あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

思考の方法

 よく「頭の中で考えるとき、どんなイメージになるか」っていうのがあってそれは人によって文字だったり音楽だったり映像だったり異なるようで、自分は何だろうと考えてみた。それで出た結論が「色と触覚」だ。

 

 実際小説を書くとき何をまず思いつくかと言うと、登場人物の大体の特徴を組み合わせてどんな事件が起こるかを何となーく思い描いたら、次に考えるのが「時間帯」で、そこで場面の色を明確にしないとそれ以降のシーンが思い浮かばない。そしてそこが暑いか寒いかちょうどいいかくらいは想定しないとまるで話が出来ない。

 

 絵を描くのは下手だけど、色を組み合わせるのは好きだ。何度か絵を描こうと思ったこともあったけど、結局自分の表現したい色と言うのは頭の中にしか存在しないっていうことに気が付いて、それを何とか言語化したほうが気持ちいいのではないかということでこういう文章になっている。思考の手順と、文章を書く作業はまた別の頭の回路を使っている。例えるなら、鮮烈なイメージを作るのが色や触覚の役割で、それをアウトプットするために頭の中の引き出しから必要な言葉を拾っていくのが言語化の過程だ。

 

 そういうわけで小説を書くのとは別に短歌を詠むのも好きなのです。明確な言語化を抜きにして例の色彩と触覚のイメージだけでいろいろ表現できるのは楽しいです。自分の場合、短歌を詠むのに言葉のストックってほとんど使ってないわけです。触覚と感情、あと色となんかキラキラしたものを探してきて組み合わせる作業は言語化のリソースを使わないで出来る楽しさと言うか、そんな感じです。

 

 そういうわけで「短歌で詠んだ鮮烈なイメージを何とか言語化できないか」という試みを密かにやっているのですが、これが結構難しい。そのうち形になったらどっかに出そうとは考えています。今のところ言えるのはこんなところです。

 

強く生きると言われること

 よく「あの人は強い人だったから~」みたいな書かれ方をしているのを見るのですが、意地悪な思考回路をしているので「その強いと言われた人は本当に強かったのかな」と思ってしまうのです。

 

 こういう文脈で出てくる強い人っていうのは、単に逆境でも折れないだけだと思うのです。本当は「もうイヤだ!」と思っていても言わなかったり、単に鈍感なだけだったり、本人の強さというものが観測されなくても「強い」なんて言われてしまう。本人からすれば当然のことでも「あなたは強い人だから乗り越えられたのね」なんて言われると嫌味にしか聞こえない。そういう人は事実をきちんと並べて「~~が出来たのは偉かったね」と言ってもらいたいんじゃないかなぁ。抽象的な表現は便利だけど、裏を返せば「その人のことをよく表す言葉を知らないから何でも当てはまる言葉を使う」ような事態にならないのだろうかと思ってしまう。「その程度で私の何がわかるんだ」と思いながら、そういう人はニコニコ聞いている。何故なら、その不快感を表明しても良いことはひとつもないからだ。

 

 それに、他人のメンタルを「強い」と評価すると相対的に自分のメンタルを「弱い」と認めることになってしまう。自分の欠点を認めたうえでの「弱い」ならわかるのだが、この文脈では「どうせあの人は強いから、自分は弱いから」と分断処理になりがちである。分断されてしまえば「弱い人は何を言っても強い人が勝手に耐えてくれる」と勘違いしてしまう。簡単に言えば、「自称弱い人」の中で「他称強い人」が勝手に神格化されてしまうことはたくさんあるということだ。勝手に神様扱いして、そして理想と違うと「自称弱い人」は「弱い」ことを理由に「他称強い人」を攻撃する。それでも「他称強い人」は何も言わない。何かを言っても他人を変えることはできないから。

 

 だからなるべく「あなたは強い」ということは言わないようにしている。褒めるときは「あなたは〇〇が出来るからスゴイ」「〇〇でも諦めないのはエライ」などと具体的に褒める。お互いを認めるのに装飾された言葉はいらない。相手のメンタルを丸ごと引き受けるのは言葉ではなく、信頼関係だ。

 

 とりあえず、「強い」と言われている人は全然強くなんかない。ただそう見えるだけで心の仕組みは「弱い」と思っている人と何も変わらない。そこを思いやれるかどうかが「強い」と「弱い」の違いだと思っているけど、「まぁ難しいよね~大井っちぃ」という感じです、ハイ。

 

