あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

しかして増田は滅ぶべきなのか

増田をしばらく見てきたけど、最近完全に増田の空気が変わったのを感じている。特にコロナ以降が顕著だ。そんな残念な気持ちをちょっとメモる。

 

※文中に頻繁に登場する「おいでやすこが」はお笑いコンビのことです。ボケのこがけんが変な歌を歌って、ツッコミのおいでやす小田がものすごい勢いで怒鳴りツッコミをするという芸風です。気になった人は調べてみてください。

 

増田とブコメのきしょい共(依)存関係

おいでやすこが風に言うなら「なんやそのきっしょい関係!きっしょ!」くらいの関係である。

 

いつもこのブログを読んでくださる方なら説明不要だと思うが、簡潔に説明すると「増田に書き込み、ブクマカがブクマすることで増田が拡散される」のである。増田単品でバズることはなく、ブクマカがブクマをしないとTwitter上などには流れない。しかしブクマカは増田の記事がないとブクマできない。キノコとアリのような関係なのだ。

 

ブコメの流れが変わった

で、そんな増田にもいろんな増田がある。退職エントリやライフハック、壮大な人生相談に婚活体験記、はたまた短文一発ネタやパンティーなどもある。その中でも「風俗体験記」というのは増田の一大ジャンルなのである。風俗体験記と性癖暴露大会、初体験告白記など匿名故に性に関する話題は元から豊富で、うんこ漏らしもその辺のジャンルと被ってくる。

 

anond.hatelabo.jp

 

で、こちらの増田を最初に読んだ時は「風俗体験記モノ」と処理した。その文脈ではなかなか面白かったと思う。

 

しかし、ブコメではそうではなかった。本気で気持ち悪がっている人が少なくない数で見られた。確かに気持ち悪いのだが、それを言ってはこの手の増田は本当にみんな気持ち悪くなってしまう。本気で嫌悪感をぶつけているのだとすれば、個人的感覚とすれば「スプラッタ映画を見て気持ち悪いからこの世から規制しようというような感覚」なのである。

 

ここでの問題なのは「スポーツ新聞のエロ記事を見ているのにエロは不快とクレームが入る問題」である。そうなるとゾーニングという言葉は既に無意味である。「電車の中で無理矢理見せつけられて不快だ」という主張なら正当性もある。しかし、増田で増田的なことを書いて読んで「うげえ気持ち悪い(本気)」とコメントするのはまた別の問題ではないだろうか。

 

みちかや温泉むすめで何度も言われているように「公共の場で何やらお色気的なことを出すのは如何なものか」という話ならわからないでもない。しかし増田なのである。うんこ漏らしで釣りだらけの増田なのである。しかもタイトルは「風俗で号泣した」なのである。「スタバなう」とツイートしてラーメン画像が貼ってあるわけではない。

 

きしょい増田は死ぬべきなのか

元増田の読み方としては「お前きっしょ!」というおいでやすこが的なツッコミがある意味での正解だと思っている。しかしおいでやすこがも本当にきしょいと思っているわけではない。おいでやす小田がこがけんに「あの自分、そういうのオモロいと思ってやってるなら全然オモロくないからやめた方がいいと違う?」と真面目に諭すようになったら漫才は成立しない。

 

ここで増田とブクマカのきしょい共存関係が再登場する。増田側としてはブクマカ(でなくても読者)に対して「きっしょ!」というツッコミが欲しかったのだ。しかし思った以上にマジレスが多くなってしまった。これは事故であるのだが、さて原因はなんであろうか。

 

ひとつは「共存関係がきしょい、ハイコンテクストすぎる」というものがある。頻繁に増田に出入りしている人でもなければ風俗増田なんか知る由もない。つまりそんな蛸壺化している増田というシステムがきしょいので断罪されるべきなのであるという考え方。

 

