さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

つまらないブログやブコメと光と闇

 いろいろまとめようと思ったけど、なかなかまとまらないのでまとまらないまま書いていきます。互助会案件です。

 

【つまらないブログ】

 いわゆる「薄っぺらい」記事とはどんな記事だろう。簡単に言えば既存の価値観を既存のまま紹介すると言うものだと思う。ひどいものだと他の記事の切り貼りだけで「ボクが面白いと思ったものです」とだけやっている。

 

 ちょっと前に流行った「最強のマンガランキング100」みたいなのがつまらないのは、結局実際に読んでいないので世間の評価やググって出てきたあらすじをそのまま載せているからであって、ガチでいろいろ読んで構成を企画して書いているものは面白い。前者にあって後者にないのは「筆者の視点」で、筆者が何を面白いと取り上げているのかが的確に伝わってくると面白い。それは日常雑記でもロードバイクの記事でもなんでも一緒で、魅力的なものはやっぱりその記事を書いた人がどういう人かわかるようなものがいいということだ。

 

 価値観切り貼り系のブログはつまらないというより、書いた人の顔が見えないというところが不気味に感じるときがある。例えば本を読んだ感想が毎回目次と概要と「面白かった」だけだと「本当に読んでいるのかな」と心配になる。それを読んで「筆者」はどう心が動いたのかを書いてほしい。

 

 中には切り貼り系の記事を書いてもとても面白い人もいるけれど、それは「切り貼りをする人」という個性が既に前面に出ているから出来る芸当なのであって、「ブログを初めて3か月です!」とか言う人が容易に出来るものではないと思う。

 

【つまらないブコメ

 そしてスパムだ互助だと騒がれているのですが、一番よくないのは「面白くない」ということに尽きると思うのです。面白いものが人気で上がってくるのは誰も文句を言わない。で、輪廻がぐるぐーるという感じで「薄っぺらい」「つまらない」ということは言われてきたのですが最近そうでもないんじゃないかと思い始めました。

 

 どういうことかと言うと、いわゆる「互助会」の人のブコメ「ただのアクセス互助目的ではなく本気で面白いと思ってつけている」ということです。そりゃ自分が面白いと思っているものを「面白くない」と言われたらムっとするというものです。それで溝が深まっている。何が面白くて何が面白くないかがよくわかっていない。そう感じるのです。

 

 この「何が面白くて何が面白くないかよくわかっていない問題」は「文脈の断裂」にも関わっていると思う。例えばちょっとした内輪ネタで「ふふっ」と笑って終わるくらいを著者が想定していたにも関わらず、たまたま内輪ネタが理解できたばっかりに「大爆笑!流石○○さん!」みたいに異様に持ち上げてしまったり、逆に非常に興味深い内容の記事に対して「難しいこと言っているから☆ひとつです」みたいな評価をしてしまう。

 

 以前「掃除をしたらきれいになりました」というような記事に「そうですね、掃除いいですね」とか「掃除をすると言う発想が素晴らしい!」とかそんなブコメがたくさんついているのを見て眩暈がしたことがあります。それを「お前らバカか?」とか「アクセス稼ぎのおべっかか?」とかそういう風に考えるのは簡単です。でも思ったのが、「この人たちは本当に掃除をしたらきれいになることを称賛している」ということです。

 

 つまり、当たり前だけど見ている次元が違うんじゃないかということです。インターネットにはいろんな人がいます。掃除という行為について今更何を言うんだと言う当たり前な人もいれば、「掃除ってこうやってするんだ!」と目を輝かせて聞く人もいます。で、後者の意見が目立てば「掃除サイコー!」になるわけで。でもそうじゃない感覚の人からすると「掃除したくらいで何いい気になってるの?」となる。

 

 だから「掃除サイコー!」の人を何だかんだと言っていいのかよくわからない。ただのアクセス互助であれば無言ブクマでもよいのに、彼らは「〇〇さんは最高ですね」とか「私は~~だからそんなこと考えたことなかったです」と丁寧にブコメで自分の心境を語る。よっぽど「掃除は素晴らしい!」ということに共感しているのだ。この気持ちを否定することはできない。

 

