あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

ケーキ化に関する超個人的雑感

巷を騒がせている「ケーキ化」について書きたいので書きます。あとこのまとめは何の参考資料もあったもんじゃないのでその辺は先に言っておきます。100%妄言だけで出来ています。 

 

togetter.com


※今回の記事はなるべく全年齢対象でも良さそうな表現をたくさん使いますが、それでも書いてある内容が内容なので性的なものが苦手な人は読まないでください。あとかなりキツめな性の話なので「エッチなのはいけないと思います」「ちょっと気持ち悪い」というコメントはナシでお願いします。


いやちょっとどころではなく人によっては真面目に嫌悪感MAXの話かもしれないので先に概要だけ載せておくと「女体盛りの倒錯性」「モノ化における支配(被支配)願望」「支配と被支配のロールプレイ」みたいな感じです。特殊性癖というより倒錯した性の話です。理解できなかったら安心してもいいと思います。しなくていいです。


全体的感想(個人の見解です)

ケーキ化で無邪気に喜んでる人は多分まだ目覚めてないと思う。モノ化支配的な考えの世界だと「なんてものを白日の下に出しやがって」という考え方になる。よく「巨乳の女の子のイラストがけしからん」とか言うけど、個人的にケーキ化のほうがエロいし文脈的にヤバいのでマジで取り締まってほしいけど、多分大多数の人が「かわいいんじゃない?」とか思ってると思うから多分取り締まられることはない。なんたる猥褻物の陳列。ハレンチにも程がある。であえであえ!!


ケーキ化に対する雑感

まずケーキになったことで泣いているのか、食べられることを恐れて泣いているのかで方向性が変わってくると思う。ケーキになって泣いている、というのは手足をもがれてそれまでの日常生活が送れなくなり、もちろん食事も排泄もそんなものもしなくてよくなってただ飾られるまま過ごすことに対する絶望。食べられるのを恐れているのはそのまんま。実際ケーキ化というか「愛しい貴方、お菓子にして食べちゃいたい」みたいなのはヤンデレ小説みたいなのでよくあるシチュエーション*1だけど、そっちはお菓子にする側がクローズアップされることが多い気がする。「貴方の綺麗なお目目はまるでキャンディーのようね」みたいな。


もしかしたらケーキになっても食事はできるのかもしれないけど、それは人の手を介さないといけないもので、しかも「人と人」ではなく「人とケーキ」なのだから介助というより餌やり感覚になる。命を全部持ち主に委ねられるわけで、これは相当な屈辱になる。


そんでこの子は一体どうしてケーキになっちゃったのかなとか、誰がこのケーキの子を見ているんだろうとか、縁もゆかりも無い悪い組織の人々が女の子をケーキ化して売り飛ばそうとしておうちに帰りたくて泣いてるのかなとか好きな男の子に見られて情けない姿を見られて泣いてるのかなとかその好きな男の子の一部になるしかないとかそれでも食べられるのは怖いとか、売れ残って冷蔵庫の中で徐々に賞味期限が近づいて廃棄されるのを恐れているのかなとか、考えたらキリがない。背景が無限に想像出来るものっていうのはなんか好き。


ものすごい余談なのだけど、たまに食べ物が歩き回って何だかんだってやる幼児用アニメあるじゃん。あれって自分たちが食べられることに関してはどう思っているんだろう。そう考えるとそういうアニメが闇深くしか見えなくて心が拠れているのだなあと感じる。


で、「女の子と食べ物」って言えばあれがあるじゃんとか思ってしまった。女体盛りじゃん。


女体盛りの倒錯性

そんなに女体盛りについて知識はないので「刺身とか体温で温まって食中毒とか大丈夫かな」とかそういう方向でしか考えてなかったんだけど、よく考えると非常に倒錯的な出し物である。


ここでも考えたいのが「皿として見られていることへの背徳」なのか「食されることへの背徳」なのかってこと。「食されることへの背徳」というのはわかりやすい。自身の体を食べ物に見立てられ、まあいろんなところを刺激してもらうわけなので背徳は背徳だろうな。問題は「皿として見られていることへの背徳」のほうで、これは人格とかそういうのを一切無視して「女体」というものだけをクローズアップするという点で非常に背徳的だ。以下こういう「人間の尊厳や人格を排除してただ性的に肉体を消費するという行為にフェティシズムな意味を与えること」を「モノ化」と言っていきます。


モノ化によって女体盛りにされた女性に倒錯があった場合、「皿になりきる」ことが要求される。そこに女性の人生とか尊厳とかそういうのは全く存在しなくて、皿は皿なのだ。食卓に並べられる皿の製造元を気にして食事をする人はほとんどいないだろう。そんな扱いを受けるのである。「それの何が楽しいの?」と思う人の方がほとんどだろう。


この辺自由とか尊厳を大事にする人達には真面目に理解できないだろう。倒錯しているものを理解しようとするだけ無駄である。この辺で「無理」と思う人は本当にこの先読むのやめた方がいいですよ。もう政治的に間違った話しかしないから。


モノ化における支配(被支配)願望

こういう話になると「ロールプレイ」というのが大事になってくる。別にぐるぐる巻にするわけじゃあないですよ。そういうのはマミフィケーションですが、あれはここでのモノ化とは親戚筋だけどまた別のジャンルかもしれない。


