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さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

ハーゲンダッツが気になって仕方なかったんだ

雑記

 体調も戻って忙しさも一区切りを迎えたので増田めぐりを再開しています。そこで見つけた、ちょっと百字では表現できなかった増田について少し書いておきます。

 

長文となりますが、同様の経験を持つかたのご意見をお待ちしております

すごく律儀なお返事に訳もなく不安になる。完璧にやろうとしすぎると多分今の生活もどこかでおかしくなる。あと律儀に毎回ハーゲンダッツじゃなくてたまに大福とか煎餅でも嫁さんが好きなら喜ぶと思うよ。

2017/01/11 09:40

 

 この増田を見てすごーく不安になった。何が不安かというと、日々の生活を「マネジメント」と表現しているところや自分の生活サイクルの「印象」を今後のためにとアンケートを取っているあたりに増田筆者の「自己」というものが大きく欠落している印象を受けたのです。客観的事実を書いたからそうなんだろう、という見方も出来るのですがそれにしてもこの増田の生活には「自己」がない。だから「他者」の目線を想像できない。そんな感じ。

 

 はてな匿名ダイアリーにはたまに「子育て大変だけど嫁さんには感謝」的な惚気系の増田が見られる。その意図はやはり「こんな幸せを誰かに知ってもらいたい」というものがあって、同じく愚痴エントリも「こんなに大変なのを誰かに知ってもらいたい」というものだ。「俺の考えって合ってるよね(間違ってるかな)」というのも十分何かを書いて発表する意図としては十分だ。ところがこの増田のエントリにはそういった「何かを知ってもらいたい」という意図が見えてこない。あくまでも客観的にアドバイスを求めている。

 

 そもそも子育てという行為そのものが非常に個人的で主体的なものであるため、こういった究極に客観を極めた子育てについての文章を見ると不安になるのかもしれない。「うちではこうやったよ」「うちでも参考にしてみよう」と結局「うち」の事情が全てになるため、完璧な育児法など存在しないしある程度の有効な方法から「うち」に合ったものを選ぶことになる。育児のノウハウは経験の積み重ねであり、完全に一般化することは難しい。別に「ノウハウで楽をするな」と言っているわけじゃあないです。「うち」に合っていると思う情報があれば試してみてもいいんです。ただその情報が個人全てに最適化されているわけじゃあないということです。

 

 おそらくこの文章の外に増田筆者なりの感情や増田妻の笑顔、子供とのかけがえのない思い出というのがあるのだろうけど、この文章からは全く見えてこない。ただ増田がソシャゲのデイリークエストのように日々のタスクとして子供や妻と接しているようにしか見えない。それを強く感じたのがこの二文。どうしてこの文が必要なのか考えたとき、増田にとっての「妻」の存在は何なんだろうと思ったわけで。

 

また、ハーゲンダッツのミニカップを週に3度くらい買って帰ります。

平日は自由がほぼないと思われる妻の意向を最大限に尊重し、例えば買い物などに同行します。

 

 ブコメでも言及したけど、すごくこの「ハーゲンダッツ」が気になってしまった。嫁さんの機嫌取りという文脈でしばしば登場するハーゲンダッツ。客観的に行動を書こうと試みている増田だったら「嫁さんの好きなお菓子をお土産にする」と書くに違いない。確かに世の女性の9割以上はハーゲンダッツが好きだろう。だけど、わざわざ「ハーゲンダッツ」でなければいけないのだろうか? 世の女性の9割以上は同様にスーパーカップだって好きだろうし赤城練乳も好きだろう。非常に個人的なことを言えば、いくら配偶者からのお土産でハーゲンダッツが大好きでも、週に3回も買って来られたら「お前それしか能がないのかよ世の中にはもっとたくさんの種類のアイスがあるじゃねえか」と思うわけで。

 

 この現象は「母の手料理をうまいと褒めると連続してその料理が出てくる現象」「帰省すると毎回必ず好物が出てくる現象」に似ていると思うのです。自分は魚卵が大好きなので、帰省するたびにデカい筋子が買ってあって毎回ごはんに乗せて食べることになったので(他の家族はあまり食べないので食べきらないといけない)「流石に毎回は食べきれないよ」と10回目くらいではっきり断ったものです。それで3回に1回くらいに筋子の頻度は減りました。

