さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

ディスコミュニケーションについて考える

ちょっと前の件から書いていきます。なんで今更なのかというと、ブログ書こうとして途中まで書いて放置してしまったからネタの鮮度が落ちてしまっただけです。しかし、ちゃんとナウな話題も盛り込むので安心してください。だけどそのせいで長いです。安心できませんね。


「俺悪くないよなメソッド」

そんでこの件なのですが、サインとか判子とか無意味なルールとか以前の問題だと思う。

 

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結論から言うと、1番の問題はそれぞれの立場がよくわからないまま話をしてしまったことだと思う。このまとめは「学校ひどい!」のバイアスがかかっているのでそう見えるけど、学校サイドから見ると多分違う世界が見えてくる。


まとめ主は「このような対応をされて信頼関係を損ねた」と言っているけど、学校側からすれば「サイン不可」と書いた紙にわざわざサインをよこす時点で信頼関係なんて存在しない。印象としては「なんだこいつ、判子だけに反抗する気か気に食わん」となるわけで。


昔の平成教育委員会の話なんだけど、複数のコップをシャッフルするという問題で「Cのコップに水が入っていないとするならどのコップに水が入っているでしょう」と条件がついていたのがあって、ほとんどの解答者がAとかBとかDと答える中、蛭子能収さんだけCって書いてて「問題にCじゃないって書いてあるやん!」ってめっちゃ突っ込まれていたことがあった。テレビの前で腹抱えて笑ったんだけど、こんな風にバラエティ番組のボケじゃなくて仕事の対応で「やるな」ということをわざわざやられたらクソムカつくだろうなと思う。


話をプールに戻すと、とりあえずフォロー入れないとと思って担任が電話したら「なんでダメなんスか?最近は脱ハンコがムーブメントですよ、判子の意味あるんスか?」と言われる。担任の心象としては「これから先も判子を押さないどころか開き直りやがった、やっぱり面倒くさい奴だ」だろう。そんで校長に「児童がプールに入れないからと逆ギレしてる」と伝えて、校長は「はいはいクレーマー乙」となる。この辺は校長もいい加減な対応っぽくて悪いよね。


じゃあどうしたらこんなコミュニケーションが防げたかと言うと、「サイン不可」の用紙にわざわざサインをする時点で「うちには判子がないので今回だけサインでよろしいでしょうか」と付箋を貼るなり事前に学校に連絡するなりしておけばよかった。「サイン不可だけど事情がありまして、よろしいでしょうか」という態度が「事前に」見えれば対応もまた変わってくると思う。


多少理不尽なルールであっても、ルールに疑問を持てるのはルールを破っていないことが前提にあると思う。「このルール守るのが大変」とか「実際に運用したら不都合がある」とか、そういうところからルールの見直しがある。ルールを破っておいてから「ルールのほうがおかしいんじゃないですかぁ!」って言われたら、まぁ逆ギレにしか見えないよね。スマートじゃない。


だからまとめ主が出来るのは担任からの電話の時点でとりあえずルール無視をしたことを詫びて、「これからは判子を押す予定です」とか「家に判子がありませんので」とか事情を話すべきだった。そんで後日サイン不可の理由を聞くべきだったのかなと思う。担任からすればどんな言葉を使っていても逆ギレにしかならない。校長を通すと言われた時点で「答えられないならまた後日で大丈夫です」と言った方がよかったかもね。


校長の受け答えを見るだけならクソだなぁと思う。だけど何らかのバイアスがかかっているので本当にそう言ったのかは話半分くらいに受け取った方がいいと思った。しかし「判子の欄が狭いから」はもうちょい頑張れとは思った。


校長は校長で「判子を押したくないんですね?ルールだから押せよ」じゃなくて「何か押したくない事情でもあるんですか?そうですね、最近は判子使わなくなってきましたよね、電子化とかしてますし、うんうん、判子を持たない家庭もありますよね、外国人家庭も増えてますし、うんうん、世間的にそんな話になっていますよね、わかります、わかります、そうなんですよ、でも今年はサイン不可でカードを作ってしまったので今からルール自体を変えるのはとても難しいんですよ、次年度以降検討します、はい、今回はご迷惑をおかけしました、いえ、こちらは大丈夫ですので、そうですか、はい、はい、失礼します」くらい言えよなぁと思う。クレーム対応の原則は相手の話を否定せずに聞くことって管理職研修で習っただろ?


