さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

「人の気持ちがわからない」ということについて

 透明なゆりかごを毎週見ている。次回で最終回だ。

 

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 ゼロ歳児を育てながら見るにはしんどいドラマだ。お腹の中にいる頃やっていたコウノドリは怖くて見ることができなかったけど、お腹から出てきたなら見てもいいかなぁと思って視聴している。

 

 その中で印象に残っているのが主人公アオイが何かにつけて「私は人の気持ちがわからないから、わかるようになりたい」というところ。第三話の八つ当たり妊婦に対しても何故彼女が怒っているのかわからず、「私が何か至らないために彼女は怒っているのでは」と怯えていた。第九話の性暴力を受けた友達の小学生に対しても「私が何か気付いてあげられたらもっと早く何とかなったのでは」と自分を責める。

 

 アオイはADHDと診断されていて、自分の興味のあることが最優先でその周囲の事象に気を配れないことが多く、そのため常に「私の行動が誰かを傷つけないか」という不安があった。でも視聴者からすれば「いーやそれは誰だってわかんない理不尽なことだよ……」ということにも「私が至らないばかりに」と敏感になっている。結局他人と他人は心の奥底まで分かり合うことはできないし、だからアオイのように相手を理解しようと努める姿勢が評価されるではないかと思う。

 

 で、「人の気持ちがわからない」と言えば延焼してるこの記事。この記事では「料理した人に美味しいということを義務にする是非」は話しません。このブログ記事の表現方法についての話がメインです。なお書いている人は料理を作って提供するのが好きです。

 

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義務なわけがない、と言う反応を見て一番最初に思ったのが人の気持ちを想像するスキルがない人がたくさんいるなぁ…ということだ。

料理を一度でも誰かに振舞ったことがある人であれば、相手が無言で食べたり、美味しい!という言葉の前に小言が入った時の悲しさを理解できるはずだ。

また作ったことがなくても、人の気持ちを想像することが出来れば「美味しい」という言葉の重みが少しはわかるのではないか。

「美味しいと言うのは義務」という主張に条件反射のように「義務なわけない」と反論する人を見て思ったこと。 - 主夫の日々

 

 うーん、もうこの段落だけで対話不能感がにじみ出てて怖い。人の気持ちを想像するスキルのない人の気持ちを想像する余裕はないのだろうな、と。ひとつツッコミを入れるならば、何故「義務なわけがない」と思った人は「反射的に」思ったと思ったんだろうというところ。本文をしっかり読んで、自分の経験と照らし合わせて、その上で「やはり義務はおかしい」と考えた人もいたのではないだろうか。そういう人が「反射的に」という一文を見たらイラっとくるし、悲しくもなるだろう。この人は私の話は聞いてくれないんだなぁ、と。

 

何度「毎日作る料理は大変だ」と言っても、一定数「料理なんて簡単だろう」という言葉が返ってくる。

数分で食べてしまうからそう思うのかもしれない。また毎日手作りの料理が当たり前に出てきて感覚がマヒしてしまうのだろう。

今日はあなたが毎日食べている料理がどうやって出てきているか、を書いていきたい

毎日家で料理を食べている人は、その料理が誰の時間を使って作られたものかを知らなくてはならない。 - 主夫の日々

 

 このブログでは上記の通り、読者を「家事に理解のない男性」としている。しかし実際の読者層は「家事に理解のないパートナーに苦しむ人」になっていて、「よく家事に理解のない男性に物申した!スカッと!」とハッとして拍手喝采しているのが実態なんじゃないのかなあと。つまり、想定と実態が乖離しているのではないかと。

 

 インターネットに書き込むものって基本的に誰でも見れるものだから、見てほしい人だけに届けるのは不可能だと思う。だからブログの筆者が「家事に理解のない男性」に向けて「あなた」と呼びかけているんだろうけど、そもそも家事に理解のない男性は主夫を名乗る人のブログなんて目に入れないので筆者がどれだけブログ内で大変さを語ったとしてもまず届くことはないだろう。そして万一にそういう人がブログ記事を読んだとしても、他人事で終わらせてしまう可能性が高い。「じゃあブログ書いても無駄だって言うんですか」ってなりそうだけど、そうじゃない。このやり方ではまず読んでもらっても理解されないだろうし、やり方を変えないと人の心は動かない。

 

