あのにますトライバル

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バニーガールはエロいに決まってる

例によって環境型セクハラのウェイウェイが発生しているんだけど、簡単に思うことをいくつか。ちなみにこの記事では「広告表現としてアレはありかなしか」という話は一切しません。「バニーガールはエロいと決まっている」「そもそもエロから文脈を切り取られた表現結構あるよね」という話が主体です。例の広告の話は一切しません。いいですか、例の広告の話はしませんからね。

 

バニーガールはエロいに決まっている

今回の話が「広告としてどこまで露出していいのか」みたいな話になってるけど、個人的には「露出云々は別にしてバニーガールはエロい」と思う。何故なら「元々バニーガールはエロい文脈で生まれているから」である。

 

ja.m.wikipedia.org


懸命な方々ならバニーガールの文脈くらい知ってるだかろうと思うけど、省くのも何なんですげー簡単に書くと「PLAYBOYという成人雑誌のマスコットがウサギで、その格好をしたキャンペーンガールとしてウサギの耳を付けたエロい格好の女の子が起源」なわけで、マスコットの理由も「ウサギは年中発情しているから」という非常に下世話な意味も含まれている。


つまり「バニーガールはエロい」のである。「アタシ絶賛発情中!ムラムラした男どもヘイカモン!」なわけである。エロいやん。もう絶対的なエロじゃん。セックスの権化よ、バニーは。発情繁殖万々歳よ。ちなみに健全そうなディズニーの「ズートピア」でも「ウサギは年中発情期」はちゃんと擦ってて偉いなあと思った。


しかし、日本人として特に若い子にとっては「バニーガール」にどんな意味を見出しているのかは少し不明である。「ただちょっと露出の高い服とウサギの耳付けた格好」と思っている子は多いのではないだろうか。そもそも最近の風潮として「コスプレ」そのものが日常に溶け込んだためにコスチュームというものに非日常を感じることが減ったのではないだろうか。


例えば「入院して看護婦さんとムフフ」とか「残業してたらリクスーの新入社員とえへへ」とか「〇〇の制服でこれはいけません!いけませんぞ!」みたいなのとか、なんかそういう鉄板ネタがやっぱり多様性によって小さくなってきてそこに含有されていた意味すら蒸発してやいないだろうかみたいなという思いはある。


例えばメイド服。メイドって女中さんなわけで本来は「いやでございますわご主人様、奥様に見つかったら……」みたいなところも含まれていたはずであり「ご主人様のお世話なら夜のお仕事も含めて何でも致しますわ」みたいなのもあったはず。ところが今ではどうだろう。メイド服に「もえもえきゅーん」なる意味が上書きされちゃいないだろうか。そもそもなんなんだよもえもえきゅーんって。エッチしていいの!?お触りは禁止で崇めるだけなの!?ご主人様のお世話はどこまでするの!!??夕飯は冷凍のオムライスにケチャップで絵を書いておけばいいの!!??ねえ!!!!!


あと漫画の広告とかによくある「俺様系ドS男子」みたいな煽りすごく恥ずかしいからやめて欲しい。え、ドSなん?縛るん?踏むん?放置するん?言葉責めマスターなん?なんなん?「意地悪なことつい言っちゃう」くらいの意味で使ってるならもうもう恥ずかしいからやめてあげてー!ってなる。あと飲み会とかで「俺ドMだから(いじっていじって!)」とか言うの。え、ドMなん?今すぐそこに正座する?動くなよ喋んなよてめえが自分でドMって言い出したんだからな、ドMっぽくその辺で豚みたいに鳴いてろよみたいなこと言われたいん?え、そう言うんじゃない ?えー。


文脈を無くした企画

文脈の喪失と言うと一番最初に思い出すのは「笑ってはいけない」だと思う。「笑ってはいけない」と言えば「浜田黒塗り事件*1」もそうなんだけど、実は「笑ってはいけない」という企画そのものが「文脈を失った見世物」だったわけで。


そもそもこの「笑ってはいけない」は罰ゲームとして最初は登場する。浜田と松本がゲームをして、勝った方が企画した罰ゲームを行うというものだった。そういうわけで初期は本当に笑わせに行っていたし、罰なのでケツバットを回避しようとメンバーも頑張っていた。そして年末特番になってからの違いは「ガキ使メンバーが仕掛け人」というところだと思う。ここを無くした時、「笑ってはいけない」は罰ゲームとしての意味を喪失して「なんか芸能人がワイワイするだけ」になってしまったんだと思う。


