増田の誤用とコンテクストの断絶と新たなジャーゴン
ちょっと言いたいことを言っておく。今回の件はウザイとかキモイとか以前に「コンテクストの断絶」で全て説明がつくと思った。はてな村どころか、本当に全てのコンテクストはダムに沈んでしまったんだと思う。
azanaerunawano5to4.hatenablog.com
【増田の誤用】
この「増田」という言葉、当たり前のように使っているけれどどのくらいの人が「増田」を認識しているのか、っていうのがある。こんなところ読んでいる人はご存じのとおり「増田」とは「はてな匿名ダイアリー」の略称である。「アノニマス(匿名)ダイアリー」が「アノニマスダ」になり、「マスダ」から「増田」になっているのだけれど、この言葉の面白いところはそのまま書き込んだ名無しのことも「増田」と称するところだろう。
で、昨年気になったのが「増田」という言葉の誤用例をちらほら見るようになったということ。何故かブコメで個人のブログにも「増田」という言葉を出している人が何人かいる。しかも一例や二例ではない。そう思って書いたのが以下の記事たち。旧館からいくつかサルベージしてきたお気に入りの記事です。
どうやら「ネタっぽい生活的なことを扱った記事」のことを「増田」だと思っている人がいるらしい。そしてそれがまた最近ちらほらと見かける。
そこで気になったのが「どうして知らない言葉を使おうと思うんだろう」っていうところです。増田という隠語がわからないなら、「はてな 増田」で検索すればはてなキーワードはもちろん、ニコニコ大百科にもwikipediaにも載っている。ここで検索する気力がないとかそういうのは別の話になるので機会があれば。
はてな匿名ダイアリーとは - はてなキーワード
増田とは (マスダとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
増田 - Wikipedia
【コンテクストの断絶】
そんなわけで既存の言葉を検索して意味を調べるということもなく自分流にアレンジして使用するから、わけのわからないことになっていく。
はてな村、という単語も従来の蔑称ではなく肯定的な意味で使用する人々が現れたのも興味深い。「はてな村に入りたいんですが!!」って元気よく扉を叩くものもあれば、「はてな村で有名になりたいんです」とか聞いたことあるフレーズを言うものなど従来の「ねっちこい人間関係でわーわー言っている連中」という意味はなくなり、そこに「はてなブログでの中心的人物(?)」としての意味が加わってしまった。だから混乱が起こる。非常に内輪向けの話題であるところを「はてな」という広いサービスの名前を冠してしまい、更にそれが既存の言葉であることに頓着をしない。つまり言葉が殺されている。
更にそれを踏まえて「はてなブックマーク村」と「はてなブログ村」は別で、はてなブログをやっている人は気持ち悪くない連中だからあいつ等とは無関係、という歴史も考察も一切ない考え方が飛び出す。「はてなダイアリー村やハイク村はどうなんですか!?」とか「はてなブログ村ってどこからどこまでですか!?」とか、そういう疑問は「手斧」に相当するから行ってはいけない。そしてそれを鵜呑みにして「うわぁはてなって怖いところなんですね」とかそういうブコメがあふれる。それがまた「互助会」として批判される。自分の頭で考えよう。
そういう文脈の中では「はてな村」という言葉はもう従来の意味を失って「はてなで叩かれた時に叩いたものを分離する」という役割しか持っていない。使用例としては「ブコメで叩かれましたー」「ブックマークなんてするのは気持ち悪いはてな民で頭が悪いからネガコメハスルー!」「ありがとうございます、ポジティブでいいですね!」みたいなそんな感じ。で、該当のブックマークを見ると厳しめのコメントが2、3くらい。あとは「そうですねそのとおりです」みたいな感じ。そういうのを良しとするのが最近の主流。この流れはきっとどうしても変えられないんだと思う。
伝聞での知識のみだから、実際の手斧祭りの過去記事を漁って「うわぁ気持ち悪い」と言う新規ユーザーは存在しない。これは「増田」の誤用と似ている。既にある概念をセンセーショナルな言葉でレッテルをつけて、それを盲信してしまう。だから群れるのは危険だと思うんだよね。
