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さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

男女の仲は君の瞳の底より深い

 最近増田が男女問題系で盛り上がっているので長文で言及しておきたいことをまとめておきます。

 

anond.hatelabo.jp

 

 まずこれ。「増田の気持ちもわかる」という声も多数だけど、この話の本質は結婚観とか家族観なんていうものではない。要は誠意の問題だ。よく読まなくても、この文章の中に「彼女と婚姻関係に準ずる契約を交わしたい」という表現は出てこない。「彼女を幸せにしたい」とは言っても、それが何を指すのかあいまいだ。「彼女を幸せにしたい」と言うのに「私を幸せにしたいなら結婚して」と言うような彼女に「君は好きだけど結婚はしたくない」とはっきりした態度をとっている。それで彼女は泣いているわけで。

 

 増田は「結婚なんて紙切れだけの契約」と思っているけれど、その認識がどこまで本気でそう思っているのかわからない。彼女の視点に立ってみると、今までしていた仕事も辞めて引っ越してきてくれて人生も知り合いもリセット状態にあって、それでも増田と家族になりたくて頑張って来たんだと思う。しかも結婚となればそれまで名乗っていた名前だって変わる(別姓云々はこの際脇に置いておこう)。つまり「増田と結婚」とのために「それまでの人生」を一度おしまいにしてやってきてくれたわけ。その覚悟を「紙切れ一枚」と表現するのは少しかわいそうだと思う。勿論同棲して価値観が合わないなどで双方が「やっぱり結婚は出来ない」というのであれば仕方ない。

 

 「紙切れ一枚」だったら彼女の望むようにしてやればいいじゃん。これから婚姻関係を結ぼうが事実婚だろうが家族であることには変わりないのでどうしても増田が現状の婚姻制度に疑問をもって積極的に婚姻届を出したくないのであれば、それは彼女を説得させればいいし、増田のポリシーなら仕方ない。

 

 だけど、ひとつ見逃せないのが追記した「結婚は別にしたくない」というところ。これがなければ「コミュニケーション不足か言葉の選び方の問題かな」と思えたんだけど、要は「増田が結婚したくない」というところだけが彼女の悲しい理由なんだってこと。増田の場合は「血族としての契約は交わすけど婚姻届は出したくない」というポリシーじゃなくて単純に「結婚したくないのを傷つけないように遠まわしに言っている」ように聞こえる。そりゃ彼女は泣くな。本人は「結婚したくない」というようなことを言っているのに口では「いや、結婚しないとは言ってないよ。君がしたいならすればいい」なんて言っているわけだから。何が問題なのかを理解しようとしない。つまり問題は解決しない。「結婚したい」「結婚したくない」なんだから、もう仕方ないよ。交渉決裂なの。「嫌じゃないからしてもいい」じゃないの。

 

 結婚って言うのは基本的に「したい」か「したくない」かのどっちかで、「できたからする」とか「しないといけないからする」とかになると後々問題になりやすい。理由はブコメでも出ていたけれど、これから先ずっと顔を突き合わせて生きていく間柄で不本意な妥協があるとトラブルのもとになるからだ。お互いの合意が大前提の契約なわけ。事実婚になろうが婚姻届を出そうが、誰に何と言われても彼女を守っていく(彼女も増田を支えていく)関係を築くつもりがないのであれば、早急に話し合いをして彼女のためにもお別れをした方がいいと思う。というか、同棲をしようという時点でそういう話が出ると思うのだけれど、そういう話は出なかったのだろうか。

 

 こういう話を聞いて思うのが「相手の好きにしてあげれば相手は幸せになる」と思っている人がたまにいるんだけど、「適切に意思を伝え合う」ことには敵わないと思うんだよね。何でも「好きにしていいよ」って言われ過ぎるのも人間は孤独を感じるものだから、少しの縛りが欲しいと思うものらしいよ。

 

anond.hatelabo.jp

 

 ブコメにはあんまりだから書かなかったけど、「お金と時間にルーズな奴は信用してはいけない」って親からよく言い聞かされていたからこれは本当にヤバイと思う。一事が万事ってことわざもあるし、これと同じようなことを結婚式でも子供が生まれた日でも子供の入園式でも子供の入学式でも子供の受験でも子供の結婚式でも全部やると思った方がいい。それでも彼を支えていこうと思えるならそれでもいいと思う。自分だけなら耐えられるだろうけど、子どもがどう思うかは増田の想像に任せる。

