さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

科学批判批判の雑感

〇「科学万能主義を批判する!」みたいな奴があったので思ったことを箇条書きで。例によってまとまってない。

 

〇まずEM菌や水素水がどうたらというのはアホの極みだと思っている。エビデンスもないものを有難がっているのはやっぱりよくないし、何より「そういう金儲けで潤う輩」が減らない一因でもある。検索すると「酵素でお腹健康!」「何とかを食べて毒素を出し切る!」みたいなページがたくさんあって、「これ以上詳しく知りたければ金を出せ」というページへ誘導されている。あ、コレダメな奴だと直感が働く。

 

〇じゃあそれと宗教はどう違うんだ、と言われたらそれも一種の宗教なんだろうと思う。しかも結構厄介な偶像崇拝に近いと思う。要は「私はこの神様に救われたからみんなもこの神様を信じるように」というところが恐ろしいんだと思う。「私の生きる参考書」としての宗教と言うより、「私の生きる理由そのもの」としての宗教は別の厄介さを抱えている。参考書はあくまでも参考書なので例え宗教の定義が多少変わったとしても人格が崩れることはあまりないだろうが生きる理由そのものがなくなったら……。この危うさは過激派としてテロを行う輩に通じるところもある気がする。自分を肯定するのではなく、他者を否定することで自分の価値を上げようとするスタイルはやがて破綻する。

 

〇で、これと似ているなぁと思うのは「批判は悪!」とする一部のブログ飯界隈で、彼らの求めているのは本当はお金じゃなくて「何者にも傷つけられない自己」なんだと思う。彼らの精神は面の皮が厚いように見えるけれど、実は自己と向き合うだけの強さが一切ない。勿論他者と向き合う強さもないので常に自己を庇うように他者を貶し、それを褒めることを繰り返す。そういった悲しい人が生まれてしまう土壌はどこからやってきているのだろう。

 

〇「自分のことを認めてもらいたい」という思いから「みんなの信じているものを否定することで自分の価値をあげよう」という心理が生まれる。この辺の末路が「カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生」で生々しく描かれている。表題作は本編よりその後を描いた1ページが強烈すぎる。「何でもいいから有名になりたい」という気持ちが真っ当な感覚を失わせていく恐ろしい作品だ。

 

 

〇要は全般的に「ココロのスキマお埋めします」なんだと思う。ドーンとされてから後悔してもいろいろ遅いんだよね。踊れや歌えや後の祭り。