もうひとつは「性的な文章を有難がるきしょいはてなー」である。これからの時代、性的なことを語るのはいつどこで誰が傷つくかもしれないので女性を性的に搾取する風俗に行った話を聞いてヘラヘラしている奴は人権意識が足りない野蛮人であるという考え方。

 

あとは「たかが増田でタイトル詐欺でもないのにマジレスしちゃう奴問題」もある。「半年ROMれ」ではないが、そういうコンテクストを知らずに読んできしょいというのも何かが違う気がするという考え方。

 

さて、今回の場合一番の解決策は増田のトップに「このサイトの書き込みは匿名であるため公序良俗から逸脱した内容のものも多く含まれますがそれでも読みたい人は読んでください」というような断りを入れるのが現実的かなあとは思う。そうすればきしょいのが読みたくない人は増田を避けることができるし、きしょい文が読みたい人はこれまでどおり読むことができる、これで万事解決………なわけないだろ!アホか!

 

これからの増田とこれからのネット

ここから結構壮大な話になるのだけど、萌え絵的な話も今回の件も要は「場所ごとのコンテクストの衝突をどうするか」ということなのだと思う。例えば自分はハピツリとか大好きだけど、ハピツリのコラボの広告とかあったら「やめろ!」とは思う。お色気と違ってホラーやグロ、虫なんかは多くの人が不快になる可能性が高いのであまり大々的には出てこない。ちなみにホラーやグロもコンテクストが大事なコンテンツだと思う。「食人族」とかただの猟奇映画と思われているけど、「世界残酷物語」のカウンターということを踏まえるとめちゃくちゃ面白いよ。

 

しかし、お色気は難しい。「ここまでOK」というラインが完全に主観で引かれているため、レースクィーンラインとブルカラインが常に衝突している。どちらも自分のコンテクストで語っているから永遠に相手を理解出来ていない。こがけんだけ見えていないとおいでやす小田がひたすら叫んでいるだけで「なんでこいつは怒っているのだ?」となってしまう。相手が怒っていると思ったら、こがけんを探すのが大事である。

 

あと余談になるのだけど、この前犯罪予告で騒ぎになった増田があって「だから増田は閉鎖するべきだ」とコメントしている人が結構いたのにも驚いた。まあ自分が対して関わってないものがなくなっても困らないし、寂しさもないからね。「〇〇はないほうがいい」とすぐ思う時は、まず〇〇のユーザーや〇〇そのものについて考えてみてほしいと思う。

 

例えば田舎で女性が料理して男性が宴会をするのはきしょいからやめろというのをよく見るけど、料理が好きで「今日は張り切って作るよ!どんどんお食べ!」という女性も少なからずいるので一概にやめろとは思わないし、そういうシーンを見て文句を言うのは単に「個人」が嫌な思いをしたからであるというのはもう少し浸透してもいいと思う。

 

似たようなものに「体育会系だからいじめをしていたに違いない」「運動会なんか消えちまえ」「大人数で忘年会なんかやりたいわけがない」みたいなのもある。そりゃそういう考えがあるのはそうだけど、ネットというのは似た意見を複数見るとそれがスタンダードであると錯覚しやすい。飲み会嫌いな人がいるのは当然だけど、飲み会が好きな人だっている。「飲み会好き(嫌い)とか頭おかしい」と言ってる限り何も解決しない。解決する気なんて誰もないのだろうけど。

 

まとめ

とりあえず思いついたことをバーッと書き出してみた。最近は増田を見てもブクマしたくなる増田が少ないし、ブコメをしても盛り上がるブコメになりにくくなっている気がしている。増田のコンテクストが変化しているのかもしれない。コンテクストコンテクストってなんやねん。今年のM-1グランプリはインディアンスと錦鯉を応援しています。インディアンス結構好き。錦鯉はあのツッコミはポリコレ的に大丈夫なのかいつも不安になるけど勢いが好き。最近はお笑い実力刃という番組でかなりガチめにお笑いの話してるの聞くの好き。M-1の話はM-1終わってからにしましょう、おしまい。