブのコメントで。おそらくこれは釣りではないと思う。訴えとしてはある程度筋が通ったものだと思うのだが、上記の「俺悪くないよな論法」が使われているために非常に釣りくさくなってしまった可哀想な増田。その後投下された長い長い追記でやたらと知能指数の話をしている辺りで完全に馬脚を現した感じはする。訴えたいことは訴えたいことに絞る方がいい。「勝手に性の対象にして勝手に絶望して勝手に害を与えるのはやめろ」という主張はわかるが、そのために「私は知能指数が高い」というようなことを繰り返し言う必要はない。その辺において隙だらけなんだろうなという気はしたけど。でも女性の方が仕事が出来ると勝手に発狂して勝手に嫌がらせする情けない男もいるのは現実よね。

 

anond.hatelabo.jp

 

 主張はいいんだけど、例に出されている中学生が存在するのかどうか怪しいのでぶっちゃけ怪文書扱い。「保育園落ちた」レベルなんだけど真に受けて「中学生可哀想!」という声が上がるあたり、何とも言えない何かを感じずにはいられない。

 

 

〇全体的なまとめとしては、ネットの嘘松耐性が下がったと言うよりネット人口の増大によってネット1周目の人が嘘松に引っかかっていると考えるのが妥当だと思う。たぶん「裏2ちゃんでfusianaさん」レベルでも引っかかる人は未だにいると思うし、そういう行為が大々的に可視化されやすくなったんだろうなとは思う。そこで「騙されないように気をつけよう」と気が付くのか「俺を騙しおってけしからん!」といつまでも足踏みをし続けるのか、それは利用者次第だなぁ。

 

〇なぜ創作実話を暴くことに必死なのかというコメントを昔もらったことがあるけど、やっぱり変な健康食品とかニセ科学とか新興宗教に繋がりやすいから指摘しておきたいって思うんだと思う。各個人が「この意見は本当なのか」という視点を持てばそういう被害を減らせると思うんだけど、「個人の自由なんだから好きにやればいいのに変な茶々をいれるな」という意見もあって、難しいなとは思う。だけどこの発言、主にプロブロガーと呼ばれる界隈の人たちからよく出る意見なんだよね……こういったある種のマインドコントルールみたいな奴に対して果たして「個人の自由」ってどこまで許容できるものなんでしょうね。「疑う=悪」みたいなのはネットじゃ通用しないと思うんだなぁ、人間だもの。おわり。

 

 

図書館カフェについての覚書

 くだらない記事を書いてたら急にPCの調子が悪くなって再起動とかしてるうちに「めんどくせえ」とか思っているうちにまた図書館と子供の話題で何やら騒ぎが起きているので一応思うことを書いておきます。

 

 なお、この記事の主旨は「学校図書館でのカフェの是非」ではありません。全体として言いたいことは「クリエイティブスクールと呼ばれるものなどの存在意義」についてです。

 

soar-world.com

 

 この記事だけだと、確かに「図書館で飲食なんてけしからん!」とか「静かな図書館を返して!」って反応が出てもおかしくないなあと思いました。実際、自分もさらっと読んで「保健室と図書館の役割のドッキングかな」と思いました。だから、しんざきさんの記事みたいな反応があってもおかしくないし、それに同調する人もたくさんいて当たり前だと思います。

 

mubou.seesaa.net

 

 しかし、同じことを書いているこちらの記事を読めばまた違う側面が見えてくるわけで。個人的にこちらの記事の方が問題点がわかりやすくてよいと思います。

 

morinooto.jp

 

 前者と後者の記事の違いは、冒頭に楽しそうな生徒の様子を持って来ているかいきなりこのカフェの設立の生々しい話を始めるかと言ったところでしょうか。後者の記事は一貫して「この支援の理由」を全面に出しているのに対して、前者の記事は生徒の困難についてイマイチ踏み込めていない感じがします。この記者の書き方が特別悪いとは思わないのですが、想定外は「こういう支援が必要な子供」に対する世間の無理解について甘く見ていたということでしょうか。

 

nogreenplace.hateblo.jp

 

 貧困JK問題でも書いたけど、困窮家庭についてリアリティたっぷりに報道すると「かねのないおれたちかわいそう」「おまえらのじごうじとく」「かねのないおれたちにめぐめ」「じごうじとくはだまってろ」の地獄しかない。そしてこの問題がお金だけじゃなくて教育機会とか文化資本とかそういう話になると、更に地獄絵図は炎上していく。

 

