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さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

「おおかみこどもの雨と雪」のどこに怒っているのか

作品解釈

おおかみこどもの気持ち悪さについて

 等身大の働く男性としてアピールする映画として半沢直樹をもってくるみたいな気持ち悪さはある。この映画には嫌悪しかない。(マイブコメ

 

 と、言うのに対してこちらのお話。

 おおかみこども嫌いなやつは何に怒っているのか?

 

  そもそも「おおかみこども」を見に行ったのは、公開当時職場の若い女性*1が「めっちゃ感動したんですよ!もうハンカチヤバくて!見に行ってください!」と大絶賛をしていたので「そこまで言うなら」と見に行って撃沈したという次第です。とりあえずB級映画でも割と楽しめる精神だと思っていたのですが、こんなにフィクションに対してカッカしたのもあまりない経験なので「何に対して怒っているか」を書いていきます。一度別のブログで感想を書いたのですが、今回はそれと別の視点でもう一度書いてみます。先に褒めるところを褒めておくと、とりあえず絵はキレイだったと思います。ケモノシーンもかわいかったです。

 

花のとっても不気味なキャラクター

 映画が始まって数分は別段なんとも思っていなかったのです。「辛いときは笑うようにしているの。父の葬式の時も笑っていて、不謹慎だと言われた」という告白時点では「ちょっとイタイ子かな?」というくらいの軽い疑問がありましたが、長時間冬の夜屋外で待たされた 彼女の満面の笑みで一回ゾっとし、以降の「辛いときは笑う」シーンは共感以前に気味の悪さしかありませんでした。要は今回金曜ロードショーで放映したときは「これ辛いとき笑ってるってことは、今めっちゃ怒ってるよね」と茶化してやりましたが、真剣に考えれば考えるほどこのシーンだけでも辛いものがあります。

 

 まず、花は何を考えてあそこに座っていたのか。「男さん来ないなぁ、寒いなぁ、お腹すいたなぁ、周りのカップルはいいなぁ、幸せそうだなぁ、寂しいなぁ、どうして来ないんだろう、もしかして私のこと嫌いになっちゃったかなぁ、でもきっと何か都合があって遅れてるだけだよね、頑張って待っていよう、でも寒いなぁ、やっぱり(以下ループ」くらいの葛藤はあったと思います。その葛藤をすっ飛ばして「来なくて辛いなぁ、そうだ、辛いときは笑おう」くらいの思考でずっとあの顔でいたのなら、やっぱり誰か通報していてもおかしくない。特にあのお菓子屋さんあたり。

 

「警察ですか。うちの店の前に若い女の子が夕方からずっといるんですが」 

「待ち合わせじゃないんですか」

「声をかけたんですが『人を待っている』の一点張りで」

「 じゃあいいじゃないですか」

「でもそれなら普通連絡を取るなりするじゃないですか、しかもさっきからニタニタ笑いながら座り込んでいるんですよ」

「なんだか心配ですね。一応巡回のものに連絡しておきます」

 

 つまり、どうみても不審者にしか見えない。「こいつ頭おかしくね?」と観客に思わせてしまったら感情移入もクソもないし、その後はみなさんご存じの通りケモナーセックスからの自宅分娩に旦那謎の死とイベント目白押し。要はここで「うわー、花はケナゲに待っていたのね☆」という感想が出るか出ないかで今後の感想の分かれ道になる。漫画的に極端にデフォルメされた性格のキャラクターなのに、何故か現実世界で現実的にならないと務まらない母親をやっている。

 

「都合のいいストーリー」の背後にあるリアル(笑)

