自分というものがよくわからない
そう簡単にわかってたまるかよ、と思いつつわからないといけないんだろうなとも思っている。
自分が何なのかわかっている人はきっと自分のことがよくわかっていて、自分を宥める力があることでその範囲で出来ることをしっかり出来るのかなと思う。限界を知る人は強い。だけど、限界の外を見ることは出来ない。それはそれで不幸なのではないか。
自分がよくわからない人はある意味で自由だ。自分を規定しないで自分に囚われず、キャラ付けもブランディングもしないであるがままであることを恐れない。そんなものに価値を置いていないから。ただそういう人は他人からの評価が恐ろしく低い。分かりにくい人間は付き合いにくい。自由の代償は無理解に繋がる。
厄介なのは自分が何者か規定したがっている人なんじゃないかなと思う。新興宗教や自然派、陰謀論にマルチ商法はそういう人の隙間に付け込んでくる。あなたはこういう人になるべき、こういう人が世間に必要とされている、こういうのが偉いんですよ、他とは違うんです……その先にあるのが搾取である。言い方を帰れば飯の種。「生き方」の提示が金儲けになる時代。
そんなことを「SDGs特番」なるものを見る度に思う。やってる方は悪気ないし、話のネタとしているだけだと思うけど、それを居場所にしてしまうのは何となく危ういのでは、という気がしている。できれば居場所は複数あった方がいいと思うよ……。