 すごくビビる話をすると、10歳くらいの子供でも「10円玉が10枚で100円玉と交換できる」「100円玉が10枚で千円札と交換できる」がわかっていて「10×10=100」「100×10=1000」が理解できないということもある。こうなる背景に「勉強=暗記」という脅迫概念があって、彼らは「10円玉が10枚で100円玉と交換できる」ということを覚えることで精いっぱいで「10をかけるとゼロがひとつ増える」というような法則や抽象的なことまで頭に入っていないのです。

 

anond.hatelabo.jp

 

 この増田で語られたことはおそらく誇張でもなんでもなく、この彼氏がそういう計算ができない人だったのだろうと思う。数の大小はわかるので、とりあえず多目に払っておけばいいだろうみたいになって小銭がじゃらじゃらするけど、小銭を管理することができないので頭にきて捨ててしまう。何だかんだと理由をつけていても、彼にとって小銭とは理解不能なもので、目の前にあるだけでも憎たらしい存在だったのではないだろうか。

 

 ちなみにそういう子は九九を「2が3つあるから6」のように理解しているのではなく「にさんがろく」という言葉を丸暗記している可能性もあります。そういう子は文章題がさっぱり出来ないので、不安に思った親御さんは「飴を一人4つずつ5人に配ったらいくつ必要かな」など簡単な文章題を出してみよう。素直に「わからない」と言うより「何で家で算数やらなきゃいけないの」などと逆ギレのような反応をしてくるのが危険なサインです。学校でもそのように先生の話を全部聞き流している可能性があります。本人を叱ることなく、かと言って一人で抱え込まずに学校や相談機関を頼りましょう。

 

 これだけ読むと「なんでそんな簡単なことも理解できないんだろう」と不思議に思う方のほうが多いでしょう。でも「理解できないものは理解できない」のです。逆上がりできない人は逆上がりできないし、泳げない人は泳げないのです。「体育の時間惨めになった」という話はネットでは大人気ですが、このような初歩の学習でつまずいて苦しかったという話はあまり出てきません。そういう人はネットでうまく話をすることも難しいのでしょう。

 

 もっと根本まで行くと、「人と話す時は顔を上げよう」とか「あいさつはきちんとしよう」とか「ご飯を食べたら後片付けをしよう」とか「何かを尋ねられたらハイかイイエを言いましょう」とか「人の悪口を言わないようにしましょう」とか、そういったことも「できない」子が存在します。この辺になってくると発達障害とか知的障害も絡んでくるけれど、ある程度までは家庭のカバーで何とかなります。問題は家庭のカバーが全く期待できない場合で、貧困家庭で忙しくて放置というものや親の根本的な無理解で虐待に発展しているものなど様々なケースで「追わなくていいハンデ」を背負ってしまった子供たちも存在しているのです。

 

 この辺の肌感覚はいわゆる「普通」の感覚を持っていてはわかりにくいだろうけど、例えば東大生の中に一人だけ混ざって学術的な会話に参加しろと言われたりオリンピックの強化合宿に一人だけ参加させられたりというようなシチュエーションを想像してもらえればわかりやすいかと思う。大体は小さくなっておどおどしてしまったり、「おれはどうせバカだ、運動音痴だ」と開き直るかのどちらかではないだろうか。そんなことが日常生活で起きているのが「彼ら」であり、そんな彼らを受け入れているのがクリエイティブスクールというわけです。

 

tsusinsei-guide.net

 

 世間の誤解として「不登校=いじめられた」という図式がありますが、実は不登校になる要因として「いじめ」というのは件数としてはそれほどではありません。ただいじめ自殺や不登校などがセンセーショナルに語られがちなので大きく見えてしまうのでしょう。こう書くと「いじめが矮小な問題だと言うのか!」という意見が出てくると思うので先に書いておくと「いじめの悪質さと不登校の全体の要因はまた別」ということを踏まえてほしいという話です。いじめはダメゼッタイだけど解決には個々のケースの幅があるので一概に語れないということは押さえておいてほしいと思うのです。だから「いじめはいじめられるほうに原因がある」「いじめはいじめる方が絶対悪い」という二元論は一度捨てたほうが様々なものの見方ができると思うんだけどなぁという感じです。かなりケースバイケースだよいじめなんて。

 

平成27年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」結果(速報値)について

不登校の要因の統計が面白い。不登校の主な要因はいじめではなく「家庭の問題」「学業不振」「いじめではない友人関係」。特に小学生は家庭問題が6割近い。

2017/02/13 10:54

 

 ちなみに「いじめではない友人関係」とは「クラスの明るい子が大声を出すのが怖い」とか「喧嘩して謝るのが気まずいから行かない」とかそういう奴です。担任が無能でいじめにカウントするべきものをカウントしていない可能性もありますが。

 

