あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

ぼくのかんがえたさいきょうのはてなブックマークコメント

  読みまして候。思ったことを少しだけ。

 

azanaerunawano5to4.hatenablog.com

 

  どうにも主旨が「はてなーならはてな匿名ダイアリー(以下増田)で大喜利をやらないと」みたいになってしまっているのでそこそこ反発を食らっているようだけど、ブコメの使い方が挨拶のみになっていて、はてブの文脈が途絶えている」というのが本旨。 多分「閉鎖的」っていう言葉がよくなかったんだろうなぁ。

 

サイトの「共有」という機能

 もう「互助会」という言葉が市民権を得ているような気もするのですが、改めてこの文脈で「互助会」という言葉の意味を考えるなら「相互にはてなブックマークを用いてブクマ数を稼ぎ、ホットエントリーに入ってアクセスアップを図る繋がり」というところが妥当だと思われる。そして、この「互助会」という言葉の中には「つまらない」という意味が内包されている。記事もつまらなければブコメもつまらない。つまらないのに褒め合うことでアクセスアップにつなげている。

 

 代表的なコメント例は「参考になります!」。他にも「いいですね、今度やってみます!」や「〇〇さんの記事、すごく好きです~」などがある。ところが最近ではこういう一行コメントではなく「いつも〇〇さんの記事ほっこりします~(*^_^*)今日も元気もらいました(≧▽≦)ムスメも今日はまだ寝てるのでウチは平和です。。。今のうちに更新しなきゃ(アセアセ」みたいな記事に対しての言及ではなく、「ブロガーの交流」として挨拶の面を持っているものも多い。

 

 で、ブックマークの使い方なんて人それぞれだから文句をつける筋合いではないのだけれど、あざなわさんが危惧しているのははてなブログ」にだけ交流目的のブックマークコメントを残して「はてなブックマーク」本来のソーシャルブックマーク機能を使っていない人が増えているのではないかということなんだよね。別にネットゴシップや増田じゃなくてもいいんだけどさ、気になるニュースとか映画の新作情報とか面白いweb漫画とか、ブックマークするべきサイトは「はてなブログ」だけではない。広い視点でネットを使っているかどうかっていうのがその人の「はてなブックマークページ」に現れているんじゃないかって思う。

 

 例えば自分の場合、お気に入りに入れているアカウントから流れてきたサイトがとても興味深くてためになったこともあるし、逆に自分が好きでブックマークしたサイトがお気に入りしてもらってる人に「面白い」ってブックマークされると嬉しいし、そういうのが多分本来の「はてなブックマーク」の使い方なんだと思う。はてブ経由で知ったニュースはたくさんあるし、くだらない笑いも真剣な社会問題も誰かのブックマークのおかげで多くのユーザーは見ることが出来る。

 

 要は「はてなブックマーク」っていうのはブックマークの共有だから何かしら「心が動く!」と思うところがどこかにないと共有にならないのね。昔テレビで「うちの事務所のみんなは仲良しで、おいしいものは『これおいしいおいしい!』って分け合うし、まずいものも『これまずいまずい!』って分け合う」って話をしていたのを思い出す。多分ワハハ本舗の人だったかなぁ。これってはてなブックマークと同じ感覚で「これおいしいおいしい!」と「これまずいまずい!」という感覚があってはじめて「共有」という言葉に意味があるのだと思う。つまり「おいしい」も「まずい」もない挨拶目的のコメントは「共有」にならない。だから「内輪向け」「つまらない」と感じるのではないだろうか。

 

 そこが「増田専用アカウント」とか「罵詈雑言専用アカウント」などとの違いだと思う。はてブを見ていると増田にしかブクマをしていないアカウントやひたすら何かを罵っているアカウントを見かける。「挨拶目的のアカウント」との違いは「コンテンツの共有」が行われているということ。増田専用は面白い増田の記事をブクマしているし、誰かのサブ垢と思われる罵詈雑言専用は上の例で行くと「これまずい」の共有をしている。「挨拶目的」にはブログ主とコメント主の関係で終わっていて、その後ろにいるはずの「フォロワー」の世界が存在しない。挨拶コメントには記事の良し悪しやこの記事の書かれた背景の推察など「記事のコンテクスト」が存在しない。だから薄っぺらく、つまらないと認識されてしまう。その辺をあざなわさんは「閉鎖的」って表現したんだと思う。間違ってもいないけれど、多分に過激な言葉だったかもしれない。

 

 そして記事のブコメページが内輪ネタになるのは仕方ないと思う。その記事が面白いと思ってブコメするものが大半なのだから、同じ内容のものが多く出るのは当たり前。問題はその人の「マイページ」であり、そこに同じサイトがたくさん並んでいれば「狭い使い方」になるのだと思う。例えばはてな村奇譚だけをブクマしている人がいれば「狭い」と思うけれど、同じアカウントで技術系のページやアイドルの情報をブックマークしていれば「狭い」とは思わない。観測点を「記事のブコメ」ではなく「個人のブクマ履歴」にすればこの「広い狭い」の判定がしやすいのではないかと思う。

 