 冷静に考えなくても、実は花は非常に主体性のないキャラクターだ。そもそも「泣く」という表現自体、人間の本能に備わった「私は嫌だ、不快だ、悲しい」というある意味自己表明である。狼男に関係を迫られ(たのかは不明だけど)、不安定な生活の中子供を自宅分娩で二度も出産、周囲の無理解に対して毅然と「私は大変なんです」と意思表明をすることなく逃げるように山奥に隠れ住み、近所づきあいをしているようで非常に受動的な態度であり、何より子供たちの問題に直面してからなんとか解決策を探そうとしている。雪のワンピースを作ったのも本人からの要請があったからで、都会に住んでいた花が年頃の娘におしゃれをさせないようにしていたのも謎である*2。更に雨がおおかみとして生きようという決断をしたときに彼女は背中を押すでも反対するでもなく、成り行きに任せて「結果オーライ」としている。どこかで彼女が「NO!」というくだりがあってもよさそうなのに、辛いことがあっても笑顔で乗り切る、つまり現状に不満を言わない不気味なキャラとして成立している。これを「全てを肯定するキャラなのよ」と言ってしまえばそれまでなのであるが、裏返せば「全ての決断から逃げているキャラ」と言っても過言ではない。

 

 主体性のないキャラクターというと、どうしても思い出すのが「ケータイ小説」「ハーレムものラノベ」である。ある種の娯楽小説はわざと没個性的な主人公を据えることで主人公に感情移入をさせるよう仕向ける。じゃあこの作品の場合はどうかというと、「没個性的などこにでもいる主人公がある日突然狼男と出会ってエッチして、子供を産んでこれから幸せになるの☆と思っていたら急に彼氏が死んじゃった!辛いけど、うち頑張る!」的などう見てもケータイ小説です本当に(略という感じである。

 

 そもそもケモナーセックス以降のイベントが「花かわいそう」「花つよい」「花エライ」のどれかにしか分類されず、狼男もおおかみこどもも周囲の人間も全て花を讃えるためのツールにしかなっていない。ここで先ほど「花に共感できたかできなかったか」で、できなかった人はこの後二時間近くイライラし続けなくてはいけない。そういう人の救済措置として「母親としての挫折や限界」というイベントがあってもよいと思うけれども、母親の手を離れて兄弟が喧嘩をしているシーンで体を張ってでも止めようとしたり、終盤の山で遭難するシーンでも「あの子に何かあったら、私は一生自分を責め続ける」というような鬼気迫る感じでもなかったり(むしろ「しっかり生きて!」と半分投げるように送り出す始末)、どうにもすべてが他人事なのである。それもこれも「辛いときは笑顔」という妙ちくりんなキャラクターのせいなのであるが、「共感ありきの都合のいいストーリー」として考えると合点がいく。

 

 「泣ける話」のメカニズムは、基本的に最後に死んでしまう誰かに感情移入をしているからであって、決してストーリーそのものに感動しているわけではない。つまりこういうタイプの話は感情移入が出来ればOK、そうでなければただ誰かが死ぬだけのストーリーになってしまう。狼男謎の死のイベントひとつにしたって、「花に感情移入していれば最愛の夫が死んだのでいいだろう」という投げやり描写により作品についてこれない人お断りの非常に不親切な設計である。

 

 それに、イベントが時系列で淡々と進行していくだけで、この作品には一貫したストーリーや伏線が存在しない。テーマを掘れば複数あるけれども、「これだ」というでーんと構えるものは見当たらない。「子育てだろ!」と言われればそうなんだけど、じゃあ前半のケモナーセックス含めたあれは何だ? と言いたい。例えば同監督の「サマーウォーズ」であれば明確に「OZの世界で事件が起こる」「大家族いいな」の二本立てである。そもそも「子育て」にもいろいろあって、「母親の愛情」「育児の過酷さ」「子離れの大切さ」「子供たちの自立」「シングルマザーの大変さ」「都会は子供に冷たいけど田舎はあったかいよ」などなど、どこに焦点を絞ればいいのかよくわからない。そのテーマを決めるはずの主人公の花が主体的でないので、イマイチ何が言いたいのかよくわからない。「なんかよくわかんないんですけど一生懸命やってたら勝手に子供自立してたわ☆テヘ」という感覚。ますますラストで観客置いてけぼりである。