 ただ、「学校に行けない」の理由として対人関係と同じくらい「己の能力の無さ」に絶望している子供も多いということを忘れないでほしいなあと思うのです。そういった子供の居場所を作るのがクリエイティブスクールであり、ぴっかりカフェであってほしいと思っているのです。

 

 ちなみに「居場所」というのは「全信頼を預けられる関係性」という意味です。常に誰かに否定されるんじゃないか、ここにいてはいけないと言われるのではないかと不安に思っている子に「そんなことないからおいでよ」とにこにこ言えるような存在があって、初めてそこが「居場所」になります。そしてそんな居場所を作るにはかなりの精神力が必要です。

 

nogreenplace.hateblo.jp

 

 ここでも書いたけど、「居場所」を作るには忍耐と覚悟が必要です。見返りが欲しいとか子供が更正しないとか、そういうことを思ってもダメなのがこの活動のポイントでしょう。活動する側が手をかけて、それでよくなってくれたらラッキーくらいの感じで手をかけていかないと真面目な人ほど潰れるのがこういう活動だと思っています。しかし決して不真面目にやろうというわけではないです。念のため。

 

 では、学校図書館を「居場所」にする意義はなんでしょうか。最大の理由は「常に誰かいる」と言うところだと思います。ただカフェをするだけなら特別教室や空き教室でも十分だという意見もあるでしょうが、特設会場ではなく「常駐している大人がいる」という環境がこの場合大切だと思うのです。

 

松田さん:図書館は、いろいろな情報を得るためのメディアをそろえるところでしょう。そのひとつとして「人」があると思っているのね。本を開けばすぐに別の場所につながるように、人との出会いで新しい価値観に出会う。図書館は外部に開く「窓」のようなものだと思って運営しているから、図書館がカフェであることにまったく違和感がないんですよね。

教室に居場所がないなら、図書館カフェにおいで。田奈高校にある「ぴっかりカフェ」は生徒が安心できる校内の居場所 | soar(ソア)

 

 批判意見で挙げられた「本を一人で静かに読みたいのに」というのも、本の中に「全信頼を預けられる関係性」を構築したからそれを邪魔されたくないというもので、人に信頼を預けるか本に信頼を預けるかという違いはあっても「信頼関係を築く」という意味では変わりないものだと思います。

 

 すごくぶっちゃけてしまえば「それでも静かな図書館を望む子だっている」という意見には「そもそもこういう高校でわざわざ読書をしに図書館へ来るという発想の子はあまりいない」というか「図書館で本を読んだり勉強する」という発想すらない子もかなり多いというか。「本を読むスキルのない子」だって小数派ではないと思う。「図書館を居場所にする」という発想のある子はこのカフェの対象とするところではないのだろう。

 

 それに個人的な意見になるけど、「いつも一人で静かにしていたい」というのも確かにわかる。だけど、やはり社会とつながるために様々な人と関わりを持ってもらいたい。逃げ場所が確保されているのを前提として、時にはやはり苦手な人と関わる練習もしなくてはいけないのではないだろうか。それが苦痛であるといっても、自転車に乗る練習をするのに転ぶからイヤだとか泳ぐ練習をするのに苦しいのはイヤだとか言っていてはいつまでも練習にならない。若いうちだからこそ、一通りそういう経験もしておいた方がいいと思う。大人になってもダメなものはダメだったらそれは好きにしてもいいと思うけど、そういう練習の機会を「本人が嫌だと言っているから」で無駄にするのも何だかなあとは思うのです。学校ってそういう意義のあるものだと思ってるんだけど、最近は変なシステムと価値観のアップデートがうまくいっていないところがあって誤作動起こしてるなあとは思っている。

 

 ひとえに「これはダメ」とか「これは絶対」と言えるものはないのがこの世界。線引きできるものと言ったら完全に倫理や法律に関わるもの*1くらいではないだろうか。それ以外はいっぱい練習して、いっぱい転んでもらったらいいと思う。そうしたら起き上がる方法も自分で見つけることが出来るだろうし、周りも転んでいることがわかれば痛みに絶望することもないだろう。

 

図書館カフェはウェーイの侵略じゃないってばよ? - Togetter

鎌倉の図書館ツイートのときもそうだったけど、こういうデリケートな子供の支援らしいものは安易に「絶賛」とか「否定」しないほうがいいし、今回は多分元記事の方の人がよく理解してなかったんだと思う。

2018/01/16 08:55

 

