さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

5月21日の話

〇夏の気配がする。エアコンフル稼働。

 

〇何とかたまに増田掘りが出来るくらいには余裕が出てきた。PCを開く暇はないのでスマホでぽちぽちだけど、やっぱり楽しい。

 

〇最近の増田でヒットしていたのは「夫が隠れて借金をしていた」だろうか。あれで一番気になったのが「隠れて」ってところで、ガチャが悪いとか文章がこなれているとかそういうのは一切感じなかった。とにかく、お金の話をオープンに出来ない人は信用できない。あけっぴろげ、という意味ではない。必要な時に必要な情報を出せるかどうかということはすごく大事で、「俺が信じられないのか」と逆ギレしたり「大丈夫」と連呼したりするのは何か後ろめたいことがあるとしか思えない。自覚のない借金は怖い。おそろしいおそろしい。

 

〇最近は「ひそねとまそたん」が一番の楽しみ。話の内容も面白いけど、作画が大好き。EDとか本当に好き。かわいい。

 

〇今日は記念日なのでデザートとポテチ食べます。ダイエットはお休みです。

 

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道徳教育に対する雑感

 モヤっとしている、というより論点がごちゃごちゃしているので自分なりに整理しておく。

 

道徳の授業で「お母さんの家事にもお金を払うべき」という子供の意見が「母の愛は無償」という教えにかき消された瞬間 #クロ現 - Togetter

家事は無償有償の問題よりも「無償が素晴らしいに決まってる!」みたいな下手な授業方法が問題なのでは。

2018/04/24 12:49

www.nhk.or.jp

 

【この話題から導き出せる論点】

  1. 家事労働に報酬を出すべきか
  2. 母親の愛は本当に無償なのか
  3. 教員の価値観の押し付けにならないか
  4. そもそも道徳の教科化がダメなのではないか
  5. だから多様性のない学校嫌い

 

 5はいいとして、1と2は今回の話に無理に絡めないほうがいいと思う。物語の内容じゃなくて、あくまでも授業の進め方が今回のテーマだと思うから。

 

【多様性とは何か】

 そもそも規律規範を教える道徳の授業で多様性を考慮するのはかなり難しいことだと思う。「生き物を殺してはいけません」「人の物を盗んではいけません」「困っている人には優しくしよう」などという命題に多様性はない。そういうルールであることを教えるのが道徳の授業の本来あるべき姿だと思っている。じゃあ多様性は教えられないのかとなると、そもそも多様性とは教わるものではないと思う。教える、教わるというのはどうしたってブコメ欄に現れる人たちの嫌いな「価値観の押しつけ」になってしまう。

 

 実際、多様性をどこまで容認するかというのが学校現場で頭を抱えるところのひとつだと思う。判断力のない子供に対して「あっちはよくてこっちはダメ」を理解させることが難しく、「最初は全部ダメ」としてしまうのはある意味避けられないところなんだと思う。だから道徳教育は「最低限の倫理観を身に着ける」を目標にして、豊かな心をはぐくむのはまた別の機会の方がいいと思う。

 

【道徳教育に対する不安】

 一連のコメントなどを見ていて思った新たな不安は「せいきゅう書の話をそもそも理解できない子供はどうするんだろう」ということ。最近騒がれている「読解力のない子供問題」と絡めて、考えを深める以前に考えそのものにアプローチできない層にはどう指導すればいいのだろうと思ってしまった。

 

 せいきゅう書の話も、そもそも「せいきゅう書」がなんだかわからなかったりお母さんが「0円」と書いたことから「無償の愛」という概念を導き出せなかったりする子もクラスに一人か二人はいるだろうと考える。そういう子は隣の子が書いている文章を真似したり「誰々さんと同じ意見です」と言ったりしてなんとか授業をやり過ごしている。見た目には理解できているように見えて本人は全然理解できていない。「どうして他人に親切にするんですか」と尋ねると「そう授業で習ったから」と言いかねない。

 

 読解力の他に、他人の心情を想像できない発達障害の子にもこういったタイプの授業は難しいと考える。いっそ昔の修身の教科書みたいに「嘘をついてはいけません」「障害者には優しくしましょう」みたいなワントピックの事例集みたいなのでいいんじゃないかと思う。道徳の概念の前に読解力で躓く子がいるのはかなり問題じゃないだろうか。今日はこんなところでおしまい。

 

やけに弁のたつ弁護士が学校で吠えるを見ての感想・1話

 痛快学園&法律系っぽいので見てみた。以下雑な感想というか見ていて思ったこと。

 

 まず、法律一辺倒というか正論大好き神木くんと情のが大事でしょうという田辺誠一の対立する感じが1話でよく出ていたと思う。今後この二人を中心にお話は動いていきますよ、っていうのがわかってよかった。先生たちもそれぞれこれから何か問題を起こしていくのだろうなというのが面白そう。小堺一機の小物な校長が割といい感じ。

 

 もちろんドラマなのでわかりやすく極端な描写と言うのはわかっています。それにしてもこの1話は「なんだかなぁ……」という感じがぬぐえません。というかテレビ見ながら「はぁ?」「ありえねー」「こいつバカじゃね?」と声に出して突っ込むレベルの何だかなあな感じだったので。いや、物語的にわかりやすさを追求したからこうなった、というのはよくわかるのです。でもいや……という感じ。

 

 具体的に言うと第1話のテーマは「モンスターペアレント」で、Twitterで呟こうものなら「嘘松じゃね?」と言われるくらいのテンプレっぷりがクサイのですが、それはドラマの都合ということにしておきます。それは置いておいても3年目の新人の先生を追い詰める展開がいただけない、というか3年目であの対応は非常にいただけないと言うか、教員向いてないわーとか思ってしまった。

 

 まず最初の対応でひたすら謝り続けているのが意味が分からない。当該生徒が悪いことをしたからそれなりの対応をしているのだろうから、そこをまずは保護者に理解してもらわなければ話にならない。そこをすっ飛ばしているから保護者がモンスターなのか学校がアホなのか話がわかりにくい。神木くんが乱入するのを印象付けようとしたんだろうけど、ちょっと現実離れしているなーなどと思ったり。

 

 それに生徒宅に呼び出されて覚書に捺印させられてるのも意味が分からない。生徒宅に呼び出された時点で教務主任や教頭に相談するべきだし、捺印の場面に至っては完全に脅迫の域。このお母さん、そういうところで働いていた経験があるんだろうか……?

