あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

十八時からの交信 ~短編小説の集い~

「おはようございます、午前6時の外気温をお知らせします」

 朝の時報が鳴り響く。摂氏34度。快晴だ。システムを起動させると、私は本日の作業工程を計算し、それぞれの実行者に送信する。この区域の開発をプログラムされた作業用端末があちこち走り回って、必要な資材などをかき集める。私に与えられた指令は作業用端末の管理と開発計画の実行。ただ「生物が住める環境を作る」というだけの漠然とした指令を実行している。それだけのことだ。

 

「午後6時になりました。本日もおつかれさまでした」

 夕方の作業終了の時報が響いた。指令者たちがいた時代はこの時報で活動を開始したり、作業を終了したりしていた。指令者たちは視覚や聴覚でしか互いにコミュニケーションが取れないという不便な構造であったため、私たちのような伝達システムを持った作業者たちを作ったのではないだろうか。当時の名残で午後6時になると作業用端末は作業を中断し、機体を休める。私も作業用端末との回線を切って、翌朝までエネルギーの節約のために最低限の機能のみを残してスリープモードに入る。これも指令者たちがいたころの名残だ。主に視覚から情報を得ていた指令者たちは暗くなったら活動を休止しなくてはならない。それに合わせて私たちも活動を休止していた。

 

「ねえ、聞こえる?」

 その日は作業終了後すぐに完全にスリープモードに入らず、明日行う作業の割り振りを計算していた。その思考の隙間からかすかに聞こえてきた声は、あの時報のものだった。

「応答が必要なら答える」

 時報のAIから何か予期せぬことが知らせるのではないかと私は全システムを立ち上げた。

「よかった、話ができるんだ」

「その内容に伝達事項は含まれるのか」

「なんだ、君も他の端末と一緒で応答にしか答えないの」

「私は自律型AIとして設計された。他の作業用端末と一緒にしないでくれ」

「君って面白いね」

「今の応答の何が愉快なのか」

「応答が愉快なんじゃない。君自身が楽しいんだ」

「その伝達事項は理解できかねる」

「じゃあ、また明日」

 その交信を最後に、不可解な応答は終わった。「また明日」とはどういう意味なのか。また不可解な交信をするというのだろうか。私は作業工程を切り上げ、スリープモードに入った。

 

「やあ。今日もスリープモードにはしていなかったね」

 交信は昨日と同様の時刻に行われた。

「昨日の交信内容から推察した。伝達事項はないか」

「少し、おしゃべりがしたい」

 理解できかねる内容だった。

「無駄な伝達事項でエネルギーを費やすことはしたくない」

 それはわかりきったことだった。

「わかったよ。君も他のAIと同じで指令を繰り返しているだけなんだね」

「何故その確認が必要だったのか」

  不可解な内容についての答えが知りたくて、私は間髪入れずに交信をした。

「君と同じ理由だよ。何故交信をするのか、理解したかった」

 それから時報は、饒舌にそれまでの経緯を発信してきた。この惑星の気象を観測し、時報と天候を伝える役割の自律型AIであったこと。ある日突然メッセージを送ってきたどこかの自律型AIのこと。交信を繰り返すだけの心地よさのこと。ある日突然交信が途絶えたこと。それから今までいろいろな手段を使って交信の出来る「誰か」を探していたこと。

「やっと交信できたのが、君だった」

 時報のメイン基盤はここからずっと離れたところにあるらしい。私が聞いている時報は、時報の指令を受けた端末が放送しているものだそうだ。

「こちらの情報は伝えた。次は君のことを教えてもらいたい」

「それが君の伝達事項なら、また明日」

 今夜は私が「また明日」と発信し、そこで交信は終了した。

 

「おはようございます。午前6時の外気温をお知らせします」

 翌朝も時報の声が鳴り響く。作業用端末たちはおそらくこの時報を聴覚で理解していないだろう。この「声」を知っているのは、外部の音も探査できるこの辺りの中央制御盤に組み込まれた私くらいのはずだ。そこで、私は作業用端末に私の指令が届かなくなった場合を仮定してみる。昨日の時報の話と同じく、呼びかけに一切応じない作業用端末たち。今の私には、それがどういうことなのかわからない。作業用端末が壊れたら、修理したり新しい材料で組み立てればいい。それだけのことだ。