例えば「置物」になったら置物は動いてはいけない。だって置物だから。置物である間は1ミリも動いてはいけない。別に拘束とかしている訳じゃないけど、「置物」だから動いてはいけない。もしも動いてしまえば「置物になれ」と命じた主人を裏切ることになるわけで、主人を失望させることになる。信頼を主人に全部預けているから「置物」になれるわけだ。ちなみにこの時主人は「自分に全信頼を預けられている」というまた逃げられないシチュエーションにいて、それが双方を倒錯の道へ進ませているわけなのですねえ。ねえ。これが狭義の「放置プレイ」ですよ。


たぶん上記の例示をみても「やっべ意味わかんね」と思う人の方が多いと思う。意味わかんなくていいんです。世の中わかることばっかりじゃないし。この文章書いてる人も覇弩封神演義の構成は一体なぜそんなことになったのか理解できないし、多分一生できないと思ってる。


とりあえず大事なのは「置物化」というより「主と従の信頼関係」であって、ここが切れるとろくなことにならない。余談だけどこの「信頼関係が切れる」というのもこの文章書いてる人大好きで、「トイストーリー3」とかその辺めちゃくちゃ好きです。デイジーとロッツオとビッグ・ベビーそれぞれの信頼関係がぐちゃぐちゃになるのエモい。


話を戻すと信頼関係が大事であって、そこに身体に影響を及ぼすものがあると特になんかその関係に依存するよねって話。主人のほうも実は従者がいないと主人になれないので従者に依存している面もあって、こういうのって持ちつ持たれつなんだよね。つまり主人と従者っていうロールがしっかりあって、それが破られることがないから出来る世界っていうのかな。


信頼関係が生まれたら主と従をはっきりさせるために尊厳を奪うっていうのもあって「自分で生命活動ができない」とか「肉体のみに注目して人格を排除する」とか「人体から排泄されるのもを掛けられる、摂取させる」とか、とにかく人間扱いしない。そうすると「この人がいないと生きていけない」「こいつは自分がいないとダメだ」となって倒錯ラビューな世界に突入する。


生命活動できない、はケーキ化でも触れたけど食事や排泄の世話を全面的に依存することになる、みたいな感じ。手足切り落とすとかそういう系にもなっていくけど、欠損フェチとはまた別のジャンルかな。人格を排除するっていうのは、さっきの置物の例とか家具化みたいな奴かな。よく変な漫画の広告で半分だけ壁に埋まってるとかそんな感じのシチュエーション出てきて「マイナーな趣味を……」とか思う。排泄物をを掛けられる、っていうのは別に人間便器とかそこまで行かなくても唾を吐き捨てられるみたいなのでも結構人格否定とか屈辱になるから意外とカジュアルなところまでいくよね。あと食べ物以外を食べさせるとか。


余談だけど信頼関係と食べ物以外を食べると言えば逆転裁判3の第1話だよなあとか思う。とあるヤバいもんを食べちゃう行為に対して「信頼しているのであれば、あなたはこれを口に出来ますか?」という返しがめっちゃ好き。


支配と被支配のロールプレイ

モノ化は理解できなくても、「飼育」なら気持ちはわかるよという人もいるんじゃないだろうか。猫を飼っている人がよく「自分は猫の召使い」と表現しているけど、それは結構「召使い」というロールに酔っていると思う。猫がかわいいという感情の他に「自分はこの猫の召使いなんだ」という非支配感情と「でもこいつは俺が命を握っているか弱い生き物なんだ」というアンビバレントな感情が入っていて、それが強くなると「置物」まで行くのかなあと思う。普通は行かないと思うけど。


で、ロールが大事ってさっきから言ってるけど本当に結構ここが大事で、「俺Sなんだよねーだから暴言とか吐いちゃう」とかいうのがいたらそれはただの乱暴者じゃないかなぁとか思うし、「俺Mなんだよねーだからもっとなじって!」とかいうのもMというよりただの気の強い女の子好きじゃないかなあとか思う。主人は従者の追い詰められたい欲望を理解して忠実に蔑むし、従者は主人の期待を全身に受けて主人の「従者の欲望を叶える」という欲望のために頑張るわけで、うーん倒錯!


もうね、そういうのにのめり込むことが目的になってるからささやかであろうと過激であろうとこの支配と被支配の陶酔に囚われるともう二人だけの世界になるから奇跡的なアダムとイブになれるみたいな感じになるんだけど、これどっちも人格を排除した上の倒錯なので究極のロールプレイっていうのはそういうところなんだよね。そういう関係って相手の人生とか人格とかどうでもよくて、ただ役割と肉体があればいいみたいなことになって究極の人格否定みたいになる。


急に真面目な話をすると、尊厳を傷つけて支配しようとすることでしか関係を築けない人っていうのは一定数いて、そういう人がハラスメントしがちっていうところはあるかなと思う。あくまでも「ロールプレイ」っていうのが大事で、その関係を現実に持ち込むのはおバカさんなので現実世界で承認のない相手を支配するのはダメですよと強調しておきます。エスはSLAVE(奴隷)のエス!エムはMASTER(主人)のエム!これ大事!!!!


まとめ

最初にも書いたけど胸がでかいとか顔を赤らめているとかそんなんがなくたってめちゃくちゃ性的なモンは性的なわけですよ。「置物」なんて1ミリも触れてなくても関係性だけでもうヤバい猥褻物じゃないですか、とか思うのはそういうのを大事だと思う奴だけなので別に規制する必要はないと思うんだけどね。でもケーキ化の文脈っていうのはそういうところあるのでうーむ、という感じ。


近況

前回アラジンに怒っていたのですが、結局チェンソーマン既刊全部買いました。第一部おもしろかったですね。なんか全部のせチャーシューメンを流し込まれた気分。おわり。

 

*1:そんなの知らないって?それはそういう世界線を生きていたというだけだ。世の中は広い。