 

anond.hatelabo.jp

 

 これは上記の奴の反対バージョンかな。人を信じられない人って、人を信じないと言うより「他人を受け入れる自分」を信じていないと思うので増田が誠意を尽くしているなら後は彼がゆっくり増田の気持ちを消化するのを待ってあげるのがいいと思う。だけど、「そういう風に言われて悲しい」っていう気持ちは表明しておいた方がいいと思う。「それでも一緒にいたい」ということもセットで。あとは時間がかかるから気長に待つしかない。

 

anond.hatelabo.jp

 

 男女問題とは少し違うけど「女性は子供を見てかわいいと言わなくてはいけない空気」なんてものがあるとすれば、それは大体そう思っている人の心の中にあるので男とか女とか関係なく本音と建前を適切に表明できる世の中になればいいのにねと思う。基本本音を言ってもいいと思うけど、さすがに子供連れの人に「あたし子供嫌いなんだよね」ってニシンのパイもらったみたいに言われても困ると思うからブコメにあるみたいな無難な受け答えができるといいね。

 

 

anond.hatelabo.jp

 

 最近の増田だとこれが結構好きかも。実際どうなんだろう。

 

 

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自分で考えろについて考える

 この記事読んで思ったことをメモメモ……。

 

anond.hatelabo.jp

 

 記事を要約すると「自分で考えろって言っても右も左もわかんないのに考える事なんかできないんだからさっさと教えろ」という感じで、この主旨自体は本当にその通りだと思うのですがそれでも気になることがありまして。ひとつは「単純なルーチンもできなかったらどうするの?」という場合。もうひとつは「単純なルーチンを回しているけれど意味を理解していなかったら?」という場合。少し極端な例示をしながら考えていきます。

 

【単純なルーチンもできなかったら?】

 これは観測範囲の話になってきそうですが、意外と単純なルーチンを指示通りにこなすことができない人はいます。集中力がなく同じ作業を継続して行うことが出来なかったり、目の前の作業が嫌になって「こんなことやっても意味がない」と難癖をつけたり、あるいは「失敗したらどうしよう」と怯えてしまって何も作業が出来ない人もいます。作業そのものが満足にできない場合、新人を責めるのではなく作業の構造を変えることで解決を図るのがよいと考えられます。この辺突き詰めると発達障害をもつ人の就労みたいな話になるので今回はこのくらいにしておきます。何らかの「指導」をする立場の人にはこういった人もいるということを知っておいてもらいたいものではあります。

 

【ルーチンの意味を理解していなかったら?】

 本題はこちらで、「見かけの仕事はできるけれど、彼らは内容を理解しているのか」というところです。例えば決算書を作るのが非常に素早く有能だと思って決算報告会で発表してもらうと、質問には何も答えられない。「目の前の数字の計算はできるけれど、それが何の数字かなんて知ってどうなるの」みたいなことはたまに見られる現象です。「だって君、簿記検定持ってるよね」と確認すると「今の仕事と検定と関係があるんですか?」みたいな反応が返ってくるかもしれない。これはギャグではない、真面目な話だ。

 

 この辺突き詰めていくと「彼の使っている言葉と私の使っている言葉は果たして同じ意味で使われているのだろうか」と中国語の部屋に迷い込んだような気分になるので適当なところで切り上げて、要は「作業はできるけれど作業の意味を理解しようとしない人はどうするか」っていうこと。こういう人はいくらルーチンをこなしても成長しない。更に「思考する」という概念がないのでその場にとどまり続ける。その状態で「自分で考えろ」と言ってもまるで効果がない。場合によっては「これでも考えてやっているのにひどい」となってしまう。

 

 このような人に何人かあったことがあるのですが、彼らは根本的に「人の話を聞かない」という傾向があるみたいです。それはもしかすると彼ら本人のせいではなく、生育環境など周囲の影響で「話を聞かなくても良い」という思考が設定されているのではないかと思うのです。何でも親が過剰に先回りしてお膳立てしてくれるような環境だったり、逆に何もしてくれなくて学校の先生が何かとせっつかないと全てのことができなかったりと、そんなこんなで何となく生きてきた結果「事象Aがあるから事象Bにつながる」ということに思い至らない人がいます。後天的なサリーとアンみたいな感じです。これらの問題は「機能的非識字者」にも通じています。自分で考える必要がないから、どんどん考えない方向へ向かっていくのです。