 

 それから覚書を見て調子に乗った当該生徒が挑発をするシーン。生徒が挑発するのはわかるとして、完全に挑発に乗って一人で教室に乗り込んでいくのはちょっと現実的ではない。問題児なんだからまずは職員室に戻って役職ついている教員を誰か証人として引っ張ってくるべきだし、何とかして教室から生徒を連れ出すべきだった。この新人の先生、何でもかんでも一人でやろうとして自滅している感じがする。そういう性格にしたかったのかな……?

 

 その後の顛末とか神木くんあんまり法律持ち出してなくね?とかそういうのは置いておいてこの話で一番モヤっとしたのは「誰も当該生徒の指導してなくね?」ってことで。控え目に言っても「教員にバケツで水をぶっかける→教員を突き飛ばす→教員をバカにする→他の子のお弁当を教員にぶっかける→禁止されているスマホを使用している」とどれかひとつでも体罰とか関係なくアウトなのに、何で誰も指導しないんだっていうこと。そして新人も指導しているんだろうけど、個人の感情でぶつかっているからまったく生徒に響いていない。

 

 大前提として、モンスターペアレントだろうが何だろうが一番は生徒がよりよく育っていくことが教員の大きな仕事なわけで、ああいう風に放置してしまうのはある意味職務放棄だと思うのです。すごくそれが感じ悪いなぁと思いました。

 

 これだけ当該生徒が好き放題やってるのに当のモンスターペアレントはその行為に対して何も言及していない。いや、体罰だなんだと騒ぐ前によそ様のお弁当を勝手にぶちまけるような最低な娘をまずは叱れよ……自分がそのお弁当ぶちまけられた子の親だったら絶対学校に乗り込むな。「うちの娘の弁当をぶちまけやがって相手の親出てこい!」って校長室に籠城するわ。そんで「そんな躾のなってないガキとうちの娘を同じクラスにしてほしくない!」ってマイルドに伝えるだろうな。つーかクラス全体も彼女の行為にかなりドン引きしている感じがあったし、あきらかに問題児なんだろうな。

 

 それにそんな問題児を新人の先生のクラスに任せるに至った学校の神経もよくわからない。ああいう難しい子はそれなりにベテランの先生に任せるのが普通だと思っていたんだけど……? とにかくモヤっとしたのは「親がモンスター」と書きたいがために「何故子供がモンスターになったのか」をすっ飛ばして誰も見ないふりしている感じがしたからだろうなっていうのがここまで書いてきた結論です。あの行為を容認するような家庭だったら、それはそれで児童相談所案件だし、娘と母親に何らかの何かを疑うべきだと思う。お話で誇張されているんだろうけど、現実的でない誇張のやり方だと思う。社会派、というよりただの勧善懲悪になってしまった。

 

 次週は長時間労働に踏み込むらしいので、かなり楽しみ。その後はいじめとかPTAとか組体操あたりかなぁ? 次はパリっと法律でビシっとしてほしいなぁ。おわり。

 

4月13日の話

〇今年度が始まっています。そうですね。

 

〇生活環境が大幅に変わっているのです。お察しください。

 

〇春アニメ見ている。「魔法少女俺」は原作既読でアニメ化の話を聞いてからずっと楽しみにしていた作品。OPが思いのほかクオリティが高くていい。ココロさんが大好き。魔法少女つながりで「魔法少女サイト」も見ている。原作未読だけどなかなか絶望感あっていい。

 

〇春アニメと言えばゴールデンカムイ面白い。原作未読だけど1話だけで「あっこれ面白そう」みたいな感じ。それで「面白いなーTwitterで感想見よう!」と思ったら「政治的に正しいから面白い!」みたいなのが本当に出てきてゲンナリしたらやっぱり騒動になってた。個人的に「この作品はポリコレに反するから嫌!」よりも「この作品はポリコレに準じているから素晴らしい!」みたいなのが本当に好きじゃない。主にディズニーでやられているから「またか……」みたいな気持ちになったけど、「女性が活躍する」を「政治的に正しい」と言い換えるのをやめてほしいなぁと思う。

 

〇なんか気になった。

 

はてな村に関して定義をし直す時期に来てるんじゃないかと思う。 - 超メモ帳(Web式)@復活

「村」には「ムラ」の文脈があるんだけどそれらが欠落した文脈ではやはり「はてな村」は消滅したんだろう。

2018/04/13 14:58

 

 定義をし直すも何も失われたものの再興というより「従来の文脈を踏襲せず名前だけ借りて新しいコミュニティを作ろう」って感じだなぁと思う。「平和的な意味で使いたい」と言う割には「古参と繋がりたい認められたい」みたいな話をしているし、「はてな村」っていうのは古参とか関係なくて「俺ははてな村民になりたい」と思った時点ではてな村民だしはてな村に囚われていると思っていいと思う。

 

 所属組織が欲しいなら「はてな村」だけはやめたほうがいいと思ってる。この話はシャマラン監督の「ヴィレッジ」的なもので、あの映画のオチがそのままはてな村にも当てはまると思ってるのです。そういう意味でも「ムラ」という言葉が秀逸だなあと思うのです。よくまとまらないから気が向いたら続きを書く。

 

ヴィレッジ [DVD]

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〇バーフバリ完全上映見に行きたい!バーフバリ!バーフバリ!

