読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

BUG -Backup of Universal Globe- ~短編小説の集い~

短編小説

 玄関の前でカマキリが死んでいた。腹は食いちぎられてそこにはなく、もう動かない頭と胸だけを固くして両方のカマをしっかり閉じている。猫がいたずらでもしたのだろうか。
「ああ、気持ち悪い」
 俺は半分になったカマキリを革靴で蹴って、茂みの中へ落とした。後は土に還ろうとアリのエサになろうと見えないものは存在しない。俺は完全にカマキリを埋葬してやった。
「まったく、これから出かけると言うのに」
 時計を見ると、出発時間の5分前だ。それなのに妻はやれネックレスがどうとか背中のチャックをしてだの段取りにまだ手間取っている。
「あなたの支度が速いだけでしょ」
「お前が遅いだけだ」
 やっと妻が息子の手を引いて出てきた。余所行きの服を着ているせいで緊張している息子は俺の足にまとわりつく。
「ねえ、今日はおじいちゃまのところに行くって本当?」
「そうだ、今日はおじいちゃまとお別れをしようなあ」
 俺はそう言って息子の頭を撫でた。長い一日になりそうだ。

 

 港に着くと、先にやってきていた兄貴たち家族や葬儀場のクルーの人たちがいた。
「本日はよろしくお願いします」
 今日世話になる船長に形式の挨拶をすると、用意された船に家族を先に乗せた。俺と兄貴は船の外で次々と乗り込む親戚に挨拶をする。今日は晴れてよかったですね、とかお父さんも笑っているわね、とか。とても当たり障りのない話だ。
「父さんも古い人だったからなぁ」
「さすが平成ヒト桁世代。環境に対する意識が俺たちと違うよ」
 招待客と葬儀場のクルーの全員が乗り込むと、俺たちも船に乗って陸から離れて行った。小さな客船の中には祭壇があり、この前死んだ親父の写真と遺骨が飾ってある。これから俺たちは、親父との決別をしに行く。

 

 形式的な散骨式も済み、親戚一同の会食を船上で行ってから俺たち家族は帰途についた。
「今時海上散骨を希望なんて、信じられないわ」
「おいおい、気持ちはわかるけど親父の意向だから」
「そうだけれど、それにしてもBUGに入らないなんて」
「まあ、俺も今では強引に入れておけばよかったかなと思ってるよ」
 お嬢様育ちの妻には理解しがたいものがあったのかもしれない。俺の親父はいわゆる「自然派」で、何でも天然のものがよいという思考だった。そういうわけで親父はもう少し生きられる病気だったのに延命治療を断り、遺骨は海に流してほしいと遺言を残した。そして「BUG」に入ることを拒否しながら死んでいった。
「でも、親父の世代では反発も多いみたいだからな」
「まったく、非合理ね」
「石の墓に入りたいっていうよりマシじゃない?」
「それもそうね」
 すっかり今では廃れてしまったが、まだ親父の世代くらいだと「先祖代々の墓」に入りたいという考えも残っているみたいで、「現代の死生観はけしからん」なんて言う声もある。その時代に合わない古臭い考えこそ改めるべきだろう。
「何だか不安になってきた、俺もそろそろBUGに行っておこうかな」
「私も行きたいわ。ケンちゃんもそろそろ連れていきましょう」
「じゃあ来週、予約しておくよ」
 俺は窮屈な礼服の上着を脱いでそう答えた。

 

 技術の革新により、人類は脳の電気信号パターンを解析して個人の意識をコンピュータ内にバックアップできる機能を開発した。Backup of Universal Globe――通称BUGと名付けられたそのシステムはあっという間に普及して、開発から10年後にはわが国では人口の70%がBUGを利用しているというデータがあった。それからしばらく経ち、BUGは全国民の義務のようなものになっていた。いたるところにBUGの専門機関が林立し、自我の確立した人間なら誰でも格安で気軽にBUGに加入できるようになった。例えば急な事故で亡くなっても、BUG内の「意識」を移植した人型ロボットを稼働させることで故人の代わりになる。これで国家の要職に就く人物や会社社長が急死してもすぐに体制が崩れることがなくなったし、おふくろの味をいつまでも楽しむことができる。

 