「嫌い」と抑圧

 最近の一連の何だかんだを見ていて、結局すれ違っているのは「嫌いを表明すること」と「嫌いという感情を持たないこと」をごちゃごちゃにしているからだなぁということを思うのです。

 

 正直、嫌いなものを好きになれというのはかなり難しい。いくら正しいことであっても、嫌いなものはどうしようもない。風呂に入るのが嫌いな人に「不潔だから入れ!」と言っても根本的に入浴が好きになる訳ではない。しかし風呂に入らないままでは社会的に問題がある。そこで「妥協できる範囲で風呂に入ってくれ」とお願いするしかない。

 

 ここで大事なのは「風呂嫌いなんていうのがおかしい、気持ち悪い」と風呂嫌いであることを認めないことなんだと思う。「こいつは風呂が嫌いなのは頭がおかしいから、無知だからであり私たちが風呂の素晴らしさを説いてやるのだ」とか「風呂が好きな私たちは風呂嫌いより上の存在なのだ」とか、そういうことを背景にしてはいけない。風呂嫌いには淡々と「風呂が嫌いなのはわかった。だけど風呂に入らないと周囲が迷惑するので迷惑をかけない範囲で入ってくれないか」と言うしかない。そこで「周囲に迷惑をかけたいから風呂に入らない」なんてこじらせている場合は大変なことだと思うけれど、「お願い」をされたら大体は妥協点を見つけてくれると思う。

 

 これはいじめ問題でも当てはまって、「悪いことだからいじめをしてはいけない」とだけ言っていてもいじめはなくならない。まずはいじめ加害者の言葉にならない不快感をどうにかしないかぎり再発したりターゲットが変わるだけだったりと根本的な解決につなげることができない。嫉妬や傲慢といった負の感情を抱えた加害者サイドの感情を探して、その感情をしかりつけて消すのではなく「その感情と向かい合いなさい」と諭すのが理想的ないじめの解決策だと思う。誰にでも多かれ少なかれ嫌な奴を消したいと思う気持ちはある。それに気づかないで行動に移してしまうといじめに発展する。まずは「嫌な奴だ」と思うのは悪いことではないというところから始めたほうがいいのだと思う。

 

 全てのパターンに当てはまる訳ではないが、「嫌い」という感情を抑圧されればされるほど、行動で「嫌い」を表現しようとする気がする。嫌いなものはどうしようもない。それを無理に好きになれと言ったり嫌う人がおかしいと言ったことになると、自己肯定感が低くなって関係ない人に八つ当たりをしたり卑屈な態度をとって人を不快にさせたりする。今問題になっているモラハラの加害者サイドの行動はこういった抑圧の末の行動という感じがする。「~しなければならない」を自分だけでなく他人に拡大して、周囲の人に「私は悪くありません」と繕う。いじめやモラハラの加害者を庇うわけではないが、彼らを罰するだけでなくどうにかして救うことが根本的に被害者の救済にもつながると考えている。

 

 政治的に正しくても抑圧は抑圧であり、汚い本音をなかったことにしてしまえばその歪みはいずれどこかで爆発する。問題のない優等生だった良い子がいきなりキレて加害行動に出ることはよくある話だ。ありのままの姿を見せたら「そんな汚いありのままを見せないで頂戴」と叱られる、なんて笑えない話だよなぁ、ほんと。

 

止まっているのは赤とんぼだけ~短歌の目二期・10月の巻~

 何も考えずに短歌。

 

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tankanome.hateblo.jp

 

題詠5首

1. 渋

 さよならを言ったそばからあふれ出る涙を隠す渋谷の駅ビル

 

2. 容

 透き通るプラスチックの影の中太陽入りの容器飲み干す

 

3. テスト

 笑ったり泣いたり惚れたり焦ったり未だにテストの終わらぬ私

 

4. 新米

 「新米を立てる方法わかります?」パーマをかけたコロンブスに問う

 

5. 野分

 思い出を野分の夜に外に出す 雲と一緒に洋上へ行け

 

空5首

 

 ひんやりと湿った空気を吸い込めば成層圏が降りてくる朝

 

  あの上のもっと上の上の方 鰯の大軍泳いでいるの

 

 命綱切り離す時言い訳が「青い地上で死にたくないから」

 

 青空にとおりゃんせの音こだまして止まっているのは赤とんぼだけ

 

 電灯を宇宙の方へ突き刺して永劫孤独な旅の始まり

 