 

wired.jp

 

【まとめ】

 つまり、「自分で考えろ」と投げっぱなしにするのもアウトなのですが「適切に指導すれば改善する」と思い過ぎるのも指導者としては辛くなるので頑張りすぎないことが一番じゃないかな。懇切丁寧に、それこそ何度も何度も教えても作業効率の上がらない人に「自分で考えろ」と思わず言ってしまうことはあると思う。それで指導する側が参ってしまうこともあるし、無責任な周囲に「指導する側がなってないから」なんて思われてしまうことを恐れるかもしれない。

 

 本当は「こんな改善策はどうかしら」みたいなことが書ければなあと思ったけどあまりにもケースバイケースなので「全体的にこういう傾向あるよね」っていう話にとどめておく。「出来ない人のためにオリジナルの解決策を用意してやろう」っていう心意気もひとつの新人指導だと思うし、それに最初から出来る人ばかりが仕事を回しているわけではない。やはり最初はみんな出来ないところからスタートしているのだから、何か良い方法があれば前進することは不可能ではない。

 

 とにかく、こういった問題はあまりにもケースバイケースなのでひとつの正論で殴ると「そうじゃねえ」っていう反発がある程度あるので「※あくまでもひとつのケースです参考になればどうぞ」という文言は必ず入れておいた方がいいと思う。そんなことを考えました。おわり。

 

nogreenplace.hateblo.jp

 

 

 

 

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もう少し心に秘密を持った方がよいのかもしれない

 「父の死をSNSに投稿した夫が許せない」ということで現代人の情報開示とかなんとかについて少しだけ書く。

 

togetter.com

 

 まず、「人の生き死にをSNSで話題にするのはどうなんだ」というところで引っかかる人も多いと思う。個人的には「別に構わない」と思う。要は日常会話で許せる範囲ならSNSでも構わないのではないかということだ。「不幸があって今夜飛行機に乗らなくちゃいけないんだ」「まあ大変ね」くらいのやりとりなら、その辺でどこにでもあるし違和感は全くない。また「葬式の写真を撮るのはどうなんだ」というのもあると思うけれど、あれはイベントの記録としての写真だと思うし、こんなときではないと集まらない親戚の写真を残しておくのは良いと思う。ただ、それをyoutubeにあげているのは「違うだろ」と思う。

 

 この2つの決定的な違いは、「個人の記録のため」か「周囲に見せるため」かだと思う。個人の日記に葬式であったことを書くのは自然だし、逆に記録にしておかないのも変な話だ。ただ、それを「見せる」ことがメインのSNSで公開することはやはりおかしいと思う。「親が死んで悲しい」ということは客観的事実だし、葬式をあげることもごく自然な話だ。だけど、それを「見せなくていい人にも見せる」ということには抵抗がある。

 

 そもそも、身内が死ぬということは人間の感情の中でもかなり根本的なところにあるものだと思う。いくら似たような思いをしたことがあるとしても、その人の悲しみはその人にしかわからない。「子どもが生まれて嬉しい気持ちをシェアしたい/してほしい」というのはわかる。だけど「親が死んで悲しい気持ちをシェアしたい/してほしい」にはならない。せいぜいできるのは「私はいま身内が亡くなった状態です」ということを報告することくらいだ。その先の個人の心情は測りようがない。

 

 やはり「個人の情報をシェアする」ということは、「感情を共有したい」ということに繋がる。身内の嬉しいことをシェアするのはわかる。だけど、傷ついたり悲しかったりする気持ちの詳細をSNSに載せるのはある意味自尊心を削るようなものではないだろうか。簡単に言えば、自分の気持ちを「見世物」にしているわけだ。

 

 こういったSNSに迂闊なことを載せてしまう人は、「見られる」という視点がごっそり欠けているんじゃないかなぁと思う。「見られる」ということは自分を切り売りするということになる。その辺の覚悟があってテレビに出ている芸能人と一般の人の違いがその辺で、自分を切り崩した結果自分がわからなくなる人って多いと思う。その結果面白いことを書きまくっていたブロガーがある日を境にぱったりと更新しなくなったり、自他の境がわからない人が他人の面白いことを自分事のように書いて炎上したりする。