 ただ、その「掃除」の価値観は世間一般にどういう評価を得ているのかを気にしたほうがいいのかもしれない。自分が「すごい!」と思ったことがみんな「すごい!」と思うわけではない。それどころかそんなことを「すごい!」と思っているのは自分だけかもしれない。その辺のバランスをうまくとらないと非常に独りよがりな「すごい!」の集まりになってしまう。基本的にはてなブックマークは「ソーシャルなブックマークサービス」という位置づけなので、「これすごい!」が共有されていくのです。その時に「これすごい!」を発信した人という評価を同時に受けていくわけで、その重みを理解しているのだろうかと言うところだと思います。多分良くわかってないんじゃないかな。ブコメをただの「特殊なコメントサービス」と認識している人も結構いそう。

 

 はてなブックマークのシステムが相互スパム的環境を生んでいるという論調ですが、これには自分も賛成です。最近そんな風にナチュラル互助会的なことをする人が増えた印象なので、できればチュートリアルで「相互スパムには気を付けること」とか厳重にアナウンスしたほうがいいのかもしれない。ブログ間のブックマークを全くの禁止にしてしまっては息苦しい。どう評価するかというアルゴリズムの変更よりとりあえず手っ取り早くできるスパム対策だと思う。根本的な効果はあまり期待できないけど。

 

  ちなみに互助会的なコメントのやりとりはスパム以外にも結構弊害があると言うことでわかりやすい寓話を前に書きました。要は「仲間内の票が全てになるので記事の質が下がってくる」ということです。つまり面白いものを書かなくても「流石〇〇さん」と言われれば、手抜きのどうでもいい記事で手軽に優越感に浸れるのです。こいつはよくないですね。

 

nogreenplace.hateblo.jp

 

【強すぎる光は闇よりも悪質】

 そして互助会関連とは少し違う話になるけれど、最近は記事のタイトルやプロフィールなどに「ポジティブ」というワードが出てくると警戒する。「前向き」や「くよくよしない」などの文言も一緒だ。確かにポジティブってとってもいい言葉だと思う。だけど、いつもポジティブな人は信用できない。母親の葬式の時も無責任に「ほら泣かないで、元気出して! お母さんは君の笑顔を見たいはずだよ!」とか言ってきそう。

 

 いい言葉でいいことをたくさん言うブログがウケるのはわかる。だからこそ、信用できない。都合のいいことばかり言う奴は疑えと言うのが我が家の家訓だ。「絶対儲かる話がある」というならその話でまず話を持ってきた奴が儲ければいいだけの話だろ、ということだ。やたらと褒めたりやたらとヨイショする奴はどこかの怪しいセミナーに連れ込む可能性があるからついていくな、と一人暮らしをする前に言われたものだ。

 

 ブログも同じだと思う。「俺がこんなにハッピーになったのはブログのおかげ」とか「ブログをやれば君も救われる」とか、そういう他者のポジティブな宣伝に釣られてブログを始めるのはどうなんだろうなって思う。そのままブログ塾とかで搾取されないかな、アクセス互助の肥やしにされるんじゃないかな、って思ってしまう。

 

 ここで「そんなことを考えるのは批判的で闇属性だ」ということは簡単だ。だけどさっきのつまらないブコメの話と一緒で「世間一般の評価はどうなんだ」に戻ってほしい。そのブログを始めた動機は、本当に自分の意志なのだろうか。何かに乗せられていないだろうか。

 

 強すぎる光は、そういった評判を見せないようにする。そして更に強い光で「僕たちはいいことを言っている!」ということを宣伝する。そうして生まれた蜃気楼でいろんなモノを見せていく。そして更に生まれる強い光でその蜃気楼を増やしていく。強すぎる光は実体を持たないで、あたかも存在しているように見せてしまう。

 

 だから「何がよくて何が悪いかわからないままネット社会にやってくる」人がたくさん出てきている。誹謗中傷と批判の違いが判らない人、天然でスパムを行う人、「ネガコメは嫌い」と言いながらネガコメを平気で行う人、などなど。要は自分が基本的に何を言っているのかよくわかっていないのではないかな、と最近思う。主体的にコメントしているのか、誰かの真似をしてコメントしているのか。そんなところだと思うのです。

 

 つまり「光だからいい、闇だから悪い」ということではないということです。みんなの大好き太陽だって、灼熱の砂漠を作ってしまうのよと言うことです。バランス大事。おしまい。

 

【余談】

 個人的に収益報告の記事よりも「ブログ〇ヶ月達成! 初心者がこれまでに試した〇の方法」という系統の記事のほうが非常に胡散臭いと最近思う。申告が真実であれば、数ヶ月しかブログやってない人が急にネットのスターダムに駆け上がるのは危険だと思うんだけどな。誰かそろそろ止めたほうがいいんじゃないのかな。