あのにますトライバル

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Twitterでよく見る「長文失礼しました」についての考察

きっかけはこんな増田でした。

 

anond.hatelabo.jp


そんなわけで「どれどれ」とTwitterで検索してみたら、はてなに対する悪意は見られなかったけれど、代わりにびっくりしたことがあるので書いていきます。


「長文失礼」という言葉

Twitterで「長文」を検索すると、本来の意味で使われている「長文」とは別に「長文失礼しました」という言い回しが多数ヒットしました。そもそもTwitterとは短文で投稿できるからヒットしたものなのに、長文とはこれ如何にということで傾向を探ってみました。

 

ちなみにこのブログ書いている人の考えていた「長文」は読みやすい構成のもので大体5000字くらいからです。個人的には1000字でも短いと感じています。ダラダラとしたものなら文字数が少なくても長いと感じるかもしれないです。ここで皆さんの「長文」とは何文字くらいからを指すのか考えてから先に進むと味わいが深くなります。

 

使用例をスクショしようとしましたが、なかなか説明するのにジャストな使用例を探すのが難しかったのと、スクショしてアイコン部分塗ったりしたら本当に何だかわからない画像になったので止めました。そういうわけで「長文失礼」というワードで実際にTwitterで検索してみてください。たくさんヒットします。


傾向

連投の終わりに機械的に付ける

3~4ツイートくらいの連投の最後に付けるパターン。文量にして5~6文。文字数だと140×4だとし最大560字くらいか。500字で長文とは如何に。

 

リプライの終わりに機械的に付ける

これが一番多く見られました。特に何度かやり取りして最後に「長文失礼しました」で締める形になっている。対話なのに長文とは如何に。また、「初リプします、大好きですこれからもよろしくお願いします、よかったらフォロバ&DMでお願いします。長文になってすみません」というものもよく見られる。長文とは一体何なんだ。


メモアプリでスクショした文章に付ける

以前から見受けられた例。いわゆる「長文スクショ」。訴えたいことをメモアプリで書き出し、それをスクリーンショットで画像にしてツイートに貼るというもの。性質として注意喚起(のようなもの)が多く、またスカッと創作*1の温床でもあり、とにかく荒れやすい。


とりあえず付ける

ワンツイートで「愛しの〇〇マジ癒される~明日も頑張ろうって思える~!長文失礼しましたw」という感じで付いているものも結構見受けられた。これだけでは何が長文なのかわからない。

 

冒頭に付けちゃう

「長文失礼します、~についてですが~」という感じでリプライを飛ばしたり、「長文失礼。どうしても語りたくて~」など予告をして連投(と言っても3~4ツイート)するパターン。もはや何なのかよくわからない。

 

考察

一連の使われ方の中で長文スクショ以外は数百字(時には100字未満も!)程度の文章量であるにも関わらず、「長文」と言われている。これは流石に「今どきの若いモンは100字も長いというのかけしからん!」とかいう問題じゃないと思った。

 

プロフィールなどをさっと見ると中高生が目立つ。中には子持ちの主婦や自称おっさんなどもいたけれど、圧倒的に中高生っぽいアカウントが多かった。そしてこの時期特有なのか、「長文失礼」と一緒に「文化祭」「体育祭」「試験」というワードも散見された。あとはアカウントの傾向として「オタク趣味を中心にしたアカウント」が多い気がする。日常をツイートするようなアカウントよりも漫画やアニメ、舞台やアイドルの話題を呟くアカウントが「長文失礼しました」と言いやすい傾向にある。

 

以下、いくつかの仮説で区切って考えていきます。

 

本当に長いと思ってる説

最近は「りょ」「ま」「それな」で通じる世界。たかだか数百字でも長文と認識する層もあるのではないか。しかし、これでは元も子もないので別の視点から考えてみる。


「長文=長い文」ではない説

やはりここで使用されている例では明らかに長い文とは呼べない。そうすると「長文」という言葉に別の意味が生まれていると推測できる。


「お目汚し失礼しました」説

「長文失礼」の部分に既存の日本語を当てはめるとすると、一番相応しいのが「お目汚し失礼しました」くらいかなぁと。要は自分の意見を言うのにへりくだっているのだろう。リプライにつけているものはそんな意味が付与されている気がする。何故それが「長文」なのかは次の仮説を立てる。