愛すべき役立たず ~短編小説の集い~

 それは「影」だった。誰でもないし、何でもない。お腹もすかなければ、退屈もしない。だけど誰からも顧みられないし、愛されることもない。かつて蔑まれていたような気もするし、名前で呼ばれて痛めつけられていた記憶も微かにある。それも永遠に続くと思われる孤独に塗りつぶされていく。

(どうして僕は存在するのだろう)

 そんな疑問も意味のないほど、「影」はひとりぼっちだった。その問いに応えてくれるものもなければ、意味がないのにと唾を吐きかけるものもいない。それでも、「影」は思考せずにはいられなかった。

 

 「影」がずっと見つめているものがあった。毎晩一軒ずつ、灯りが部屋に満ちる時間に「影」は家の中に忍び込む。多くの家では夕食の支度をしている。子供のいる家、子供が大きくなってしまった家、子供がいなくなってしまった家、最初から子供がいない家。様々な家があった。「影」はその家の子供が赤ん坊のころからおじいさんになるまでずっと見守っていた。子供が生まれると「影」も喜び、誰かが死ぬと「影」も悲しんだ。誰かが困っていても、「影」にはどうすることもできなかった。それが「影」にとって、一番悲しいことだった。

 

 ある晴れた日、「影」の見守っている家の前にたくさんの段ボールが積み上げられていた。その家の子供が小学校に行くことになったので、赤ん坊の頃の荷物を整理しているのだ。「影」はその荷物のそばまで近寄ると、赤ん坊だったその子が大切にしていた羊のぬいぐるみが置いてあった。
(これを捨ててしまうのか、かわいそうに)
「なんだと、俺たちをなんだと思ってやがる」
 羊のぬいぐるみが話しかけてきた。誰かを話をするのは久しぶりで、「影」はうれしくなった。
(僕の声が聞こえるのかい?)
「ああ、ずっと坊ちゃんを見ていた不吉な影だろう? さっさとあっちに行け」
(でも捨てられてしまう君を見捨ててはいけないよ)
「いいんだよ、俺は俺の役目を全うしたんだ。小学校に俺たちを連れていくわけにはいかないんだよ」
(でも……)
「どうせお前にはどうすることもできないんだ、目障りなんだからあっちへ行け」
 羊のぬいぐるみに追い立てられて、「影」は荷物のそばから逃げ出した。それから物陰に隠れて荷物の様子を見守っていたが、やがてやってきた一台の車が荷物を積んでどこかへ行ってしまった。それからその荷物が戻ってくることはなかった。
(なんて残酷なことだ)
 いつもそうだった。いらなくなったものは次々に捨てられる。玩具はもちろん、長年使っていた椅子や机、流行おくれの服など最近の人たちはすぐに捨てていく。
(まだ役に立つのに)
 その昔、お払い箱になった電気スタンドがゴミ捨て場で「まだ捨てられたくない」と泣いていたのを「影」は知っている。でも、「影」にはどうすることもできなかった。どうにか「役に立つ」ことを証明できないものかと「影」は考えていた。

 

 それから「影」は自分に気づいてくれる人を探してきたが、誰からも必要とされない「影」に気付くものはなかった。ようやく、「影」は誰からも必要とされていない人間を見つけた。それは物乞いの男で、古びたギターを片手に彼はあちこち放浪を続けていた。そして行く先々で彼は誰からも疎まれ、蔑まれていた。「影」はそんな男なら自分の声が聞こえるのではないかと思い、しばらく後をつけていた。

 

 ある冷たい風の吹く夕暮れ時だった。空き缶を前に男は通りに一日座り込んでいたが、今日も缶の中に何かが入ることはなかった。やがて人通りは途絶え、一番星が輝くころに男はやっと腰を上げた。「影」も男と一緒に落胆し、愚痴をもらした。
(こんなに頑張っているのに、かわいそうだ)
「そこにいるのは死神かな」
 不意に男が「影」の声を聴きつけたのか、応答するようなことを言った。
(僕の声が聞こえるのかい?)
「ああ、腹ぺこでとうとうお迎えが来たかな」
 男は「影」の声を死の間際の幻聴か何かだと思っているようだ。
(そうさ、これから腹が減ることも痛みを感じることもない)
「そうか、遂に俺も潮時だぁ」
 男は力なく路上にしゃがみ込んだ。
(そう、でも僕は死神じゃない。死なない『何か』だよ)
「ははは、死なないものなんてあるものか」
(僕は死なない。死なないから苦痛を感じない)
「そんなものになりたいねえ」
(それなら僕になりなよ、僕は君になるから)
「俺なんかになりたいのか」
(当たり前だよ。君はとても魅力的だ)
 なんとか「影」は男と入れ替わりたいと思っていた。「影」がこの運命から解放されるためには、「影」になりたがっている人と交換するしかない。遠い昔、「影」が「影」になったときに教わったことだった。
「いいぜ、俺なんかでよければ」
 男は二つ返事で引き受けた。「影」は心が震えるような気持ちになった。そしてそれが歓喜という感情であることを思い出した。次第に「影」の中に温かな血が巡り、それと同時に吐き気を伴う空腹が襲ってきた。

