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「創作実話」にまつわる簡易まとめ

 前の記事でまた今度というようなことを書いたので簡潔に書いていきます。

 

〇「長文スクショの代替」に関して、そもそもの「長文スクショ」がごく最近生まれた文化で「Twitter上で140字以上のことを伝えたいときにスマホのメモ帳に文章を書いてスクリーンショットで画像にする」行為はバズを生みやすい一方「過度な美談やいわゆる嘘松の温床」というイメージがあって忌避されやすい手段と認知されている変な文化だ。実際に長文スクショというものを見てみると確かに「お年寄りに席を譲らなかった奴を懲らしめた」「意地悪な上司をギャフンと言わせた」というような武勇伝めいた話が多い。または「飛行機で黒人が隣に座って気持ち悪いと騒ぐおばちゃんに対して、黒人をファーストクラスに移動させる策をとった」的な良い話ネットロアもあって、この辺のことを語ると「facebookのイイネ拡散」とか「ゲーセンであった女の子」とか、遡ると「一杯のかけそば」にまで話が広がるので一回止めにする。

増田関連の雑感 - さよならドルバッキー

 

 きっかけはこの記事を書いてからそこそこ伸びたこちらの増田。

 

anond.hatelabo.jp

 

 この文章を書く人はこの言葉を現状では肯定も否定もしません。ただ「嘘松」という言葉が生まれた背景を考え、広まった理由を考えたいだけです。以下「嘘松」に至るまでの「創作実話」の形などを思いつく限り列挙してみます。何か思いつくものがあれば追加も検討します。

 

ネット有史以前

「この話は本当にあった話です」

 怪談の枕詞。実話であろうがなかろうが「本当にあった」という言葉をつけるだけで怖さが倍増する。類義として「この話は友達のいとこから聞いたんだけど」など実在すると思われる第三者の視点を使うというものがある。

 

一杯のかけそば

 大晦日に母子で一杯のかけそばを分け合う美談が実話と言う触れ込みで話題になったが、創作ではないかという指摘でブームが去った。

一杯のかけそば - Wikipedia

 

ネット黎明期・2ちゃん文化

釣り

 匿名掲示板などであることないや大変大げさなことを書き込み、その反応を楽しむもの。エサを垂らして魚が食いつく様子に似ていることから「釣り」と呼ばれる。また、強い言葉を使って読む者の不快感を引き出す行為を「煽り」と呼ぶ。

 

「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」

 2ちゃんねるの管理人だったひろゆき氏の有名な言葉。「ネットの情報は真贋の判定を自分自身で行わなければならない」ということを端的に表現している。

 

ネットロア

 オカルト板で生まれた「信じようと、信じまいと―」など、いわゆる「都市伝説」と呼ばれるもの。都市伝説に関しては「オルレアンの噂」などネット有史から噂話として処理されるものが多くあるが、ネットの普及により爆発的に広まった。怪談や妖怪のほかに「ハンバーガーはミミズや猫の肉である」「品種改良により生まれた8本足の鶏でフライドチキンは作られている」といった食品に纏わる話や「〇〇死亡説」「子供番組で失言をした子供が次のシーンでくまのぬいぐるみになっていた」など信憑性のない噂まで多岐にわたる。

 

チェーンメール

 携帯電話にメール機能が備わった頃に爆発的に広まった迷惑メール。「このメールを受け取ったものは〇人に送信しなければならない」という文句がついており、その内容は「送らないと呪われる」と言った恐怖を煽るものや「幸せをおすそわけ」などクスっと笑える小話などバリエーションは豊富。中でも「RH-の血液が足りません」や「ペットショップの閉鎖で犬がたくさん処分される」など良心に訴えるものや「某番組の企画で〇人に回す実験です」「〇人に転送すると絵文字がもらえます」といったイベント参加型などはデマの発信源になり、様々な弊害をもたらした。

 

電車男

 ネット発の純愛ストーリーとして各種メディア化した物語。「実話」が元だという触れ込みであるが、ネットでのやりとりしか根拠がなく辻褄の合わない部分などを指摘されて「創作では」という声は尽きない。

