あのにますトライバル

ぶっちゃけ増田とかのことしかもう書いていない。

フィクションにおける「都合のいい男」の話

思ったことのメモです。正しい世界を目指しているわけでも間違った世界を生み出そうとしているわけでもありません。

 

おちてよ、ケンさん - 鳥トマト | 少年ジャンプ+

ケンさんが「漫画でフルボッコにするための都合のいい男」として描かれていてこれが「男の性的な消費」なのではと思った。

2022/11/03 19:56

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ブコメの通り、この漫画に出てくるケンさんは非常に「都合のいい男」だなと思ったのです。以下「都合のいい」についてちょっと考えたことです。


【都合のいい女】

女性はよく「都合のいい女にはなるな」と言われる。具体的に言うと「何でも言うことを聞く」「お金の面倒も身の回りの世話もセックスもなんでもしてくれる」というところだろうか。つまるところ「セックスできるお母さん」になってはいけないということだ。これに金払いが入ると最強になる。「旦那が何もしてくれなくて~」みたいな愚痴をよくよく聞くと「朝ごはんは用意しないと食べてくれない」「言わないとやらないからいちいち小言を言う」など「あなたが甘やかすからでは」という共依存に陥っているようなものもある(個別のケースの所感です)。


また、フィクションでは「セックスを誘う未成年」などの形でも登場する。実在の女性にしたら嫌われるようなことでも受け入れ、性暴力を振るうような主人公に対して好意を持つことで読者に「女はこんなに暴力を受けたがっているぞ!」と勘違いさせると批判が相次ぐ。例えば「お帰りなさい、ご主人様!私のおっぱいを見て癒されてください!」なんていうのはフィクションでも実在の女性に影響を与えるから有害、というわけである。


【都合のいい男】

じゃあ「都合のいい男」っていうのは何なのかっていうと、単純に「性的なものを強調している」ってわけでもないと思うのね。「おっぱいが大きいのは嫌!」「じゃあチンコがでかい男キャラはどうなんだ!」みたいな話が毎回毎回毎回毎回出ていたけど、女性は男性に比べて異性の生殖器に興味はないと思われるのでここは大きな問題ではないのだろうと思う。そこで出てくるのがメッシーアッシーみつぐ君なのだが、要は「尽くす女」と対して変わらないので「男特有の」となるとちょっと違ったりする。


そうすると「フィクションに触れたことで異性を誤解する、記号的に消費する」というのが有害さの本質であって、「女性がフィクションに触れて男性を誤解する、またはフィクションで男性を記号的に消費する」ということがミラーリングとしては相当すると思う。じゃあ「男性が記号的に消費される」ってどういう状況なのかというと、最近思い当たる男性像がある。


簡単に言えば「モラハラDV野郎をスカッと成敗する」みたいな漫画のキャラクターである。例えば例にあげた漫画はケンさんが何故そのような振る舞いをするかというケンさんに向き合ったコンテンツではなく、ただ「有害なケンさんが狂っていく様を更に性格が困ったちゃんの主人公が楽しむ 」という構造になっていて、ケンさんが如何にモラハラDV野郎になったかという言及はない。何故ならケンさんは存在自体が(読者の想定では)害悪であり、彼は断罪されるべきキャラクターとしか存在していない。そこにケンさんの意思はなく、憎まれるためだけに生み出されている。故にケンさんは愛を知らない。「悪人に人権はない」という昔のことわざがあるけど、まさにケンさんは悪人としての象徴であり、彼が転落していくことに意義があり最初から精神的に殺されるためだけのキャラクターに「愛」など教える必要はない。


以前のねほりんぱほりんで「虐待していた人」を取り上げた時、何故虐待をしてしまったのかという思考を珍しく紹介していた。「被害者の心理」はよく取り上げられるが「加害者の心理」は本当に取り上げられにくい。「何故加害に至ったのか」は加害者にしかわからないし、もしかしたら加害者にも何か事情があったのかもしれない(だからと言って被害者に遠慮しろという話では全くない)。


