あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

ビスケット ~短編小説の集い宣伝~

 せっちゃんのくれたビスケットはいつもおいしかった。せっちゃんのママが作ってくれるビスケットは甘い卵の味がして、ハイカラなものが嫌いなウチの母ちゃんが絶対に買ってこないお菓子だ。

「いいなぁ、俺せっちゃんちの子になりたい」

 するとせっちゃんは困った顔でこう言った。

「じゃあ、交換してみる?」

 せっちゃんはシツケに厳しくないウチの母ちゃんが羨ましいらしい。それを聞いて俺は目を丸くした。だってウチの母ちゃんときたら、いつも怒鳴って俺のケツをひっぱたくのが日課じゃないかと思っているくらいだからだ。それが「シツケに厳しくない」とはどういうことなんだろう?

 

  そうして一晩だけ、俺はせっちゃんと家を交換する約束をした。それぞれの母ちゃんに「自分の本当の息子だと思ってください」なんて言って、それを聞いた俺の母ちゃんとせっちゃんのママはどっちも「あらあら」なんて言って、特に俺の母ちゃんはいつもは聞いたことのない声で笑うもんだから俺は腹が立った。もうこんなくだらない家にいたくないって、その時心底思ったものだ。

 

 せっちゃんちは丘の上にあって、俺たちの田んぼがよく見える場所だった。昔お金持ちが建てた家に後から引っ越してきたんだ。何度かせっちゃんちに遊びに行ったけど、とっても大きなお屋敷で俺たちはかくれんぼをして遊んだ。暖炉とかベランダとか、俺たちの家にはない仕組みがとっても面白かった。そのとき食べたのが、優しそうなせっちゃんのママが焼いたビスケットだった。ビスケットなんて上等な日に食べるものだった俺たちにとって、まず「ビスケットが家で作れる」ということが驚きだった。そして焼きたてのビスケットは口の中で甘くほろほろと崩れることを知った。こんなうまいものが世の中にあると知ったあの日は、興奮して夜眠れなくなったくらいだ。

 

 初めてせっちゃんが俺たちの仲間になったとき、せっちゃんは真っ白なシャツに上等そうな黒い吊りズボンをはいていた。ちゃんとした服なんて余所に行くときくらいしか着せてもらえない俺たちは、そんな恰好で遊びに着たせっちゃんにびっくりした。俺たちがチャンバラをやっていれば「服を汚すとママに叱られる」とか言っていて、自分の母親のことを「ママ」と呼んでいるのも俺たちには新鮮だった。だけどせっちゃんは普通の男の子だった。「関本遥」っていう名前も女の子みたいだからあまり好きではないって言うのも、俺たちと同じ感じがした。せっちゃんはすぐに俺たちとチャンバラとかザリガニ釣りをするようになって、その度に服を汚してママに怒られていたらしい。とにかく、せっちゃんちはお金持ちだったけど、せっちゃんは普通の男の子だった。

 そんなせっちゃんと俺は何かと馬が合った。「ショウちゃんと一緒にいると仲のいい兄弟が出来たみたいだ」ってせっちゃんは言っていた。せっちゃんは一人っ子だった。兄弟と友達は違うぞ、なんて言い返したけれど、確かに兄弟みたいだと俺もこっそり思っていた。

 

 せっちゃんの家について、はじめにおやつが出てきた。あのビスケットと牛乳だ。俺はビスケットは好きだけど、牛乳は大嫌いだ。牛乳が隣にあるってだけで、ビスケットがとってもまずく感じる。せっちゃんのママはにこにことこちらを見ている。俺の母ちゃんと違って、肌も手も真っ白できれいな女の人だ。

「牛乳も飲まないと大きくなれませんよ」

 ビスケットが最後の一枚になったとき、せっちゃんのママはそう言った。俺はしぶしぶ牛乳のカップを手に取って、それから鼻をつまんで一気に流し込んだ。せっちゃんのママは「まぁ」と言って笑ったけど、どろっとした口当たりが本当に嫌いで、最後のビスケットは牛乳のにおいがしてあんまりおいしいと思わなかった。