 

 すっかり「影」と男は入れ替わっていた。

 

(なるほど、俺はこうしてみると随分と醜いな)
 久しぶりの身体を手に入れてひっくり返った「そいつ」を見て、影になった男は言った。
「そうだね、君の身体は随分とひどく傷んでいる」
 痛みとは裏腹に、「そいつ」の心には想像以上の愉快な感情が蘇っていた。
「確かに痛みは感じないけれど、その代わり誰にも相手にされない」
(別に俺はそれで構わない)
 影になっても、男は慌てていなかった。
「いつまで強がっていられるかな……代わりの誰かを見つけるまでずっとそのままでいるんだ」
(別にどうってことない、ありがとな)
 影の気配が「そいつ」の前からすうっと消えて行った。
「馬鹿だなぁ」
 心から「そいつ」は男を馬鹿にした。永遠に孤独でいることの辛さが実感できないほど、男の生活は過酷だったのだろうか。「そいつ」はひとまず痛む腹を抱えて食べ物を探しに歩き出した。

 

 実際、「そいつ」はよく嫌われていた。不潔な身なりで物乞いを続けていたのだから誰からも好かれないのはわかっていた。そこで「そいつ」は何か皆の役に立つことをすればよいのではないかと思い立った。何とかして身なりを多少整え、「そいつ」は唯一の持ち物のギターを片手にいろいろな話をした。たまに拍手をしてお金をくれる人がいると嬉しくて、「そいつ」はたくさん歌を歌った。歌えば歌うほど、とまではいかなかったが多少のお金はもらえた。それで何かを買って食べるのが、「そいつ」は何よりも楽しみだった。

 

 それから「そいつ」はまだ使えるものをゴミ捨て場から拾うことで生活をなんとかしようとした。少しくらい壊れていたり汚れていたとしても、直せば十分使えるものだって多い。形が古くなったからという理由で捨てられているものはそのままでも十分使用できる。歌を歌って心を和ませ、まだ使えるものたちを蘇らせるなんてすてきなことじゃないか、と「そいつ」はとても愉快だった。明らかに嫌そうな顔をされたり追い立てられたこともあったが、誰かに相手をしてもらうことが「そいつ」はこの上なく嬉しかった。蹴とばされてニヤニヤする「そいつ」を見て、人々はますます気味の悪いものを見る目で「そいつ」を見た。

 

 しかし、愉快な気持ちは突然どこかへ行ってしまう。その日も楽しく歌を歌っていた「そいつ」は、やってきた男たちにいきなり殴られた。
「こいつです、最近この辺に居ついたルンペンは」
「ゴミ漁りなんかして、誰の許可で商売なんかしてやがる」
「下手くそな歌歌ってるんじゃねえ、耳障りなんだよ」
 あっという間にボロボロになった「そいつ」を男たちは引っ張っていった。
「僕はただ、誰かの役に立ちたいんです」
 息を切らしながら「そいつ」が何とか言うと、男たちは顔を見合わせて大声で笑った。
「誰かの役に立ちたいだって!」
「なんの役にも立ちやしねえよ」
「ゴミの山に埋もれて言うことがこれかよ」
 うなだれた「そいつ」は改めて自分の座っていた場所を見た。汚いけれどまだ使える袋にひびが入っているけれどまだ使える小物入れ、穴が空いているけれどしっかりしている傘に雑巾に出来そうなぼろきれ。どれもこれも「まだ使える」大切なものだった。

 

 男たちは「役に立ちたいならいくらでも役に立ててやらあ」と「そいつ」に仕事を与えた。「そいつ」を閉じ込めて、朝から晩まで休みなく働かせた。仕事の内容は日によって違ったが、大体は山の中へ連れて行かれて大きな穴をいくつも掘らされた。作業が終わると最低限の食事が与えられ、また部屋に閉じ込められる。それが何の役に立つか何度も尋ねたが、「お前には関係ない」と殴られるだけだった。逃げる気力のなくなった「そいつ」は、ただ出てくる粗末な食事だけを頼りにするようになった。

