あのにますトライバル

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増田文学考続き

前回の続きです。完全に自分メモです。

 

増田文学という話題になると「増田文学という言葉は人それぞれだから難しいよ」ということを言ってきているんだけど、「定義は人それぞれだから全部文学でいいじゃないか」という意見を毎回もらう。その通りなんだけど、逆に「定義は人それぞれ」だからこそ「文学」っていう言葉を使うのはやめたほうがいいよねって思う。


なんでそう思うのかなって考えたんだけど、これは増田観の違いが大きいかなと思う。自分は「増田は日記であり、トラバである」なので「増田の中に文学性を帯びたエントリが出現する」という感覚が大きい。だから全ての増田を「増田文学」と呼ぶ度量はない。「うんちトラバ」とか「を書」に人権を認めたくない、みたいな。


じゃあ「全部文学でいいよ」みたいな感覚はどこから来るのかと考えたとき、ホッテントリ経由で上がってきたものだけ見ていればそうなるかなぁと思った。実際ホッテントリに来るものは大体日本語で何が書いてあるかわかるものがほとんどだし、ブクマが20以上つけば大体内容もちゃんとあるものになっている。何かの間違いがなければ「おっさんをシックスナインで縛り上げる増田」とかが多くの人の目に入ることは無い。


そして「全部を増田文学」にしたくないのは多分こういう増田のほうが好きだからなんだろうなと思う。正直ケンタッキー指南もピザを食えも意識低いフリーランスも「有益」だけど心には残らない。いつまでも心に残るのはやっぱりラッコ増田とかさそりアーマーとかだったりする。ちなみに「増田文学としてカウントする奴で1番好きなのは何か」と言われたら個人的にイチオシが「伊168を愛していた増田」かなぁ。


なんかもっと書こうと思ったけど取り留めなくて全然まとまらないので一旦ここまで。現在お気持ち長文系の記事となんか増田まとめ記事やろうと思ってます。なんかリクエストがあったらコメントしてもらえると可能な限りやってみます。おしまい。