新幹線のホームは外のお祭り騒ぎを忘れさせてくれるように、いつもと変わらない様相を示していた。ところが売店に入った瞬間に店員の赤い帽子とレジの脇に積まれたチョコレートで思い出してしまった。どこもかしこもクリスマスなんて知るか。クソが。
温かいココアをひとつ買って、席に着いた。窓の外は厳しい北風が吹いているけれど、浮かれた音楽がしゃんしゃん鳴り響いていてあちこちで楽しそうな人々の顔が見えるんだ。新幹線の中は暖かいけれど、帰省には少し早いこの時期は出張のサラリーマンの姿しか見えない。みんな同じ黒いコートに黒い鞄。席に着くといそいそとノートPCを取り出して仕事をしている。移動中くらい休めばいいのに。仕事なんてクソだ。寒かろうが暖かろうがどっちみちクソだ。
滑り出した新幹線はあっという間に次の駅に着いた。
「隣、空いてますか」
その男の人はビジネスマンの恰好でもなく、駅弁を片手にぶら下げていた。どうぞ、と言うと嬉しそうに男は座った。
「いやあ指定席が取れなくて、危うくお弁当を食べそこなうところでした」
そう言うとシューマイ弁当を席で広げ始めた。随分と嬉しそうにシューマイを平らげる男の人が、その時は呑気に見えた。
「どちらまで行かれるんですか?」
弁当を食べ終わった男の人は話しかけてきた。たまたま相席になっただけで世間話をしてくる人は、基本的にウザイと思っている。
「広島まで。そこで乗り換えます」
「それでは私より後ですね。私は京都まで行きます」
男の人は弁当についてきた醤油刺しを丁寧にカバンにしまうと、オレンジ色の蓋のお茶を開けた。
「学生さんですか?」
「まあ、そんなところです」
「田舎に帰るのですか?」
「そんなところです」
あまり詮索しないでほしい。今は話すのも面倒くさいし、正直楽しい気分ではない。
うまく行かないことだらけだ。せっかく背伸びして入った志望校だったのに、一生懸命勉強しても周囲にはついていけない。学校では劣等生扱いされ、始めたばかりのバイトも人の多さに圧倒され毎日くたくただ。余計学校の勉強は身に入らない。友達も減っていき、サークルも幽霊状態だ。一応「クリスマスぼっち飲みやろうぜ」という連絡だけは来たけれど、本当にぼっちではない人たちと一緒に居ても楽しくない。「年末はいつ帰ってくるの」という親のメールだけが頼りで、今年最後の授業が終わったその日に荷物をまとめて衝動的に新幹線に乗り込んだ。
いつまでもダサくてあか抜けなくて、キラキラした都会のイルミネーションは劣等感だけを強くした。こんなところにいつまでもいてはいけないと思った。でも実家に帰ったからと言って、何が待っているのかわからない。どうせ何も待っていない。そんなところだ。
「学生さんはいいですね。私ももっと勉強したかったです」
「勉強しても、いいことなんてないですよ。学歴なんて意味ないですし」
「そんなことはないと思いますよ。一生懸命やった過程が大事ですから」
「大きなお世話です」
大きなお世話だ。周りにそそのかされて一生懸命勉強して、行きたい大学よりも上のランクの大学が狙えるというから受験して見事に合格して、親や学校の先生は喜んでくれたけど、それは望んで歩きたい道ではなかったと今更気が付いた。生きている意味なんてよくわからない。
「それはすみません。ところで、今日はクリスマスイブですね」
「それがどうしたんですか」
「クリスマスを親御さんと過ごすなんて、いいですね」
「そうですか?」
「クリスマスを家族で過ごすのが、本来のクリスマスですからね」
「でも今はカップルがいちゃいちゃする日ですよね」
「未来に家族になる方々ですから、神様は平等に祝福してくださいますよ」
ヤバイ。神様とか言い始めた。宗教関係の人みたいだ。このまま変な話を聴かされてセンノーでもされたらかなわない。気を付けないと。
「でもそういうの醜いと思いませんか? ガツガツしているっていうか」
「色欲に溺れるのはよくありませんが、愛し合う二人がともに過ごすのは良いことではないでしょうか」
「そういうものですか?」
「あなたには、愛する人はいないのですか?」
「だから、大きなお世話です!」
本当に失礼だ。生まれてこの方、恋愛なんて無縁だと思っていた。勉強だけが取柄で、末は博士か大臣かという扱いを受けて教育熱心な親の元あらゆる習い事や通信教育に取り組まされた。読書もたくさんしたけれど、恋愛漫画は読む気になれなかった。誰と誰が付き合ったとかそういう話は低俗なものだと思っていたし、これからもそうだと思っていた。
「親御さんでも、恋人でも、愛する人には変わらないですよ」
「親にそういう感情を持つのっておかしいと思います」
「そうですか」