 

 自己というのもリソースで、無限に湧いてくるリソースなんていうものはどこにもないと思う。自分を切り売りして何かを発信している人は、いつかネタが枯渇する。その時に余所にリソースを求めるのか、自己をもう一度育て直すのかはその人次第であるけれど、大体は枯渇したものは元に戻らない。そして枯渇したことに気が付かない人は結構多い。そもそも自己を切り売りしていた自覚すらないのかもしれない。そういう発信が増えることは恐ろしい。要は「どんなことを言っているのかわからないけれど発信している」状態の人が増えるということは情報の相対的な無価値化が進むことに他ならない。既にスパムが蔓延してクソみたいなパクリサイトや貧困商法が大腕を振って跋扈している状況だけれども、この原則は忘れたくない。

 

 そんな自己を守るために、SNSにも書かない「本当に自分だけの秘密の感情」を持つことが大事になってくると思う。SNSには何を書いてもいいけれど、だからと言って何でもあけっぴろげなことでも困る。この辺の「自分のことだから何でも書いていいだろう」精神が悪い方に作用したのが一連の某はてなオフ会騒動の一因だと思っている。思ったことだからと言って正直に言っていいことと悪いことがある。

 

 それに、本当に好きな事象については積極的に「見せる」ところに持っていかないほうがいいんじゃないかと思っている。これはSNSに限った話じゃないけれど、趣味でスポーツをやっていてそのスポーツ=自分だと思い込んでしまうことはよくあると思う。だから身体を壊してスポーツが出来なくなると一気に老け込んだり、あるいはスポーツチームの応援をしていて、贔屓のチームが勝ったり負けたりすることでメンタルの変動がものすごかったりする人はそのチームがなくなったらどうするんだろうとは思う。自己を外付けのハードディスクに移植していると、外付けが壊れたときどうするんだということで、一種の共依存に近いと思っている。

 

 SNSもこれらの趣味との共依存を引き出しやすい。趣味が「ブログやfacebook」になると、上記の「自己を外付けハードディスクに移植」が加速する。ネットでキャラクターを演じて、リアルでもネットと同じように振る舞った結果よろしくない反応をもらうことはこれから先増えていくんじゃないかと思う。やはりネットはネット、リアルはリアル、そしてプライベートな感情はプライベートなまましまっておいてもらいたい。何がプライベートかわからない人は、SNSはやらないほうがいいのかもしれない。

 

 ここまでいろいろ書いてきたけど、上記の「義父が亡くなったときの夫の投稿」で一番ひどいのは「合掌」の部分だと思う。ニュアンスが微妙だけど、この場合「合掌」っていうのは外部からの弔いの気持ちであって、当事者が言うことではないと思う。それにまだ亡くなった義父と対面していない場面で「合掌」はないと思う。やはり手を合わせるのは直接面と向かった時だろうし、死んだことをまだ当事者として確認していないのに先にお悔やみの言葉を述べるのはちょっと不謹慎かなとは思う。「経った今母が亡くなったそうだから帰宅する」と言っている人に「このたびはご愁傷様……」というくらいタイミングが悪い。そういうことを考えれば、「義父が亡くなったそうなので妻の実家の近くの空港に着きました」という文面なら写真つきでもまだわからないでもない。「合掌」はダメだよそのタイミングで、という感じだ。

 

 おそらく今回の不謹慎ポスト以前にそういった細かい言葉遣いからくるトラブルはたくさんあっただろうし、「やめて」と言っても「迷惑をかけているわけではない」となりそうなのでそういう人とは心の中で距離をとるしかないのだと思います。まず、悪気がないので改善させることはかなり難しい。SNS辞めるか家庭を壊すかの二択にするくらいしか道が見えない。やっぱり個人的なことは不用意に呟かないほうがいい。これらは子どもより、これまでネットに触れなかった世代の方が課題だと思ってる。さて、この先どんな地獄がネットに待っていることか。

 

 

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「迷惑な人」は実在するのか

 Twitterなんかで大人気の「迷惑をかけている人にスカっとすることを言った」系の武勇伝。最近はテレビでも特集なんかされていて正直あまりいい気分ではない。どっちみち創作実話のようなものでそれを聞いて「ああスッキリした」なんて本気で思っている人がいるのであれば、相当ストレスがたまっている生活を送っているに違いない。

 

