あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

長い長い感想【主催者という名があったものとして】

 どうしようと思っていたのですがどうにもまとまらないのでまとまらないまま書いていきます。とりとめがないので長いうえに創作論だらけでいつもにもまして理屈っぽいです。ご了承ください。

 

 先月の『短編小説の集い』において、第1回からずっと参加をされているまさりんさんから以下のような作品をいただきました。。

 

masarin-m.hatenablog.com

 

 こちらの作品でこの文章を書いている人、つまり『短編小説の集い』の主催者がパロディとして登場しています。そんなわけで「どうしたものか」と思いながらいたのです。以下完全に文脈が読めない人にはわからない話ですので分かる人だけニヤニヤしてください。

 

 先にまさりんさんの振り返りを読んでもらえると話がわかりやすいです。

第二十六回 短編小説の集い参加作品「サシ呑み」振り返り - 明日は明日の風が吹く 

 

「愛の告白」かと思った

 この作品を読んでのファーストインプレッションはそんな感じです。振り返りでまさりんさんは「内輪ウケを狙ってみた」とのことですが、文章を書く人のタイプとしてまさりんさんは「自身が本心で思ってもいないことは書けない」タイプだと思うのです。

 

 『短編小説の集い』を2年ほど続けていろんな人の作品の感想を書きまくっていてわかったことがあるのですが、小説を書くときに人はふたつのタイプに分かれます。まずは自分の伝えたい気持ちが合って、それを軸に登場人物や展開に肉づけをしていくタイプ。それと登場人物や書きたいシーンを設定して、そこに向かってテーマや全体像を作っていくタイプです。前者は私小説のように作者がなくては作品も成立せず、後者は物語の中に作者を置かないので作者が不在でも困らないのです。どちらが良いというものではありませんしどちらのやり方でも良いものが書けます。

 

 このふたつのタイプで行くとまさりんさんは完全に前者だなあと毎回思います。逆に私は完全な後者で、「自分の気持ちから物語を作る」というのはすごいことだと感心します。そんなまさりんさんが「内輪ウケ」とは言ってもお遊びで私の「名前」を出してキャラクターに仕上げるだろうか、と読んだ時に思ったのです。「これはよっぽどその対象に思い入れがないとやらないことだぞ」と。短編を一本書くために日帰りでも取材旅行に行くまさりんさんが適当にパロディなんてするわけがない。

 

 正直言って、嬉しいですね。「小説の企画だぁやってみたぁい」みたいなことだけ言って参加しなかったり「小説書くの大好き!またやりたい!」とか言って1回か2回で満足しちゃったりとか、そういうのにめげそうになるくらい世間の逆風は強いのですがその中でまさりんさんはこの会の主催者を「人格のあるもの」として捉えているのだなあと温かみを感じたのです。お題を出すbotぐらいに考えている人、きっといるもの。

 

 それだけまさりんさんの中でこの『短編小説の集い』及び私の存在が大きいのだなあと思い、「これってもしかしてラブレターなのではないだろうか」と思ったわけです。愛の告白って、何も性的なつながりに限定されるものではないと思っています。これはファンレターよりも重い、「ぼくのかんがえたさいきょうのしゅさいしゃさま」なんですよ。つまりラブレター。ちょっと重いです。

 

作者と作品の間

 そんなわけでこの作品の構造を素直に読み解けないのです。作品の中で「主催者様」は筋肉質で身長は190cm以上ある亀ちゃんという主人公の旧知の仲という設定になっています。振り返りでもあるように、もちろん現実の私はそんな肉体を持っていません。もしそんな肉体だったらマッドマックスのコスプレして立川に行きます。立川の極音上映いつか行ってみたいなあ。

 

 で、ここで思ったのが「現実の人物をパロディにする」ことなんですよね。おそらくまさりんさんは面白おかしく「デフォルメ」のつもりで筋肉質という設定にしたというのもあるのでしょうが、筋肉質になった「主催者様」に中の人は確実に存在しているのです。そこでデフォルメの方向を「筋肉質」にした理由は何なのだろうと。普通に考えれば私の「ストイックさ」を表現したのかなと思うわけです。まあストイックですし。己に厳しく他人にも厳しい。個人的に作品に対してはそういうところあります。実際には亀ちゃんのキャラクターのほうが先にありそうですが、そんなことを考えてしまいます。

 

 この作品を読んだ時に真っ先に思い出した作品があります。新井理恵の『×-ペケ-』に収録されている「夜明けのダザイスト」という4コマ漫画です。とあるバンドの硬派なボーカルがふわふわな恋愛小説がヒットしている現状を嘆き「これなら俺の方がうまく書ける!」と「来夢みんと」というペンネームで恋愛小説を投稿したところバンド以上に人気作家になってしまうという連作で、その中にまさしく亀ちゃんのような体型のキャラが登場します。そして「来夢みんと」は「自分が書きたいものと売れるものを書くというギャップ」や「読者の思い描く作者像と現実」という理不尽に苦しめられ、最終的に××××になってしまうというものすごくブラックな作品でもあります。短い連作ですが、本当にラストのオチが悲惨すぎて逆に笑えると言う秀逸なブラックジョークになっています。