 

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嘘認定に関する雑感

 記事を読んで、100文字では足りないしそもそも何が言いたいのかよくわからなくなったのでこっちでつらつら書きます。途中まで書いてたんだけど急病で記事の公開がなんか遅いですすみません。

 

blog.lalamiamor.net

 

 多分自分なんかは「嘘認定」する側の人なので「どうしてそんなに嘘認定をするのか」という観点で読んでもらえると嬉しいと思います。普段はこんな記事を書いています。

 

nogreenplace.hateblo.jp

 

nogreenplace.hateblo.jp

 

嘘認定をしたい人とは

 まず、元記事の「嘘認定をしたい人」とはどういう人なのかというところを考えましょう。元記事では「想像力の足りない人」「自分の境遇と向き合いたくない人」が悲惨な内容の記事に対して「嘘だ!」というというようなことが書いてありました。だけど、おそらく嘘であると断じている人は実際のところ「バーカバーカ」と同じくらいの意味合いで「嘘乙」と言っていて、記事を読んで信じられないから「嘘」と断じているわけではないだろうことも同時に含めておいた方がいい気がします。いわゆる「ネガコメ」という奴です。つまり「ネガコメをつける人は何故ネガコメをつけるのか」みたいな話になります。

 

 少し話は逸れますが、このような内容の記事は非常に燃えやすいです。何故かと言うと、ネガコメをつける人を暗にdisるような内容のものはネガコメをつける人に格好のエサを与えるだけになるからです。「悪口言う人はバカ」って言ったら「バカって言う方がバカなんですぅ」と言われる。ただそれだけのことです。

 

 まとめると「特に意味はないけど悪口のバリエーションとして嘘つきという言葉を使っている」が真理に近いと思います。コメント欄に意味なく現れる「あああさん:お前こんなくだらない記事書いて何で生きてるの?」とか英語のスパムコメントと一緒の存在だと思うので深く意味を追求しないに限ると思います。「暴言をやめましょう」と言って暴言をやめるような人は最初から暴言を言いません。この話おわり。

 

どうすれば信じてもらえるのか

 流石にこれだけじゃアレなんで自分が「これは本当のことを書いてるんだろうなあ」と思うポイントを挙げてみます。要は嘘松判定のポイントをずらした感じです。

 

・事実のみを淡々と書く

 例文で考えてみましょう。

「花柄の花瓶を割ったのは誰ですか、正直に名乗り出なさい」

 先生が私たちを睨みました。

「ケンジくんがやりました」

 私は震える指でケンジ君を指して言いました。

 花瓶を割ったのは誰かと先生が聞いたので、私はケンジくんだと言った。

 

 上の例文と下の例文では、どちらがより出来事を伝えようとしているでしょうか。一見上の例文のほうが文字数も多くて丁寧に書いている感じがしますが、書き手の主観や感情が多く入っていて「出来事」を伝えるというより「書き手の主張」がメインになってしまっています。こうすると余計な情報まで読者に伝わってしまい、いわゆる「誤読」を生みやすくなります。誤解が生じるということは、それだけその情報が嘘っぽくなってしまい。描写を豊かにした小説のような文章からはやはり「創作」という言葉が頭をよぎりやすいです。できれば新聞の文章のような淡々とした書き方をしたほうが真実味は増すでしょう。

 

・自分の至らない点も書く

 「こういうことがあったんだけど、俺は悪くないぞ、な、な?」という記事は基本的に炎上しやすい傾向にあります。何らかの出来事を読んだ読者はフラットなものの見方をしようとしますが、書き手の落ち度が書かれていないと「本当は悪いのは書き手ではないだろうか」と邪推をしがちです。また、本当に落ち度が書かれていない記事には書き手にとっての都合の悪い情報が隠されていると考えることもできます。出来事を伝えたいときはどうしても「あいつが悪いんだ!」という気持ちを押さえて自分の落ち度に触れるのがいいでしょう。落ち度のないときはどうするんだって? 運が悪いと書いておけばいいと思います。

 

・感情的になりやすい話題は避ける

 本当に事実を伝えたくても、対立を煽りやすい構造の話はどうしたって当事者から離れたところで空中戦が勃発するので控えたほうがいいでしょう。例えばひとつ前の記事では「妊婦」「死にたい」というワードだけで様々な意見が噴出していました。他にも「ジェンダー」「痴漢」「ベビーカー/子供用ハーネス」「家事問題」「子育て」「いじめ問題」「精神疾患」「南京大虐殺」「竹島」「忖度問題」「学歴問題」「格差問題」など数えればきりがありません。どうしてもこのようなことについて述べたいときは覚悟を持って述べたほうがいいでしょう。それにつけてもおやつはきのこの山

 

何故カレーの記事は嘘松認定されないか

 追記で「カレーを作ったと書いても創作と言われないのに病気や貧困の話は何故嘘と言われるのか」という疑問がありまして、筆者さんは「私の病気や貧困の度合いがレアケースだからではないか」と推測していましたが、それだけではないと思います。ずばり言えば「必要ない情報だから」というのも大きいのではないでしょうか。

 

 具体的に血圧の話をされていましたが、道端で倒れているときに「血圧が低くて困っています」と言われれば、大体の人が「血圧が低くて大変だな」と思ってくれると思います。ここで「上が50なんです」と言えば「大変だな」の前に「そんなに低いの!?」と驚いたり「血圧が低いのを自慢しているのだろうか」と反発を覚えます。何かを伝える際にはありのまま全てを伝える必要はなく、必要なことだけを伝えることが効果的です。足りないのも困りますが、余計な情報もトラブルの元です。