 しかし全部を「創作実話だ」と決めつけるのもよくない。実際にあった話もいくつかはあるに違いない。ただ、そこで「スカっとする一言」を無関係の人がズバリと言えるかという話はまた別だ。「迷惑な人を見かけたけど、何も出来なかった」「本当はこうしていればよかったのに」という思いがこういった武勇伝を生んでいるのではないかと思う。あっちゃんは滅多にこの世の中には存在しない。

 

 では、「迷惑な人」は実際に存在するのだろうか。電車の中で赤ん坊を抱いた母親に説教をかます老人、スーパーのレジで図々しく割引をせまる中年女性、ところかまわずポイ捨てをする若者、などなど。残念ながらこういった人は作り話ではなく実際に存在する人ではないかと思う。

 

花泥棒あらわれる - Hagex-day info

 

 このエピソードを読んで、この花泥棒は認知症なんじゃないかって気がした。どう考えても筋が通らない論理に会話にならない会話、しかし花泥棒の中では決定事項の何かがある。この人は昔このあたりに住んでいて、今は住んでいない友達を訪ねてきて、花を貰う約束を何十年も前にしたのを思い出しているのではないか。そんなことを考えた。

 

 おそらく、これと似たようなことはたくさん起こっているのだと思う。やたらと店員に向かって怒鳴っている人は、言いたいことがうまく伝えられなくてイライラしているだけなのではないだろうか。頓珍漢なクレームをつける人は、何かと記憶が混同しておかしなことになっているのではないか。ルールを守れなくなっている人は、我慢をするということを忘れているのではないか。

 

 こういうことを書くと「認知症を差別するのか」と言われそうで少し怖い。しかし、認知症に限らず鬱病統合失調症発達障害による認知の違いなどいわゆる「普通の人」には感じることのできない煩わしさを抱えている人がその特性(得意なことという意味じゃないよ)によってトラブルを起こしているのであれば、何らかの対処はできるのではないだろうか。

 

 自分は割と突発的なトラブルが起こったらどうしようと考えながら暮らしているほうだと思う。子どもが公園で遊んでいるところを通る時は「もしあの中の子供が遊具から転落したら、まず駆け寄ってその場にいる子供にその子の家へ行って家の人を連れてきてもらい、スマホで救急車を呼び、頭を打っていると危ないから子供が触れないように見張っていよう」とか真剣に考える。交通事故を見たらどうしようとか電車で隣の赤ちゃんが急に嘔吐したらこうしようとかいろいろ考える。

 

 その中に「迷惑行為をする人に絡まれる」というのもあって、その場合はとにかく話を聞くしかできない。何故なら、向こうは大体「俺正しい、お前間違い」という信念でもって話しかけてきているからだ。下手に言い返すと逆効果になる場合が多い。もし駅や公共機関があるならそのまま係りの人に引き渡すか、あるいは警察を誰かに頼んで呼んでもらうかになるだろう。

 

 ただ、「迷惑をかけたくてかけている」という人はあまりいない。一生懸命行動した結果、どうしようもなく迷惑なことになっているだけなのではないだろうか。そういった人を勝手に断罪するのはよくないし、それこそ冒頭で紹介した「スカっとする武勇伝」みたいなのはまるで解決になっていない。誰かが痛い目を見て何もかもが解決するのはおとぎ話の中だけだ。

 

 結局、こういった人に細やかな支援をしていくことが今後望まれることなのだと思う。前から「いじめを根本からなくすためにはいじめ加害者側に厚いケアが必要」と言っているけれど、なかなか難しい。迷惑をかけられた人の支援をするのは勿論として、その原因になっている「迷惑をかける人」の原因を取り除いてあげることは、やはり難しいのだろうか。認知症あたりは大分周知が進んできているけれど、その他の精神疾患系の「生きづらさ」を抱える人の支援はどうしたらできるのだろうとかいろいろ考えるけれど、やっぱりなかなか難しい。究極は「生きづらい人の生きづらさがなくなれば迷惑なことをする人も減る」と考えているんだけど、なかなか難しいよね。とりあえず「加害者を罰すればそれでいいだろ」みたいな考えは好きではないです。お腹が空いて盗みをする子には鞭をやる前にパンを上げるべきなんですよ、物理的にも心理的にも。

 

 そういう風に考えたら、みんなもっと他人に優しくすることができるようになるかな? ならないかな。難しいね。

 

