あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

「批判」とかあまり関係なかった問題たち

 みんなの大好き、批判をするなといういつものお話からはじまります。でも今回は「批判と誹謗中傷は違う」とかそういう話とはまた異なります。

 

anond.hatelabo.jp

 

 最初は設定のつじつまが合わないポイントをついて遊ぶものだと思ったんです。こう思う時点で底意地が悪いですね。でもこの意地悪は今回の話と関係ないです。

 

はてブ見るのがつらい

「ネット以外ではそれほど批判を見聞きすることってないから」の部分がものすごく気になるので詳細を書いてほしい。テレビでも政治批判に芸能人バッシングあるし、学校や勤め先でも批判くらいあるだろう……?

2016/03/02 09:40

 

 そしたらお返事がきまして……

 

テレビなんて所詮数chしかないから気にならない。
テレビ見てる時は1番組しか見れないわけだし。
学校や勤め先でだってそんなに批判ばかりの環境ってあるか?
自分の周りにはないし、批判好きな人がいたって少数だし口から批判しか出ないような人もすくないだろう。
はてブの場合は1記事に数十、数百の批判コメが並んで、それが1日に何十記事も量産されるわけだから比べ物にならないよ。

元増田です。 #お返事 id:zeromoon0 「ネット以外ではそれほど批判を見聞..

 

 それも何か怖かったのでブコメしておきました。

 

元増田です。 #お返事 id:zeromoon0 「ネット以外ではそれほど批判を見聞..

“自分の周りにはないし、批判好きな人がいたって少数だし口から批判しか出ないような人もすくないだろう。”増田は幸せだよ。でもその独善的な幸せが他の誰かを傷つけるかもしれないから気を付けるんだぞ。

2016/03/02 13:29

 

 そしたら更にお返事っぽいのが。

 

夜道に気をつけろみたいな脅迫やめてもらえませんか

id:zeromoon0 “自分の周りにはないし、批判好きな人がいたって少数だし口から..

 

 なんか怖いので、「どこが独善的と思ったか」を少し書きます。 

 

【「自分の周りにはない」から異常なのか】

 今回は他人を批判するのが罵詈雑言とか言うのは実はあんまり関係なくて、増田のこの「自分の周りにはないから異常」というナチュラルな思考回路がちょいと怖いと思ったのね。

 

 今回は「批判の数」という話題だけど、別にこれは批判に限った話ではなく「シチューをご飯にかけて食べるか」とか「靴を履いたまま家にあがるか」とか「阪神を応援しているか」とか、そういう文化や嗜好の話でもあり得る話だ。「自分の周りには阪神を応援している奴なんていないから、阪神なんて応援しているお前はおかしい」っていうレベルの話で、かなり主観的な論拠なんだよね。ちなみにうちの実家ではご飯のおかずに焼きそばやナポリタンが出ます。おかしいのはわかっています。

 

 人間って自分の住んでいる空間を「当たり前」だと思っているから、外に出て「当たり前」を破壊する何かに出会うとそれを攻撃したり忌避したりしてしまう。それ自体は仕方のないことだと思う。だからこそ「分かり合えない」という選択肢も大事になってくるわけで。ただ「自分の周りにはいないから」というだけで攻撃されたら、どんな対象だっていい気分にはならない。常に「自分が正しい」と思っているから「相手がおかしい」のであり、だから戦争はなくならない。

 

 で、増田の主張する世界に帰ってくると「テレビは多くても1つしか批判しないから気にならない」「自分の周りには批判をする人はほとんどいない」「だから世間には批判をする人なんて少ない」「つまり批判する人は異常」っていうことになっている。これだけ見ると完全に「自分=世間」になっている感じがする。多分増田はそこまで意識して文章を書いているとは思えないけれど、そう読めてしまうから仕方ない。

 

 一応書いておくと「テレビの批判とネットの批判は何が違うのか」というところや「身の回りに本当に『批判』をする人がいないのか」というところは怪しいのですが、今回はとりあえず横に置いておきます。一番あり得る可能性として、増田が「批判」と「誹謗中傷」をごっちゃにしているところかな。だってどう考えったって普通に生きていくのに全部肯定だけされて生きている人なんていない。「それはいけない」という話を増田が聞いたことがないと言うなら、本気で生い立ちや今生きている環境が知りたい*1

 

 廊下を走った子供に「廊下を走ってはいけない」というのも批判だし、自分と異なる意見を主張するのであれば「ああら奥さんベージュのお召し物がお似合いで。でも奥さんなら黄色のほうがお似合いよ?」というのも「批判」にカウントされる。それらが全くない世界とは、一体何なんだろう。

 

【独善的な幸せが人を傷つける】

 で、2つ目のブコメで「脅迫」って言われてるんだけど、もし増田がガチで書いているなら本気で心配するところ。増田は「自分の周り」にあることが正しくて、それが「世間」の在り方だと思っている。だけど、「世間」にはいろんな人がいるのです。年齢や住んでいる地域によって「常識」は違うし、そのコミュニティの中でしか通じない常識だってある。

 

 昔話になるけれど、学生時代に関東にはじめてやって来たときに方言を指摘されたことがありました。自分の生まれ育ったコミュニティの中では方言は当たり前に使われていたので「それは方言だよ」と言われて驚いたのを覚えている。それだけならよくある話なんだけど、その後に方言を指摘した「自称江戸っ子」がこう言ってきて。