 

 何故こういうことに人は反発を覚えるかと言うと、やはり自慢をしているように感じるからだと思います。貧困や病気が自慢というのもヘンな話ですが、下から目線のマウンティングと考えてもらえるとわかりやすいと思います。「車椅子マラソンで鍛えて上腕の筋肉がモリモリです」ということを伝えるのに「足が動く人にはこの筋肉は手に入らないでしょうね」と付け加える必要はありません。もし付け加えたいのであれば、それは「自分は人より頑張ってるんだ偉いんだ」ということをわかってほしいということでしょう。しかし好きで車椅子に乗っているわけでもないのと同時に、歩ける人だって自ら望んで健常者を選択したわけではありません。つまり本人はそんな気が全くなくても全方位に対する嫌味になってしまうわけです。

 

自分の環境や心情について書いている、他人に害のない個人の日記ブログについて、嘘認定をして暴言を投げつける必要があるのかというお話です。

 

 したがって、「他人に害のない」というのは非常に難しい話です。「カレーを食べた」という記事だって、病気療養中でカレーを禁止されている人などが見れば傷つく可能性はあります。ただそういったブログは閲覧数が小さく、誰彼構わず暴言を投げつけるような変な人の目に届きにくいのでカレーの記事は嘘松認定されないだけです。もし人気者が同じようなカレーの記事を書いたとすると、嘘認定はされなくても「まずそうw」「手作りとかかしこまってんじゃねーよ」くらいのコメントはあるかもしれません。インターネットは怖いですね。

 

嘘をつきたがる人々

 そして創作認定についてですが、残念ながらこういったことで耳目を集めて注目をされたがる人と言うのが一定数いるということを念頭におくべきなのだと思います。

 

 このブログを書いている人の体験談ですが、小学生のとき隣の席の子の消しゴムに焦げ跡があったので「どうしたの」と尋ねると「これね、昨日家が火事になっちゃってそれで焦げたんだよ」と返されました。人を疑うことをまだ知らない年齢だったのでしばらく心配して、その後「おうちは大丈夫なの」と尋ねるとしどろもどろになって「あれは実は焚火の中に落としたんだ、家は大丈夫」と返されました。冷静に考えれば同級生の家が火事になったらもっと大事になっているはずです。それから「人は同情をひくために嘘をつく」ということを覚えました。その後何度か似たような経験を重ねるうち、気が付けばこんな人になってしまいました。

 

nogreenplace.hateblo.jp

 

 よくこういう話をすると「嘘をついてもメリットなんかないから嘘つきはいない」と主張する人がいます。しかし人間はメリットがあるから嘘をつくわけではありません。長期的に考えれば明らかに不利になるのにその場限りの嘘をついたり、真実を伝えることを抑制された結果嘘しかつけなくなったり、嘘を有難がる人のために悪意を持って嘘を流したりと嘘に対する姿勢は様々です。

 

 つまりは「嘘認定している人の気持ちがわからないので嘘認定している人は人間じゃない」というのも「この記事の出来事が信じがたいから嘘だろう」も、結構近いところにあったりします。人間はどうしたって他人にはなれないし、うまく自分の言葉を伝えられなければどんなに思いが一途でも伝わりません*1

 

 もし普通の人の体験したことの無いようなことを書きたかったら、嘘つきよりももっともらしく真実を書いていかなければいけなくなります。その時に必要以上に言葉を持ったりすると嘘つきたちより嘘っぽくなってしまいます。この辺は文章力というより、「伝える力」の問題だと思います。何を伝えて、何を伝えないか。情報の選択はこのインターネット時代に置いて非常に大事なスキルになっていくのだろうと考えます。

 

まとめ

 長くなりましたが、要点をまとめるとこんな感じです。

 

・嘘認定の前に、記事に反感を持っている人がいる。

・余計な情報が反発を招いている恐れがある。

・実際嘘つきは滅茶苦茶多い。

 

 個人的な雑感として、インターネットの情報と向き合うときって他人との対話と言うより己との戦いのような気がしています。どれを真に受けてどれを切り捨てるか、何に言及して何をスルーするか。情報の選択次第でアカウントの色が出てきて、それが人格になるんだからまるごとの人間なんてもう無意味だよなとか思うくらいには未来になったんじゃないでしょうか。タイミングだけ外さないように笑顔作ってるロンリーだらけの未来でも車もしばらく空を走る予定もなさそうだけれどね。おわり。

 

*1:こういったことを先天的にうまくできない人もいるので、それを自覚して周囲がフォローしやすい環境をつくることが大切だと思います

【釣り解説】死にたい妊婦は実在したのか

 随分間が空いてしまったけれど、今回はこの前気になったはてな匿名ダイアリー(増田)について書きます。この増田、釣り解説にはとてもよい題材だと思うのです。

 

anond.hatelabo.jp

 

※釣り・・・虚偽の内容やわざと極端な表現を用いてたくさんの人に記事を読ませたり、拡散させたりする行為。古来は「巧妙な嘘、」という意味も含まれていたが、現在はPVを稼ぐための手段として用いられることも多い。

 

この記事の要旨

 車上荒らしにあって妊娠出産に必要なもの等がごっそりなくなって死にたいという増田に対して「お腹の子が無事でよかった」「悪いのは車上荒らしだ」「死にたいのは妊娠中のホルモンのせい」など増田を肯定するコメントが圧倒的に多く着いていたが、この文章を書いている人は「悲劇を書きこんで同情を集め、注目を浴びる」という釣り行為である可能性を指摘したい。この増田が実在する可能性も勿論あるが、文章の書き方や偶然の積み重ねにより不自然だったり常識ではあり得ないこと、また「釣り師」が好むような題材が散見されることから「本当にあったのかどうか疑わしく読めてしまう」部分を読んでいく。こういう内容の文章が不快な人はここで帰ってください。