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みんなみんなでおんなじ幽霊~短歌の目二期・4月の巻~

 明日世界が終わっても短歌。

 

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tankanome.hateblo.jp

 

1. 皿

明日にはどうやら地球が終わるから大皿いっぱい唐揚げ食べる

 

2. 幽霊

誰かさんと誰かさんと誰かさんみんなみんなでおんなじ幽霊

 

3. 入

いつの日か別の誰かが可愛がるクマは箱には入れられなくて

 

4. うそ(嘘、鷽、獺も可)

目覚めたら全部嘘だとおじさんがテレビの中で言うといいのに

 

5. 時計

ぽたぽたと涙流しているような時を刻んで動かぬ時計

 

テーマ「新」

「新しい世界が僕らを待ってるよ」「古い世界は忘れてしまおう」

 

新しいバッグに詰め込むガラクタは埃だらけでみんな泣いてる

 

お別れは終わったかしらと新しい朝日が素知らぬ顔で尋ねる

 

信号の周りに咲いた赤黄色青に光る新種の植物

 

着信の最新履歴に残された留守録未だに再生されず

 

 

うたよみんやってます 霧夢の短歌|うたよみん

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『4号警備』第2話の炎上の描かれ方について

 もやりんとしたことを残しておくのがブログというもの。というわけで残しておきます。きっかけは最近のネットを斬り込んで逆に切られているミカ先輩とエリコちゃんのPR記事で、「炎上の被害者を身辺警護する」という何がなんやらのドラマの煽り文を見て視聴した次第でございます。それで「あれれー?」と思うところを列挙していきます。

 

omocoro.jp

 

www.nhk.or.jp

 

 まず、これからする話はドラマの批判と言うより、このドラマでの「炎上」というものが大衆にわかりやすく表現した結果、現状にそぐわない点がたくさんあるということです。主人公の葛藤や人間関係の在り方などは良かったと思います。以下「ネット犯罪」と「炎上」についてのみのツッコミです。

 

【ドラマ内での炎上の描かれ方】

 執拗なストーカー被害にあう女性の身辺警護をしていたが、女性宅にストーカーが侵入したところを主人公たち4号警護は取り逃す。その結果、逆上したと思われるストーカーが女性のTwitterアカウントを乗っ取り、女性の働くホテルでの個人情報をTwitterで拡散、他にもさまざまなヤバイ情報を掲載。あっという間に女性の個人情報が特定され、実際にいたずら電話など嫌がらせが相次ぐ。ワイドショーでも女性の写真が目線が入った情報で公開され、ホテル側も信用問題だからと女性に依願退職を進める。女性の身辺を守る主人公たちまで野次馬の撮影する動画に映り、揶揄されるコメントと共に消費される。

 

 最終的にお面を被った集団がスマホを一斉に女性に向け「謝罪!」「人生終了ー」など囃したてているところへ主人公がお面をむしり取り「言いたいことがあるなら顔を出して言え」と怒鳴ると、集団は大人しくなってしまう。その後女性を殺すためにストーカーが女性を誘拐するが、主人公たちの活躍で取り押さえることができましとさ。めでたしめでたし。

 

 まず、お話の都合で仕方なくそういう表現になっているシーンは大きく分けて2つ。

  • 女性が一方的に加害者としてネットに流布している。
  • お面を被った集団が女性を付け回して揶揄する。

 

 それから、「お話の都合でもねーわ」と思うシーンも大きく分けて2つ。

  • トーカーが女性のアカウントを乗っ取ってからの行為。
  • ワイドショーでの反応、ホテル側の対処。

 

 以下、それぞれについて述べていきます。

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【仕方ないシーンについて】

 まず、「女性が一方的に加害者として流布している」点は「お話の都合上」と考えることができます。実際のネットでこのようなケースがあった場合、まず受け取り側も「アカウント乗っ取り」を疑うのが本筋だろうと思う。ストーカー被害にあっている女性が積極的にTwitterを使用しているとは思えないので、急に個人情報が掲載なんていうことになれば「誰かに利用されているアカウント」というのは賢明な人ならすぐに思いつくこと。よって「ホテル関係者のアカウントを使って個人情報をばらまく愉快犯、謎が多すぎる」などとねとらぼあたりが特集して、Buzzfeedが実際に女性にコンタクトをとるまでが予想できる。そしてはてなあたりでは「この女性の個人情報を流すのはやめろ」という運動が起き、「おそろしい個人情報の取り扱いが」とアルファブロガーが感想記事を書いて連日ホッテントリ入りし、クソみたいなPV稼ぎブログが女性の個人情報まとめを作成して盛大にぶっ叩かれるみたいなこともありそうだ。