 

 どのくらいの月日が経ったのか、「そいつ」はわからなかった。とっくの昔に時間の感覚は消え失せ、ただ存在するだけの「そいつ」にはどうでもよいことだった。ただ「そいつ」の見た目はひどくくたびれ、深い皺が顔に刻まれ実際の身体年齢より老けて見えた。常に殴られているためいつもどこかに痣があって、少しの物音にもびくびくして過ごしていた。

 

(よう、俺の声が聞こえるか?)
 すっかり何かを考える気力をなくした「そいつ」の耳に、聞き覚えのある声が届いた。いつか身体を交換した、新しく影になった男だ。
「聞こえる、よ」
 その日も「そいつ」は作業でくたくたになっていた。しかも何かヘマをしたと難癖をつけられて、その日の食事を抜かれてぼんやりとしていたところだ。
(あんたバカだな。頭空っぽのカボチャのほうがずっとマシだ)
「余計なお世話だ」
(お前さんが掘っている穴、何のためのものか知ってるか?)
 痛む頭と腹を抱えて「そいつ」はうずくまった。
「知らないよ、教えてくれないから」
(ありゃ人殺しの証拠隠滅のための穴さ。死体とか凶器を埋めるためのものだ)
 それを聞いても「そいつ」の心は動かなかった。
(それよりも、俺の声が聞こえるということはその生活が嫌になったんだろうな)
 影の言うとおりだった。「そいつ」は元の影に戻りたいと思っていた。
「その通りだ。君にこの身体を返すよ。僕は人間でいる資格がないようだ」
 誰からも顧みられない透明人間のような存在は、まともな感覚を持っていれば耐え難いものだということを「そいつ」はよく知っていた。
(いいや、俺はこのままでいい)
「何だって!?」
 思わぬ返答に「そいつ」は大声を上げた。
(確かにひとりぼっちは寂しいが、だからと言ってお前さんの境遇と交換しようなんて思わないな。それに身体のない生活のほうが俺の性に合っていたみたいだ。このまま俺は世界の終わりまで見届けてやるのさ。誰かの役に立つのなんてゴメンだ、俺は俺の好きなように存在していたいからな)
 影が話している間、「そいつ」は肩をぶるぶると震わせていた。
「そんな馬鹿な話があるか! 誰からも相手にされないことの怖さを知らないんだ!」
(何言ってるんだ? 人間であってもお前は誰からも相手にされていないさ。ただの都合のいい道具に成り下がって、お前は頭の中身が空っぽの人形さ)
「そんなことがあるか! 僕だって、役に立ってるんだ今は使えない奴かもしれないけど頑張っていつか誰かの役に立つようにそのために頑張っているんだ! 僕が役に立たないって!? そんなわけがない! 人間は誰だって役割があって僕だって例外じゃない! あんたと僕は違うんだ!」
 喚いている「そいつ」の元に何人か男たちがやってきた。

 

 男たちは目覚まし時計のように何度も「そいつ」を殴って静かにさせた。
「何ごちゃごちゃ一人で騒いでんだうるせえぞ!」
「遂に本格的に狂っちまったか」
「もうこいつ、使えねえな」
 すっかり動けなくなった「そいつ」を運び出し、男たちは昼間「そいつ」の堀った穴へ叩き落とした。「そいつ」は何か言おうとしたが、歯が何本か折れていて血が口の中へ溜まっていて喋ることができなかった。それから上からどんどん土がかけられていった。やがて「そいつ」の姿は見えなくなり、穴もきれいに塞がれた。男たちが道具を片づけているところまで、影はじっと見ていた。
(あばよ、役立たず)
 その声は誰に聞こえることもなく、暗くなった山の中へ影と共に消えて行った。

 

≪了:4997字≫

 

novelcluster.hatenablog.jp

 

 お待たせしました今月の短編小説です。「実用的な」ということで中身のあるなしについての話です。実はこの話、以前書いた話の完全な続編になっています。元の話を書いたのは2012年ですが、最近「ハロウィン・ホラー短編集」としてリメイクしたものです。この話を読まなくても今回の話はOKですが、前日譚として読むと楽しいと思います。全く愉快な話ではありませんが。

 

「役立たずの影」~ハロウィン・ホラー短編集~|霧夢むぅ|note

 