 とりあえずこういう話題のときは安易に「素晴らしい!」とか「ダメだ!」とか言わないでその活動の背景には何があるのかをしっかり見てほしい。否定意見より怖いのはよくわかってないで放たれる絶賛意見だ。理由があって行われていることの「理由」をすっ飛ばして「ウケているから」と外面だけ真似ようという連中が出てこないとも限らない。この活動に関してはそうそう真似のできることではないから大丈夫だとは思うけど、結局「誰のために絶賛or批判をするのか」を考えてほしいなぁとは思う。「私が図書館のお世話になったから」ではなく支援の必要な子供のことを考えて、何が彼らのためになるのかを考えて拡散させてほしいなぁと思う。教育問題って誰でも語れそうだから炎上しやすいみたいな話があったけど、今回の件で本当にそうだなぁと思いました。おしまいです。

 

 

*1:窃盗やあきらかないじめなど

増田関連の雑感

〇年明けから「お?」と思っていることをメモしておいたら予想外の反響があったのだけれど完全に考察までたどり着いていなかったので(最後雑だし)もう少しグダグダ考える。考えながら書くのでまとまりが全然ない。なお増田の文脈がある程度わかっている人じゃないとついていけない話があるかもしれないので「増田とは」という人は適当にググっておいてください。あと非常に不毛な話なのでギガが減ると思った人はここで帰ってください、マジで。

 

nogreenplace.hateblo.jp

 

〇最初は増田ウォッチャー向けの記事だったのでブクマが集まっても30くらいを想定していました。でも想定よりも増田を定期的に見ている人やこの変容に気が付いていた人が多かったのが意外でした。ブコメに表れてなくてもTwitter上で「増田ってやっぱり変わってるよね」みたいな意見が見れたのもよかったです。もう増田は増田内で完結するような閉鎖的な環境じゃあないです。

 

〇要は「増田が匿名性関係なくテキスト置き場と化している」ということがメインだったのですが、記事の中でも触れたとおり「必ずしも匿名」であることが大事というわけでもなく、過去に名乗り出ている増田とか自分の書いた記事をセルクマしている人もいるのでまぁまぁアリだとは思っている。ただ、今回の事例の「はてな匿名ダイアリー」という呼称を知っていて、それでも最初から名乗り出るつもりでアカウントを作ってTwitterのみひも付けてやりとりするっているのは初めて見た気がするんですよ。

 

〇いろんな捉え方があると思うけど、増田の特徴として「書き捨て」というものがあったと思う。追記芸なんていうのも最近になって出てきたようなもので、基本的に増田は「誰が」よりも「何を」に重きを置く構造になっていたと思う。だからこそバズる奴はバズるし、平凡なものは見向きもされない。そう言えばさっきの例には出さなかったけど、増田でバズってはてなブログはじめてライターの仕事してる人もいたっけ……。

 

〇そうなったとき、増田で追記をして「お読みいただきありがとうございます」ならまだ話はわかるのだけれど、そこをガン無視してTwitterで「お読みいただきありがとうございます」とリプライ飛ばしまくるのはどういう意図なのだろうと思うわけで。ブコメにも出ていた「長文スクショの代替」「個人ブログは面倒くさい」という意見は鋭いと思った。

 

〇「長文スクショの代替」に関して、そもそもの「長文スクショ」がごく最近生まれた文化で「Twitter上で140字以上のことを伝えたいときにスマホのメモ帳に文章を書いてスクリーンショットで画像にする」行為はバズを生みやすい一方「過度な美談やいわゆる嘘松の温床」というイメージがあって忌避されやすい手段と認知されている変な文化だ。実際に長文スクショというものを見てみると確かに「お年寄りに席を譲らなかった奴を懲らしめた」「意地悪な上司をギャフンと言わせた」というような武勇伝めいた話が多い。または「飛行機で黒人が隣に座って気持ち悪いと騒ぐおばちゃんに対して、黒人をファーストクラスに移動させる策をとった」的な良い話ネットロアもあって、この辺のことを語ると「facebookのイイネ拡散」とか「ゲーセンであった女の子」とか、遡ると「一杯のかけそば」にまで話が広がるので一回止めにする。

 

〇もうひとつの「個人ブログは面倒くさい」というものがかなり本質をついていると思う。すごーく煽るような書き方をするならば、「若者にとってブログはおっさんのモノ」なのかもしれない。2000年代初頭まで幅を利かせていたテキストサイト2ちゃんねる的な文化はブログやmixiの出現でかなり変わった。2000年代中盤から「のまネコ騒動」「電車男」などでいわゆる「2ちゃんねる的な文化(AAや独特のスラング、名無しさんなど匿名の書き込み)」も人口に膾炙し、いわゆる「オタク」だけでなく「普通の人」もネット文化に親しむようになったのがこの頃だと思う。そんな普通の人が集まったのが「ブログ」をはじめとした個人の日記サイトや「mixi」「魔法のiらんど」「前略プロフ」などの当時の各種SNS的なものだった。