「だってそんな発音、どう聞いてもおかしいでしょ。なんで気づかないの?」

 普通に「コイツ何様だよ」と思ったのですが、とりあえずその場は収まりまして。そいつはその他にもいろいろやらかしていたので最終的に友達がいなくなったみたいですが。

 

 例の増田を読んでまずこのエピソードを思い出したのです。「自分の周りにはないからそれは間違っている」というのは、違う文化で育った人間を切り捨てるようなものなのです。家庭板脳的視点で考えると起こりえるトラブルは「辛い思いをして育ってきた他人に対して、増田が失礼なことを言ってしまい傷つける」というもの。

 

 「世間には批判をする人なんて少ない」と思っている増田だけれど、世の中には本当に口を開けば悪口、文句、揚げ足取りをする人物がたくさんいる。そんな人ばかりに囲まれて育った人は自分も悪口や文句を言うようになるか、そんな環境が嫌になって精神の安定を欠くなどあまり良い目にはあわない。世の中には増田の思っている以上の不条理がたくさんあって、みんな不条理と戦っている。たまたま増田の周りに不条理が少ないからと言って、「不条理な人は少ない」にはならない。

 

 具体的な心配事は、親からずっと悪口や文句を言われて苦労して育った人が増田の近くにやってきて、つい辛かった思い出を口にしたときに増田はどう答えるかってこと。理屈なしに悪口を言う人がいることを知らなかったら、「悪口を言われてきたあなたに原因がある。人の批判をする前にそのウジウジした性格を直しなさいな」とか悪びれもなく言いそう。いじめられた人に向かって「あなたにも原因があるんじゃないの?」という感じ。

 

 何故そう考えるかと言うと、「理由もなく人を批判する人は少ない」と増田が思っているから。そこで増田が知らないところで傷つく人がいるわけで。でも増田はその人が傷ついていることに気付くことが出来ない。「批判」を知らないから、「批判」のために苦しむ人の姿を見ることが出来ない。これは怖い。下手をすれば、どこで恨みを買うかわからない。夜道を気をつけろと言うのは、的外れでもないかもしれない。

 

 以下、理不尽とは何かと言うお話がたくさん詰まった愛のあふれるブログです。全て「お話」ですので本当にあったこととは限りませんが、本当にあってもおかしくないお話もたくさんあります。「人の心とはここまで醜いのか」というエピソードがたくさんあるのでよかったら参考にしてください。人間の心は、思っているより汚いです。

 

hagex.hatenadiary.jp

 

【批判の在り方というより、もはや人間関係】

 

 そして同時に話題になっていたこちらも気になりました。

 

togetter.com

 

 どこから突っ込んでいいのかわからないのですが、とりあえず自分としては「何故その友人と映画に行った?」というところが最初に気になりまして。そこまでグチグチ言う人は普段から作画だの演出だのわーわー言う人のはず。そういう人を選んで言ったところから悲劇は始まっていると思う。また、友人もこの漫画の作者がそこまで思い入れのある作品だとわかっていたらそこまで「批判」もしなかったと思う。

 

 あと、あくまでも作者の心情を漫画にしているので友人が「本当に」あんなにグチグチ文句を言っていたかどうかも怪しい。「映画と聞いて期待してきたが思ったよりガッカリ」なのか「最初から演出にガッカリ」なのか、その辺でも友人の言葉の意味合いが変わってくる。

 

 自分が「最高!」って思ったものに対して「ガッカリ」の感想をぶつけられるのは嫌かもしれないけれど、逆に考えれば友人は「友人だからこそ、自分の本音をぶちまけた」と考えることもできる。「批判=悪」という考えではなく、「批判=本音」と考えれば「面白くなかった」というのはかなり勇気のいる告白だ。友人は作者を信用していたから、安心して本音をぶつけていた可能性もある。「こいつはこの作品をとても愛しているから、少しくらい悪く言っても大丈夫だろう」という甘えだったのかもしれない。その暗黙の了解がなかったために起こった不幸な事故だったのではなかったのかと思う。

 

 いずれにしても、個々人の感想の吐き出し方にケチをつけるより前に、目の前の人間とコミュニケーションをしているという意識を持った方がよい案件ではないかなぁと思いました。今回はたまたまこんな話題だったのであって、逆に作者が「面白くなかった」ものに対して友人が延々と「どこが面白かったか」をガンガン話しかけてきたら作者はどう思うだろうか。「批判」が悪いのではない。目の前の人間に合わせたコミュニケーションが出来ていないのが事故につながったわけ。

 

 この文を書いている人は「批判」をすることが絶対に正しい、ということが言いたいわけではない。その場に合わせたコミュニケーションが必要だって言うのが言いたい。「批判=悪」ではないし、逆に「絶賛=善」でもない。その辺のさじ加減が見えない人が「批判をすると不快になるからしてはいけない、褒め合うことだけしましょう」みたいなスタンスをとると不安になる。例え間違ったことでも「批判は悪」になるから間違いにいつまでも気が付かないで、みんなで間違って自滅する結末しか見えない。何にでも賛成意見と反対意見がある。そのバランスを取ることで世の中うまくやっていけるようになっているわけで。

 

 とりあえずそんな理想論を並べ立てても不気味の谷の住人達は押し寄せてくるわけで、批判を知らない少年が批判ばかりする少女とドタバタするボーイミーツガールでもカクヨムで書けばそこそこ売れるんじゃないかと思うのですがドタバタを書く気力がないので誰か書いてください。おわり。

 

*1:つまり釣りか非常に若い年代の人が書いているのを期待している。