 

 あと「ハーゲンダッツ」と言えば記憶に残るのが「育児に疲れたら冷蔵庫に高いアイスがあると嬉しくなるんだ」という内容のブログを読んで「そうか!妻の機嫌をとるには高いアイスを買って帰ればいいんだ!」と解釈をした方がプチ炎上したことがありました。ちゃうねん、そういう問題じゃないんや。

 

 そういうわけで「お土産」にしたいのであれば、増田妻がハーゲンダッツの海に溺れて死にたいってくらい好きなら構わないと思うけど、たまにはマクドナルドとかいちご大福とかバリエーションをつけたほうがいい。「ハーゲンダッツ」に固執することはない。むしろその「固執」が怖い。この生活が崩れたら、増田はどうなるんだろう。まだ子供が幼いから全ては増田と増田妻の思うとおりに動いていると思う。それがこの後小学生、中学生になったときに子供とうまくコミュニケーションとれるかどうかだと思う。

 

 そこで下の「平日は自由がほぼないと思われる妻の意向を最大限に尊重」がまた気になったのです。よく読むと、この文おかしいです。「平日は自由がほぼないと思われる」は増田の推測ですが「妻の意向を最大限に尊重」になると増田妻が「平日は自由がないから買い物に付き合って」と言っているように見えます。「はたして増田妻は本当にハーゲンダッツを欲しているのか、買い物に付き合ってもらいたがっているか」というのが非常に疑問なわけです。話し合いの結果であれば問題ないのですが、下手をすると「増田妻の気持ちをわかっている(つもり)俺頑張ってる」になりかねない。また、増田の生活もかなりタイトであるため一度破綻すると取り返しがつかないレベルで崩壊しかねない。どこかで生活の「あそび」を作っておいた方がいいと思う。完璧を求めることは自分一人の世界で完結させるように努力したほうがいいと思う。

 

 増田がショートスリーパーだとか子供との独特の生活時間については「人それぞれだからなぁ」という印象なのですが、これだけを読むととにかく増田妻のメンタルが心配。そして今後自我が芽生えてくる子供たちが心配。増田妻は増田に合わせて無理をしていないか? 子供も増田の生活に最適化しようとして無理をしていないか? こういう疑問を常に心に置いておくと不測の事態の時に対応しやすいと思う。

 

 不測の事態と言うのは、あまり考えたくないことですが例えば子供が大きくなって不登校になってしまったりいじめや万引きなどをしてしまったりした場合にどれだけ親として対応が出来るかということです。親が子供を最適化しようとしていた場合、そうなってからよくある例として「計画が狂った、そんなつもりで産んだんじゃない」と子供を完全否定したり「私が間違っていました神様ごめんなさい」と宗教に走ったり「私は悪くない(子供は悪くない、ではない)悪いのはみんな社会だ」と学校に殴りこむなど暴走をすることがあります。事物を客観的に見ようとしている増田に限ってそんなことはないと思うのですが、増田妻はどうでしょう? 増田妻は好き好んで増田と一緒になっていると思うので心配はあまりないでしょうが、「私はこうしたいがあなたは私に合わせてばかりいないか」という確認を普段から定期的にしておいたほうがいいですね。子供がある程度大きくなったら、子供にももう少し柔らかい感じで確認したほうがいいです。

 

 子供だって増田妻だって一人の人間なんですよ。全て最適化されて、合理化された生活もそれはそれで気持ちいいのですがどこかで緩めてあげないと増田自身も「何が本当の自分か」わからなくなって下手をすると上の例みたいになってしまうかもしれないです。

 

 そういうわけで全体として「生活をマネジメントしようとしすぎない」ことが大事だと思います。基本的にやりたいようにやって、させたいようにさせて、不都合があるときは話し合って妥協したり譲れない気持ちをぶつけたり、そういうのが家族じゃあないのかなぁと思うのです。とりあえず書き捨て言い捨てのブコメに律儀に返信するあたりからもう少しいい加減になってもいいんじゃないかと思うよ。

 

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