あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

『風の歌を聴け』についてどうしようもない絶望の話

 

 久方ぶりに会う友人との待ち合わせの場所に早く着きすぎた僕は鞄から一冊の本を取り出した。『風の歌を聴け』という30年も前に出版された本の文庫版だ。それも後ろに「¥105」というシールが貼られ、ページも日に焼けて乱雑に扱われた本の悲哀を漂わせていた。

 

 その本の作者はノーベル賞候補に何度も入っておきながら、未だにそのためにスウェーデンに旅立ったことはない。それでも熱狂的なファンが集まって受賞の瞬間を待ち望むという滑稽な映像が秋の風物詩になりつつある。まるで渋谷の交差点を埋め尽くす青い服を着た若者や、道頓堀に集まる虎ファンを笑うことはできないし、行き過ぎたファンのおかしさはカーネルサンダースの呪いを笑えない。

 

 窓の外はすっかり日が落ちて、冬の訪れをしんみりと語るには相応しい夕方だった。頼んだブレンドは苦く、しかし外の気温を忘れさせるような温かさがあった。実感を伴う重さと言うものは時に手放したくなるけれど、いつだって安心を与えてくれる。ここに自分はいていいんだ。檸檬の重さを感じ取った梶井基次郎のように、そのくたびれた薄い文庫本と一杯のコーヒーは確かにここに存在していた。

   

 ……と、何だかんだそれっぽいこと書きましたが、つまりは村上春樹読んだぜってことです。昔に一回、そして今一回。

 

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

 

 


第4回Skype読書会「徹底解読『風の歌を聴け』(村上春樹1979年)」は2014年11月16日 19時より開催します - 太陽がまぶしかったから

 

  池田仮名さん(id:bulldra)主催の「読書会」に参加してみたくて本棚から引っ張り出してみました。上記のとおり「村上春樹くらい読まないとダメか」と思って適当にざざっと105円コーナーから数冊買ったやつです。一緒に買ったのが『1973年のピンボール』と『ノルウェイの森』上下巻。ノルウェイの森は未だに積読状態になっている。

 

 そして「出たい!」って言ってたのにいろいろあって結局「読書会」のほうに参加できそうにないです。すみません。でも感想エントリだけなんとかあげておきます。ほんとすみません。次回があれば、万全の態勢で行きたいです。そして感想やっぱり長いです。すみません。

 

アンチハルキストとして

 村上春樹は大学に上がるまで特に興味のない作家でした。思えば自分は読書経験が浅く、貴重な青春時代を図書館で埃をかぶった『世界SF名作全集』の短編を読むことに費やし、難解な表現や設定と立ち向かって何度も挫折していた。今でも全部は理解できていない。そんな中で「この本面白い!」と『海辺のカフカ』などで盛り上がる人たちとは違う世界に住んでいるのだと本気で思っていた。山田詠美はなんとなく読めた。石田衣良は友人が絶賛していたから読まなかった。吉本ばななの良さがわかったのは、社会人になってからだった。ハルキストがいなかったら、きっと村上春樹もちゃんと読んでいたのかもしれない。

 

  そういうアホらしいひねくれた自分でも『風の歌を聴け』はすーっと読んでしまえる。最初に読んだ時も「これは面白い」と思った。そしていくつかの理由を今考えたときに、この「ひねくれた性分」というのが村上春樹のそれと一致しすぎたのではないかと思い始めた。

 

 初めての村上春樹は『羊をめぐる冒険』だった。これはとにかく読むのが大変で、ラストで羊が出てきたあたりから完全にワールドに入れなかったために、本を読んでいて疎外感を感じた。「ほんはともだち」みたいな感覚を全否定された瞬間だった。そして最後。「あの終わり方だからスバラシイ!」というのだけれど、本の世界に入れなかった自分は余計仲間外れになったようでちっとも面白くなかった。本に求めていたものが大きすぎたのかもしれない。だから「読書」は嫌いなのだ。本はいつだって平気で人を裏切る。

 

 次第に「本と自分は対等である」という読み方を身に着け、ますますねじれて一回転どころかツイストドーナツみたいに香ばしくなった自分の感性が時代に追いついたところで読んだのが課題図書の『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』だった。これは前述のとおりすーっと読むことができた。不思議なものである。特に『風の歌を聴け』のほうはさっぱりとした読後感があった。再読したときも自然と受け入れることができた。ライ麦で出来たツイストドーナツは大人になったのかもしれない。

 

 

「文章を書く=絶望」

 いよいよ『風の歌を聴け』の話ですが、やっぱり冒頭の文章はあまりにも強烈だ。

 

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

 