 

 ただ、そんな「実際はネットでも女性を擁護する人もたくさんいるよ!」ということは今回のお話では枝葉末節になりかねないので過激な言動だけ切り抜いたのだろう。そのせいで「ネットの反応」というものが100%悪というようになっている。いや、それはねーよと思ったけれどこれもお話の都合上しょうがないのかなと思うことにしました。

 

 それから「お面を被った集団が女性を揶揄する」シーンのうすら寒さはおそらく制作側もある程度了承していたと思う。しかし、現時点で「匿名の無責任な批判」を「個人」が受け続けるという構図を映像にすることが難しかったのだろうと思う。それに「匿名は無責任だ」という台詞も入れたいとなっては、ああするしかなかったのだろう。それにしてもあんな珍妙な集団がいたらネットでも盛大にぶっ叩かれていると思う。頭の沸いたニコ生主ならやりそうだけど、ああやって集団でやってくることはないと思われるのであれは「本来はネット上でのやりとりだけど、それだと画面に締まりがないから現実でやってみた」的なものなのだろう。

 

【ありえねーと思うシーン】

 まず、ストーカーが女性のアカウントを乗っ取って行ったこと自体がよくわからない。そもそも、ホテルの顧客データなんて一介のストーカーがどうやって手に入れたのだろう。女性のアカウント乗っ取りくらいならまだわかるのだけれど、東京のちゃんとしたホテルの顧客データをストーカーが引き出せるって、ホテルのセキュリティの低さが伺える。

 

 実際に被害者に恨みを持ったストーカーがアカウントを乗っ取ったら、おそらく盗撮画像を載せまくるかセックス依頼のツイートをしまくるか、それか有名人の殺害予告を片っ端から行うか、そんなところのような気がする。結局個人で出来る事には限りがあるので、情報漏えいなんて不自然でアホなことをするとは思えない。まず他人から見て「いきなり変わって、何のために?」とならないために少しずつ内堀を削っていくようなことをするだろう。被害者に気付かれずに部屋に侵入することができたストーカーなら、そのくらい思いつきそうなものだ。キレた人間は何をするかわからない、とは言っても多少幼稚な八つ当たりだと思う。

 

 そして個人的に一番「ねーわ」と思ったのがマスコミ、ホテルの対応。どれもこれも「炎上すると人生終わるよ」という演出程度のことなんだろうけど、正直実際のマスコミ関係者は怒ってもいいんじゃないだろうか。犯人と確定しているわけではない女性の写真を「こちらが例の女性の写真です」って目に線を入れただけの状態でよく放送できるなーという印象。そもそも情報漏えいは立派な犯罪なのでホテルも警察に相談するだろうし、女性も民間の身辺警護ではなく警察で事情を聴取されるだろうし、その上でストーカー被害との関連も調査されるだろう。「信用問題だから」と早々に首を斬るのは一体どういうことなのだろう。まずは「事実関係を明らかにする」ことが先決だし、逆に「被疑者を解雇したから許して」なんてホテルが逆に信用なくしかねない。それに女性の写真がテレビで特集を組まれて報道されるのだから遅かれ早かれ「女性はストーカー被害にあっていた」という報道も出まくるだろうし、その時ホテルが徹底的に悪者にされかねない。ネット立ち回りの下手な支配人だな。

 

 いや、これも「ネットの炎上にマスコミは加担していませんか?」というアンチテーゼなのかもしれない。深読みしすぎだろうか。

 

【なぜこうなった?】

 結局「大衆はネットの炎上をこんなものだと認識している」というのをなぞった結果、ありえないシーンが多発しているのだろうという印象です。特に「ネットには得体のしれない悪人がいて、わかりやすく悪いことをしている」というところを強調した結果がお面の集団であり、主人公の啖呵なのだろう。

 