これは「リア充」や「壁ドン」の辿ってきた道に近い。「リア充」は元々2ちゃんの大学生活板の中で「2ちゃんなんかやってるぼっちの俺たちなんかじゃないちゃんと友達がいる人」「便所飯をしなくていい人」というくらいのものだった。それが今では「恋人がいる人」という意味で使うことも多い。いわゆるウェーイな飲み会の席で恋人自慢をしている人に向かって「いいねーリア充だねー」などと声をかけることがあるけれど、まず友達と飲み会を開いている時点で元の意味からするとこの上なくリア充なのだ。おそらく「はてな村」も似たような末路を辿るだろう。
【新たなジャーゴン】
それでここ数日の「ウェーイ系」という言葉が非常に気になった。これは「互助会」に変わる新たな蔑称になるのではないかと思った。もともと「互助会」という言葉もid:ninosanさんが使い始めていたのが割と最初だと思うし*1、2年前のサードブロガー論争時には「身内ブクマ」と言う言葉が使われていたので比較的新しい言葉のはずだ。
この「ウェーイ系」と「互助会」は同質的なものだと思う。ニュアンスとしては「ウェーイ系」のほうが少し侮蔑の意味がひどい感じがする。どちらも「相互ブクマをしてホッテントリ入りを目指す」という点では変わらない。サードの頃は確か露骨に相互ブクマしてホッテントリ目指そうという記事が乱立していたので表だってそういうのがスパム、と認識されるようになった感じはする。徹底はされていないけれど。
で、話題のヒトデ氏たちが当時のように「お前ら俺たちにブクマしろよー」とか煽っているわけではないと思うし、彼らは彼らなりに人気コンテンツとして成り立っていると思う。ただ際立つのは、「コメント欄の異様さ」だけだ。「参考になります」「いつ見ても面白いですねー」「ネガコメに負けないで!」みたいな、久しぶりに会った親戚のお姉ちゃんを褒めるみたいなコメントであふれている。無言ブクマでいいじゃん、とかブコメじゃなくてコメント欄でやれよ、とかそういうのも多い。
そういうのを見ると、単純に互助会案件って「コメント力」なんじゃないかなぁと思う。毎回面白い記事やコメントであふれていたら、多分「互助会」とも言われない。どうでもいいことをさも当たり前のように表現してそれを「素晴らしい」なんていうからよくわからないことになっている。「掃除したらきれいになりました!」っていう記事に「すごいですね、掃除はいいですよね!」ってそりゃ当たり前だ。そんなのがホッテントリに連日くるんだ、確かに溜まったものではない。
多分これは現実のフィルターの違いなのだと思う。「当たり前のこと」が「すごい!」と思う人との感覚のズレなんじゃないかなぁ。確かに掃除したらきれいになるけれど、そもそも「掃除をする」という発想がない人にすれば「掃除したらいいんだ! わぁ勉強になった!」という反応だろうし、新しい現実との遭遇でそれを的確に言語化することも難しいのではないか。最近そんな記事を見てそう思うことにしている。
そんなわけで来年も新参と呼ばれる人がはしゃいじゃって、それを見た古参(?)が苦い顔をするということは変わらないと思う。そして「サードブロガー」→「同期ブログ」→「身内ブクマ」→「互助会」→「ウェーイ系」に続く新たな蔑称が登場するだろう。歴史は繰り返す。だから歴史の勉強は大事なんだと思います。
あと、自分は記事やコメントで気の効いたことを言っていれば古参でも新参でもどっちでもいいです。ただ「初心者だからわからなかったんです!」と言う前に少し調べるとか半年ROMるとかいろいろ対処する方法はあるだろう、って思うのです。おわり。
「アングラァ…モヒカン…」 「お、捨てはてな村民だ。可哀想に…」 「ヒャッハー…」スリスリ 「よしよしウチで飼ってあげようね」 「そんじゃーね!!(笑)はてなではお茶が出ない!(笑)違う、論理的主張の出来ない雑魚が(笑)」 「こらこら、はしゃぐなはしゃぐなww」
— 虚無透 (@zeromoon0) 2015, 10月 2
*1:違う説があったら教えてください。