なんていうか、ケンさんからはそういう「人生」を感じない。細川、作者、想定読者のために悪者になるために生まれてきたような、そんなものを感じた。それって「よく揶揄される赤面してる巨乳の女性キャラクター」と何が違うのかと言われると「どっちも作者や読者の欲望を満たすためのキャラなんじゃない?」と思う。


もちろんそれが悪いということもないし、欲望のために生まれ消費されるキャラというのは必要だと思う。ただ「女性キャラに人権を!」というのであればこういう男性を露骨にこき下ろすだけのキャラも同様に不快であると声をあげないとフェアじゃ無いよなと思う。ついでに言うと、細川くんの情報商材あたりの取ってつけた感じも「断罪させるためのキャラ」って感じがして「この子生きてないなー」と思った。別にみんながみんな生き生きしてなくてもいいんですけどね。ついでに言うと、細川くんが男になることについてアレコレ言ってるおじさんもある意味「(物語にとって)都合のいい男」です。


で、こういう「モラハラ野郎殺す漫画」って結構あって類型として「家事育児やらないマザコン旦那」「理解のない中年上司」「時代遅れの昭和親父」みたいな定型悪役はかなり多く転がっている。大体はヒロインを困らせる、あるいは痛い目にあって読者がスっとするだけの役割になっているのではと思う。そこに「父親としての葛藤」「部下を束ねる苦労」「新しい価値観についていけない劣等感」なんてものはない。彼らに人権はないのだから、そんな人間らしい感情を持ち合わせてはいない。何度も言うが、被害者が加害者に配慮しろとかそういう話では無い。物語としては無視してはいけない加害者の感情をないものとして「悪役」という人形のように扱ってはいないかというだけの話だ。


つまり、「都合のいい女をフィクションで摂取してるから現実の女性も都合のいい女だと思う」のであれば「都合のいい男をフィクションで摂取してるから現実の男性もフィクションのように背景のない悪意を持っているに違いない」と思い込む女性がいたっておかしくともなんともないと思う。そのくらい奴らは(物語にとって)都合がいい。


【理解ある彼くん】

そう考えると「理解ある彼くん」も結構「都合のいい男」にカウントされないか?と思ってしまう。この前炎上した「理解ある彼くん現象」は、彼くんだけでなく「敵に設定している人々」にも「よくわからんが主人公に憎悪を向けるだけ」という「(主人公にとって)都合のいい悪役」であった。更に「理解ある彼くん」に至っては存在が示唆されるだけで何がどうなって存在しているのか読者は混乱する。直前のコマが「生きてるだけで嫌われる」というのもポイントで、「嫌われるのに何故結婚できたの?」と読者が混乱する。好意的に捉えれば「発達障害があるとこのような視野で考えてしまうのを表現している」なんだけど、ぶっちゃけ漫画表現として致命的によくないと思うんだよね。

 

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この話だけすると「理解ある彼くん」よりも「生きてるだけで嫌われる」という表現そのものがよくなかったと思ってる。漫画内には書かれていないが、おそらく嫌われる原因がよくわからないまま強い言葉だけ受けたことが印象に残っているからそういう表現になったのだと思う。どうしたって「生きてるだけで嫌われる」になると、もっと強い差別の話になってくる気がする。それこそ生まれながらの属性で入店を拒否されたり道端で唾を吐きかけられたり石をぶつけられたりするような話であり、それと仕事が出来なくて叱られているのを同列に見るのは少しきつい。「どうして私はうまく行かないんだろう」くらいの表現なら少しはマシだったかもしれない。まあ本人が「そう思った」のであれば、「そう思った」まま書くしかないからなぁ……。