 こちらの作品はnoteで公開しています。詳しくは以下をご覧ください。

 

note.mu

 

 ちなみに今年もハロウィン作品を書きました。購入は以下の記事からお願いします。

 

note.mu

 

 「今年は和製ハロウィンがいいな」と思いながら構想を考えていたとき、百円ショップで買ってこれるようなハロウィンのモチーフをベタベタと門柱に飾っているお宅を見つけた結果、こんな話が出来上がりました。新興住宅のご近所トラブルやその他もろもろのお話です。例年のお化けが出てくるホラーとは違ったテイストになっていますが、いろんな意味でホラーに仕上がりました。こちらはマガジン購入をしなくてもバラ売りで購入が可能です。ボリュームも普段の倍くらいあるのでよろしければお願いします。何らかの反応があると非常にやる気が出ます。よろしくお願いします。

 

 

みちか問題から始まる雑感

 みちか問題について考えていたら全く別のことを考えていたので、この記事は「あの絵は猥褻ジャッジ」ではありません。

 

 結局のところ「何がエロで何がエロじゃない」って言われたら「個人の主観以外ジャッジできないよね」っていうところでしかないし、そうでないとケモナーもドラゴンカーセックス*1も存在しない世界になってしまう。十人十色だし、人の数だけエロもある。「おっぱいはいいよね」という人もいれば「男女問わず鎖骨はロマン!」という人もいるし、「ハイソックスを履いた跡のギザギザしたところがいい!」という人もいる。だから例えば清涼飲料水のCMあたりで靴下を女の子が下しただけで「俺にとってはエロいけしからん」のクレームが来る可能性もある。いや、靴下を脱ぐ行為はけしからんかもしれない。

 

 だから「これはエロいからダメなんです!」という論点だと「俺はエロいと思わない」で終わってしまう。皆が幸せになる問題提起をするなら「私はこれが苦手です」をマイルドに言うことなんじゃないかと思う。正直、みちか問題は問題提起の仕方ひとつで衝突は大いに避けられた可能性がある気がしてならない。全体的なノリとして「みちか、スカート微調整したってよ」「やっぱりエロすぎたかw」みたいな結末もあったと思うので、どうしてここまでこじれてるかが気になるわけで。

 

 ひとつは、「何かを表明する」がネット上ではものすごく難しいことであるという点があると思う。「私はこれが嫌い」と言えば「嫌いだなんてけしからん!」という意見が大体つく。逆に「私はこれが好き」と言っても「こんなものが好きなんて程度が低い」と言われてしまう。結局沈黙だけがストレスのない世界になり、誰も何も言わなくなる。何かを言い続ける人は己が正義だと信じて疑わない人だけになって、泥沼の戦争状態になっていく。

 

 もうひとつが、他人の好きなものを許容するということが意外と難しいことなんじゃないかということで、「けしからん、こんなものを好きな奴はけしからん」と言う人は「自分の中の好きなもの」に巡り合っていないだけという人も結構いるんじゃないかと思う。これはいじめ問題と同じで、オタクが叩かれるのは「好きなものがあるから」という軽い嫉妬のようなものもあるんじゃないかなぁと思う。好きなものがある人はそれだけで充実している。だから「何かを好き」という感覚を共有できないという意味で「気持ち悪い」「生理的に無理」ワードで理解したつもりになる。「理解できない」ということを理解したつもりになっている、みたいな。うーんよくわからないので誰か代わりにまとめてほしい。

 

 あと今回の問題で「公共とは何か」って思った。自分の嫌いな絵柄がポスターにされていても受け入れられるか不快であることを表明してもよいのか、っていう問題。これはネットの普及で誰でもたくさんの人に愚痴をこぼせるようになったから見えてきた問題で、今までも「あのポスター嫌よね」と思うことはあったと思う。でも「私もあのポスター嫌い」「なんだみんな嫌いなのに飾ってあるのはおかしいわね」みたいになってしまう。公共の場で過激な表現はどこまで許されるのか、そして公共とはどこまでが公共なのかという問題について多くの人が考えなければいけないと思う。

 

 例えばちょっと前に「コントロールベア」というキャラクターが人気になったことがあった。自分で自分の首を持っているブラックな出で立ちが人気になって、様々なグッズが作られてサンリオともコラボしていた。個人的にはこういうブラックなキャラクターは大好きだし、コントロールベアのUFOキャッチャーで捕ったトートバックをくたくたになるまで使っていた。だけど、やっぱり何も知らない人が見たらギョッとするだろうし、これを小学生の女の子が「かわいー」って集めてたらちょっと心配になる。「確かにかわいいけど、やめろ!」と思う。小学生はすみっこぐらしでいいんだよ。