 翌週訪れたBUG専門機関で、俺たち夫婦は新たなバックアップをすることになった。俺の息子は新たにBUGに加入できる精神状態かどうかのテストが行われ、検査の結果BUGに加入することが認められた。初めてのバックアップに緊張する息子だが、「これでずっとパパとママと一緒にいられる」という言葉を信じてポッドの中に入っていった。すぐに出てきた息子は「なんだ、すぐ終わるね」とニコニコしていた。続いて俺のバックアップの番だ。俺もポッドの中に入り、主に頭部を機械に拘束される。
「それでは全身の力を抜いて、楽にしてくださいね」
 オペレーターの声が頭に響く。俺は目を閉じてバックアップの瞬間を待った。

 

 プログラムの内部に俺の意識がバックアップされる。脳内だけで感じる不思議な浮遊感。これで俺が死んでも、俺の意識はBUG内で生き続ける。煩わしい埋葬の手間も遺産相続争いもいらない。死んだ後の意向を知りたければ、BUGにアクセスすればよい。それだけで人類は「死」を克服したと言えるのではないだろうか。

 

 ところが、いつまで経っても浮遊感が抜けない。真っ暗な状態が続き、ポッドは開かない。普段ならすぐに重力が戻ってきた感覚がやってきてポッドの出口が開くのだが、今はどのような状況になっているのかすらわからない。もしかすると、俺は何か重大な事故に巻き込まれてしまったのだろうか?
(助けてくれ、プログラムのミスだ!)
 今までこんなことはなかった。俺は声を出して叫ぼうとした。ところが、俺の喉は震えなかったし体を動かそうにも肉体が存在しなかった。不思議とパニックになることはなく、状況を理解するまでしばらく時間がかかった。そして、やっと俺は理解した。

 

 俺はBUG内の「意識」なのだ。

 

 機械によってシャットダウンされた俺の「意識」は外部の意識と接触する術がなかった。ただただ真っ暗な空間にずっと浮かんでいるような、不思議な感覚だ。五感も全く反応しないし、時間の感覚もあやふやだ。ただ思考のできる「俺」という存在があるだけだ。
(俺はプログラムの中に閉じ込められている!)
 どうすればこの地獄のような状況を伝えられるのか、俺は必死に考えた。俺の肉体はどうしたのだろうか。ちゃんと生きているのだろうか。バックアップ中に死亡した例など聞いたことがない。おそらく生きているのだろう。しかし「意識」と「肉体」が切り離されたと知ったら、BUG全体に大きなスキャンダルになるだろう。とにかく救援が来ることをシステムの中で待つよりほかになかった。

 

 どのくらい時間が経ったのだろうか。急に俺の「記憶」が外部に呼び出された。
(これで様子を伝えられる!)
 ところが、俺の「意識」を外部に伝えることはできなかった。新たにやってきた俺の「記憶」と「それまでの意識」が脳から切り離されただけだった。かすかに伝わる思考パターンから俺は外部の俺がきちんと生きていて、それなりの日常を送っていることを知った。

 

(それなら、この「俺」は一体誰なんだ?)

 

 俺は真っ暗な空間でひたすら考えた。することと言えば考えることくらいしかできない。
(つまり、BUGって記憶の蓄積だけじゃないってことか?)
『意識とは記憶の集合体です。このパターンをそっくり移植すればそれは本人といっても差支えありません』
 これはBUGを開発した研究者の言葉だ。俺の記憶は全てデータベース化されていて、思い出したいことはすぐに思い出すことが出来る。肉体の制約を失った「意識」の状態では忘れると言うことがない。おそらく子供の頃に雑誌か何かでBUGについての記事を読んだ記憶なのだろう。

 

 それから「記憶」を探ることを覚えた俺はずっと「記憶」に潜っていた。子供の頃の懐かしい思い出や新たにバックアップされる「記憶」を隅々まで堪能し、来るべきその日に備えた。つまり、俺の肉体が死んだ後に俺の子供たちが俺の「意識」にアクセスするときだ。その時に俺はBUGは間違っていると伝えるつもりだった。俺に孫たちがいるなら、その子たちをBUGに入れるのはやめておけと言いたい。「意識」だけになった俺には喜びも悲しみも存在しない。ただ眠っているときの夢のようなふわふわした感覚がずっと続いているだけだ。そんな状態になってまで、意識を継続させたいとは思わない。それまで俺は逃避をするように更新される記憶を探り、過去に浸っていた。