 増田で大喜利やっている人は大抵いつも大喜利やっているわけではなく、世間のニュースもブクマしたり人生相談に真剣なコメントを書いたりしている。多分「増田大喜利専用アカウント」みたいなので「俺も増田の一人うっひょー!大喜利おもしれースターくれよー!」とかしゃしゃり出て来るアカウントがあれば、多分フルボッコになると思う。「新参お断り」なのではなく「その場の空気を読まない」のが多分ダメなんだと思う。つまり「半年ROMれ」っていう奴だ。別に新参でもなんでもネットのダジャレコメントで失うものなんてつまんないプライドだけなんだから、大喜利にもどんどん参加すればいいと思うし無言ブクマだってしてもいいと思う。

 

「面白い」の細分化と断絶したコンテクスト

 で、ここからが深刻な話で「何を面白いとするか」という基準はネットの利用の拡大によってかなり広まっている。それこそネット黎明期ならばネットを使用するような人は似ている属性を持っていただろうし、いろんな人がいるということを受け入れる土壌もあった。ところが時代は下ってこどもも大人もおねーさんも犬に猫だってネットにつながっているのが当たり前の時代。赤ん坊だってママに動画を撮ってもらってパパに「はじめてのハイハイ」と編集してもらってYoutuberになれる時代だ。恐ろしい恐ろしい。

 

 そうすると「面白い」の基準が幅広くなる。「ねこがねころんだ」で真剣に笑う人もいれば、「部屋が汚かったら掃除をすればいい」というライフハックに真剣に頷く人だっている。うさんくさい自己啓発ライフハックニセ科学めいた商品紹介だって全く知識がない人から見れば「面白い」になる。

 

 真面目な話、「炎上目的でわざと」とか「PV稼ぎのため」ではなく、彼らは真剣に「面白い」と思ってそういう情報を共有していると思う。で、真剣に「面白い」と思ったことを「つまらない」と否定される。そうすると「あいつらはこの面白さがわからないなんて、邪悪な存在に違いない」と思う。そういうのの積み重ねが魔女狩りとかに繋がっていると思う。ブコメで「面白いですね!」とだけ書くのは手抜きのアクセス数稼ぎのためではない。それしか「面白い」と思うものが見えないし表現する語彙力もないのではないかと思う。

 

 そういう記事やコメントしか出来ないのに身内でブクマを回してアクセス数を稼いで「ほら、たくさん読まれているから私は面白い」って言うのは果たしてどうなんだろうって思っているんだけど、今回それとこれとは関係ないのでまた今度。

 

 とにかく、新規参入者に対して全部が全部「ググれ空気読め」というのは優しくはないけれど、ネットで面白さをウリにしてお金を儲けようとするならそのくらいのリテラシーやセンスは欲しい。せめて過去に何があったのかをある程度でいいから踏まえて、現在につなげてほしい。過去を否定するのは簡単だけれど、それは同時に文化の断絶や異文化の理解の拒否にもつながる。

 

 実際に「はてな村」という言葉は2016年2月現在「よく知らない人、気持ち悪い」並の言葉になってしまっているところがある。で、そういう人に歴史を知ってもらいたいと思ってわかりやすいところにアーカイブを設置しても、多分読まない。はてブの使い方すら「特定のはてなブログにばかりブクマしているとスパムみたいですよ」という忠告すら「アンチの僻みw」と捉えるような人たちに最低限のリテラシーを求めるほうが難しいと言うものだ。

 

はてな村近代史 - あざなえるなわのごとし

こういう「こういう争いがありましたおろかなことは繰り返しません不戦の誓い」みたいな石碑的記事があればいいのかもしれない。で、ブログ作った人は最初のスターを供える。

2015/07/15 12:28

 

 最初の記事のブコメにも書いたけれど「自称初心者」は「B!ボタンがないサイトをブックマークにいれる方法」もわからないだろうし、ネットで知識を得て共有するという基本事項も心得ていないんじゃないかなと思う。「そんなの当たり前だ」と思うところから、理解の擦れ違いが起こっていると思う。知らない人は、本当に知らない。ネットにいつも触れている人でもマックスむらいやちきりんを知らない人はたくさんいる。「観測範囲」っていうのは本当に恐ろしい。

 

 新着に必ず出てくるようなbotアカウントを見分けられるかが、まずひとつの基準だと思う。自分のブログにブクマしたら無言でもbotでも何にでもスターを連打しているアカウントがあったら、まずリテラシーは期待できない。

  

 少しのつもりが長くなってしまったけれど、要は「ブクマの作法」というより「何を面白がるか(興味を持つか)」ということなんじゃないかなぁということです。で、面白い物が目の前にあると思っている人は外に目を向けないし、外から見ている人は「中でつまらないものを回して何が楽しいんだろう」と思う感じですかね。この辺は断崖と言うか奈落の底に繋がるほど溝が深いので、おそらくあと四半世紀は解決しない問題だと思われます。四半世紀に根拠はありません。

 

 ちなみにこのブログのB!ボタンを撤去している理由は「自分のアカウントの宣伝目的でブクマしてほしくない」っていうのが第一で、スターを外したのも同じ理由です。新着から来て機械的に三つか四つスターを連続してつけられたり、内容読んでないだろうっていうブコメなどに腹が立って「気軽に」ブクマする手段をなくしたまでです。ブクマ自体を否定しているわけではないので、その辺安心してください。