【都合のいい話】

とはいえ、都合がよくて何が悪いんだという話は最もである。事実は小説よりも奇なりという言葉にもある通り、実際に起こる出来事なんてランダムもランダムなのでサイコロの出目が1しか出ない時もあれば6ばかり出ることもある。しかし6ばかり出ることを「6ばかりなんですよ」と正直に言っても、あまり信用はされない。こういう話をするとき「道を歩いていたら迷子がいたので一緒にお母さんを探し、お年寄りが重い荷物を持って道路でおろおろしていたので一緒に歩道橋で荷物を持ってあげて、振り向くと産気づいた妊婦がいたので病院まで付き添ってあげたので遅刻しました」という例を毎回出す。ひとつひとつの事象は実際にあってもおかしくないけど、それが連続して起こることが本当に有り得るのかとなると首を傾げたくなる。つまり嘘っぽさが漂う。しかし、絶対有り得ない話かと言われるとそんなことはない。この辺は普段からの信用の蓄積がモノを言うのだと思う。


で、如何にもな遅刻の理由を並べ立てる行為をフィクションでやると嘘くさくなるじゃないですか。よく創作の作法みたいな奴で「キャラクターには弱点を持たせましょう」ってやるじゃん。最初はどうしても「この子はかっこよくてかわいくて強くて優しくてみんなから慕われている」みたいになりがちなんだけど、そうすると「都合のいい」奴になってしまうので「でも〇〇ができない」「〇〇が苦手、嫌い」というバランスをとることで人間らしさを出すということになる*1


逆に「この悪者は汚くてカッコ悪くて意地悪でドン臭くて最悪の奴」とかいうのもアカンよなぁと思うわけで、魅力的な悪役には大体いいところもあったりするのである。凶暴なヤンキーが雨の中子犬拾ってたりするとキュンとくるみたいな、アレです。「めちゃくちゃカッコいいけど意地悪」とか「悪者扱いされがちだけど実は主人公と仲良くしたい」とか、悪役にも背景があるとグッと深くなると思うんだよね。個人の所感です。


で、今回の話に戻ってくるとやっぱりケンさんにそういう人間らしさを感じない。憎悪されるために生み出された藁人形に見える。同じ作者のアッコちゃんが嫁いだ家の住人も同じように、「悪者」というアイコンだけで動いている人形に見える。個人的な感想だけどアッコちゃんもケンさんも「主人公というか作者のモノローグに合わせたアイコンがそれらしく動いて見せるけど最後までキャラクターに昇格せず作者のモノローグで終わる」だと思ってる。それがいいか悪いかは好みの問題として、個人的には箱庭みたいな作品だなあと思っている。ちなみにこの感想はこの前バズった「44歳の処女」でも同じように感じました。作者の箱庭的作品。


もちろん箱庭の作品を楽しむ分には構わないと思うんだけど、箱庭を「リアルだ」という感想を持つのはちょっと危ういなとは思う。要は「6しかない」「1しかない」世界に共感するのはいいとして、じゃあそれが現実に当てはまるかと言われるとどうしても「嘘くせえ」としかならないわけで。お話として楽しむのはいいけど、それを現実に反映するのはある意味作者の箱庭に囚われちゃいないかい?と思うわけで。


【まとめ】

手っ取り早く言うと「フィクションにおいて都合のいい男っていうのは素行の悪いサンドバッグ」ということです。「そんなことないよちゃんと設定してるし」ということならば読者にちゃんと目配せはしといたほうがいいよなあとは思う。クズみたいな奴は実在するけど、フィクションでクズを書く場合に「ただのサンドバッグにしたいのか」「生きた人間として描きたいのか」は考える必要があると思うんだなぁ。ぼかぁ「どうせサンドバッグにするなら人形じゃなくて喋るほうが楽しい」と思うんだな。おわり。

*1:この「弱点出そう」の話は本来「そこからエピソードが生まれやすく、また読者の共感を得られやすい」というものなのですが、それはまあ、それよ。