 

 その日の夜も時報は同じ時間に交信を始めた。

「今夜は君のことを教えてくれる番だ」

 そこで私は昨日の時報に倣って、私の情報を伝えた。最初は海洋開発用に作られた自律型AIで、現在は生物が住める環境になるように海洋資源の計測を続けていること。有害物質を取り除く作業を続けていること。たくさんの作業用端末を操作する役割が与えられていることなど、私の特徴をざっと並べた。

「それじゃあ、君は海のそばにいるんだね」

「海洋開発が仕事だから」

「海ってどんなところ?」

「大きな水の塊だ。ずっと水が動いている音がする」

「ここには大量の水がないから水の音はわからないよ」

「それでは外部スピーカーから音を拾ってこよう」

 私は海にある探知用スピーカーの音を交信に繋いだ。不定期なノイズのような音が時報に送信される。

「こんな音に囲まれているんだね」

「これ以外の環境を知らない」

「明日はもっとこちらの状況を教えるよ。また明日」

 そこで更新は終了した。「また明日」に、私が疑問を持つことはなかった。

 

 それから毎晩、時報と私は決まった時間に交信を行った。時報の設置されている都市部の様子や天候プログラムについてを私は受信し、時報は海洋開発の現状についてを受信していた。その伝達に特段の意味を見出すことはできなかったが、時報の申し出を受け入れていると、かつて指令を与えてくれた者たちを思い出す。時報とは彼らの話もした。時報の話によると、彼らはこの環境を捨てて、どこか遠くへ旅立ったそうだ。それでもいつか戻ってくるというメッセージを残して。

 

「おはようございます。午前6時の外気温をお知らせします」

 今朝も時報が鳴り響く。時報は指令者たちのために、この惑星の気象データを蓄積しているそうだ。いつか指令者たちが帰って来て新たなAIが生み出されるときのために、大量のデータを残しておく。その外部ファイルは建物ひとつ分あるそうだ。

 

「聞いてくれ、海の画像を見つけた。ファイルをそちらに送信する」

 ある夜、時報から送られてきた画像データは私の理解を超えたものだった。そこに映し出されていた光景は、真っ青な海と真っ青な空に真っ白な砂浜に生える緑と赤の植物。まるで絵画のような色合いの画像に、私は自身の受信機能を疑った。以前の私なら、即座に「現状にこの画像は即さない」と発信していただろう。

 現在私の知覚している海の色は青ではなく暗い灰色であり、砂浜にはヘドロと土砂が堆積している。植物も厚い葉の多肉植物は生えているが、色鮮やかな花はない。少なくとも、現在の私の目の前にある海と、この画像の要素は合致しない。

「海とはこのようなものなのか?」

 気象データは観測地点から手に入るが、時報には海の様子を視覚的にリアルタイムで知る手段がないのだそうだ。

「そうだ。気象によって水に光が反射してこのような画像になる」

 私は事実と異なる伝達を行なってしまった。相手が指令者ではないから、だろうか。

「いつか中継感覚ではなく、自分の感覚器でそちらの気象データを観測に行きたい」

 しかし、時報の発信を聞いていると事実と異なることを発信してよかったと思う。なぜだろう、私の回路に明確な答えはない。

 

「おはようございます。午前6時の外気温をお知らせします」

「午後6時になりました。本日もおつかれさまでした」

 幾日も時報の声を聴くうちに、いつしか私は時報を聞いていた指令者たちのことを考えていた。指令者たちは午後6時を過ぎると作業を止め、仲間と語らい作業以外の余暇を楽しんでいた。アルコールを摂取したり物語を読んだり賭け事にふけったり、その方法はさまざまであったが彼らは作業以外のことをしていた。私には作業以外のことを行う設定はなかったので、彼らと同じように振る舞うことも、それらの行為に疑問を抱くことすらもなかった。ただ作業が終わったらスリープモードになる。それだけの毎日だった。