 

 そんなわけで「作品のひとつひとつとは別に独立した作者の人格がある」というのがやっぱり大前提であるわけなのです。私の場合なのですが、確かに小説を書くために登場人物の造形を行うわけで、それはどうしたって自身の分身であるはずなのです。だけど出来上がったキャラクターを見れば見るほど「自己」とは別の存在で「ここにいるのは確かに俺だけれど、それなら俺を眺めている俺は一体誰なんだ」と粗忽長屋の如く不条理な感情を抱かずにはいられないのです。

 

パロディと内輪ウケについて

 そういう前提で話をすると、まさりんさんの最初の話に現実のパロディを加えた結果少し歪な構造があるのかなという感じです。物語の中で「主催者様=亀ちゃん」が筋肉質である必要はないですし、このオチにするならば最初から下の方を工事してシリコンでも入れていたほうがインパクトはデカいし「かつての同性の旧友がなんと」という展開においては説得力がある。

 

 それから、後で「主催者様」要素を入れたので間に合わなかったのかなあと思うのですが「主催者様」の話し方など含めて私のパロディではないんですよね。もし私がまさりんさんのパロディキャラクターを作るなら、「まさおくん」という名前でまさりんさんの文体を意図的に真似して「きっとまさりんさんのことだな」と読んだ人にニヤリとしてもらうことを狙います。ここに作者と読者の共犯関係が成立して、「こいつはわかってやっている」と読者は興味を持ちます。

 

 要は「内輪ウケ」というのはどれだけコンテクストがわかっている人が面白がれるのかというところスレスレを狙って行けるのかというのが大事なわけです。つまり内輪ウケを狙うには説明を究極まで省く必要があります。例えば私は『病』の作品の最後におまけとして『hagex脳患者』という言葉を使ったのですが、これは意味を開くと「ネットなんかでよく見かける家族のいざこざで特に育てられ方が悪かったために不都合が出てくる物語を真偽不能であるけれど創作だと割り切って好む連中」くらいの意味合いですが、私はこれを説明する必要がないと思いました。わかる人だけわかってくれと。それにこの言葉の意味が分からなくても作品のことは作品内で説明されているので補足はいりません。つまるところのこれが「内輪ウケ」なわけです。

 

 今回のまさりんさんのお話は「内輪ウケ」を狙いに行っているにも関わらず、背景の説明が多くて「現実のパロディ」ではなく「いつも通りのまさりんさんの世界」になっていると感じるのです。そしてその世界では「主催者様=私」が「主人公=まさりんさん」に告白をしているという。この辺の構造がイビツなのです。

 

 ちなみに「短編小説の集い」で内輪ウケが好まれないのは、この企画そのものが「客観的に自己を分析してみよう」というところから始まっているので主観メインになる内輪ウケの要素を入れる隙があまりないからです。あと互助会が好まれないのは「内輪ウケ」が嫌なのではなく内輪ウケにもならない客観的に自己を分析する気のない低クオリティの文章であふれているからだと思います。個人的にこういう文章の世界では「己を上手に説明する努力もしないでわかってくれとかどれだけ甘えているんだ」とやっぱりストイックに思っています。文章以外の世界ではやさしいです。たぶん。

 

 結局文章っていうのは誰にも見せない日記以外、「誰かが読む」前提のものなのですね。それを個人的で主観だらけのものを書いて「理解されない」っていうのは当たり前で、他者の視点が入らないとそれは文章として成立しないのです。そして文章を文章と認識しない人たちが中身を理解しないまま「面白いですね」「参考になります」とコメントをつけていく構造。多分この世に地獄があるなら、それは意思疎通がままならない世界です。『ジョニーは戦場へ行った』に近い世界が身近にあります。まあネットに限らずこういう世界はありふれた話なのですが。

 

おわりに

 あと何か他にも言いたいことがあったような気がするのですが、思い出せないのでこのくらいにしておきます。おそらくまさりんさんは実生活においても敢えて分類すると「真面目」にカテゴライズされるほうだと思うのです。作品に対しては常に自己を出して全面に向き合っているところがすごいなあと思うのです。うすっぺらい自己なんて出したら死んじゃうわたしにはとてもまねできない。それではどこまで行くのかわからないのですが、魂を預けられたからにはもう少し頑張ってみようと思います。

 

 それから毎回この企画の作品を読んでくださっていると思われる奥様にもよろしくお伝えください。