さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

読解力についての雑感

 読みまして少し。相変わらずまとまっていない。

 

mubou.seesaa.net

 

 要は「輸出が伸び悩む中でも、和牛が人気の牛肉や、和食ブームを反映した緑茶や日本酒などは好調だ」という文と「輸出が伸び悩む中でも、和食ブームを反映した日本酒や緑茶、和牛が人気の牛肉などは好調だ」という文の内容が同じなのはおかしいというのはおかしいという話だと捉えました。結論から言えば、「同じ」で構わないと思います。

 

文の「意味が同じ」とは

 シンプルに考えよう。修飾部を排除して残るのは「牛肉、緑茶や日本酒は好調だ」と「日本酒や緑茶、牛肉は好調だ」のみである。「A、BやCは好調だ」と「CやB、Aは好調だ」となり、順番による細かなニュアンスの違いはあっても「異なる」とは言い切れない。ここで大事なのは「細部まで同じかどうか」ではなく「異なると言い切れるのか」というところである。どちらにしたところで「牛肉と緑茶と日本酒の輸出は好調だ」の論旨が崩れるわけではないので、「同じ」とは言い切れなくても「異なる」は絶対に選ぶことは出来ない。よって「同じ」を選ぶことが大事になってくる。

 

語順で意味は変わるのか

 語順が変わるというと、英語の受動態の用法が思い浮かぶ。「トムがこの窓を壊した(Tom broke this window.)」と「この窓はトムによって壊された(This window was broken by Tom)」のように、主語と目的語を逆転させて表現するのが基本である。確かに前者のニュアンスは「やーい、トムが窓を壊したいーけないんだーいけないんだー」とトムが壊したことが主となり、後者は「壊された窓がある」という窓の存在がクローズアップされる。これによって細かいニュアンスの違いを出すことが出来るが、結局「トムが窓を壊した」という事実は変わらない。つまりこの2つの文は同じである。大事なことは「ニュアンスが違う」と「文で伝えたいことが違う」ということが全然違うと言うことである。

 

何をもって「違う」と言い切れるのか

 この文は悪文で違う意味である、という論調をいくつか見てきたけれど、明確に「牛肉と緑茶と日本酒の輸出は低調である(横這いである)」とするものは見て取れなかった。明らかに否定できる要素がなければ、文意は「同じ」とするしかないと思う。「マサキくんのもらった風船は真っ赤でした」と「マサキ君に与えられた風船は緋色に輝いていた」も、文体と言葉は違ってもほぼ同じ意味をあらわしている。この文の違いを誰が見ても明確に説明できない限り、「違う」と言い切ることはできないだろう。あと自分が理解しにくい文を「悪文」と断定するのはあんまりよろしくない風潮だと思う。

 

この結果の考察のしどころ

 

 悪文かそうでないかより、中学生の平均が約65%なのに対して高校生の平均が約85%であるところに注目すると、結構嫌なことが見えてくる。約20%という少なくない数字の開きはどこから生まれているかと言えば、学力以前の根本的な力から生まれているのではないかと推察される。高校生の誤答が15%前後というのは誤差の範囲と考えて良いと思う。たまたまこのテストの日に体調が悪くて全部適当に埋めたとか、かったるくて全部適当に埋めたとか、そういうものも含めれば10%前後のミスが出るのはおかしなことではないと思う。問題は中学生の誤答率が「約30%→約40%→約25%」となるところで、何故2年生で極端に下がっているのかについては考察の余地があると思う。

 

 読解力テストとは「集中して字を読み続けるテスト」であり、読解力そのものより集中力が実は問われるテストになる。高校入試をクリアした高校生ならばある程度集中力も身についているため各学年で違いはほぼ見られない。ここから考えられる仮説は、この問題をパスできない層は高校へ進学できていないのではないか(または調査対象となった進学校へは進んでいない)ということになる。ここまでは新聞記事でも考察が行われていたが、「中学1年生と2年生では1年生の方が結果が良い」が解決していない。

 

 これは「勉強嫌い」が生まれる時期や集中力が乱れる心身の揺れなどを表しているのではないだろうか。不登校というと世間的には「いじめ」という印象が強いと思われるが、小学生では主に家庭環境の問題、中学生になると学力面の不安も目立った要因になってくる*1。特に中学2年生という時期は心身ともに不安定で、学習に集中できない時期なのかもしれない。中学3年で正答率が上がっているのは不安定な時期が終わったからと言うのと、不安定なままの生徒はそもそも学校そのものへ行かなくなるのかのどちらかではないだろうか。

 

 読解力のない人と向き合うということ

 読解力がないということは、集中力がないということと何らかの相関があると思っている。「初雪の日のことです」と「今年初めて雪が降った日のことです」がイコールにならない世界もあって、そうなると読解力以前に「はつゆき」という単語を知らない故に読めていないということも考えられる。そこまで行くと読解力とかそういう次元の話ではない。日常会話ができるか出来ないかになってくる。

 

リーディングスキルテストの実例と結果 http://www.nii.ac.jp/userimg/press_20160726-2.pdf..

読解力ない層は、ただ目にしたものを書いてるだけ/否定が楽とかではなく、思考を一切せずに反射的に解答する層にどんなアプローチができるか想定しないと。悲しいけどそういう現実を直視するしかない。

2017/09/25 14:59

 

 というわけで、厳密にいえば「何も考えていない」ではなく「思考する」ところに至っていないというのが正しい。この辺の理解が教育行政を司る人たちに進まない限り、現在生まれている教育格差とか教育の詰め込みとか発達障害の療育とかそういった諸問題は解決しないと思う。「10個を2人で分けたら何個ずつになるでしょう」はわかっても「10cmを半分にしたら何cmでしょう」ができない。ここまでくると向き合う側に根気と忍耐が絶対必要になってくるし、その前に周囲の理解が得られないのが一番悲しいことだと思う。

 

 つまり、「読解力がない=バカ」ではなく「読解力がない=現実的にサポートしなきゃ」にならなきゃいけないわけですよ。自分は読めたからよかったとか問題文が悪いとか読めない奴は切り捨てとか、そういうのじゃなくてね。もっとこう、全体でサポートしてほしいわけでそのためにも理解が欲しいわけですよ。「読解力がない」という彼らの視点に立ってほしい。この件に関してはそんなところです。

 

おまけ

 例の文をエキサイト翻訳にかけてみた結果、やはり修飾部が微妙だが「違う」とは言い切れない結果になったと思われる。大事なのは主語と述語。おわり。

輸出が伸び悩む中でも、和牛が人気の牛肉や、和食ブームを反映した緑茶や日本酒などは好調だ。

Even while export is stagnating, the green tea and the sake by which Japanese Cattle reflected popular beef and a Japanese food boom are favorable. 

輸出が伸び悩む中でも、和食ブームを反映した日本酒や緑茶、和牛が人気の牛肉などは好調だ。

Even while export is stagnating, the sake which reflected a Japanese food boom, the green tea and the beef by which Japanese Cattle are popularity are favorable.