「牛乳が嫌いなのね?」

 せっちゃんのママが言うから、頷いた。

「そのビスケットには、たくさん牛乳が入っているのよ」

 俺は驚いた。ビスケットに牛乳が入ってるなんて、考えたこともなかった。でもビスケットは嫌な味もしないし、どろどろした感じもない。ビスケットは、甘くておいしい。

「これから毎日おやつを食べに来ていいのよ」

 ママはにこにこしていたけど、一緒に牛乳が出てくるならごめんだ。俺はフカシ芋で十分だ。

 

 それから夕飯は見たことのない魚料理だった。とってもおいしそうで、俺は大急ぎで食べたいくらいだったんだけど、全然食べることができなかった。何故なら、せっちゃんちの食事はみんなナイフとフォークですることになっていたからだ。ナイフとフォークなんて初めて持った俺は緊張して、うまく食べることが出来なかった。「本当の息子のように」なんて言った手前、お客様みたいに「箸をください」なんて言えなかった。それに、この魚は大きくて箸でうまく食べる自信もなかった

「どんどん食べてくれよ」

 せっちゃんのパパは髭をゆらして笑いながらワインを飲んでいる。ワインって言うのは赤い酒のことだとばかり思っていたけど、緑色っぽい酒もワインと言うらしい。せっちゃんのパパは白ワインって言うんだって教えてくれたけど、白酒と何が違うんだろうか。

 俺はがちゃがちゃ言わせながら何とか魚を切り分けて、それをフォークで口の中へ入れた。ちょっと酸っぱいけれど甘いタレがかかっていて、魚がふんわりとろける感じがした。でも、俺はおいしいとは思えなかった。だって、まだまだ皿には魚が残っていて、うまくナイフとフォークを使っていかないといけないからだ。きっとおいしいんだろうけど、おいしいと思っている暇はない。せっちゃんのパパもママも器用にナイフを使って切り分けて、フォークでひょいと口の中へ運んでいた。俺も頑張って真似をしようとするんだけど、どうしても左手に力が入らないからがちゃがちゃやってしまう。そんな感じでスープもパンもあんまりおいしく感じなかった。何かを食べたと言うより、すごく気を使っただけで疲れる夕飯だった。

 

 せっちゃんのベッドに寝転がりながら、俺は夕飯のことを考えていた。きっとあの魚はおいしかったんだと思う。でも、少し薄暗い食卓でせっちゃんのパパとママと三人で椅子に座って食べるおいしいごちそうは、おいしいんだけどごちそうじゃなかった。俺はふかふかのベッドで寝返りをうつ。こんな布団じゃ、ちっとも眠れやしない。隣で姉ちゃんがいびきをかいて、弟が夜中に「兄ちゃんおしっこ」とかいきなり言い出すような、そんな家が何だか懐かしくなってきた。

 俺はせっちゃんの家は広くて好きだ。友達とかくれんぼも出来るし、ひとりになりたいときはゆっくりひとりになれる。だけど、この家は何だかスカスカのような気がした。せっちゃんはいつもスカスカの中で暮らしているんだろうか? 明日せっちゃんに会ったら、俺はまず謝ろうと思った。勝手にせっちゃんのことお金持ちで何でも買ってもらえる子だと思っていたけど、きっとそうじゃない。せっちゃんはやっぱりただのせっちゃんで、俺の考えていた「せっちゃんの暮らし」はただの理想だったんだ。

 

 次の日の朝ご飯をみて、俺はまた泣きそうになった。またフォークとナイフがあって、今度は目玉焼きと薄い肉、それから野菜にまた牛乳があったからだ。

「牛乳は健康にいいんだぞ、さあ飲みなさい」

 そう言って新聞を読んでいるせっちゃんのパパはごくごくと牛乳を飲んでいた。昨日のビスケットの失敗がないように、俺は牛乳を最初に一気に飲み干した。またせっちゃんのママは「まあ」と言って笑っていた。何だか牛乳が飲めないのが子ども扱いされているみたいで、何ともいい気分ではなかった。