 

客観的すぎる表現

 まずは冒頭文。この段階でこの文章を書いている人は「これ釣りじゃね?」と思うほど割と疑わしい始まり。

ほんの一瞬の出来事だった。

両親が海外旅行へ行くので、空港への送り迎えに実家へ車で向かった。玄関先に車を止めて、両親を呼びに行く。

「もう少しかかるから、寒いし中に入れば?」

そう言われて、数分だし、すぐに荷物積むし、と思って車の鍵をかけずに家の中へ入った。

 この増田は気が動転して「死にたい」と思っているらしいという出来事を綴ったにしては非常に客観的で読者を想定して書かれているとしか思えない。特に「ほんの一瞬の出来事だった」という書き出しは辛い気持ちを吐き出したいというより誰かに読んでもらうために工夫をしたような書き出しに見える。また、両親の台詞を括弧書きにしている点もぐちゃぐちゃの気持ちの整理と言うより読者に状況をリアルに伝えるために書いているようにも見える。

 

 これ、過去のことを思い出して綴っているならまだしも、現在進行形で頭がぐちゃぐちゃで死にたい人にしては妙に冷静な書き方なんですよ。また、読者に「わかってもらおう」という気持ちが強くなると状況を冷静にプレビューするため、括弧をつけた会話文が多くなる。その台詞が具体的かつ説明を含んでいるならば、釣りの可能性は非常に高い。

受付する人の些細な一言で傷口に塩を塗られる。

盗まれてから何十回、何百回も考えたことだ。あの時鍵をかけておけば、カバンを置きっぱなしにしなければ。考える度に傷が深まる。

自己管理がなっていない私が悪い。

そのせいで家族に迷惑をかけ、思い出の品も全部なくした。

生きている価値なんてない、そう思う。

たったリュックサックがなくなっただけ、それでも死ぬほど後悔するし、傷ついた心は死んでいく。

 ここも「気持ちの整理のため」に書いたというより「私かわいそうでしょ」という気持ちを強調させようとしているとしか思えない。特に「傷が深まる」「傷ついた心は死んでいく」という表現は取り乱しているというより上記のように読者を想定したものと言った方がしっくりくる。もし本当に増田のような状況にある人がこれを書いているとしたら、普段からかなり芝居がかった話し方をして周囲から「大げさな」と言われているだろう。

 

 書き言葉と話し言葉の違いは多少あっても、増田のような状況にある人と話をしていて「私の心は傷ついて死んでいるの」とか急に言われたら「こいつ詩的表現をする余裕はあるけど大丈夫なんだろうか」と不安になるんじゃないだろうか。特に大事なものが盗まれた状態でポエミーな表現を多用するのはやはりとても不自然に感じる。それは実際にこの増田の書き手が大切なものを盗まれていないから出来たことだと考えると辻褄が合う。

 

不自然な状況1:人物の行動

 まずエコー写真の「近頃は顔も分かるようになってきた」というところからこの増田の書き手は妊娠6~7ヶ月ごろで、そこそこお腹が目立ち始めているころと想定できる。そうするとこの増田の一番不自然な点は「妊婦にわざわざ運転させる両親がおかしい」という大前提になってくる。そもそも体調が悪くなりやすい、注意散漫になりやすい、シートベルトでお腹を締め付けるのはよくないという理由で妊婦が車の運転をすることは好ましくない。

 

 両親を空港へ車で送っていった弟が数時間で戻ってきているところから、この増田の住んでいる地域は空港まで車で片道1時間~2時間ほどかかるようだ。そんなに長時間運転するのでは妊娠していなくてもわざわざ実家を離れた娘にお願いするようなものではない。安定期に入っているのでやむを得ず、ということでも「海外旅行に行く両親の送り迎え」は全然やむを得ない状況ではない。そう考えると「旅行に行きたいから送り迎えをしろ、妊娠している? 甘えるな」というクソみたいな両親なのか「妊娠してても親に気を遣うのが当たり前私カッコイイ」という妊婦にしてはクソみたいな思考回路の増田なのかという状況になる。

 

 空港までの所要時間に関しては「弟が両親の見送りまでする時間」が含まれているとしても、今さっき身内が警察沙汰に巻き込まれているところでのんびりデッキまで見送りに行くだろうか。普通空港に両親と荷物を降ろしてさっさと帰ってくるだろう。そこまで両親も弟も無神経ではないと思うのだが。

 

 そしてコメントでも散見されたが「妊娠している娘が車上荒らしにあったのに飛行機の時間だからとさっさと出かける両親」というのがもう相当ヤバい。そもそも妊娠している娘をアッシーにしようとしている時点でヤバいのに、警察沙汰になっても海外旅行を強行するその姿勢は何なんだろうか。増田は車上荒らしや警察の愚痴を言う前に、まずはこの点に関して考えることが必要だと思う。

 

 妊婦に送り迎えを頼むこと以外にも気になる点は多々ある。「弟が運転できるのであれば最初から弟が車を出せばよかったのではないか」という点も気になる。実家に車がなかったからというのであれば、弟が増田宅まで車を取りにいけばいいしそれよりもタクシーや公共交通機関を使うべきというか普通はそう考えると思う。行きのタクシー代をケチってまで海外旅行に行こうとは思わないだろうし。ここで増田が「私が送り迎えをすればタクシー代が浮く!」とか考えて立候補したのであれば別だけど。

 

 また細かいところだが、「何故財布のような貴重品を後部座席に置いたのか」というのも気になる。増田が一人で運転してきたのであれば、よっぽどのことがない限り助手席に手荷物を置くと思うんだけど……。普段から持ち歩いているものを後部座席に置いて、しかも数分だからとその場を離れただろうか……? ここは増田の気の緩みと説明されればそれまでだけど、要は「財布を路上に放置した」に等しいことをしているわけで、妊娠中だったからで済む話ではない。そもそも最近の車はみんな電子ロックになっているから、車を離れるときにすぐロックをするものだと思っていたのだけれど……?