 

コントロールベア/ブラウン(S)

コントロールベア/ブラウン(S)

 

 

 同様にグルーミーハッピーツリーフレンズも個人的には好きだけど、グルーミーあたりはグッズでも流血をモロに出してくるし、あまりメジャーな場所に大腕を振って出てきてほしくないと思っている。ポップな雰囲気が好きなのでこういうキャラクターはグロ要素がなくても大好きなんだけど、ポップとグロを組み合わせているのでやっぱり一般向けでないよなぁと思う。ハピツリに関しては、どうなんだろうなぁ……結構女子高生あたりがハピツリのラバーストラップつけてたりするんだけど、みんなアレを見てるのかなぁ。日本始まったな。

 

NO CONTROL GRIZZLISM ノー コントロール グリズリズム

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HAPPY TREE FRIENDS DVD BOOK ~みんな大流血★編~ (宝島社DVD BOOKシリーズ)

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参考資料:HTF (はっぴーつりーふれんず)とは【ピクシブ百科事典】

 

 でも「これがいいよね!」とわかってくれるひとだけで楽しめたら最高だし、それが一番幸せなのではないかと思っている。自分はグロもある程度なら平気だしギャグとして描かれるグロは好きだ。だけどいくらポップにしたところでグロはグロだし、街中に客引きとして「欠損ガール」とかやって来られても嫌な気分になる。そういうのはアングラな掲示板とかそういう場所で見るから良いのであって、駅前でカジュアルにグロを振りまいてもよくないと思う。カジュアルなグロってなんだ。多分自分が最近のハロウィンの風潮が好きじゃないのもそういうところなんだろうなと思ってる。ホラーやグロがポップというより中途半端なカジュアルになって受け入れられてる気がする。いや、違うんだよ何かが足りないでしょみたいに思っても「世間で流行ってますよー」みたいな顔して浸透していく感じがなんかイヤだ。

 

 萌え絵に関しても似たようなことを思ってる。萌え絵そのものがよくないとは思わないけれど、「萌え絵を使っておけばいいだろう」みたいな適当な広報には何だか違和感ある。観光地でたまにある「絵だけは萌え狙いで説明文は気合入ってない」みたいな、アレ。中学とか高校の文化祭のパンフレットの表紙が漫画のキャラクター(比較的絵がうまいということで無理矢理採用された系)みたいな、そんなざわざわを感じる。「これが何年も残るんだぞ、本人の今後のことを考えたら全力でやめてさしあげろ!」という、アレです。萌え絵自体を否定するわけではなく、絵だけが非常に浮いていて場所にマッチしていないのがイヤなんだと思う。

 

 エロに関してもグロに関しても、やっぱり「場」というものがあるのかなと思う。今回のみちかもグルーミーのぬいぐるみがUFOキャッチャーになってるくらいの公開度合いだっただろうし、それでも嫌な人は嫌だろうなと思う。

 

 結局一番の原因って「情報過多」じゃあないのかなあと思う。必要な情報を取捨選択する前にどんどん新しい情報が入ってきて処理しきれなくて「この情報と自分は関係ない」って思う暇がなくて全て「自分事」として考えるのがこの手の騒動でよく見られるパターンかなと思う。「自分の見える範囲=社会」だと思っているからそうではない社会全部まで否定する。なんつーか、この辺の切り分けが出来ないといつまで経っても不幸なままなんだけど誰も切り分ける気ないよなって思う。切り分けるのすごく疲れるから。それならネットなんかやらないほうが幸せなんだろうな。人類にネットは早すぎたんだよ。

 

*1:良い子は自分で検索しよう。

わたしとはてな匿名ダイアリー

 最近増田漁りしている身としてマジ質問しているid:akihiko810さんにマジレスしてみる。なお本文中の「増田」とは「はてな匿名ダイアリー」を指し、「はてな匿名ダイアリー」そのものや「書き込んだ人」という広い意味があります。

 

ブックマーカーとして認められること

ブクマーにマジ質問。増田ウォッチしてる人って、ゴミ溜めの中から原石みつけるような徒労やってるんでしょ?他にすることないの?虚しくないの? まぁおかげで増田大喜利できるからそれなりに感謝してるけど

2016/10/09 02:44

b.hatena.ne.jp

 

ゴミ溜めの中から原石みつけるような徒労ですか?