 

 この「主体性のない主人公が悲惨なイベントをなんとかやりすごして最後とりあえず『アタシ頑張った!』で終わるストーリー」をやっぱり自分なりに考えて子育てされてきた方々が見たらそりゃ怒るだろう。「それは映画に書かれていないところで」というのはただの妄想にすぎないし、「いやいやこれはフィクションなの、ファンタジーなの、わかる? 人それぞれなのよ」という増田のような考え方をしたいのはやまやまだけれども、勘違いを誘発してしまった理由のひとつもストーリーの欠点にある。

 

 また「サマーウォーズ」を引き合いに出すと、あの作品の場合「OZ」という仮想空間が設定されていることが作品冒頭で明らかにされる。そのことで「これは現代を舞台にしたファンタジーだな」と脳内でインプットされる。主人公は天才少年だし、お婆ちゃんは完全無欠のスーパーマンのようなヒーローであるところもそういった前提で説明が出来る。ところが「おおかみこども」ではそういうシーンは出てこない。「狼男が出てくるんだからファンタジーだろ!」と思いたいのだけれど、周囲の人間との関わり方や児童相談所を出してしまうあたり「これはファンタジーと見せかけた現実か」と逆の方向へ脳がシフトしてしまう。ところが実は「花ちゃん心身ともに最強TOKIO伝説」というある意味裏切った形でファンタジーが出てくる。何が虚構で何が本当かを明示せずにダラダラと話が進んでいくあたりに「これは実話を元にしたフィクションです(笑)」というケータイ小説の常套文句が重なってしまう。

 

 親子の深刻なディスコミュニケーション 

 如何に「花は不気味な女で、このストーリーがご都合主義か」という話よりも深刻なのが、主要な登場人物がほぼ自ら相手を理解しようとしたり相手の気持ちになって考えたりしていないことです。

 

狼男「僕狼男なんだ(セックスしたい)」→花「いいわよ(好きにして)」

狼男「(セックスしたい)」→花「(雪出産直後だけど)いいわよ(好きにして)」

雨「山は美しいでござるよフォフォフォ」→雪「うるさい山ヲタ黙れ」

雨「オレ、家出る。ケモノ、成る」→花「いいわよ(好きにして)」

 

 

  花は主体性のないキャラクターなので仕方のないことですが、それが見事に子供にも影響を及ぼしている。雪は人間として社会になじめたからいいとして、雨の内向性を通り越したヲタク気質は一体どこからやってきたのか。雪に対して「山すげぇよ、ねーちゃんも山行こうぜ」というところの「山」をアニメや声優に置き換えてみればしっくり来るものがある。あのシーンは「子供のころはねーちゃんだってプリキュアとか好きだったじゃない」とか言ってるようなもんである。それで兄弟喧嘩が勃発し、姉が敗北する。そんな姉を母がフォローするシーンはない。そもそも弟をフォローしているシーンも見受けられない。「私は物わかりのいい全てを肯定する母親」として寄り添ってはいるが、裏返せば「何もしなければ私の責任にはならない」である。

 

 そんな花が子供たちに何か教えているシーンは「人前でおおかみにならないこと」「山の動物の前で威張らないこと」くらい。よく言えば「のびのびと」悪く言えば「放置して」子供を育てている。雪に「おとなしくしなさい」とも言わず、雨に「もっと積極的になりなさい」とも言わない。そんな「こいつには何を言っても無駄だ」という雰囲気のせいなのか、雨は「母さん、僕人間とはうまくやれそうにないから山で暮らそうと思うんだ」という相談らしい相談もせずに母を半ば見捨てるような形で家を出ていく。もし相談していたら、どうなっていただろうか。

 

