あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

「正しくない」親とかいろいろ思うこと

 最近親子関係のお話が話題になりやすいので思ったことを少しだけ。

 

【加害者を罰するだけでは解決しない】

 まずこの文章を書く人の立場を明確にしておくと、いじめも機能不全家庭の問題も、罰するのではなく加害者側の適切なケアをすることで再発防止を図ることがよいと考えている。ただ庇うのではなく、「なぜいじめをしたのか」「どうしてイライラしてしまうのか」「どうすれば八つ当たりをせずに済むか」など自己肯定感を育むような感情に誘導し、「私は悪いことをしたからもうしないようにしよう」と自覚させるように促すのが最高の解決じゃないのかと。

 

 罰することの何が良くないかと言うと、自覚があって悪いことをしている人ならば罰を与えればいいかもしれないけれど、こういった加害者は自覚がない場合が多い。特に機能不全家庭では「何が良くて何が悪いか」という価値観が逆転していることが多い。だからこそ「良かれ」と思ってやったことが裏目に出て、問題が更にこじれていく。子供も余所で「良かれ」と思ってやったことが世間では歓迎されないことで驚き、そこから人間関係の軋轢、ひいてはいじめに発展することもしばしばだ。

 

 そういうわけでいじめの問題を解決したかったら加害者側の家庭環境に注目しようよということはずっと言ってきているけど、どうしても「加害者に制裁を」という方向ばかりが過熱しがちなのが残念なところだ。

 

いじめがあればすぐ警察へ通報すれば解決という風潮

基本的にいじめ不登校など子供のトラブルは家庭のトラブルに直結してるので、即警察は確かに危険。できれば学問主体の学校より福祉側の児童相談所あたりが仕事するところだけど対応できるキャパがないのが残念。

2017/02/15 16:51

 

 「我が子が殴られた!診断書とって警察だ!」と意気込んだのはいいけれど、殴った友達に話を聞くと我が子が他人に殴る以上の何らかの嫌がらせをして忠告をしても止めなかったため仕方なかったという話かもしれない。もちろん子供の喧嘩のためまずは双方の話をしっかり聞いて事実関係を明らかにすることが大切だ。その上で金銭を要求など悪質なものは警察に相談でもいいと思う。

 

 ただ、加害者がみんな根っこからの悪人で断罪されるべきなのかと言うとそうでもないと思ってる。特に子供は親の育て方で人生がガラリと変わる。弁護士の子供は弁護士の気質を、泥棒の子供は泥棒の気質を備えるようになるわけで、ただ子供を罰して終わると言うものではない。もちろん発達障害や盗癖など子供を起因としたトラブルの場合はケースバイケースになるしかないけれど、この場合根絶するべきはその根っこの家庭の気質で、表面だけ反省した態度をとられても何の意味もない。

 

 こう書くと「加害者を庇うとは何事か」という意見がありそうだけど、庇うわけではない。被害者のケアはそれとは別に行わなくてはいけないし、何らかの落とし前がなければ被害者も前に進みにくい。ただ、それで加害者が「何故よくなかったのか」を気付けなければ全く意味がないというわけだ。家でいつも叩かれている子が学校で友達を叩いたからといって、誰がその子だけを責めることが出来るんだろう。

 

 ちなみに不登校の原因はいじめよりも小学生の場合、「家庭の問題」が6割です。それに次いで「友人関係」「学業不振」です。「友人関係」にいじめが入る可能性もあるけれど、たとえば客観的にいじめとは認められない喧嘩をして気まずくなり、それからズルズルと休む子もいる。また後ろめたさから勝手に恐怖を感じて教室に入れない子もいる。この辺非常に難しいのです。

 

平成27年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」結果(速報値)について

不登校の要因の統計が面白い。不登校の主な要因はいじめではなく「家庭の問題」「学業不振」「いじめではない友人関係」。特に小学生は家庭問題が6割近い。

2017/02/13 10:54

 

【保護者のケアは誰がする】

あなたは「正しい親」をイメージできますか - シロクマの屑籠

正しい正しくないではなくいろんな意味で困った人なんだと思う。旦那と不仲だったり完璧主義すぎたりする母親を支援するカウンセリングみたいなの必要だと思ってるけど、どうやったら介入できるのか検討がつかない。

2017/02/16 13:23

 

 そういうわけで、「正しくない親」というか「困った親」を誰が面倒見るのかという課題が見えてくる。例えばすぐに子供を殴る蹴る、食事を与えない、清潔にしないなど。後半の場合家庭が貧困であることも考えてのケアが必要で、金銭的に厳しいのか親の自覚がないままそういう状態になっているのかの見極めが大事になる。

 

www.huffingtonpost.jp

 

 現状ではそういう「親のケア」も学校に求められている気がする。自治体の教育相談などもあるのだけれど、やはり気軽に声をかけやすいのが小中学校なのだろう。もう学校に地域の福祉施設入れちゃいなよ! と思わないでもない。

 