 学生向けの単純な読解をするとこの一文は「文章を書くことは絶望である」と言っているのと同じである。そして「僕」は文章を書くことを苦痛に思っているし、それは楽しい作業でもあると言っている。「文章をかくという作業は、とりもなおさず自分と自分をとりまく事物との距離を確認することである。」ともデレク・ハートフィールドに述べさせている。

 

 つまり、自分とその他の距離を確認してしまうことは絶望ということなのだろうか。文章を書いているときと言うのは非常に快感だ。「読書」がしばしば読者をあざむくように、現在の自分の書いた文章の世界だけは自分を裏切らない。ところが自分の書いた文章も、時間が経てば「過去の自分」という他人が書いた文章になってしまう。100%自分を包み込んでくれる存在ではないのだ。

 

 卒業文集の「おおきくなったらパイロットになりたい」というささやかな過去の自分の言葉すら、現状からすると残酷な刃となる。何か思想を残しておくと言うことは、支えにはなるが希望にはならない。むしろ裏切られた時の絶望が計り知れない。「自分」すらも信用することが出来ないなんて、絶望と言ってもいいのかもしれない。

 

 僕が「僕」を拒絶した時空間

 この作品に親近感を覚えたのは、登場人物に名前が存在しないところだと思っている。 はっきりと名前が出てくるのは「ジェイズ・バー」のジェイだけで、「僕」は「僕」だし「鼠」はあくまでも自称で彼の名前ではない。指が4本しかない女の子や今まで僕が寝てきた女の子にも名前はない。「デレク・ハートフィールド」や「エンパイア・ステート・ビル」、そして様々な音楽は登場するのに何故か人物に名前を付けて語ることをしない。

 

 この話は前述の通り「他人を理解することについての絶望」について書かれている。自分以外のものに名前を付けると言うことは、「これは自分の物ではない」ということを認識しなければいけないということである。しばしば私小説というものは「私」を巧妙に使って読者の視点を「私」に封じ込め、感情を疑似体験させるという罪深いことを行っている。本人の感情を本人でない人が動かし、それを本人は「自分の感情」であると錯覚する。「これは他人の感情だ」ということを認識するには、登場人物に「あなたではありませんよ」というラベルを貼るのがいい。それが「登場人物の名前」なのだろう。

 

 ところが『風の歌を聴け』ではその大事な「登場人物の名前」はほぼ全て抜け落ちている。これは一体どういうことなのかと言うと、「自分以外の事象を表すことへの絶望」の裏返しとして「名前を付けなければ自分をとりまく事象も自己の中に落とし込める」ということなのではないか。

 

 以前も表明したように、名前や人称というラべリングは「自由になる」ことにつながらない。「僕」は「僕」としてこの世界を丁寧に見つめている一方で、同時にラべリングをしないことでゆるやかに世界と距離を測ることを放棄している。文章を書くのは楽しいけれど、文章として表現したものは「自己」の外に出て行ってしまう。だから「僕」は自己の中にこの世界をつなぎとめておくために、彼らの名前を表記しなかったのではないかと思う。

 

 簡単に言うと、「名前をつけると他人になってしまうから、自分の世界で考えたい人は最初から名前をつけない」ということだ。

 

まとめ

 こうしてまとめてみて、村上春樹に嫌悪感を抱いていた理由に気が付くことが出来た。自意識過剰は、他の似ている自意識過剰が大嫌いなのだ。つまり自分と春樹の自意識過剰の方向はなんとなく似ている。特に『風の歌を聴け』では同族嫌悪のようなものだったのかもしれない。こんな風に書くと尊大な感じがする。そしてこういう記事はおそらく信者や取り巻きは許さない。そういうところにも近づきがたいところがある。

 

 鼠の小説の内容とかペニスが存在理由とか、解体すれば面白いのがゴロゴロ出てきそうなんだけど、反芻した草の塊を眺めて惨めな思いになるだけなんだと思う。どうして牛はこんなものを大事そうに何度も何度もかみしめるのか。それは牛と「僕」は永遠に分かり合える存在ではないし、「僕」と読者に「文章をかくという絶望」という深い断絶があるからということではないだろうか。

 

 そんなわけで、自分は読書感想文とか書評を書くのが苦手です。「思い出は優しすぎるから甘えてはいけない」*1と言う。そして「読書」と向き合った「思い出」と断絶するのは悲しすぎる。そんな気分を抱えて、今日も永遠に分かり合えない「文章」の世界に埋没していく次第です。

 

【他の方の感想】

 こんなふうに素直になりたい。


もう一度読む、村上春樹『風の歌を聴け』感想文 - (チェコ好き)の日記

 


『風の歌を聴け』を読んだ - 白羽の矢が立つ

 

 

 

*1:FFⅩのリュックですね。