この主張が典型的な「俺悪くないよなメソッド」です。「俺悪くないよなメソッド」は個人的に名前を付けただけで正式なアレとか何もないのですが、こんな感じの「自分の非は認めるけど、でも相手の非のが大きいから相対的に俺悪くないよな?な?」という内容の主張をそう呼んでます。炎上する記事はしばしばこのような内容になりがちなところから気にしていました。


ポイントは「な?な?」の部分です。SNSなどで訴えて「相手を悪者にしてやろう」と感じるものは大抵なんかバイアスがかかってると思っています。特に相手が行政や学校、大企業などの場合は炎上というよりも人々の憎悪の炎に油を注ぎます。また異性関係でも「これだから男は(女は)」と言って炎上します。


主語デカバーニング

「俺悪くないよなメソッド」からは少しはずれますが、糾弾相手を設定したために炎上した記事があります。

 

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このコミックエッセイ自体は最終的に「自分がされて嫌なことから距離を置いた」というだけなのですが、主題を「女の子」にしてしまったことで大変なことになっています。先にこのブログ書いてる人の見解を述べておくと、「女の子」で死にたかったのは「女の子」という属性から逃れる術を知らなかった筆者だと思うんだよね。属性の嫌なことから逃げるには性別を超えた個人の信頼関係や自尊心が必要になるけど、筆者にはそれがなかった。「属性」から脱却するために環境を変えることに力を入れた、ということだろうか。だから厳密に言えばこの話は「俺悪くないよなメソッド」ではない。どちらかというと「女の子になれない私が悪いんですどっか行きます」なんだよね。まぁ当時のクラスメイトにフォローがないのはよくないとは思ったけど。


実はこのブログ書いてる人はこのエッセイ書いた人をnoteからしばらく追いかけていて、この人の背景をある程度見ているからそういう感想になるのかもしれない。詳しくは実際に彼女の書いたものを見て欲しいんだけど、なんでこの人がこういうものを書いたのかというのが流れで見ていると「あー」と腑に落ちる。しかし、Twitterという点でこの作品に接すると「女の子差別だ許せない殺せ」となる人が出るのもわからなくもない。

  

 
感想として「まぁ男女関係ないよねー」くらいならまだしも、本人のブログにも「アンタの漫画不快だわ、検索してみ、みんなそう言ってるから」って感じのすげぇコメントつけてる奴もいて「やめてあげて!本人そういう攻撃受けるのきっと慣れてないから死んじゃう!」とか思ってしまう*1。しかし、この手のコメントを書く人は一体どういう心理だったんだろう。


特にスマホでネットをしていると狭い画面の中で客観性が失われて、不特定多数に宛てたメッセージでも「自分のために書かれたメッセージ」と誤解して「ここに書いてあることは私のためにならない!筆者が悪い!殺せ!」ってなりがちじゃないかなぁと思っている。「炎上」を語る中でこの「客観性を欠いた読み手」の存在ははずせない。この手の炎上は明らかにアンモラルなものに対する糾弾とはまた別の性質を持っている。


おそらく例のリプライを書いた人は「この漫画嫌だな」と思ったのだと思う。それはそれで何の悪いことでもない。しかしここで「たくさんの人があなたの漫画を読んで不快に思っている=だから私の言うことは全うであるのでお前は受け入れろ」という理屈になっているのはすごく怖いと思った。この漫画自体は本当に賛否両論になっていて、共感した、その通りという声もたくさんある。視野が狭いことを糾弾するコメント自体の視野が非常に狭い。そんなん無視してええんやで、とは思ったけどこのブログ主はそういうことはできないだろうなとは思う。よく言えば誰に対しても優しい、悪く言えば力の抜き所が分からなくて自滅するタイプの人だから。こんだけバズったら変なこと言う人が湧くからマジで相手しないでほしいとは思う。ブロックミュートは正解。


とはいえ、そういうコメントを送る人も何かに傷ついているからそういうコメントを送るのだと思っている。ナチュラルに悪口を言う人って少なくて、大体は何かしら傷つく体験があってそこから逃れるために悪口を言うことっていうのはすごく多い。男女論が荒れるのはそういう仕組みがあるからだと思っている。彼らの痛みを癒しに戻らなくてはいけない。キーブレードが必要だ。


まとめ

どちらのケースにも言える話は、これらはTwitterという場所だから起こった現象だということ。ブログでやればわざわざ読みに来ないといけないし、実際後者のケースではnoteにあげたときにこのような反応はなかった。前者の場合は、拡散さえされなければ「ただの愚痴」として処理されるものだったと思うし、個人の意見がTwitterの感情増幅器に乗って「学校は悪!」「サイン文化とかイミフ!」となってしまったと思う。


Twitterは予期せぬ人にも情報を届けてしまい、過度な共感や反発がとても来やすい。ここまで来ると情報の発信の仕方よりもTwitterという場所の特性をしっかり知ることが重要になってくると感じた。


感想

最近ブログで炎上というのを本当に見なくなった。大体は企業炎上かツイート単体、それかトゥギャられたものがガーーっと燃える。そんで燃えてる時間が短い。個人の失言レベルでは早ければ一晩で鎮火する。数週間に渡って個人レベルで延々燃えている話題なんてなかなかお目にかかれない。


そういうわけで「炎上」っていうものも時代と共に変わってきていると思う。時代っていっても数年単位だけどね。だって2015年の事件で検索したらゴキペヤとかオイルマッチ配信とか出てきて、「あの頃とは確かに何かが違う」とは思う。あれからもう五年近く経つのか……時の流れは残酷だね、おしまい。

 

*1:現在この記事は削除されています