 おそらく考え方の違いなのですが「ゴミ溜めを漁るのが大変」と「原石を見つけて嬉しい」のどちらに重きを置くかというところなので、それは人それぞれとしかいいようがありません。「子供はかわいい」と子育てしている人に「子供なんて苦労ばかりで徒労じゃないの」と聞いているようなものです。炎上しますね。

 

 もちろん「くだらねえ」と思う記事の方が多いのですが、1getした記事が伸びたときのしてやったりという気持ちはなかなかいいもので、そのために増田を見ているのは「徒労」とは思いません。

 

 他にすることないの?虚しくないの?

 増田を見ていて「虚しい」と思ったことはないですね。良くても悪くても増田に書き込まれる内容はダイレクトな人間の気持ちですので非常に楽しいです。またどんな人が書いても同じフォーマットであるため、画像や改行で誤魔化すことがないので純粋に文章や言葉の響きを楽しむことが出来ます。

 

 あと基本的に増田漁りをしているときは時間が空いた時かイライラしている時のストレス解消です。「他にすることないの?」というのは暗に「そんなことに価値はない」と決めつけているようで非常に失礼な言い回しなので日常生活で使用されることは慎んだ方がよろしいかと思います。「深夜アニメのレビューを一生懸命書いてるけど、ほかにすることないの?」と聞いたら大炎上ですね。

 

それなりに感謝している

 うーん、感謝されるためにブクマしているわけじゃないのでよくわからないですごめんなさい。

 

 マジレスは以上です。以下は増田ウォッチ環境などについてメモしておきます。

 

増田ウォッチを始めた理由など

 今年ではてな匿名ダイアリーは10周年だそうだけど、自分の増田の原体験は「頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。」だ。

 

anond.hatelabo.jp

 

 それで「ああ増田ってすごいなぁ」と思って、それからちょいちょい覗いたりホッテントリしたのブクマったりをポチポチやっていて、気が付いたらハマっていたわけです。増田漁業組合が釣果の報告をしていた頃は楽しかったですね。

 

 本格的に増田漁りを始めたのは「コンパクトな増田」を導入してからです。スパムさんを気にすることがないので非常に便利です。

 

コンパクトな増田 - Chrome ウェブストア

 

  そもそもなんで増田漁りをするようになったかというと、別に大喜利をするためでも承認欲求でもなくて、単に自分にピンとくる言葉を見つけたいからなんです。「これは伸びる」と思う時もありますが、大体は「クスっときた」「ぞわぞわする」という基準でブクマをつけます。特に「ぞわぞわする」ものには専用タグをつけて、後で見返してぞわぞわを思い出します。

 

 そういうわけであまりメジャーにならなかったけど個人的にぞわぞわする増田をいくつか挙げておきます。こういう文章が好きなんです。でもこういうのは最近個人のブログでは見られなくなってきまして、個人が全面に出るとどうしても「キャラ」を見てしまいます。こういうのがポンポンと匿名で出てくる増田は素敵です。

 

anond.hatelabo.jp

 

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 個人的に「らくだに」がめちゃくちゃ好きなんですが、共感が得られないと思うので別に共感しなくてもいいです。一応「TwitterでURLを拡散させる楽な方法」みたいな理由ではてブを使い始めたので「これは人に見せたいな」と思うものを中心に昔はブクマしていましたが、最近は個人的な趣味でどんどんぞわぞわするものをストックしておく場所に変わってきました。だからといって何でもないのですが、ただの自己満足です。逆に1userどまりのブクマが増えるのも「こいつの価値がわかる奴は他にいないのだ」とよくわからん優越感があったりします。

 

 大喜利も楽しいですが、最近はそんなとんがった記事がたくさん読めるのが増田のよいところだと思っています。デトックスや昇給、京都のゴミ大学は他にストックしている人がいると思うので積極的にブクマしていません。あと書き込みはほぼやってません。増田でやるならこっちでやりたい人です。

 

 最後にもし増田ウォッチャーとして「わたしと増田の付き合い方」というポエムを他にも書いてもらえる人がいるなら、以下のお題をつけてもらえるとすっごくありがたいです。埋もれてるオススメ増田とかそういうのあったら教えてほしいし、「増田のこういう面が好きだぞ!」って熱く語ってほしい。

 

お題「わたしとはてな匿名ダイアリー」

 

 あとはスパムがなんとかなればよくなるんだ。ハイクも何とかなったから、増田もなんとかならないのかなぁ。ねぇ。