 そして「家事に理解のないパートナーに苦しむ人」からは共感や励ましの言葉は来るけれど、このブログの書き方では「家事に理解のある男性」や「夫婦で家事をうまく分担して運営している人たち」や「独身で家族がない人たち」からは「主夫がなんぼのもんじゃい」と反発をくらうだろう。何故なら家事も育児も頑張っているのにこのブログを読むだけで「あなたは家事も育児も理解がないダメダメさんですね、僕が教えてあげましょう、やれやれ」というメッセージを受け取ってしまうからです。自分が対象ではないとわかっていても、「あなた」と限定されてしまうとイラっとくる人も多いだろう。「この文章を読んだ読者はどんな気持ちになるのか」を想像してみるといいんだと思いました。

 

 余談であるが、上記の記事のブコメに「さわぐちけいすけ」や「マルクス」の名前が挙がっていた。どちらも「自分が特定の主張をするために何かを踏みつけている」感が強い方だと思っている。

 

togetter.com

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 それよりも自分はこの筆者は「のぶみ」に近いかなと思っています。

 

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 この界隈では有名な炎上絵本作家ですが、ちょっと一般的ではない母子像の絵本を書いて「感動!」というタイプの感じです。この人自身が「母親」というものを歪めて捉えているんじゃないか説はかなり信憑性があります。

 

俺の父親は家事をほとんど手伝わないタイプでした。

家事は妻の仕事という典型的な古いタイプの人間で、「家事をしてくれてありがとう」なんて1ミリも思ってはいなかったと思います。今思い返しても妻は家事をして当然と言う態度でした。

だからちょっと衝撃的ですが、母の料理を食べて父親が「美味しい」と言ったことは、俺の記憶が正しければ一度もないんですよ…

友人からも料理上手だと評判だった母にもかかわらず、です。

しかし外食に行けば父親が「これ美味しいな」と言っているのは何度も聞いています。

つまり、父の中では母が料理を作るのは当たり前だったから、美味しいと言わなかったのだと思います。

「美味しい」という言葉の重みを知っているか?毎日料理を作ってもらう側には「美味しい」と言う義務があるのだ。 - 主夫の日々

 

 上記のブログのこの部分がすごく不安になった。何故ならここに登場する父親の行動原理は全部筆者の主観でしかないのに「こうに違いない」と決めつけてしまっているからです。本当にこの筆者の父親は家事に対して無理解だったのでしょうか。筆者のいないところで伝えていたり、言葉では照れくさいので筆者に見えないところで何かお返しをしていたり、母親が「照れくさいからいちいちお礼とか言わないでよろしい」と伝えていたかもしれません。この辺ははっきりした父親の言葉がないと「筆者の歪んだ父親像」なんじゃないかと思って怖いです。

 

 そう考えるとこのブログで「あなた」と読んで殴っている人物はこのブログの筆者の父親及び過去の自分なんじゃないのかなぁと思う。正直そこまで喧嘩腰になって殴る必要あるのかな、というエントリ見てて不安になっていたのですがそう思ったらなんか、あーって気分になりました。

 

 プロフィールに「まだまだ認知されていない家事育児の大変さをより広めるために」とあるけれどTwitterを覗けばとりあえず家事育児の愚痴なんて星の数くらいあるし、朝の情報番組では主婦の悩みなんかテレビでもやっているし、そもそも家事育児やってるかーちゃんたちはその大変さわかってるんだから「大変さをより広め」ても仕方ないよね。なんていうか、非常に魔理沙が大切なものを盗んでいった音がするわけですよ。ごっすんごっすん五寸釘。全体的に呪いが漂っているんだよね、このブログ。余談終わり。

 

 まとめると「人の気持ちがわからない」っていうのは煽り文句にもなるけど、わからないからこそわかろうとする努力が出来るしそこを乗り越えて分かり合えたら素敵だよねってことだと思います。かーちゃんになることはすごく大変だしその点男って呑気だけどそれはそれでかーちゃんの気持ちを理解する大変さもあるし、それをかーちゃんは理解できないんだろうなぁ。そうやって持ちつ持たれつしていくのが家庭ってもんなんじゃないでしょうかね。ゼロ歳児の考えていることはよくわかりません。とりあえず眼鏡を奪いたがるのはわかりました。奴は目玉を狙ってきます。おそろしいおそろしい。おしまい。