 

〇で、今が何年かというと2018年ですよ。来年で平成の世も終わるんですよ。あれから10年くらい。ネットの情勢も変わるし、あの頃あんなに持て囃された「ブログ」も意味を変えていくわけです。あの頃「もはや2ちゃんはダサイ」という空気があったように、この2018年の世の中も「ブログはダサイ」という価値観が蔓延していてもおかしくはない。

 

anond.hatelabo.jp

 

〇この増田を見て「ブログはダサイ」論が更に補強されたような気がする。ブログ黎明期の「何でも書いていいんだ!」という空気は残されておらず、今や「ブログ 書き方」で検索すると頭が痛くなるような記事がずらっと列挙されている始末。「初心者でも1000文字書ける方法」って何なんだ……?そもそも「ブログ=ウェブログ(web上の記録)」であって、「記録の初心者」って何なんだとも思うし、そう言った「文章の書き方教えますよ!」的な記事が支離滅裂なことを言っている事例は後を立たない。例えば「サービスを運営していると、最適な文章を書く事も多いです」と謎な書き出しをしていたり、「明るく、ポジティブな気持ちで書くことがポイント」と断言していたり……この辺はさっき話題になっていた「美容液で細胞壁が柔らかくなる」という話に通じているのかなと思う。大体の人は呆れるけれど、そこで「すごいですねー」と思う人だけを引き上げるというか、搾り取ると言うか、なんというか……。

 

〇ブログ黎明期の閲覧者数なんてたかが知れていたけれど、一億総SNS時代になったわけでTwitterでも毎日数万RTが当たり前の世界になった。それが当たり前になると「閲覧者数4」とかのブログはもはや廃墟と言ってもいいのかもしれない。かつてのmixi魔法のiらんど前略プロフ、各種ブログサービスの「自分好みにカスタマイズできるぞ」というのも大した承認欲求にはならず、きせかえ機能やトラックバック、カテゴリ内でのつながりよりも「閲覧数」「反響数」にシフトしたのが現在なんじゃないかと思ってる。はてなブログの特徴として「ブログカテゴリを設けていない」ところがあると思っている。他のサービスでは「主にどんな記事を書く予定ですか」ということを最初に聞かれるけどはてなブログは開設してからグループに所属するという流れになっている。その代わり写真ブログにいいレイアウトとかそういうのを準備していて、他のサービスと差別化を図っているなあと思うのです。ちなみにこの文章書いてる人はなんではてなブログで書いているかと言うと、この編集画面のUIが他のブログサービスより好きだからです。もっさりしてなくていいね、といつも思っています。

 

〇そんなわけで「はてなブログでやってる=SEO対策、マネタイズ!」みたいに捉える層から「読者数もPVも低いのに」と言われることがあるけれど「いや、本質はそこじゃねえだろ」と思うわけで。「読者数900人の人はすごいから問答無用で書いてあること信じるけど、読者数200前後とか増田とかはお金にならないから言及しないよペッ」みたいな人も世の中にはいるのでね……いやマジで*1

 

〇増田の話に戻ってくると、閲覧数こそ出ないものの良いものに対する反応は確実に返ってくる媒体は今のネット社会においてありがたいのではないだろうか。個人のブログは書いても本当に反応が返ってこないし、ぶっちゃけカクヨムも積極的に宣伝をしなければ何の反応も返ってこない場所だった。「良いものだから評価される」とは限らないというのがこの時代のネット社会なのかもしれない。だけど、「はてな匿名ダイアリー」はほぼ全文を定期的にウォッチしている人がいて、興味深いものは取り上げて話題にしているという稀有なサービスなのかもしれない。せっかくだから久しぶりに昔書いたカクヨムの宣伝を久しぶりにしてみる。「左の目玉」名義で書いてみた奴。今読むとなかなかエグイ。

 

水晶体奇譚(左の目玉) - カクヨム

 

〇別に増田がテキスト置き場になることが嫌というわけではない。ただ、増田を「はてブロ」などと呼称して本来のはてなブログの存在意義が揺らいだり匿名性を理解しないで「増田に書きました~バズりました~」なんて堂々とひも付けた記事が量産されると「それは違うだろう」とは思う。それに一番怖いのは増田の構造上成りすまし問題で、パクツイならぬパク増田だって現れるかもしれない。現にもう現れているのかもしれない。怖い怖い。パク増田、今思いついただけなのに我ながら恐ろしい言葉だ。

 