 それから、また昨日と同じようにナイフとフォークとの戦いだった。昨日の魚料理でやり方を少し覚えたと言っても、まだまだうまく使えるわけではない。俺ががちゃがちゃやっている間に目玉焼きは冷め、肉も何だか固くなってしまった。給食で無理矢理残されて食べさせられている感じがした。きっと肉も卵もおいしいんだろうけど、やっぱり俺はせっちゃんの家の食事になじむことが出来なかった。

 

 朝食が済んで、俺は家にすぐ戻った。その途中で向こうからせっちゃんが走ってくるのが見えた。

「ウチは、どうだった? 昨日何食べた?」

「ショウちゃんちはすごいな。でっかい刺身の皿と立派な尾頭付きの焼き魚だったよ」

 ちぇっ、普通の夕飯でいいって言ったのに母ちゃんは相当奮発したみたいだ。それなら俺もせっちゃんと一緒に俺の家で夕飯を食べたかった。

「せっちゃんちも立派な魚のなんかだった。あとおやつもビスケットだったよ」

 それを聞いて、せっちゃんも変な顔をした。

「ママ、普段通りでいいって言ったのに」

「俺んちもだよ、刺身なんていつも出ないから」

 どうやらどちらの家でも俺たちの思惑と違うことが起こっていたようだ。俺とせっちゃんは顔を見合わせて、同時にため息をついた。

「でも俺、刺身苦手だし焼き魚もうまく食べられなかった、ごめんよ」

「俺も、フォークとナイフがうまく使えなくて、何食べたのかよくわからなかった」

 俺はせっちゃんがうまく魚の骨をとれなくて、その脇で姉ちゃんがひょいひょいときれいに魚を食べているところを想像した。俺よりもきれいに魚を食べる姉ちゃんのそばにいたら、せっちゃんも昨日の俺みたいに惨めな思いをしたかもしれない。ワインを飲んでいるせっちゃんのパパの隣で小さくなっている俺みたいに、酒を飲んで大声で笑っている父ちゃんの隣で泣きそうな顔で魚をつついているせっちゃんを思うと、何だか悪いことをしたなぁという気分になった。きっとせっちゃんも同じことを考えているだろう。

 

 その後は俺たちはそれぞれ家に帰って、また普段通り遊びに出てきた。もう交換のことは何も言わなかった。俺はせっちゃんの家でもらったお土産のビスケットを全部姉ちゃんと弟にくれてやった。「あんたこんなうまいもの全部くれてもいいの?」なんて姉ちゃんは言っていたけど、俺はもう何を食べたらうまいとか、そういうのがよくわからなかった。ただ、みんなで食べる家の飯がうまいんだっていうことは何となくわかった。

 

 それからしばらくして、せっちゃんはまた引っ越していった。丘の上の家は空っぽになって、また違う人が何人か入っては出て行った。それでもせっちゃんとはずっと手紙をやりとりを続けていた。今では来年孫が生まれるんだって楽しみにしている。

 俺の方と言えば、牛乳も飲めるしナイフとフォークだって使えるくらいには年を取った。今なら、俺の母ちゃんとせっちゃんのママが示し合わせて余所の家がいいものではないということをわざとしてみせていたのだろうということもわかる。でも、何故かビスケットを見ると子供の頃のせっちゃんに対する甘い羨望と、それが砕かれた時の苦い記憶が思い出されてしまい、今でも素直に食べることが出来ないでいる。

 

≪了≫

 

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 今月は「余所のお家にいくとなんか緊張しちゃってうまくご飯が食べられない」的な感じです。年代としては「三丁目の夕日」の頃の地方の話です。この前『思い出のマーニー』を見た影響が少しあるっぽいです。

 

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nogreenplace.hateblo.jp