初期の「笑ってはいけない」は、本当になりふり構わず笑わせに行っているので内輪ネタもしつこくやるし、対外的な笑いじゃなくてメンバーのツボに刺さる笑いを繰り返し繰り返し仕掛けることで必死に笑いに耐えるメンバーを見るのがコンテンツとしての正解であった。笑わせる対象が明確にメンバーであり、それに似た感覚の視聴者も一緒に笑うという感じである。今「笑ってはいけない湯河原」辺りを見ると十姉妹和尚とかダースベイダーおばちゃんとかシュールすぎてキッついのではないかと思う。個人的に「笑ってはいけない」だと「ハイスクール」の劇団ひとりと「警察」の板尾創路と「新聞記者」のヌンヌンが大好き。ヌンヌンは「ヌンヌンや」の響きがパーフェクトすぎて好き。ヌンヌンや。


ところが最後の方の「笑ってはいけない」は「視聴者を笑わせる」にシフトしてしまったため「視聴者の知ってる大物芸能人に変なことをさせる」「目玉番組のため番宣も兼ねている」「ビンタとタイキックの定番化」に加えて「ケツバットの無意味化」が最悪なほうに転がったと思っている。実際年末に「笑ってはいけない」を見ていたら「ところでどうしてこの人達はお尻を叩かれなくちゃいけないの」と普段ガキ使を見ない人に言われ、「そっか、もうこれは罰ゲームじゃないんだな」と思った次第でありまして。それからずっとこの「本来の意味の喪失」について考えてきたところです。


なお「そもそも罰ゲーム自体が野蛮よ!」と言われればそれまで何ですが。うるせえセックスも暴力も野蛮で現代では透明なケースの中に隔離されて「これが人間の生殖行動よ」みたいになりつつあるけど、汚いセックスも暴力も本来は生物としての内側に備わってる根源的なもので、それを切り離せると本気で思ってるならまーそれはそれであと何万年人類が淘汰されたあとの世の中になるっつーんだくらいの感覚ではある。なーにが「正しい性教育」だよ!生殖行為に正解も不正解もないんだよ、ただそこに行為と結果があるだけなんだよ!!やるべきはセックスの勉強に加えて「被害者にも加害者にもならないための心持ち」であり、やはり我々は暴力について学ばないとならないんだな。


文脈の消えた世界で

まあつまり、バニーガールも本来の意味を知っていると「キャーえっち!」という感覚も存在するのだけど、それを知らなければ「ただの露出高い服じゃん」となるし、「笑ってはいけない」に関しては「罰ゲームニヤニヤ」の文脈がすっぽ抜けたために「なんか大御所芸能人が変なことやるテレビ」になりさがったなと思ってる。ただ元々の意味なんかみんな知る必要も無いし、わかったところでその意味が欠落しているならそれはもう「なかったこと」になるんじゃないかな。今の世の中で花魁の格好のアイドルがバーンと広告出したとして「売女の格好しやがって」というクレームはあまり来ないだろうし、「花売り」は「ゲーム中盤で死んでしまう」というイメージになってしまったとか、「いやぁ元々はさ」みたいな話を始めようものなら「きゃーセクハラよ!」と言われちゃう。


そもそも短歌だって「君を性的対象と見なしています、僕とセックスしてください」「やーよあんたなんか甲斐性なしのくせに、あたしゃもっとイケメンの大金持ちがいいわ」みたいな奴だったのに、なんか高尚な趣味みたいに捉えられてるよね。古今和歌集とか「君マブいやりてぇやりてぇ」くらいの情熱が当時あったとしても千年のうちに時間ウォッシュされて「激しい恋心を歌っている」なんてのになってるかもしれない。激しい恋心、つまり君とひとつになりたい、想いを通じ合わせたい、あっセクハラ!セクハラですよげにあしきさまなり!!あしきさまなり!!

 

nogreenplace.hateblo.jp

 

まー広告の快・不快で話をするなら、個人的に俺様系ドS男子みたいな漫画の広告が大変に不快なのでやめてほしい、というか漫画の広告で「都合のいい男」を使うのやめてほしいなぁ。もちろん都合のいい女もヤダけどさ。でもそんなのは世間としてはどうでもいいので認められないよなぁと思う。この辺の話、何となく「W杯に興味無いから日本が負けたらざまあみろ」の精神に似てるような気もするけど多分気のせいだ。寒くなってきたから昆布で出汁とって鍋作ったら美味しかった。今夜は鍋つゆでうどん。おわり。

 

*1:ビバリーヒルズ・コップエディ・マーフィーに扮したところ「黒人差別だ」となった話。