〇なんていうか、全てにおいて一番怖いのは「コンテクストが断絶すること」なんだよね。何故しつこくはてな村はてな村言い続けているのかと言うと、そういう歴史があったことを踏まえていろいろ考えてほしいと思っているからなんだよね。新参だって過去にあった出来事を理解することはできるし、そういう歴史があったから今の状況があるということを大切にしてほしい。「昔あったことなんか知らねーよバカ」と言われても、「そういう文脈でこの言葉は使われている」ということは考えていきたいと思うし、書いていきたい。

 

〇そんなわけで個人的にすごく嫌なことは「言葉は生きている」っていうのを「変容した」という意味ではなく「昔の意味を知らないのは当たり前なんだから誤用と騒ぐのは老害」みたいな意味で使われることかな。単純に「へー昔はそういう意味だったんだ」でいいのに、「間違った使い方されてるみたいに言われて不快だけど、俺は悪くない」みたいな開き直りを感じて居心地が悪いと言うか、なんというか。偏見だけどこういう言説をするのはブログでSEO対策とかマネタイズに熱心な人というイメージがあって、そうじゃない人もたくさんいるのはわかってるけどやっぱり事象に対して誠実じゃない感じがするんだよね。つまり胡散臭い。

 

〇この他に増田が変わったなあと強く思ったのが「京都のゴミ大学」にマジレスブコメが集まっていたときかなぁ。「京都のゴミ大学」はNettouochiさんが定期的に回収しているので真剣に集めてはいないけれど、かなり長期にわたって増田に現れているキャラクターだ。すっごく昔の話だけど、まだ高校3年生で増田連載(?)が始まったばかりのころ彼にマジレストラバを送った思い出があって何だか思い入れがあるキャラなんだよね。定期的に増田をウォッチしていれば彼の存在は暗黙の了解のようなところがあるけれど、何も知らなかったら確かに「うわあ」って思うかも。確かこの時は反応を受けて少し凹んだ彼がいたようないなかったような。

 

b.hatena.ne.jp

 

〇増田には他にも低能先生やパンティーなど「コンテクスト」がわかっていないと意味不明な存在であふれている(過去にはニーターパンおじさんとか増田漁業組合とかいましたね)。多分増田ってそういう空間でトラバを飛ばしあったりブクマしたりのハイコンテクスト空間だったんだと思う。それが文脈を踏まえない層がやってきたとき、一体どうなるかは誰にもわからない。それが2018年に起きる増田の変化だということは間違いないと思う。正直昨年末の「俺的2017増田ランキング」とか「俺の今年書いた増田振り返り」みたいなのも個人的に興ざめなんだけどね。漁業組合の釣果報告くらいブクマ稼いでいればわからないでもないんだけど。

 

〇しかし文脈を踏まえないと増田ウォッチャーは務まらないと思う。まずスパムと低能トラバでくじけると思う。多分「増田を見ています」みたいな人の中には低能先生やスパムの存在を知らない人も多い気がする。実際彼らはノイズでしかないと言えばそうなんだけど、増田を構成する大事なメンバーと言えばそうだと思うし。スパムですら「を書を書」と可愛がってもらえているのすごいと思ってる。

 

〇なんか書こうと思えば無限に書ける気がしてきたからこの辺でやめておこう。何にもまとまっていないので誰かまとめてほしい。事象はバンバン出てくるんだけどいつも「つまりだから何だ」が弱いのが悪いところなのかもしれない。今年は気をつけよう。

 

*1:個人的に衝撃すぎて忘れられない出来事になっている。

増田の概念が溶けていく

 お正月も終わって成人式にセンター試験という時期です。おもちおいしいです。ふとります。

 

 さて、年末から吹き上がっているガキ使問題について「元々の笑ってはいけないから随分とコンセプト変わってきたよなあ」と思っていることを書こうと思っていたけれど、増田の意味がどうも変容してるんじゃないかという事案にぶち当たったのでまとめておきます。以下、この文章は「増田の誤用」を叩くものではなく「はてな匿名ダイアリー」という場所がまたひとつ変化をしたという記録だと思ってください。

 

はてな匿名ダイアリー(増田)とは何か

 その前に前提知識を。

・はてな匿名ダイアリー

「名前を隠して楽しく日記」がウリの、匿名で日記が書けるサービス。アノニマスダイアリー→アノニマスダ→アノニ増田→増田ということで通称は「増田」。そしてこういうことを書くとブコメに必ず「増田ってそういう意味だったんですね」みたいなことを書く奴が現れやすい。

・はてなブログ

株式会社はてなが運営するブログサービス。お洒落なデザインや検索に強いなどの特徴があり、他サービスに比べてかなりアクの強い仕様となっている。

・はてなダイアリー

株式会社はてなが運営していたブログサービス。最近新規開設ができなくなったことで話題になった。

・増田の誤用

数年前からブックマークコメント欄で明らかにはてな匿名ダイアリーを対象としていないのに「増田」という言葉を使う事案を観測している。どうも誤用の背景には「増田」という言葉と「はてな匿名ダイアリー」が結びつきにくいため、勝手に誤用している人の中で「何やら書いている人」「おまいら」くらいの意味で使っている可能性が高いです。

 

 以上を踏まえて、増田の誤用に興味のある人はどうぞ。

 

はてな「匿名」ダイアリーが匿名でなくなる?