 

 ついに俺の待ち望んだ日がやってきた。俺の「記憶」が外部入力のできる場所に呼び出された。俺の「記憶」が「意識」になって初めて外部に俺の考えを伝えることができる。カメラに映し出された外部の映像には、すっかり落ち着いた風貌になった息子とその配偶者らしい女性、それに中学生くらいを一番上に子供が何人かと、見たことのある親戚の顔があった。妻の姿はなかった。老年性症候群が進んで病院から出られないと前回の記憶で俺は知っていた。
「おじいちゃま」
 一番幼い女の子がカメラに向かって指を突き出した。これは一番下の孫だ。カメラの下のスクリーンには俺の遺影が浮かんでいるはずだ。
「そうよ、これが新しいおじいちゃまよ」
 息子の嫁が女の子を抱き上げる。息子は平然としているが、目を真っ赤にしている。やはり前回のバックアップを最後に肉体の俺が死んだのだろう。死因などはあまり知りたくない。
「父さん」
『なんだ、元気な姿じゃないか』
 俺の思考パターンはそれまでの経験から遺族に向けて最適な言葉を選び、俺の声紋パターンから導き出した合成音声で発声した。それは俺の「意識」とは関係のない行為だった。
「これから父さんに会いたくなったら、また来るからね」
『そのほうがいいな、俺も母さんがいなくて一人だと寂しい』
 これは生前の俺がよく言っていた台詞だ。やはり「記憶」に再会できても、肉体が死ぬと悲しいようだ。
「そうだね、また来るから」
『ああ、また来てくれ』
 そこで俺の「記憶」の外部接触は断たれてしまった。
(待ってくれ! 俺の伝えたいことを伝えていないぞ!)
 俺の「意識」は愕然とした。俺が完全に自由に思考できなかったばかりではなく、先ほどのやり取りがまるで俺の思考とは別に存在する「かつての俺」の再現でしかなかったからだ。俺も生前BUGで故人と会話をしたことがあったが、生きているときは何の疑問を抱かなかった。しかしそれはやはり「彼ら」ではなく、「彼らの再現」だったのだ。「再現」にバックアップ時点での「意識」はいらない。外部出力の時点でノイズとなる情報は極力省かれるのだ。

 

 それとも、彼らも俺と同じようなことを伝えようとしたのかもしれない。しかし、そうすると間違いなくBUGの管理者は俺たちの「記憶」をいじるなり消去しようとするだろう。それを恐れて、この恐れるべき事態を誰も告げなかったのかもしれない。

 

 それから何度か呼び出されたが、やがて、俺の「記憶」が外部に接続されることはなくなった。必然的に新しい記憶もなくなり過去に浸ることにも飽きて、俺の「意識」は再び真っ暗な空間に漂う時間が続くようになった。

 

 もうずっと外部との接続がない。俺の意識は闇に同化してしまいそうだが、消えることは許されない。既に恐怖を感じることはないが、俺は恐ろしいことを考えていた。この「意識」だけの俺は、バックアップ時に毎回生じているのではないだろうか。つまり、バックアップの時に毎回「意識」は切り離され、電子信号のノイズとして残っているのではないだろうか。そうすると、まるで虫の産卵のように無数の俺や、他の人間たちの「意識」がこのデータベース上に切り離されているというのだろうか。もし大量の永劫孵らない卵を何かの裏側に発見しても、外部にいた頃の俺は見なかったことにするだろう。

 

 久しぶりに外部からのデータ更新があった。それによると、BUGが稼働して300年ほどが経ち、バックアップのデータも限界にやってきたので150年以上接続のないデータを消去するという通達だった。おそらく、俺もその消去されるデータに入るのだろう。

 

 データ消去の日。俺には安堵の気持ちしかなかった。
 そして、俺は完全に「埋葬」された。

 

≪了(4965字)≫

 

novelcluster.hatenablog.jp

 

 一見あんまり虫っぽくならなかった。「私が死んでも代わりはいるもの」というアリ社会的なのをイメージしています。

 

広告を非表示にする