そう言うと、やっと男の人は黙った。がさついている気持ちがますますがさがさしてくる。一人になりたくて何もかもから逃げたくて実家に帰るのに、こういう時間は大嫌いだ。
「私は別に異性を愛することだけが愛ではないと思うのです」
しばらく沈黙があった後、また男の人が話しかけてきた。今度は返事をしない。寝たふりをしようと思った。
「今、この国では大量消費のクリスマスが典型になってしまいましたが、本来クリスマスをはじめ『お祭り』というのは人と人のつながりを確認するためのものでした。もし、お祭りによって人と人のつながりが断ち切られるようでしたら、神様は悲しむでしょう。神なんて生まれてこなければよかったんですね」
「その通りですよ。誰も生まれてこなければよかったんですよ」
たまらなくなって言い返す。いい加減うるさい。
「神が生まれてこなければクリスマスなんてなかったし、イルミネーションもカップルがいちゃいちゃするのも見なくて済んだんですよ。神に責任を取ってもらわないと」
「その通りですね。でも、神様はあなたが生きている限り、死ぬことができないんですよ」
「はぁ?」
やっぱり変な宗教の勧誘だ。
「本当は、神様なんていないんですよ。そんなのはみんな知っていることです」
「それは当たり前でしょう」
「でも、苦しい気持ちや悲しい気持ち、楽しさや喜びは存在するでしょう」
「何が関係あるんですか」
「昔の人は、楽しさや喜びの感情を『神』と呼んだのです。いつしかそれは人格を持って、何か大層なものになってしまいましたが」
「だから何だって言うんですか」
「あなたにとって、喜びとは何ですか?」
言われてギクリとした。つまらないつまらない、と生きてきたけれど、本気で何かを楽しもうとしたことはなかった。つまらないのは人生がクソだからだと思ってきたけれど、同じくらい自身がクソつまらないから何をしてもつまらないのは当たり前だ。普段からこんなことを考えていたら死にたくなるからなるべく考えなかったことだ。とりあえず当たり障りのないことを答えておこう。
「平凡に生きることですかね」
「それはいい喜びですね、大切になさってください」
「愛する人のない平凡でも、ですか?」
「いつでもあなたを愛している人はそばにいますよ」
「それが親とか言わないですよね?」
「いいえ、神様です」
何故か今度は嫌な気分にならなかった。
「神様は誰の心にも『喜び』という形で存在して、あなたをいつでも愛してくれます。もしあなたが愛する人がいないというのであれば、自分自身の神様を愛していないことになりますね」
「そうですか」
「自分の中の『喜び』に気が付けば、愛してくれる人はいつでも見つかりますよ」
またしばらくの沈黙があった。今度は呆れたのではない。何だかつまらないことで意地を張っていたこっちが阿保らしく思えて仕方なかった。がさがさした気分ではなく、非常にじっとりとした後悔だけだった。
「どうして、見ず知らずの人にこんなに話しかけるのですか?」
「それが私の仕事ですから」
男の人はにっこり笑っていた。こんなに清々しい笑顔はあまり見たことがない。
「でも、今日はプライベートです。これから誕生日を祝ってもらうんです」
「クリスマスと誕生日が一緒なんですか?」
「ええ、覚えやすくていいですね。それに、世界中が私を祝福してくれているようで、何だかうれしいですよ」
悩みがない、というのはこういう人のことを言うんだろうか。神様って考えたことがなかったけれど、確かに神様はいてもいいと思った。その後とりとめのない話をしているうちに、新幹線が京都に近づいてきた。アナウンスと共に男の人は荷物をまとめはじめた。
「あの、ありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ。貴女のような素敵な女性とお話出来て楽しかったです」
素敵な女性って、初めて言われた。
「あと、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとう。そちらこそ、メリークリスマス。どうかあなたを大事にしてください。」
新幹線が止まると、男の人は「では」と一礼して行ってしまった。再び走り始めた新幹線の中で、私は初めて「私」のことについて考え始めていた。
そんなわけでのべらっくす用「クリスマス短編」でございます。自分はクリスチャンではないけど、サンタもトナカイもプレゼントもなくたってクリスマスの日には誰の心にでも神様はいると思います! まだ時間が少しあるので年の瀬で忙しいのですが参加どうぞー!
【第3回】短編小説の集いのお知らせと募集要項 - 短編小説の集い「のべらっくす」
それでは、全ての人に、メリークリスマス。
おまけ
昨年書いたクリスマス短編です。何だか毎年似てますね、ハイ。