 実は数日前から「はてな匿名ダイアリー」を「はてなダイアリー」「はてなブログ」と呼称する案件が立て続けに発生している。観測範囲で初めて出会ったのはこの増田。

  

anond.hatelabo.jp

 

 ブコメにも書いた通り、この増田の1行目を見て「まさかどっかのはてなブログのコピペでもしたのか」と思って軽くググッたのだけど、そういうわけではなさそうだった。それに自身のブログなのに「変な書き方になったらごめん」というのも不自然なので、やはりこの増田を書いた本人が「はてな匿名ダイアリー」を「はてなブログ」と認識して書き込んでしまったのだろうということだろう。

 

 このくらいだったら「誤字かな?」くらいだったのだけれど、そのすぐ後にこんなツイートを見つけた。

 

 

 リンク先の増田はそこそこブクマが集まっていた模様。

 

anond.hatelabo.jp

 

 ただ、この増田で非常に気になる点が最後のほうに出てきて、

 

その辺は前に書いたブログでも読んでほしい(宣伝)

 

 そしてリンク先に飛ぶとやはりそこそこブクマを集める増田が。

 

anond.hatelabo.jp

 

 この事例で気になることが3点あって、「増田をはてブロと呼称したこと」「以前に書いた増田を『ブログ』と呼称したこと」と、一番気になったのがTwitterで筆者であることを明かして拡散させる」というところです。ただこの筆者の場合「匿名性の意味とは」と言及しているので「増田=匿名」の法則は知っていてやっているのでまだよいのかなぁという感じです。

 

増田でやらずにTwitterでやる

 さて、この一連の流れの決定打がそこそこバズったこちらの増田。

 

anond.hatelabo.jp

 

 これ、内容としては「いかにも増田らしい増田」なんだけど、この増田のバズり方がかなり異質なので記録として残しておきたいと思う。あとこの増田に「文章長い」というツッコミが多かったのでそこを補足しておくと、「医学部辛いから舐めんな」という内容ならば具体的に「どこのどういう部分が辛いのか」というところを書かないとさっぱり説得力がない。ただ自身の精神論が展開されるだけで説得力がないので突っ込まれる。そういうところだと思う。何かを訴える文章を書くときは具体例を必ず適切なものに設定して盛り込むことが重要だね。

 

 ただ、この増田が他のバズった増田と違う点はそのバズの成り立ち。実はこの増田をはじめてブクマしたのは自分だけど増田を全部読みこんでいて見つけたわけじゃなくて、Twitter上で「#拡散希望」されてるのを見つけて飛んでったというなかなか珍しい状況でした。余談になるけど、Twitterで「anond」で検索を書けると今バズってる増田の他に過去の増田に対してあーだこーだ言ってる奴とかはてなアカウントない人のカジュアルな意見とか見られるので非常に面白いです。

 

 

 これだけなら「増田にセルクマと何が違うんだ」になるのですが、この方のこの後の動向が今まであまり見受けられないものだったので非常に心に残りました。

 

かなし医(ギムザ) (@m_giemsa) | Twitter

 

 どうもツイートしているところから見ると「Twitterアカウントをとる」→「増田を書く」→「拡散希望ツイート」→「Twitter上で律儀にリプライ&言及をRT」と最初から増田に書く意味がわからない行動をとっているのです。「それ、自分のブログサービス作ってやっちゃダメなの?」というところで違和感MAXなわけです。

 

 この手のことを増田でやることのデメリットは、匿名ブログサービスであるため自身の証明が出来ないということです。大変悪質なことを考えてしまうと「誰かの書いた増田を見て『これは自分のことを言っているに違いない!』と思い込んで誰かの増田を乗っ取る形で現れた」なんて見方もできなくはない。現にこの増田の行為自体に言及しているトラバもある。

 

anond.hatelabo.jp

 

 この一連の行動で不審な点をいくつか挙げるとこんなところです。

 

・この増田を書きたくてTwitterアカウント(&はてなも?)を取得したらしい

 初めてのツイートの次が拡散希望ツイートで、時間がちょうど半日と何だかリアルな時間である。

・増田に書いたことを報告するツイートで拡散希望

 この辺は「匿名」の意味の拡大が招いていることだと思うけど、増田の最大の特徴は記事自体に識別できるヒモがついていないことなのにその良さを殺しているのが気になるところ。適当なブログサービスで十分なのであるが。増田の呼称を知っているのに何故増田でやったんだろう?

