あのにますトライバル

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何事かの善悪についての雑感

思うところあるので少し書いてみる。ナチスの善し悪しの話ではありません。

 

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mazmot.hatenablog.com

 

 

結論

何か事象に対して、特に小論文の添削においては「よい」「わるい」を付けて全部を否定や肯定するのはナンセンスだと思う。

 

ポジションで変わる善悪

元記事では「ナチスもよいところがあった」という主張をする人に対しての批判*1で、まつもとさんの記事はその記事を受けて歴史に対する良し悪しの価値判断について書かれたものである。

 

この話題について思うのは、源氏物語のことである。千年前に生まれた小説だが、当時から絶賛され「源氏物語を読むまで死ねない」と仏像を掘り進めるオタクが現れるくらいである。ところが貴族の世の中から武士の世の中になって、質実剛健を良しとする時代になると「源氏物語?あんななよなよしてるのはなぁ」となり、「自分の父親の妻を寝とって子供を設けたから自分も妻を息子のダチなんかに寝盗られるんだざまぁwwww」みたいな解釈も生まれていく。そんな解釈の中で「そんなことはない!もののあはれヤベーじゃねえか!」みたいなオタクも登場し、現代では「マジ光源氏ロリコンなんですけどwww」みたいな解釈が一般的なものになっている。


実際平安時代の文学見ていると「好きな人がいるけど告白できない。つらみ。出家しよう」「旦那さんがいる人を好きになってしまった。死ぬしかない」みたいな表現がバンバン出てくるし、恋煩いで簡単に失せてしまう。確かに現代からしてみたら「軟弱だなぁ」と思うところもあるけど、当人たちからしたら「恋愛=結婚=出世」みたいなところがあるわけでかなり必死なわけで。


例えば「志望の大学に行けなかった」という理由で自殺をした若者がいたとして、「何もそんなことで死ななくても」と思う人もいるし、「その辛さはよくわかる」と思う人もいる。また家族親戚全員医者や士業という家庭環境で育つ人と中卒高卒が大部分という人でも大学に落ちて自殺する人への価値判断は変わってくる。大学進学率が少ない国や中国や韓国のように受験に人生がかかってるような国でもまた変わってくる。


そんなわけで歴史に限らず何らかの事象に対しての価値判断というのは時代や地域、その人の性格や置かれた環境によってかなり変わってくる。

 

ナチスを全肯定する小論文とは?

そもそも元記事の「ナチスを全肯定する小論文」自体が怪しいと思ってる。根本的に小論文には設問が存在していて、その設問に相応しいか否かで判断するべきであってナチスを全肯定することが設問と合致するのであればそれはそれでいいとして、「こういうこと書くと海外ではその場で射殺されてもおかしくないから気をつけろよな(ニヤリ」くらいの指導でいいと思ってる。件のナチスファンが落胆したのは単に想定内のお決まりごとを言われてつまらなかったからかもしれない。その昔「ここがヘンだよ日本人」で軍服マニアがスタジオでドイツの軍服着てナチス式の敬礼やってドン引きで済まなくて出演者ガチギレに発展した事件とかの話をしたら喜んだかもしれない。

 

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この話題はナチスの善し悪しよりも目の前の生徒と向き合ったかどうかだと思うのでナチスの話は対して重要ではないと考えている*2ナチスでなくてジョン・ゲイシーファンなら?阿部定ファンなら?ゴリゴリのマルクス主義者だったら?クメール・ルージュ一筋だったら?天皇ファミリーアイラブユーだったら?それらを「完璧な文体で肯定」していたからどうなのかというと、やはり生徒との対話が重要としか思えない。

 

個人的に、もし生徒がトランプ政権を全否定してオバマ政権を全肯定するような小論文を書いてきたとしても「本当にトランプ政権はダメなところしかないのか、オバマ政権は素晴らしいところしかないのか」と返すと思う。一限的な見方ではなく、何故トランプ主義は受け入れられたのかとかそういう背景を考えないと何かを論ずることなどできない。共和党支持者から見る民主党のいけすかねえ奴らという視点がなければ、「トランプ主義者はクズですね殺してもいいんじゃね?」となり、新たなホロコーストの火種になりかねない。

 

もし小論文でホロコーストについて扱う時、同時に「何の罪もない非戦闘地域の一般市民を一方的に何万人も焼き殺した国があるよ。その国は悪い?」という価値観のヒントは与えるようにしたい。ナチスが悪いというのは覆らないこととして、「ナチスだけが悪いのか」という視点はいつも必要だと思う。他に同じような虐殺をした国は?そもそも何故ナチスは生まれたの?などなど。その上で「やっぱりナチスは悪かった」とするのか、特に考えずに「ナチスは悪いから悪い」「ナチスは悪くないから潔白」とするのでは話が変わってくる。

 

ナチスは悪いと思ったから悪いのです、僕も気をつけようと思います」では小学生の作文になってしまう。ホロコーストについて述べるのであればナチスが何故ホロコーストをしたかの背景とそれによる損失や非道な実態を踏まえて今後虐殺の起こりうる背景に注意するみたいな感じでまとめさせたい。

 

肝心なのは「だからナチスは悪い悪くない」ではなく、「こういうことが起こった、それはよかったよくなかった」という視点に持っていくことだ。ただの作文ではなく小論文なので、主観ではなく客観的に対象を捉える訓練が大切である。それが「ナチスの悪行を相対化している」と言われるとそうかもしれないけど、とりあえず相対化してみるというのが小論文の添削だと思うのです。例のナチスファンには「よく調べてあるね、次は悪いことをメインに書いてみて」くらい言ってみたい。

 

戦争はこわい

ここまで書いてなんとなく思ったんだけど、戦争っていうのは人命や環境、財産を奪うだけじゃなくて価値観そのものも変えてしまうから恐ろしいなと思った。もし先の大戦で勝ったのが連合国側でなかったら、ナチスじゃなくてチャーチルとかが極悪人になってたのかもしれない。原爆投下をしたアメリカが非道の行いであると後ろ指をさされ、アウシュヴィッツは「まあ酷いけどしゃあねえべ」くらいの価値観だったかもしれない。


そんな感じで今生きていて当たり前になっていることも100年後くらいには「時代遅れw」と嘲笑されるかもしれない。今の最先端は次の時代の流行遅れだ。だって3年前に「飲食店で酒飲んだら悪人だよ」なんて言ったって誰も信じなかっただろうしさ。今や1歳の子でも店に入ったらアルコール消毒する時代ですよ。

 

つまるところ

「よい」「わるい」というのは事象そのものプラス「ジャッジする人のポジション」がかなり関わっていると思う。だからジャッジする立ち位置に敏感になることが大事だと思う。じゃあこの記事を書いてる人はどんなポジションなのかって?強いて言うなら「小論文の添削をする人の立場」かなぁ。ナチスを完璧な文体で肯定したくらいで指導できなくなるならナチスが悪かどうかではなく、その生徒の問題なんじゃないかなぁと思う。元の話って実はナチスの是非というより小論文の添削というか生徒との向き合い方の話だよね。おしまい。

 

*1:この炎上は元記事で解説している以前に単に「ナチスの政策で肯定できるとこないっすよ」と雑に切ったので雑な返しが発生しているだけの雑な炎上だと思う。言葉を尽くせば回避できたかもしれない。

*2:個人的にこの件に関しては「ナチス全肯定よりも完璧な文体ってなんやねん欠落した文体ってあんのか?あ?」と思ってるけど気にしたら負けなので気にしない。