子どもにスポーツを、読書をさせるために
なんとなく教育関連で似たような話題が出てて、気になったので少し。
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- [教育]
もやしっ子もデブも楽しくワイワイできたらいい。
2017/03/10 14:00
読書離れを子供の問題にしてはいけないと思う - スズコ、考える。
- [教育]
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2017/03/10 14:05
要はどっちも「好ましい習慣をつけるなら強制はよくない」ってことだと思うし、それは全くその通りだと思う。スポーツにしろ読書にしろ、生涯にわたって良い趣味になるのは間違いないし出来るならば身に着けてほしいと思うのは当たり前だ。
で、この問題を語る上で大事なのは「それを勧める大人が率先して楽しんでいるか」に尽きると思う。スポーツだろうが読書だろうが、子供に「これは良いものだから」と押し付けて親がなーんにもしなかったら、子供だってやろうと思うはずはない。そこをどう思っているのかよくわからないけれど「うちの子って本を読まないのよねー」みたいなことを言ってる人はたくさんいる。
極端な話、親がジョギングをする習慣があって物心ついたころからジョギングに付き合っている子供は「みんなジョギングをするもの」と思っている。だから息をするようにジョギングをするようになるし、好きになるわけでも嫌いになる訳でもなく、ただ「習慣」として身に付きやすい。これは読書でも同じで、積極的に本を読んでいる人の子供は何を言わなくても本を読むようになりやすい。子供はよくも悪くも親の真似をして育っていく。
ただ、スポーツに関しては「親が勧めすぎるとよくない」という気もする。最近『ビリギャル』の映画を見たのですが、「典型的な家族の失敗例」だなぁと思いながら見ていました。途中で辛くなったのはここだけの話。
結論から言えば、ビリギャルがビリになったのは本人の努力や能力が足りないからではなく、家庭で本人の資質を伸ばすことが極端に出来なかったからとしか言いようがない。もともとポテンシャルはある子なのに親に全否定されて何もかもやる気がなくなって、最終的に「自分なんかどうせダメだ」と思うことでビリになってしまった。だから自分を認めてくれる人が現れたことで頑張ることもできたし、目標を達成することも出来た。
で、スポーツを勧めすぎる弊害もこの映画にはちゃんと描かれている。ビリギャルの父親は夢破れた野球少年で、ビリギャルの弟である息子をプロ野球選手にするために全ての私財を投げ打っているけれど、ビリギャルとその妹には目をかけようともしない。そんな娘たちを母親は不憫に思っているけれど、父親の暴君的態度には逆らえない。そんな家庭環境で否定され続ければ自己肯定感なんて育つわけもないし、努力とか継続とかそういうのはバカらしいって思うようになっても仕方ない。これは映画にもなるような話だからこのお父さんの結末はまぁそんなもんって感じなんですが、これと似たような状態をこじらせてお母さんがうつ病になってしまった家庭を知っている。
その家庭ではお母さんは息子に目いっぱいスポーツをさせていた。しかし傍目から見ると「息子がやりたくてスポーツをやっている」のではなく「お母さんがさせたいからさせている」ようにしか見えなかった。結局いろいろあって息子は存分にそのスポーツができない状況になり、お母さんは病んでしまった。ちなみにお父さんは空気より軽い存在感で、典型的な「子どものことはお前に任せた」的な人らしい。うーん。
他にも実例を取りあげればキリがないくらいこういう話は転がっている。では何故こういう事態が後を絶たないかというと、ひとつは「親が不安だから」というところだと思う。親は子供に何かをさせてあげたい。できれば良いことがいい。そこから派生して「親の思うさいきょうのよいこと」をわけのわからんまま詰め込んでパンクするパターン。
もしくは「過去に振り回されているから」というパターン。先ほどの『ビリギャル』のように「夢かなわなかった分を子供の代で」みたいな押し付けは枚挙に暇がない。学校の部活動ヤバイ問題も正直顧問の先生のこんな感情が根底にあるから起こっているのではないかと考える。自分は全国制覇できなかったから、生徒たちにはさせてあげたいとか。いや、生徒は生徒であってアンタじゃないんだよって言ってもわからないかー、みたいな。
とにかく大事なことは、未来を見据えていろいろ教えたり習慣を持たせたりするのがよいかなぁと言うことです。そのためにも、まずは知識を得るために最低限必要な対話能力と話を聴きつづける集中力と最低限の自己肯定感の育成が大事だと思うんだけど、その辺は結構オイテケボリになってるよなぁと考えながら、今日も生きていくわけです。だっていろんな人がいるからね。ひとりひとりが真剣に考えないと何も変わらないけど、それ以上にみんなが真剣に考えること自体があり得ないと思っている。だから頑張れる人だけ頑張るしかないのかなぁなどと考えております。おわりです。