 

 おまけに「寒いからと家の中に招き入れた両親」も気になる。まさか妊婦に海外旅行へ行くための荷物持ちをやらせるわけでもあるまいし、そもそも数分間であるなら靴を脱いで家に上がるモーションより車に戻ったほうが母体の負担は少ない。普通は「外は寒いしすぐ行くから車で待ってなさい」になると思うんだよなぁ……?

 

 この点については実話だったとしたら「実は車から離れたのは数分間ではないのではないか」と邪推している。数十分間なら少し家にあがってお茶でも飲んでいた、というと辻褄が合う。何故増田はわざわざ数分間を強調したのかと言えば、要は「私は悪くない」ということを強調するためだと思われる。もし正直に「うっかり鍵をかけずに数十分車から離れて貴重品を盗まれました」と書いてしまうと「それは迂闊すぎる」というコメントが付くだろう。そこを「数分間目を離した隙なんです」と言えば「それならうっかりあり得るかもね」と同情を買いやすい。結果、両親が無駄に妊婦を動かしている変な光景になってしまったのだが。

 

 このようにこの増田の内容を吟味していくと不自然な点がたくさん出てくる。この不自然さが現実にあったことと考えられないことはないが、やはり虚構の出来事のためのほころびと考えたほうが辻褄が合う。

 

不自然な状況2:バッグの中身

 また、バッグの中身を詳しく書いてしまったために嘘くささが際立っている。もしこれが本当の出来事だったら書き方のせいで限りなく嘘っぽくなっているということだ。以下適当に突っ込んでみる。

 

失くすと普通に困るもの

免許証、保険証、クレジットカード、キャッシュカード、住基カード、家の鍵、実家の鍵

 

 これらが盗まれたらまぁパニックになっても仕方ないだろうな。

 

容易に再発行できると思われるもの

診察券、ポイントカード

 

 増田に書き込むにあたって「何の」を省略したのだろうが、そのせいですごく間抜けな感じになっている。ポイントカードにどれだけ溜め込んでいたのだろうか。

 

何故か中身より外側を心配しているもの

財布、カード入れ

 

 思い入れがあるのはわかる。だけど、まずは現金なんかの心配をしようや……。

 

もっと焦ってほしいもの

母子手帳、妊婦健診助成券

 

 母子手帳も失くすと結構ヤバいものだと思うし、特に助成券は妊娠6~7か月だったら2週に1回の検診になったあたりでまだまだ必要だろうに、「盗まれたから」で再発行してもらえるんだろうか……? 助成金がないと結構なプラス出費になると思うんだけど……? 個人的な話をすると母子手帳が発行されたら常に母子手帳を携帯しろと言われるのですが、セットになっていた助成券とか高額だし失くすと嫌なのであまりそっちこっちに持っていかないで検診の時や遠方に行くときだけ持って行っていたけどね。

 

まぁ気持ちはわかるもの

お薬手帳、安産祈願のお守り

 

 これらは携帯しててもおかしくないし、なくなったらまぁイヤだな。

 

解せぬ

エコー写真、出産のしおり、分娩予約金領収書、産科医療補償制度の申込控え

 

 一言でいえば「何で携帯してるの?」っていうところ。特に出産のしおりなんかはパンフレットみたいなものだろうから病院行けばもう一回もらえるもので、ここでのリストにわざわざ載せる意味がわからない。もしかしたら定期検診の帰りに寄ったと考えることもできるけど、そんなついでのような感じで往復数時間の距離を運転するだろうか……?

 

 特にエコー写真。エコー写真への思い入れを綴っていた割には、大事に家にしまっておくのではなくリュックに入れて持ち歩いている。この増田の書き方からすると「今までのエコー写真が全部取られた!」ってことなのだけど、毎回検診でエコー写真を1枚ずつ貰えるようなところなら妊娠6~7か月の時点で5枚から7枚くらい溜まっているだろう。それを「持ち歩こう!」と意図しているならまだしもカバンの中にずっと入れておくだろうか……? 両親に見せるため? お茶でも飲んで数分で家を出るような用事だからなぁ……空港でお茶でもする予定だったのだろうか。

 

 また分娩の予約は大体妊娠3か月くらいにするものだということを考えると、これらの書類は母子手帳に挟んでおいたものをとられたと解釈するのがいいんだと思う。領収書や申込書などを挟んでおくのはまあわかるとして、これからも増え続けるエコー写真を何枚も母子手帳に挟んだままにしておくだろうか……? 

 

 これらのことから邪推できることは「この増田は書類を何でもかんでもはさみっぱなしにするような、そして車の鍵をかけないで貴重品を置き去りにしちゃううっかりさん」ということで、そしてさらに「そんなうっかりさんがカバンの中身をしっかり覚えているだろうか」という疑問が出てくる。個人的偏見だと、そういううっかりさんはもっといろんなものをたくさんカバンの中にいろいろ入れているんじゃないだろうか……? 例えばポケットティッシュが3つとか試供品でもらった化粧水とか、赤ちゃん関連のカタログとか……増田に書くまでもないだろうとあえて書かなかったのかもしれないけど、気が動転している人がそこまで気が回るとは思えない。

 

 気になる点をいろいろ挙げたが、これも全て「釣りのために書かれた」と考えれば全て辻褄が合う。エコー写真をクローズアップしたのは単に同情を誘うためだろう。やたらとエモーショナルな表現には注意が必要だ。

 