 しかし、現実の炎上はそんなものではない。最近は「馬鹿なことをして批判を浴びる」というバカッター式炎上よりも「政治的に相反する意見に厳しいコメント(誹謗中傷含む)をつけまくる」「センシティブな話題に不用意に触れた結果骨まで残らない焦土と化す」「おかねがほしいからPVほしいなー炎上」など「匿名だから無責任」で済ませられない炎上が増えている。

 

 つまり「匿名だから無責任にガーガー言っているのが炎上している」というのは一理あるけれど、それが全てではないということだ。しかしテレビではそれをどうしても切り取らなければならない。そのせいで滑稽な展開になってしまったのだろうと思う。それだけネットの世界は広大で、様々なことが起こる。これは現実世界と変わらない。「どうせネットの世界だから」と一面しかみないと、ある日予想もしなかったネットの悪意に飲み込まれているかもしれない。

 

【似たようなネット表現】

 似たような表現で最近記憶にあるのが『世にも奇妙な物語』でリメイクされた『ズンドコベロンチョ』と『シン・ゴジラ』だ。ズンドコベロンチョでは最後に主人公が炎上するのだけれど、それが非常に「ギリギリ放送できる限界のリアルさ」を追求していたのがよかった。まさかクソコラまで作ってくるとは思わなかった。『シン・ゴジラ』は冒頭のネットの反応だけれど、これも不自然なシーンはなかったと思う。

 

 ただ、ズンドコベロンチョでも「ガチのクソコラ」までは作れなかったようで「クソコラらしい画像」を流すことになったように「大衆向けの映像とネットの表現の乖離」についてはこれからも注目していきたい。

 

【まとめ】

 長々と書きましたが、こういった現実のネットと表現上のネットの乖離は仕方ないことであって、ドラマの内容とは特に関係がありません。ドラマ自体は主人公の葛藤などが端的にわかってよかったと思います。

 

 ただ、ストーカーが「君が僕の思い通りにならないから殺すんだよ」と明言するのは寝言で「もう食べられないよォ~ムニャムニャ」と現実で言っているのを聞いてしまったような感覚でした。あまりにもベタすぎて、なんていうか、そこで視聴者に説明しちゃってるのがわかっちゃったというか。ていうか、ストーカーと炎上を一緒にやったからよくわかんないことになってんだろうな。テレビって難しい。おわり。

 

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人生のリソース

 最近記事らしい記事を書いていないということに気が付いてなんか書こうと思ったけれど特に書くこともないし、いいのかなという気ではいるけれどなんかダルい感じなので何かを書いておく。

 

 書くことがないと言うより、伝えたいことがなくなったという方が正しいのかもしれない。「インターネットの向こうにも他者が存在する」というのが昔はあったけど、実際に他者と触れ合うことになればそれはそれですっごく楽しいんだけど、最近は他者だと思ったらなんかよくわかんないアレみたいなアレっていうのが増えてきてるし、相手と自分の常識が一緒だろうと思っていたらそうではないなんていうケースは後を絶たないし、それでお互いにどうぞどうぞって譲り合うことが出来ればそれはそれでいいんだけど、そうじゃないことも多いし。

 

 そうすると、やっぱり疲れる。人生のリソースは有限だから、疲れるくらいなら自分の人生を充実させたいって思う。歌ったり踊ったりおいしいものを食べたり旅行に行ったり買い物をしたり、もちろん本や映画を楽しんだりゲームをしたり、他にも楽しいことはたくさんある。

 

 ネットはコミュニケーションをとっている人の顔が見えないから他者を感じにくいのも仕方がないけれど、リアルでも目の前の人と意思疎通を図ろうとしているのに「この人は一体何を言っているのだろう」と思うことはある。同じものを見ているはずなのに全く違うところを見ていた感想を呟いたり、そもそも会話をする意思がなかったり、理想の答えと違うものが返ってくると急に不機嫌になったりなど、例を挙げればきりがない。たまにネットでコミュニケーションに失敗する人を見るけれど、おそらくそういう人は「ネットだから」失敗するのではなく、普段からそういったコミュニケーションをとっているのだと思う。もうネットがどうこうじゃない。コミュニケーションの質の問題になってくる。そういった意識の領域の前に、人間はまだまだ無力だ。早く電脳化を進めたほうがよりより未来が待っているかもしれない。

 

 しばらくはボケッと不定期でこんな感じの奴を書いたりいろいろやってこうと思っています。予定は未定よくある話ですが気長にお付き合いください。では。

 

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