電車男

電車男

 

 

ケータイ小説

Deep Love

 いわゆるケータイ小説の走り。ネットで連載中に寄せられた読者の実体験を元に途中から執筆されているため、無理矢理でスピーディな展開がこの後のケータイ小説に影響を与える。今となっては「読者の実体験」も本当のものであったのかどうか定かではない。 

Deep Love―アユの物語 完全版

Deep Love―アユの物語 完全版

 

 

天使がくれたもの

 「これは本当にあった話です」が効果的に作用したケータイ小説の元祖。当時の女子たちは物語の展開より「本当に存在した」というところに感動していた。中には「長い字ばかりの本を初めて全部読めて感動した」というものもあった。作者と読者の間の隔たりが溶けてきたのもこの頃だと思われる。

天使がくれたもの

天使がくれたもの

 

 

恋空

 ケータイ小説の代名詞になるくらい有名な作品。最初は「ノンフィクション」だったが途中から「実話を元にしたフィクション」に変更された。ちなみにこの文章を書いている人は当時いろいろあってガラケーで無編集状態の恋空に挑戦したが、途中どころかずっと頭が痛くなったのを覚えている。なお書籍版は頭の痛いところはわりときれいになっている。この時期に『リアル鬼ごっこ』が流行したことを考えると、一度何かがメルトスルーを起こしていた可能性が高い。 

恋空〈上〉―切ナイ恋物語

恋空〈上〉―切ナイ恋物語

 

 

まとめサイト

震災デマ

 東日本大震災時に広まったデマ。「製油所が爆発して黒い雨が降る」「原発からキノコ雲が見えた」「物資の支援をお願いします」などのチェーンメールが飛び回った。当時スマホが本格的に出回り始め、mixiに続いてTwitterfacebookなど新手のSNSが流行の兆しを見せていたころでそういった媒体もデマの拡散に使われるようになった。しかし同時にデマであるということもすぐに広まるようになったりと「デマとの付き合い方」について新しい道が見えてきた時期でもある。ちなみにこの文章を書いている人は某所に実際に行った避難所のことをぼそっと書いたらなんか知らんけどウケてめっちゃ拡散されて焦った記憶がある。

 

ゲーセンで出会った不思議な女の子の話

 2ちゃんで話題になったスレ。哲学ニュースnwkでまとめられ何故かはてブで3000user超えの伝説的スレッドになってしまった。「泣ける」と評判であるがその内容はケータイ小説の文脈と電車男の文脈のmixで、著者も「フィクション」を明らかにしている。これに絶賛の声が上がっていた当時この文章を書いている人は「ゲーセンで一生泣いていろ」と吐き捨てたとかそうでないとか。

ゲーセンで出会った不思議な子の話 (ファミ通BOOKS)
 

 

SNS

創作実話

 この言葉が出てくるのは結構最近の話。主に「ちょっといい話」を書いて反応を貰うという構図のものが目立ち、「お年寄りに席を譲った」とか「ヤンキーに復讐した」みたいないわゆる「スカッとする」ものが多い。一時期mixiやfecebookなどで拡散、イイネ稼ぎで使われた。

 

釣り(現代版)

 かつて「釣り」という言葉があったが、時代が下るにつれて「反応をみて面白がる」の他に「自サイトのPVを上げて広告費を稼ぐ」といった目的で釣りを行う者が出始めた。主に真面目な人をバカにしたり倫理的におかしなことを言ったりすることでヘイトを稼ぐことで閲覧数を上げるので「ムカつくことを書く=釣り」という図式で理解している層が微妙に存在している。

 

嘘松

 上記のような創作実話について「創作をするな(嘘をつくな)」という意味で使われ始めた言葉。由来としては諸説あるようだが、「おそ松さんファンが好んで創作実話をするところから」というのが一般的。その使われ方は否定的なものが多く、「はい嘘松」と書くと「嘘をつくな」の他に「お前の話(お前の存在)はつまらない」と人格否定が混じったニュアンスになってしまう。そのためこの言葉を忌避する傾向もあるが、語呂の良さゆえか当のおそ松女子と思われる人たちも「これからする話は嘘松なんだけど~」などと積極的に使用する例も見られる。主に「夢女子」と呼ばれるジャンルの方々と親和性の高い言葉だと思われる。