不自然な状況3:不親切すぎる警察

 この増田で微妙に気になるのが、警察に対する悪意ある表現だ。以下の引用文で恣意的に悪意を植え付けている部分を強調してみた。

駆けつけると言うわりには悠長に、40分ほどかかって警官たちがやってきた。

開口一番に「はぁ、車はないんですか?」と。

「両親が空港へ行くために使っています。戻ってくるにはしばらく時間がかかります。」と気が動転しながら伝えた。

「困るんですよね、そういうの。こっちも車がないと何も出来ないんで。」と一蹴された。

私は必死に訴えた。

「車がなくてもできることはないんですか?何か少しでも手がかりを探すとか、周囲の人に話を聞くとかできませんか?」

呆れた様子で警官が「はぁ。そんなこと言われても車がないと指紋が取れないので、何もできません。こっちも一件だけに関わってられないんで帰ります。」と私の訴えを切り捨てた。

最低だ。人の話を聞く態度ではない。そう私は思った。

結局、警官たちは一人を残して帰った。残った一人に私は事情を全て話した。

調書を作成するために事細かに話をすると思いの外時間がかかり、既に盗まれてから数時間が経っていた。

両親を送り届けた弟が戻ってきた。先程帰った警官たちが戻ってきて、状況の検証を始める。

そして、「あー、これじゃあ指紋が擦れてて個人特定は無理ですね。」とあっさり言ってのけた。

指紋を取らなきゃ何も出来ないのに、指紋を取っても何も出来ないの?という言葉をすんでのところで飲み込んだ。

結局、被害届を出したが恐らく捜査はしてもらえないだろう。指紋が擦れてて役に立たないのだから。警察は指紋でしか捜査しないのだ。近所に話を聞くとか、近所の防犯カメラを確認するとか、そういったことはこちらから提案しても全く応じてもらえずに話にならなかった。警察なんて役に立たないところに連絡したせいで、被害に遭った日の午前中を無駄にした。(ついでに書いておけば、被害届の受理番号すらこちらから聞かないと教えてもらえなかった。)

 増田は気が動転していたのかもしれないが、あまりにも一方的で恣意的な表現が多いと思われる。まず現場に到着するまでにかかった40分という時間も「悠長に」という言葉がついているせいで長いものに感じるが、車上荒らしならば緊急性で考えればサイレン鳴らしてまで急行するものではない。また、警察署と現場までどのくらいの距離があるかわからないので40分という時間が適切なのかどうかはわからない。それから「一蹴」「はぁ」「切り捨てる」「あっさり言って」など明らかに警察の印象を下げるような表現を用いている。

 

 また、警官は明らかに現場検証のために一度帰っただろうに「私を見捨てて帰った」というような書き方をしているのも気になる。現場検証も捜査の一環だと思われるのだが、この増田は夜になって少し落ち着いているだろうに現場検証を「無駄」と考えている。

 

 それに不思議なのが、「マタニティマーク」を強調しているくらいなので相当気が動転した妊婦が通報してきたことは警察もわかっているだろうに、わざわざそんな冷たい態度をとるとは思えないということだ。中には横柄な人も確かに存在するだろうが、この警官像は完全に増田フィルターがかかっているような気がする。気が利いた警察署なら優しい婦人警官を派遣するような気もする案件だけど、実際のところはどうだったんだろう。しかし車上荒らしにあったという通報を受けて駆け付けたら車はありません、近所の聞き込みをしろと言われた警察も大変だったろうなあ。

 

 もしこれが釣りであるなら、この増田の作者がこの増田のように過去何らかの大きな過失で警察の世話になり、呆れられたという経験で書かれている可能性はある。それに「警察」という要素がこの悪意を引き出している可能性を次の項目で明らかにしたい。

 

釣りの要素(フック)

 実はこの増田、タイトルを読むだけで釣りを疑うこともできる。そもそも「釣り」という行為は様々な反応を貰うためにすることなので、わざと強い属性を持たせられた語り手や登場人物が極端な行動をとることが多い。

 

妊婦が死にたいというタイトル

 この増田の場合、タイトルに強い要素が二つも入っている。まずは「妊婦」という属性は弱者として守られなければならない存在であると同時に、子供が生まれるのは大体幸せであるということで僻みの対象になりやすい。それから「死にたい」という言葉を見ると大抵「はやまるな」というコメントを残したくなる。また妊婦を僻みの対象と捉える人は「天罰だ」などという気持ちになるだろう。そんな感じでこのタイトルは多くの人の心を揺さぶり、たくさんのコメントを引き出すことになる。

 

車上荒らしという犯罪とどう見ても落ち度がある語り手

 増田の最後に「軽犯罪」と書いてあるが、人の物を盗むことに軽い重いはない。それにこの増田は上記の通り「うっかり」のレベルがかなり高く、「お前の不注意だろう」と言いたくなる気持ちにもなるし、「自分を責めないで、悪いのは犯人だよ」などというコメントもしたくなる。しかし、そのコメントこそ釣り師が望んだ反応だろう。

 

不誠実な警察

 釣りの文章では、しばしば警察は敵対組織として登場する。今回も一見不誠実なように見せて「警察はあてになりませんね!所詮我々の税金で食べている公務員ですから!」というコメントを引き出したり、過度に警察を悪く言うことで「いや、警察そんなに悪くないでしょ」とツッコミを入れさせたりとなかなかの活躍を見せている。

 

無能な家族

 百歩譲って語り手がパニックになってとんちんかんな行動をとったのはわかる。しかし、その場にいる登場人物の誰か冷静になって行動をすることはできなかったのだろうか。上記のとおり、母子手帳が盗まれた身重の娘を置いて証拠品である車で海外旅行のために空港へ向かう親や兄弟は一般的に責められるようなことをしている。ここから「毒親ですね」などというコメントも引き出すことができる。今回のブコメ欄ではそういう意見は少なかったけれど……。

