あのにますトライバル

ぶっちゃけ増田とかのことしかもう書いていない。

親ガチャに思うこと

流行りの親ガチャに思うこと。早い話、この言葉賛否語るにしてもめちゃくちゃ雑だなぁと思うのです。


「親ガチャ」という言葉は、ソーシャルゲームのガチャの概念で「質のいい親から生まれたので良い暮らしができる」くらいの捉え方でいいだろうか。世間的には「本人の資質ではどうにもならないものが生まれで決まってくる」というものだ。このブログ書いてる人はこの言葉に対して何を語っても「雑」という結果にしかならない。何故なら「親によってその人の人生が決まる」というのはすごく乱暴な意見だと思うからだ。


その人の人生を決める要因

別に「親のせいにするな」と言いたいわけじゃない。しかし「親のせい」というのは一体何を持って親のせいにしているのかと言うのがよくわからない。誤解のないようにまとめると、「本人の心持ちや努力によって道は切り開かれる」ということを言いたいのではない。「親以外の要素もかなり本人の人生を決定づける要因となるのに、親のみにその責任を追わせるのは短絡的すぎる」ということが言いたいのである。


例えば生みの親と育ての親が違う人もかなりいる。そして同じくらいの能力と収入のある世帯で育っても都会と地方では環境が全く変わってくる。進む学校や出会う教員で人生がいい意味でも悪い意味でも変わることもあるし、それこそ友達付き合いは人生に影響する。


他にも例えば障害を持って生まれてきてしまったり、自身に障害がなくても家族に障害者がいたり親戚付き合いがなかったりベタベタした親戚関係だったり常に揉めている親戚関係だったりしてもその人の人生に大きな影響を与える。更に本を読んだりテレビを見たりして人生が決まることもある。これはうちのかーちゃんの話なのだが、信号が赤だったので違う道を歩いて行こうと思って普段歩かない道を通ったところ人生を決める要因と出会うことになったそうで「あのとき信号が青だったら今頃こんなふうにしていない」とたまに言う。


こう言ったこと全てを「ガチャ」で表現するのはあまりにも乱暴だと思う。「親戚関係で苦労したから結婚は嫌」「親戚関係がなかったから結婚に興味無い」「親がいなくて苦労した」「親に期待されすぎて苦労した」「最高の仲間に出会えて楽しい学生生活だった」「いじめられて人間不信になった」などというのもガチャの結果なのだろうか。それぞれのガチャに名前をつけて「失敗した」と思うのか。一言で言うと「だるくね?」と思う。


「ガチャ」というワード

多分「親ガチャ」というワードに否定的な見解が見られるのは、以上の理由を全て「親個人」に集約してしまっているように感じるからだと思う。例えば人種や出身地域、隣人その他関わる人々に天災や経済動向で人生なんてどうとでも変わる。親だけ取り立てて「ガチャ」としてしまうのは親が可哀想だなと思う。


多分この言葉には出生自体を責めるニュアンスも加わっていると思う。「生まれなかったらこんなに苦労しなかったのに」みたいな、そんな感じ。この辺は触れると面倒くさいので触れない。もう解脱するしかない。


余談になるけど、マジな話自分は生まれた直後に里子に出されることも検討されるような目にあっている。結局その話はなくなったのだけど、今でも里親になっていたかもしれない人(両親の友人)と会う時はとても不思議な気分になる。この人を親と思っていたかもしれない、そして今の自分は間違いなく存在していないと思うのである。言わばガチャの引き直しが出来た状況だったのだけど、ガチャなんて引かないとわからないので今の状況に不満はない。あの時ああだったら、なんて言っても仕方ないと思うし。


まとめ

昔見たテレビで一発ギャグを披露しろというような企画があって、寝転んで「現実逃避。あーあ、幕末に生まれたらよかったなあ」というものがあった*1。正直「親ガチャ」もそのレベルのものだと思う。


正直「生まれが悪い」でいいと思うのだけど、今風にカジュアルな表現をしたからカジュアルな感じに消費されているのだと思う。だから取り立ててどうこう言うのも違うと思うし、「親ガチャ」を真剣に考えている人はそのエネルギーを別の思考に使ったらいいんじゃないかなとは思う。おしまい。

 

*1:後で調べたらずん飯尾のものだったらしい。番組を見たのはかなり昔だったのでやっぱりインパクトある言葉は記憶に残るんだなと感心した。