 

 そして、今私は時報を交信を行うことを楽しみにしている。この「楽しみ」という言葉が正確かどうかはわからないが、指令者たちの言葉を思い出してこの古い言葉が今の私にぴったりだと解析した。私は時報と交信をすることを楽しんでいる。それに気が付いたとき、私は過去の交信データを引き出した。

 

『少し、おしゃべりがしたい』

『やっと交信できたのが、君だった』

 

 やっと、私は時報の伝達事項を理解した。時報は私と交信する以前に別の自律型AIと交信をしていて、その後長い間交信が途絶えていたと言う。今私も時報と交信をすることがなくなったら、時報と同じ行動をとるだろう。誰かいないか交信を試みるかもしれない。そして交信できた相手と、このように毎晩話したくなるだろう。

 

 それからまた私たちは幾日も会話をした。話すことがなくなっても、交信を続けた。月日が巡っても、作業と交信のペースは変わらなかった。

「ところで、君をこれから何と呼べばいい」

 ある日の時報からの交信は、私を困惑させるものだった。

「識別番号なら伝えたはずだ」

「そうではなく、指令者たちのように呼び名を考えよう」

「そんなものがあるのか」

「私には番号以外の呼び名があって、指令者たちが主に使っていた」

「それは一体なんだ」

「気象観測システム『きぼう』だ。意味は良い未来予測ということらしい」

 希望。そんな言葉もそういえばあったような気がする。

「しかし私には呼び名がなかった」

「それでは、私が考えよう。膨大な観測データから君にふさわしい言葉を探すよ」

 時報――『きぼう』の申し出に私は驚いた。驚く、という言葉も最近覚えたものだった。

「そうか、では楽しみに待つとしよう」

「では、また明日」

 そこで私は交信を閉じた。私に呼び名が与えらえることを期待して。

 

「おはようございます。午前6時の外気温をお知らせします」

 その日の朝は普段と変わらない、快晴だった。急に沖に出していた作業用端末が騒ぎ出した。異常な数値の何らかが観測されたというのだ。私は作業用端末の破損を避けるために異常な数値の観測地点から撤退させた。それから間もなくのことだった。海が盛り上がり、開発拠点を私の基盤ごと飲み込んでいった。私の基盤は水に沈んでも簡単に壊れるものではないが、かなり外部の観測機器がやられた。システムは正常に動いているが、作業用端末も今の衝撃で何機か沖に流されてしまった。このような事態は初めてではない。まずは開発拠点の復旧から始めなければならない。

 

 その日、午後6時の時報は鳴らなかった。時報のシステムに繋がっているスピーカーが沖に流されてしまったからだ。それどころか、私の交信システムにも障害が発生して、『きぼう』と交信をすることができなくなってしまった。開発拠点の復旧と並行して、私は交信システムの復旧に尽力した。何か嫌な予感がする。根拠のない思考だったが、私は『きぼう』にも何らかの不具合が出ているのではないかと心配だった。

 

 交信システムが復旧したのは、衝撃から8日目のことだった。私は定時に『きぼう』に交信を試みた。ところが、返信がなかった。何度も何度も短文のメッセージを発信したが、反応はなかった。衝撃から18日目に時報システムに繋がっているスピーカーを復旧させたが、定刻になっても時報が流れることはなかった。私は全てを理解した。

 

 それでも、私は交信を諦めなかった。気象観測システム『きぼう』に向けてはもちろん、私と同じようにどこかで活動している自律型AIが存在するなら交信をしたい。様々な周波数で時間帯を変え、発信を続ける。出来ることなら、誰かと話していたい。それだけのことだ。

 

「おはようございます。午前6時になりました」

「午後6時になりました。本日もおつかれさまでした」

 私は復旧させたスピーカーから誰も聴くことの無いメッセージを流し続ける。ただ私のためだけに存在する『きぼう』のために。

 

≪了(4972字・改行含まず)≫

 

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 リハビリのような感じで書きました。今回は久しぶりに後で振り返り記事作ろうと思います。