 理想を言えばこういう「困った親」はお隣さんなど地域で面倒を見たり、気軽に相談できる施設が自治体にひとつくらいあればいいのではないかと思ってる。ただ現状で「お腹を空かせているというのでおやつをあげたら毎食集るようになってきた」などトラブルの元になりやすいのでこの辺の介入は個人では非常に難しい。「こども食堂」などの取り組みもあるけれど、まだまだメジャーではないし絶対的に数が少ないし、何より個人の資質に頼った運営で公的なものではない。つまり「誰でも」には程遠い状態なのだ。それに「誰でも来ていい子ども食堂に着ていく服がない」という家庭はゴマンとあるだろう。

 

www.catlani.com

 

 そんなことを考える一方で別のベクトルで「困った親」が登場するのが上記の記事です。これを踏まえて最後まで読むと非常に辛くなります。「倫太郎君よかったね」にはならない。逆に倫太郎君は「家の価値観ではない価値観」に中途半端にぶつかって辛くなったかもしれない。だからこそ、その辺の空気を感じていた著者は「現在壊れていないか」と倫太郎君の心配をしている。これは「よかったよかった」という感動の話ではない。

 

 倫太郎君の家庭での様子はわからない。英会話スクールでは他人を舐めた行動をとり続けた彼が最終回になって急に真人間になったところでドラマであれば「講師、親の愛が通じた」となるんだろうけど、残念ながらこれはおそらく実話なのだ。わかるのは倫太郎君が奇行をとらなくなったということだけだ。彼の仮面が剥がれたのかどうかは読者からはわからない。奇行が止んだのは成長したからという可能性もある。彼が最終回で根本的に変わったかどうかはこの話からはよくわからない。

 

 もちろん他人の家庭に口を出すことはできないが、倫太郎君がこのままでは母子関係によってあまりよくない方向に行くだろうということは賢明な人ならば察することが出来る。しかし、それを彼の母親に告げることはできない。何故なら倫太郎君のお母さんは倫太郎君のためを思って英会話スクールに通わせていると言うのは間違いのない事であるから。その愛情を否定することはできない。

 

 しかし愛情にもいろいろあって、倫太郎君はあまり良質の愛情に触れているとは思えない。特に「鉛筆を落としてもいいか」など他人を試すようなことを言うのは非常にまずい。そして描写通りの奇行を繰り返していることに全く気が付かない保護者たちが怖い。

 

「今日は英会話でゲームしたんだって? 楽しかった?」

「うん! バトルカードも交換したんだよ!」

「バトルカード?」

 

 そんな会話を家でしないのだろうか。会話らしい会話があれば教室の異常状態を察することのできる人が一人くらいいそうなのだけれど、それがないということは「家庭での会話がない」「子どもが家族に嘘をついている」という状態になっているのだろう。うーん、しんどい。

 

 おそらく、こういった保護者は子どもとの距離感がないかあるいは人間関係を築くのを放棄している可能性がある。言い方が悪いけれど教育をソシャゲの経験値を積む感覚で習い事をさせているくらいのご家庭もある。もちろん子供が「やってみたい!」と言って生き生きとやっているのはいいとして、子供の意志に関係なくアレコレとお稽古事をさせている保護者がいたら周囲の人は親御さんの様子を気にしてあげて欲しい。子どもが能面のような顔でお稽古や塾に通っていたらもっと危ない。

 

 この時支援が必要なのは能面子供より、おそらく保護者の自意識なのだろう。「誰さんとこの子供に負けたくない」「(自分の)親の期待に応えなきゃ」で自縄自縛に陥っていたり、家庭内の雰囲気が悪いことから逃避するために「習い事に通わせる忙しいママ」を演出したりと子どもをダシにした発散行為をしている場合、誰かが止めないと子供がつぶれるか理想通りに行かないためにママが発狂するかまで追い詰められる事態になる。漫画に登場するサラちゃんもかなり心配だ。パパに人格否定されていないだろうか。

 

 過剰なお稽古事の数はひとつのSOSだと思う。子どもと向き合いたいけど怖い、子供から逃げたいから余所に預ける、子育てに失敗しても自分の責任にならないから外注してしまう……そんな保護者をケアをする仕組みがあれば子供もこんなに辛い思いをしないで済むんじゃないかと思うのですが、「大人の面倒なんて自分で見ろ」っていう感じだし生活保護だって不正受給がどうのから話が進まないし、自分でケツが拭けそうだけど拭けてるフリだけしている感じの人をどうすればいいのか、全く見当がつかない。

 

 

 かなりバーッと書いたけど、言いたいことは「子どもの問題は大体親にも同じことが言えるので子どものケアをするにも親のケアも大前提だけどそんな余裕ないよね!どうしよう!」ということです。子どものケアと同時進行でかつて子供だった今の保護者を抱きしめなきゃいけない。包容力ある人、見返りは全くないけど仕事ならたーっぷりあるから今からでも教育福祉産業で働かない? 人材が多い方がいいし経験も大事だから今なら良質な経験がいっぱいできるだろうし、本当に人手と予算が増えればすっごく嬉しいなあ……こんな世の中で何がアクティブ・ラーニングだ畜生が。