読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

「芸事」の世界と「指導法」

 蜷川幸雄さんが亡くなって、その稽古の激しさに改めていろんな反応があるなぁと思いました。

 

fujipon.hatenadiary.jp

 

 訃報のニュースで飛び込んでくる断片的な映像でも、蜷川さんはいつも怒鳴っていて「怖い人」というイメージでしか報道されないなぁと思っていました。実際に怒鳴って指導していたのだから仕方ない。でも何だか「それってどうなんだろ」と思っていたところなので少しだけ書いておきます。

 

 「芸事」の話ですが、演劇とか美術に文学なんかもそうですが「ある程度」まで技術があれば後は己を磨いていくのみなんですよ。そうすると鍛えていくのが「己」になるので、「ある程度に達した者」同士の間で表現の指摘をするとかなりシビアになる。「ちゃんと見て描いてるの?」「ここが下手、伝わらない」「何が言いたいのかわからない」「憧ればかりで中身がない」「題材についてちゃんと調べた?」「やる気が感じられない。添削する価値もない」こんな煽りのような指摘が続いたりする。それは「ある程度」に達した者でないと伝わらないものだし、言葉だけ借りて素人が真似をすると非常に良くない。

 

 で、世に言われる「パワハラ」なのですが、全てを「指導」にすると多分上記の指導も十分パワハラになると思うんです。でも一般的な指導とここでいう「指導」は少し違っていて、「出来ないものを出来るようにする」のと「ある程度出来ているものを更に良いものにする」ではかけるべき言葉が変わってきます。

 

 まず「出来ないものを出来るようにする」ためには、成功体験を積み重ねることが大事です。そのため少しでも出来たのであれば褒めて、出来なかった部分は優しく修正を加えていくことで技術が習得されていきます。しかし「ある程度出来ているものを更に良いものにする」では「成功している点」を褒めても何の解決にもなりません。それどころか「成功している点」を修正しなければいけないので、どうしても現状のレベルを否定する必要が出てきます。更に完成度を高めるために出来ていない部分を徹底的に突かれます。そこで折れるようならそこまでという、結構厳しい世界です。

 

 極端な話、蜷川さんが「初心者の演劇入門講座」を担当することになったとしても流石に灰皿は投げないと思うんですよ。初心者が出来ないのは当たり前で、「出来ないこと」に対して厳しくしても仕方がないのは何だって同じで、「更に良いものを目指す」のであれば己との戦いになるわけです。演劇は己以外にも一緒に表現をする人がいるので、それがぶつかり合うと「その文脈を理解できない人」には一切訳の分からないワガママな人たちがたくさんという世界に突入する。

 

 蜷川さんをパワハラであると思う人は「ただ怒鳴るだけの暴力上司と同じ」と言う。しかし「監督者」と「演出家」は根本的に存在意義が違う。スキルを指導して人材を育てるのか、ある程度放任して現場を管理するのか、それとも芸術の高みにたどり着くために介入するのか。立場が上の者としても下の者をどう扱うのかまたいろいろあって、好きにさせておいて危なくなったら手を出すという介入もあるし、技術が習得できるまで何度も指導をするということもある。あるいは上の者が支配欲を満たすためだけに下の者に恐怖を与えているかもしれない。蜷川さんのような演出家の場合はそういうのを超越したところがあるので、また別の視点で語らなければならない。

 

 つまり「現場の人員を管理する」か「スキルを持った人を育てる」か「職人を育てる」かの違いだと思うんです。システマチックな指導ではやはり「職人」は育たない。しかし誰もが「職人」になれるわけでもないし、世間的にはシステムから乖離した世界は奇妙に見えるわけで。

 

 

 要はこれも「ハイコンテクスト」と同じ問題で、「芸事における師匠と弟子」の関係という文脈を理解しているかいないかの問題だと思う。こればっかりはその筋の世界に入ってみないとなかなか理解するのが難しい。「師匠と弟子なんて前近代的な発想だ!」というところからは単なるパワハラにしか見えないだろうし、芸術に価値を見出さない人にすれば「無駄な労力を使って気持ち悪い」になる。演劇の世界で通用するコンテクストを他の「指導」に当てはめても、そこに意味はない。ちなみにそこでそういうコンテクストを取っ払うと、全体的にいわゆる「互助会」のような雰囲気になる。否定もなければ強い肯定もなく、「表現」が有名無実になる世界。そういう世界を世間が望むなら、時代の流れだ仕方がない。

 

他人の作品や発言に対しておもしろくないとかクズとか言える人はすごいと..

それが行き過ぎると同様に「面白い」も言えなくなって、全ては「人それぞれ」になって、最終的に誰も「面白いことの提示=作品を作る」ことがなくなるわけだけど。

2016/05/18 00:10

 

 ただ、ニュース報道なんかはコンテクストがわからない人が見るのが大半だから、蜷川さんの映像を流す時は「この指導は演劇の指導です、職場などで真似をしないでください」というテロップが必要なのかもしれない。世も末だ、解脱をするしかない。

 

広告を非表示にする