あのにますトライバル

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文章を書く前に考えたい「読書感想文」の話

 実はここ数年「読書感想文の課題図書を読んで読書感想文の書き方をレクチャーする」みたいな記事を書いていました。夏の間はそれで検索流入がすごいのですが、今年はやらないことにしました。ひとつは昨年課題図書に軽く失望したのと、もうひとつが「感想を書く」ことそのものの本質がかなり厄介だなぁと改めて思ったからです。

 

課題図書への失望(業界向け愚痴です)

 昨年まで主に中学生向けと高校生向けをそれぞれ1~2冊読んでいたのですが、まさか二年連続で「中学生と高校生を入れ替えたほうがいい」という感想が出ると思いませんでした。登場人物の年齢だけを考えているとしか思えず、昨年の中学生向けの『語りつぐ者』と高校生向けの『アヴェ・マリアのヴァイオリン』はそれぞれ逆のほうがよりいいと思うのです。『語りつぐ者』はアメリカ独立戦争を生き抜いた女の子と現代の女の子が交差する読みにくい作りになっているし、何より中学生にアメリカ独立戦争は難しいと思うのです。逆にユダヤ人のホロコーストを描いた『アヴェ・マリアのヴァイオリン』は「戦争って怖いね」という以上のものはなく、中学生でも容易に感想が書けると思うのです。同じ理屈で一昨年の中学生向け『チャーシューの月』と高校生向けの『歌え!多摩川高校合唱部』もそれぞれ逆のほうが良いと思うのです。特に『チャーシューの月』は大人でも読解が難しい児童施設の話で、中学生が読むと「親と一緒でなくてかわいそう」という感想しか生まないと思う。それぞれの登場人物の内面になんて入っていけないってば。無理ゲーだよそんなの。これを指導する現場を舐めているとしか思えない。

 

 結局「青少年読書感想文コンクール」っていうのは規模だけでっかくなったけど、要はインターハイみたいに才能あふれる人が頂上決戦を行う場所なんだよね。それを認知できなくて「とりあえずやれ」みたいなことをするからおかしくなる。全国大会レベルのことを一般の生徒ができるわけがない。もちろんコンクールが悪いのではなく、コンクールを生徒にどう落とし込むかができない現場のズレの拡大の結果なんだろうなと思っている。そりゃあコンクールで入賞したら気持ちがいいけどさ、けどさ。

 

「感想」ってどうやって思いつくの?

 そんな業界チックな愚痴は置いておいて、「感想文」以前に勝負は「感想」をどう発掘するかなんだよ。そういう一番大事なところを「好きに書きましょう」とか適当なことをやってきたからよろしくない事態になっているんだと思う。

 

 例えば、「システムの不備におけるゼロ年代からの青少年の心の揺らぎに関するアンケートにおいて法的問題と家庭での問題についてあなたならどんな感想を抱きますか?」と言われてすぐに答えられる人ってあんまりいないと思う。そもそも「青少年の心の揺らぎ」とは何かがよくわからないし、「法的問題と家庭での問題」って言葉が難しそうだ。じゃあもう少し文言を簡単にして「最近の若者特有の問題について、法律の面と家庭での面についてとりあげて、それに対して感想を述べてよ」って言われてもまだ「感想」どころか「何について考えればいいか」わからないんじゃないかなぁ。

 

生活体験と比例する「感想」

 読書感想文に限った話ではないが、「感想」がないというのは子供にとっては当たり前の話だったりする。何を見ても「ふーん」で終わるのは仕方がない。感想を外に出す語彙にも乏しければ、それがどんな経験なのかを頭で理解していない。

 

 当たり前だけど、子供の頭は今まで子供が生きてきた世界で構成されてる。極端な話をすると、母子家庭の子供に「おとうさんの活躍する話」を読んで聞かせたところで「おとうさん」がどういう人物かわからないと「おとうさんって何?」でつまづくのである。頭で意味は理解していても、体験として記憶されていなければ「感想」にはつながらない。世界を広げると言う意味で難しい本をいきなり子供に渡しても子供にとって「生活体験」とは別の「全く理解できない世界について理解しろ」と言われたら辛いだろう。

 

 ここに読書感想文が嫌われる要因があると思う。「自分の理解できないものを理解した気になる」というのは辛いものがある。それは正誤のある問題ではなく、自分自身に対して「お前の中身は空っぽなんだな」ということをチクチクと突き立てる。作文は絵画と一緒でダイレクトに内面が現れる。弱い自分を受け入れる準備でもしていないと、なかなか感想なんて書けっこない。だから、いい感想文はそういう覚悟があっていいものになる。文章の書き方という点を重視するなら優等生なテンプレのほうがいい。だけど、その先を行くならテンプレではどうしようもない。ここから先は全国大会レベルの猛者の話だ。

 

【提案】

 読書感想文は悪いことではないけれど、まず積極的に「感想」を持たせるような環境に子供を置いてやらないと話にならないのではないかと思うのです。それは子供に対してたくさん話を聞かせたり、自然と触れ合わせたり友達と遊ばせたり、とにかく「たくさんの情報」を与えることです。そしてもうひとつ重要なのが、たくさん情報を与えたからといって即座にアウトプットを要求しないこと。たくさんアプリをダウンロードしてもインストールにとっても時間がかかるように、子供にもインストールの時間を与えること。そしてせっかくインストールしたのだからアプリを使いなさいと強制しないこと。アプリをダウンロードさせたのはユーザーの勝手で、本体はアプリを使うことを強制されていないのです。

 

 そんなわけで「読書感想文」以前の問題だなぁと思いました。パクリがどうのこうのというのは問題外だけど、やっぱり根本的に作文の指導力が全体的に低いのが問題だと思うのです。小学校英語必修とかセンター試験改変の前に、日本語版ライティングの授業を中学校あたりで導入しようよ。それだけで随分と違うと思うんだけどなあ。