あのにますトライバル

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「ズルい」との距離感についての雑感

 この「ズルい」っていう言葉、なかなかに業が深いと思っている。

 

合理的配慮は「ずるい」のか  - うちの子流~発達障害と生きる

個人の人生経験上、「ずるい」をよく使う人は自他の区別がついていなくて規律を逸脱するような人が多かった。今思えば寂しかったのかもしれない。

2016/05/21 17:31

 

 多分自分は相当に育ちが悪くて、人をだましたり不必要に貶めたりするような人が多い中で育ちました。そんなわけでよくこの「ズルい」を使う人に出会いました。で、この「ズルい」を使う人は上記のとおり規律を逸脱していることが多かったなぁという個人的経験則を持っています。

 

 一番強烈だったのが、前にいた会社に高卒入社で入ってきた女の子。初任給を貰った時に「見せて見せて」と周りの人と比べたがり、同じ高卒入社の女の子には「同じでよかったー」などと言いながら短大卒や大卒の明細を覗きこんで憤慨してこんなことを言っていました。

 

「大卒は4年間遊んでばかりで就職しても高卒より給料が高くてズルい! 高卒は大卒が遊んでいる間にも働いて税金を納めているから大卒よりも偉いに決まっている!」

 

 でまぁ、その後は妻子持ちの職場の先輩にアタックするだの何だのと人間関係をかき乱して、最終的に規律違反を犯してその後を知るものなしになってしまったのですが。エピソードだけ切り取るとかなり強烈ですが、今になって思えばそれは彼女の言葉ではなくて、彼女の親が日常的に吹き込んでいた言葉だったのではないかと思うのです。彼女のしてくれた身の上話から察するに、かなり機能不全な家庭で育ったようでした。機能不全家庭出身者が全て悪いというわけではないけれど、そこを起点にしてよろしくない人間関係の負の再生産を行ってしまう人もいる。彼女がまさにそうだったのではないかとずいぶん経ってから振り返ると思うのです。

 

 日常的に「ズルい」を使う人は、自分だけが惨めであるとを認識している人だと思っている。その惨めさを受け入れてどうすれば周囲とうまくやれるかということをほとんどの人は無意識で行っている。ところが「ズルい」の思考回路には「周囲と折り合いをつける」のではなく、「周囲が私と同じになればいい」と足を引っ張るよう仕向ける仕組みになっている。

 

 いじめ問題も大体がこの辺からの出発が多くて、「惨めな私を見たくない」から「もっと惨めな奴を作ろう」となる。幸せな奴は人を見下したりちょっかいをかけたりしない。現段階ではそこまで現場も手が回らないだろうし被害者の感情との折り合いの面でも難しい問題だけれど、いじめの再発防止にはいじめの加害者にも手厚いケアが必要だと思っている。この「もっと惨めな奴を作ろう」ではなく「あなたは惨めでもいいんだよ」と丸ごと受け入れられるような仕組みがあればいいんじゃないかなぁと常々思っている。

 

 そんなわけで、「ズルい」は何らかのSOSなのかもしれないと最近思うようになった。まだ自他の境界がうまく掴めていない子供ならいざ知らず、いい年になっても「ズルい」を使い続ける人は他人の領域にずかずかと足を踏み入れがちだ。

 

seramayo.hatenablog.com

 

 税金だ社会貢献だといろんな視点はあるけれど、結局この記事も「ズルい」の文脈になるんじゃないかと思っている。「私は(私の子供は)惨めになってしまう!」と無意識で思っているんじゃないだろうか。多分この人は京大出身じゃなくても「仕事を止める」ということでいろいろ言われるだろうと思うし、そうでなくても「学歴フィルター」で見られてしまう。

 

 多分筆者が何をしてもそういう人は「面白くない」し、「自分が惨めになった」と思ってチクチクと何かを言ってくる。仕事をして子供が生まれたら「仕事と育児の両立がうんたら」と言ってくるし、家族旅行にでも行こうものなら「このご時世に贅沢」と言ってくる。ただ筆者が気に入らないのではなく、「筆者の属性」が気に入らないのだろう。残念だけど、旦那さんの言うとおりだと思う。

 

 程度の低い話をすれば「〇〇高校に行ったのに〇〇大学に行かなかったズルい」とか「親が〇〇なのに〇〇にならないのはズルい」とか、そういうこととあまり変わらない。そして、そういう生産性のない嫉妬はネットでは増幅しやすい傾向にある。

 

 そういうわけで雑に書いてきたけれど、要は「よそはよそ、うちはうち」という言葉は意外と大事なんだよということでおわり。