 

 釣りをするには釣り針やエサが必要になる。そのときおびき寄せるエサとして「登場人物の属性」や「極端な行動」などがあり、コメントをひっかける釣り針として「煽るような書き方」や「極端な描写」などがある。つまり極端すぎるとコメントをたくさんもらえるが、その分リアリティが消失して、辻褄のあわないことになる。もちろん極端な出来事が現実に起こらないとも限らないが、極端なことは現実にそうそう起こりえない。遅刻の言い訳として「迷子の親を探して歩道橋を歩くお年寄りの荷物を持って生まれそうな妊婦を病院へ連れて行った」くらいの話だと思った方がいい。

 

まとめ

 繰り返すが、この増田を完全な創作を見なしているわけではない。あまりにも不自然な記述が多いことから創作を疑われる余地が多いと言うことだ。その不自然さを指摘する声が少なかったのでこのように長々と書いてみた。書いたけど「だから何だ」という感じになってしまった。不自然さを指摘したかっただけです。

 

 大体にしてこんな増田に8000字オーバーの記事を一か月近くかけてぼちぼち書いて、何が楽しいと言うのだろうか。いや、楽しくはないけど何かが満たされる感じはする。露骨な釣りじゃなくてもっとこう、なんていうかソウルが震えるような増田を期待しているわけで、そんな増田を今日も探しに行けたらいいなぁ……最近本当に増田掘りが出来なくて……そのうち余裕が出たらまたこんな記事書きたいです。おわり。

 

「大きな古時計」に関する気になること

 この歌を聞くたびに気になっていたけど、そんなに気にすることでもないと思っていた違和感を書いておきます。言及する増田の内容と直接関係はありません。

 

なーーにが「私は壁」だよ

「100年休まずに」動いて「今はもう動かない」の時系列が未だにわからない。おじいさんは100歳以上なの?

2018/02/26 17:10

 

大きな古時計」1番の内容

大きなのっぽの古時計 おじいさんの時計

百年いつも動いていた ご自慢の時計さ

おじいさんの生まれた朝に買ってきた時計さ

今はもう動かないその時計

百年休まずにチクタクチクタク

おじいさんと一緒にチクタクチクタク

今はもう動かないその時計

 

 1番の歌詞を見ると「今はもう動かない」とあるのでこの時計が動いていたのは過去ということになる。「おじいさんの生まれた朝に買ってきた」とあるので、おじいさんと一緒に年を重ねたと見るのが自然だろう。そうすると百年休まずに動き続けてきた時計はもう動かなくて、おじいさんは生きているということになる。つまりおじいさんは百年以上生きているという計算になる。なんて長生きなじいさんなんだと幼いころから思っていた。

 

 2番は時系列として特に違和感はないので省略する。

 

大きな古時計」3番の内容

真夜中にベルが鳴った おじいさんの時計

お別れの時が来たのを 皆に教えたのさ

天国へ昇るおじいさん 時計ともお別れ

今はもう動かないその時計

百年休まずにチクタクチクタク

おじいさんと一緒にチクタクチクタク

今はもう動かないその時計

 

 さて、おじいさん臨終のシーン。特に考えずに読むと「おじいさんの臨終と一緒に時計も止まった」と解釈できるのだろうが、昔から余計なことを考える子供だったのでやはりこの場面にも違和感はあった。

 

 まず、「真夜中にベルが鳴った」の部分。時計なのだからベルが鳴るのは当たり前で、「おじいさんと一緒に動きを止めた」のであればここを劇的に描写する必要はないんじゃないかと思っていた。しかし、1番の内容で触れたように「おじいさんは生きているけど時計は止まっている」のであれば「止まっていた時計が突然真夜中に鳴りだした、それはおじいさんの臨終だった」ということでわかりやすくドラマティックになる。これなら辻褄はあうことになる。

 

 また別の解釈をすると、おじいさんの臨終時に百年は経過していないんじゃないかということもできる。百年休まずに動いていた時計の晩年のシーンが「真夜中にベルが鳴った」の部分で、おじいさんが死んでからも時計は百年休まず動いていた。そして今はもう動いていないというもの。しかしそうすると「おじいさんと一緒にチクタクチクタク」が不明瞭になってしまう。どうしたものか。

 

何故わかりにくいのか

 おそらく「百年が経過しておじいさんと時計が同時に止まった」という解釈が一般的なのだろう。しかし何故ここまで変なことを考えてしまったのかと言うと「語り手がどの視点で語っているのかわからない」という点に原因があると思う。

 

 基本的に歌詞だろうが何だろうが物語は時系列で語られる。昔から未来に時間は流れていて、その中で物語は展開される。ところがこの「大きな古時計」は1番から「おじいさんの生まれた朝に買ってきた時計さ」と昔話をした直後に「今はもう動かないその時計」と一気に時間が飛ぶ。そして2番ではまた昔話が始まり、3番に至っては「今」なのか「昔」なのかが不明瞭になっている。その曖昧さがこの歌の魅力だろうし、不安にさせるところにも物悲しさを感じるのかもしれない。それでもはっきりさせたい。この物語の語り手はいつの視点でこの歌を歌い、おじいさんは何歳で亡くなって時計は何年で壊れたのか。それをはっきりさせたい。させなくてもいいんだけど。

 

余談

 「大きな古時計」と言えば平井堅なんだろうけど、ちびまる子ちゃんの映画という人もいるだろう。

 

大きな古時計

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劇場用映画 ちびまる子ちゃん [DVD]

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 それよりも個人的な思い出として、小学校のときの担任の先生が「この曲しか上手にオルガンが弾けないから」という理由で音楽の時間にリクエストもしていないのに必ずこの歌を歌わされていたというのがある。いい歌なんだけど、ほぼ毎時間はきつかったよ先生。おわり。