雨「僕、家を出ていくよ」

花「まだあなたは10歳、こどもなのよ」

雨「狼は10歳になれば大人さ」

花「その前に、あなたは私のこどもなのよ!」

雨「うるさいな、出ていくと言ったら出ていく!」

花「わからずや!(バシッ)……あっ」

雨「……母さんなんか嫌いだー!!」

花「待って、雨! そんなつもりじゃなかったのよ!」

 

 という展開から追いかけた花遭難、雨助けに来るというドラマティックなことは多分なくて

 

雨「僕、家出ていくよ」

花「そう、あなたが決めたのなら仕方ないわ。気を付けて、しっかり生きてね!」

 

 という「ちょっとは引き留めてほしかったのに全肯定かよ!」と雨がますますぐれそうな展開が予想される。

 

 どちらにしろ、自立の過程で描かれそうな親子の擦れ違いを描くには双方の言い分をわかりやすく書かなければいけないが、花のキャラクターではその展開は在り得ない。その分機能不全家庭キャラクターを草平に全て押し付けてるが、どちらかというと10歳で進路の話を親と相談もせず勝手に決めるような子供に育ててしまった花の家庭のほうが病んでいる。「じ、実はこういう家庭もあるんだぜ?ワイルドだろう?」という弁解もできそうだけど、それならそうとそんな重要なファクターを何故謳い文句にしない?

 

実際にありそうな町で、実際にいそうな人々に囲まれ、主人公が少しだけ特別な状況に悩み、あがき、努力する。そんな等身大の物語が、じっくりと練られたシナリオを基に、躍動感ある映像で描かれている。だから私たちは主人公を身近な存在として捉えて強く共感し、彼らの活躍に手に汗握るのだ。(映画「おおかみこどもの雨と雪」- イントロダクション

 

 もし「他人の情緒を理解しない、自分では何も決断できず子供の衣食住の面倒のみ見ている母親がどんなに周囲の理解を受けて子育てをするか」とか「息子が引きこもってしまったけど私は息子のしたいようにさせたいので見守ります」とか、そういうことまで含めて「彼らは私たちの身近にいる存在」としてまるっと肯定したいならばこの映画はまずいのではないだろうか。淡々とした描写だけでは偏見以外の何も生まない。障碍者を理解しようとさせるのに予備知識なしで施設に放り込んだり、または「あの人たちはかわいそうな人なのよ、優しくしてあげて」と教えるようなものだ。

 

 ただでさえ2時間イライラさせられたのに、結論が「ご都合主義の結果全てを受け入れる(悪く言うと思考放棄した)母最強」だけかよ!! もっと母としての葛藤とか親子の擦れ違いとかそういうダークなイベントなしで「育児」を語るんじゃない!

 

 というわけで、普段フィクション見てイライラしない君もハマれば間違いなくイライラできる素敵なリアル(笑)ファンタジーなのです。結局、花を受け入れてしまった人は「どうして花を拒絶するの?」に「うちの共感が間違っていたの?」というベクトルが入っているのですね。それ以外の視点で見てしまった人は「何言ってんだこいつら」といろんな意味で置いてけぼり食らうし、ある意味これだけの文章で説明しないといけない映画というのも、いろんな意味でいい作品なのかもしれません。

 

余談:金曜ロードショー決定時にこんなブコメつけた。

ノーカット:「おおかみこどもの雨と雪」が金曜ロードSHOW!でテレビ初登場 - ねとらぼ

普段映画館に行けないお茶の間の奥さんの反応が見たい。(マイブコメ

 

 まさしく増田の反応を想定していたので釣りにしても「やっぱりな」感はたっぷりでした、まる。

*1:後で彼女がACを疑うレベルのアレだと発覚しいろいろ騒動があるのですがそれは別の話。

*2:そんな金がなかった、というところが正解だろうけどそれを言ってはそもそも親子三人で食べていける現金はどうしていたのかという疑問が出てくるので考えない方向で。

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