私の気持ちはみんな長文説

「長文失礼」ツイートを辿っていくと「長文失礼」の付いているツイートは「私が感じた好きなものに対しての感動」について述べているものが多いことに気がつきまして。

 

例)唐突だけど〇〇(アイドルやキャラの名前)が好きすぎてしんどい。(以下萌え語り数文)長文失礼しました。

 

少し前なら「萌え語り」として処理されていた類のものが多い。他にも愚痴やとりとめのないことでも「長文失礼」としている。ここで不思議なのは「元々Twitterなど自分語りをするためにあるのに、誰が読んでいるかわからないものにわざわざ断り書きを入れる必要があるのか」ということ。そこで次の仮説が立ち上がる。


誰かに読んでもらうものはみんな長文説

この説が一番有力なところだと思っている。特に交流目的でTwitterを使っているような人達にとって萌え語りや私生活の愚痴などはノイズでしかない。

 

しばしばTwitterでは「(アカウントの趣旨と)関係ない話は裏垢でやれ」「フォロワーさんの私生活気になるからどんどん呟こう」「絵師だと思ってたのに関係ないツイートばかりなのでブロックしました」みたいな話が話がよく出てくる。そんで「最近思ってることを漫画にしてみました」と代理の推しキャラが喋る漫画がバズって宣伝してアンチが湧いて直接リプライ飛ばしたわけじゃないのにフォロワーさんが「誰とは言わないけど人の悪口を言うのは最低です」とかグダグダになってみんな疑心暗鬼になって結局鍵垢になって新しいアカウントを作って「前の垢ではいろいろあったから~」と武勇伝みたいになる。それは自然の理のようです。


そういうわけで最近の若い子の使うTwitterは極めて面倒くさい。ずっとTwitter使っている人やある程度ネット経験のある方なら「あーデボン紀からよくある奴ねー」となるけど、これからSNSに触れていこうっていう若い世代には恐ろしく見えているのかもしれない。

 

だから最初から予防線を張る。その予防線こそが「長文失礼しました」なのではないだろうか。「あなたが喜ぶべき文章を書かずに私の個人的な文章など読ませてすみません」という意味がある気がする。

 

実際、好き勝手ブログ書いていても「こんなブログ読んで損した」みたいな反応がしばしばある。反応した人は「俺がそう思ったから書いたんだ、それの何が悪い」と思っていると思うし、実際それに悪いことは特にない。しかし、受け手からすると仕方ないこととはいえ、気分がいいものではない。だから最近は冒頭に「人によっては面白くないかもしれません」「有益なことは書いてありません」「だから読んでつまらないと思っても苦情は一切受け付けない」というような文言を入れている。

 

そんなことの縮小版が「長文失礼しました」に詰まっているのだろう。リプライの最後に付けるのも単に「失礼しました」では済まない感情がそこに上乗せされているからかもしれない。


何かの挨拶だと思ってる説

流石に100字以下のワンツイートで「長文失礼しました」というのはもしかしたら何も考えずに定型文を機械的に挿入しているのではと考える。同義に「ここまで読んでくださりありがとうございます」「面白かったら拡散お願いします」「こちらからは以上です」などがある。

 

まとめ

調べていくうちに「ネットが個人の思考を拡張しているのか縮小しているのかわかんなくなってきたな」と思いました。個人の思考を拡散しているのか、それともネットで自然発生した考え方を個人の思考と錯覚しているのか。

 

今回はこんなところでまとめるけど、同じ文字数や同じような内容でも「長文失礼」が付かないときもあるし、「長文はワンツイート分」とするツイートも見かけたので引き続き観測は続けていきたいです。

 

ちなみにこの記事はメモアプリ換算でだいたい3500字前後です。Twitter基準で考えると大体25ツイートです。長いですね。おしまい。

*1:嘘松という概念を少しフォーマルな言い方にするとこんな感じだろうか。