Twitter上の感想には律儀にリプライ&RT&いいね

 基本的に「お読みいただきありがとうございます」「文章が下手ですみません」というリプライやRTを大量にしている。しかしその内容も肝心の「医学部辛い舐めんな」っていう話にしてはすごーくふんわりしているというかなんというか……。

しかし肝心の増田に追記はない

 すごく不安になるんだけど、この人トラバやブコメ欄を知らないのでは……? こんだけ反響があってTwitterでひも付きの発言になっているのに追記がないのはかなり不自然。でも「増田」っていう呼称は知ってるんだよなぁ……?

 

 この辺のことから導き出せることは、「この人にとって最初から増田は匿名ダイアリーではなくただの文章置き場でしかなかった」ということらしい。つまり「増田に書いてトラバやブコメの意見を聞く」ということをこの人は全部Twitterで済ませていて、増田という場所を生かせていない。個人的に「Twitterで返信しているのにトラバやブコメには返信しないの……?」というのがかなり不安になる。

 

 また、この人のTLにこの増田を指して「はてなダイアリー」という記述も見かけて、なんかもう好き勝手呼んでくれよという思いであります。

  

増田が匿名でなくなるとき

 実はこういった「増田が匿名でなくなるとき」というのはたまに起こっている。一番顕著な例はやはり「保育園落ちた」の人のTwitterアカウント開設だろうか。この人今現在も待機児童問題についてツイートしていて、一過性のことで済まそうとしていないのが好印象。

 

保育園落ちた人 (@hoikuenochita) | Twitter

 

 後はこんな形でバズった増田を「あれ自分書いたんです」と名乗り出た例も。創作増田の種明かしはやっぱり叩かれるよね……。

 

note.mu

 

blog.edunote.jp

 

 他にも「100字(ブックマークコメントの限界文字数)では言いきれないけどブログやってないから単発で増田へ」なんていう記事もあったり、何故か自分のブログの文章をコピペして「増田ならバズるはずだ」みたいなケースがあったりと、こういった「あの時の増田です」ということ自体は珍しいことではない。ちなみにここでは「すいすいすいようび」「京都のゴミ大学」「ゲーム日記」など文体だけで個体を識別できるような増田は扱いません。

 

まとめ

 今までの種明かし増田と今回紹介した事例の違うところをまとめると以下の通りです。

・今までの種明かし増田

 最初は匿名が前提であったにも関わらず、思わぬ反響にびっくりして名乗り出るパターンだったり、最初から書き捨て前提で名乗って記事を書いていた。

・今回観測した増田

 はてな匿名ダイアリーの最大の要素である「匿名」を飛ばして匿名であることをよく理解していなかったり、「匿名」のことはわかっていても最初から特定のアカウントにひも付けるなど匿名であることの良さをわざわざ殺している。

 

 以上のことから考えられるのが、はてな匿名ダイアリーは既にかなり外に向いているサービスなのではないか」というところです。「保育園落ちた」の頃から薄々は思っていたけれど、それでもまだ「半年ROMれ」の精神がどこかにあったのが増田だと思っていた。ところが年明け以降こういったことが立て続けに見られたということは、いよいよ増田も何らかのステマなどの何らかの勢力が押し寄せてくる可能性が出てきたということです。

 

 つまりですね、いつまでもはてラボ扱いではなく正式サービスにしたっていいんじゃないかとかまた出てきたスパムを何とかしてくれとか京都のゴミ大学にマジレスするブクマが増えたとかすいすいすいようびに意味不明と投げかけるトラバがあるとかそういうこともあるし、何が言いたいかわからなくなってきたけど「増田」という場所がまた変わっていくのだろうなぁということです。そのうち「増田警察です」なんていうのも出てくるかもしれない。恐ろしい恐ろしい。

 

おまけ

 名乗り増田か何なのかわからないけど、名乗り系の増田ではかなり不安度が高いのでこちらで紹介しておきます。詳細はブコメに書いてある通りです。閲覧は自己責任でお願いします。

 

文章を読むのが苦手な人はとりあえずブログでも書いてみてはどうでしょう?

前からいるコピペ野郎(自演かは不明)。これだけ文章下手な奴に何を相談したり習ったりするというのだね……? http://www.inoue311.com/read-a-sentence

2017/11/20 08:32