あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

暴力と洗脳

※特段の主張やオチはありません※

 

よく「私たちは暴力についてもっと知るべき」と言うけど、それは「暴力の忌避では暴力を防げない」と思っているからなんだよね。過去に「話せばわかる!」と言ってわからせられなかったこともあるし、一度暴力が始まると話し合いとか本当に無理だと思う。

 

だから暴力が発動する前に暴力に繋がらないことをするのが大切なんだけど、これが本当に難しい。暴力にもいろんな種類がある。こうすれば絶対防げるというものはない。ごめんで済んだら警察はいらない。

 

ただひとつだけ言えるのは「暴力をやめよう」という声掛けは抑止力のクソの役にも立たないよなということ。何だかよくわからないけどイライラして誰かを殴ってる人に「暴力はよくないよ!」と言っても余計イライラさせるだけだ。この場合イライラの原因を取り除くことが根本的解決であり、「暴力はよくないよ!」と声をかけることではない。むしろ逆効果なんじゃないかと思う。何故イライラするのか、何故支配したがるのか、何故他人を痛めつけたいと思うほど恨みを募らせるのか。そこらへんのひとつの表現が「暴力」であるだけ。こう言うと暴力を肯定しているように見えるけど、本来暴力は手段であり肯定も否定もするようなものでは無いと思う。暴力の結果がよくないものであるので私たちは暴力を排除したがる。しかし暴力のみを排除しても暴力の種である根本的原因が残っているのではまるで意味が無い。

 

話は変わるが、昔「死ね」が口癖だった人がいた。しばらくその人の下についていたので自然とその人の考え方で動くようになっていたが、別の人に「お前あんなろくでもないものと一緒になるな」と言われて「そう言われるとそうかも」と一線を引くようにしたところ、「うわ、かなりひどいかもしれない」と思って、完全に離れた現在では「今まで出会ってきた人の中でも最悪の部類のメンタリティだった」と思う。一例を出すのも胸糞過ぎるのでどんなことがあったかは想像してもらうとして、当時の状況としては軽い洗脳のような状態になっていたと思う。仲間内でも「死ね」というのが当たり前になっていたし、外部から「お前らきしょいわ」と言われても仲間内で「そんなこと言うほうがおかしい」と思っていた。今思うと致し方ない部分もあったけど、未熟な自分を仲間に引き入れようと無意識に圧をかけていたような気もする。その後似たような展開に数度遭遇した*1ので、新しい組織に所属するときはまず「自分を取り込もうとするかしないか」で判断するようにしている。これはある程度経験しないと見極めるのが難しい。組織ぐるみでやってくればカルトだし、個人でやってきたならモラハラになる。

 

そして暴力の話に戻るけど、洗脳してくるほうは何も「イッヒッヒ金をむしり取ってやろう」と思って近づいてこない。大体は真面目に「僕たちと一緒になって自分の頭で世界を良くしよう!」と来るわけ。だから親身になればなるほどどんどんハマっていく。

 

人助けに理由はいらないけど、人助けをしない理由もあったりする。「人助けだと思って一緒に来てくれないか」「一緒にいるだけでいいから」「なんだよ冷たい野郎だな」「お前みたいな奴なんか地獄に落ちろ!」となってからでは結構抜け出すのは難しいと思う。そこで激しい叱責に耐えられなければカルトに吸収される道に落ちる。「一度話を聞くと言ったのに無視する私は冷たい奴なんだ」と自分を責めるのか「うえー二度と近づかないでおこうエンガチョエンガチョ」と思えるのか、間違いなくカルトは前者を狙ってくる。というか、多分後者には最初から期待していないし、どこかで「こいつないな」と判断したらそのまま違うカモを探しに行くのかもしれない。つまりこういう奴対策として後者のメンタリティと変な人に関する知識と心構えが大事なんだと思うけど、そればかりは多少の経験というある程度のワクチンみたいなのが必要だと思う。

 

つまり思うことをガーッと書いてきたけど、大筋では「なんか変な奴に対する知識を持とう」くらいの話をしている。その上で変な奴を救うのか、変な奴から逃げるのか、大前提として変な奴をどう見分けるのか、という話になってくると思う。そもそも「変な奴」という呼称もよくないが、各々に名前をつけるとそれはそれで大変なのでとりあえず「変な奴」としておく。

 

「変な奴」は経験上悪気があった試しはない。上で書いた「死ねが口癖の人」をはじめ、何かとマウント取ったり過度に取り込もうとしたりするような人は大抵「自分は被害者」というスタンスであった。そして二言目には「私は可哀想だから私の味方になれ」と言ってくる。そこで「いやぁ可哀想ですねえ」となると際限なく心のスキマに入ってくる。多分正解は「マジっすかー大変っすねーおならプップー」なんだろうなと思う。おならプップーの部分は結構大事で、「私はあなたのことを屁とも思ってませんよ」という態度は重要だと思う。態度で示すのに有効なのは、やはり他者の存在だと思う。「家族や恋人がいるので~」と場を切り上げたり「推しの番組が始まるから~」と「取り入ってくる人」以外の存在を出すと撃退できる気がしている。そう考えると孤独な人に付け入るというのは正しいのかもしれない。推しは世界を救うのである。

 

この手の支配も暴力のひとつだと思うのでここまでつらつら書いてきたけど、最初に書いたとおり「だから何だ」という話ではない。ただここ数日思っていたことを書き出してみた。総合すると「我々はもっと暴力について知るべき」なんだと思う。戦争について知らなきゃ戦争なんかなくならないし。ラブアンドピース。おわり。

 

*1:かなりキツいものもあったし、必ずドン引きする話として鉄板のものもある。絶対レベルで不快になるだけなので聞かないほうが幸せ。