 

嘘松」と「創作実話」のニュアンスの違い

 当の増田をはじめ、「創作乙や創作実話じゃダメなの?(プンスカ)」という意見が多数あったが、上記の流れを考えると「嘘松」と「創作実話」という言葉は使われ方がかなり違う。個人的には「創作実話」という言葉は現在の「フィクションを現実に起きたことのように吹聴する」行為と別と捉えている。

 

 そもそも「創作(フィクション)」と「嘘」という言葉を同列にできないと思っている。小説家に対して「お前は嘘つきだ」という言葉を当てはめることやホラ吹きに対して「お前は創造力豊かだ」という言葉を当てはめることができないところから察してほしい。どちらも「虚構」という面では同じ性質だが、そのニュアンスは正か負かで大きく違う。

 

 元から「創作実話」という言葉にもよくないニュアンスはあったが、やはり「嘘」という言葉をダイレクトに盛り込んだことで「嘘松」のほうに完全に侮蔑の意味がついてしまったのがこの言葉の不幸なところで、この言葉を良くなく思う人が多いのも無理はない。個人的にこの言葉を連発する人は「女さん*1」「インスタ蠅*2」くらいの意味で使っていると思っている。

 

何故ここまで「創作実話」は忌避されるのか

 「創作だっていいじゃん、本人たちが楽しんでいるんだから」という意見も多く見られる。確かに最初から「これは創作です」「妄想用アカウントです」と銘打ってあるものに対してまで「嘘松」と罵るようなことは少ない。「嘘松」が使われる背景をいくつか考えてみる。

 

空想と現実の区別がついていないのではという不安説

 個人的にはこの説を推したい。現実世界でもあることないこと言う人は存在だけで不快に思われることが多い。ネットだからこそこういった発言を許容しがちであるが、現実世界で面と向かってこんな話をされても困ってしまうどころか発言者の心配をしてしまうと思われる。ネットとリアルの垣根がゆるくなった結果、こういったところに歪が生じているのだと思う。

 

嘘をつく理由が創作行為ではなく承認欲求由来と思われている説

 一般的な理由としてはこの辺が妥当と思われる。いわゆる「イイネ稼ぎ」のためにあることないこと言いまくっているのはやはり行儀が悪いと見なされても仕方のないことだと思う。

 

PV稼ぎの「釣り」によるヘイトの蓄積説

 イイネ稼ぎに飽きたらず、あることないこと言いふらして自サイトに誘導して広告費を稼ぐといった行為もまとめサイトをはじめよく行われている。単なる個人の問題からビジネスに発展するとどうしても胡散臭いものを警戒してしまう。

 

単に作り話のクオリティが低い説

 話し手としては「こうだったらいいな」という願望を話しているのかもしれない。しかし、よく考えて発信していないので「私はこうだった」としか読み取れない発信をしている可能性もある。誰でも気軽にSNSに投稿できるようになった反面、このような悲劇が起こっていることも念頭に置いておきたい。

 

まとめ

 こうやって考えてみると、個人的には「嘘松」に代わる言葉は「創作実話」ではなく「釣り」だと思うのですが、そうするとまた別のニュアンスが入ってきてしまうのでやはり違うな、とも思います。ただ「嘘松」には確かに行為そのものの呼び名に加えて人格否定の意味も入ってくるのでバンバン使用するのは難しいところであります。

 

 以上、「創作実話」という言葉や概念に纏わることについて思いつく限り列挙してみました。今後情勢が変わる可能性も十分あると考えられるので、「これが絶対正しい!」という保証は一切いたしませんし、この記事をネット文化の研究という名目で卒業論文などに使うのはやめたほうがいいでしょう。もしそういうのをやりたいのであれば、このくらい自分で具体例も含めて調べないとダメです。まずは小町、増田ウォッチから始めましょう。おわり。

 

 

*1:あえてマイルドな表現

*2:インスタ映えから来ている何でもインスタ映えを気にする人の蔑称