ちょっと遅くなりましたが、雑談の感想と後からやいのやいのをば。雑談なんだけど、結構中身があって脱線してまた中身があって脱線して、みたいな感じが面白かったです。雑談の動画は川添さんの記事からお願いします。
【短歌真面目問題】
自分の場合、情景スケッチの一貫として取り組んでいます。ムチャクチャな情景をとりあえず「わおかっけぇ」という感じになるように納める練習の一環で始めたのが数年前で、短歌の前に「JPOP風四行詩」をやってたころがあります。それを毎日ひとつ作ると言うアホなことを数ヶ月続けて、その後「短歌もいいじゃん」って短歌やって、それで今に至っています。
だから、義務でもなんでもないし自分の中で何かを書くのは筋肉マニアが筋トレしたりプロテイン飲む感覚でやってます。だから「マッチョになりたい!」って思うのはいいと思うんですが、自分がどのくらいのマッチョを目指すのは考えるのもいいと思うのです。ぬるマッチョもガチマッチョも同じ筋トレしているってだけで、ガチの筋トレメニューを見て「私には出来ない」とかぬるマッチョが勝手に落ち込んでいたらガチマッチョは「別にぬるマッチョでもいいんだけど……」とか思うってことだと思うのね。三食プロテインみたいなガチマッチョ嗜好が「マッチョになるには~」っていうのを聞いて落ち込む必要は全くないんですよ。だってぬるマッチョでいいじゃん。理屈とか抜きで、それだけ。
多分何でそういう風になるのかというと、ある程度業界の全体像が見えてないからだと思うんですよ。ある程度の知識がないと目標も見えないし、憧れの歌人とかみつけて「こういうのいいなぁ」とか思ってそこに向かってぬるーくやる、っていうのが個人的に一番いいポジションだと思うんです。自分で全部自分の面倒を見るなんてできない。ある程度の先人の知恵を借りて、それで「これならできる」とか「これは無理」とか決めていかないと何にも始まらない。だからみんな勉強するし、その枠の中に納まろうとする。そこで型破りなんていらない。それはただの身の程知らずだ。さっきから「ある程度」連発していて見苦しい。こういうのも「語彙」の問題になるのかな。
つまり自分が何者なのかっていうのをやっぱり考えないといけないって話ですね。むじゅかちい。
【短編小説テーマ偏る問題】
たぶん雑談の中で言われているのはこのツイート群だと思う。「あの人」でいいです。わざと読みにくい感じにしてたので好きに呼んでください。
完全に個人の問題なんだけど短編小説の集いの参加作品に「自分は書けないから書ける人がうらやましい」とか「書きたいけど書けないから読みます」みたいなコメントがつくとちょっぴり寂しくなる。「書けない」って思っているうちは絶対書けない。「書きたい」なら書けばいい。それが企画の趣旨なのに。
— 虚無透 (@zeromoon0) 2015, 9月 2
下手でもいいのに。「書いて発表する」という最低限のことをしないで「才能がある人がうらやましい」と言う。これは努力している人には結構残酷な言葉だと思うし、臆面もなく言えるのはそれまでの人ってことなんだと思うことにしている。勉強不足を才能不足に言い換えて欲しくない。やりたいなら特に。
— 虚無透 (@zeromoon0) 2015, 9月 2
今まで「参加しようかな!」と豪語したアカウントはそれなりにあったけど結局参加できてない人は多い。それだけ「参加する」ってことは難しいことなんだと思う。だから参加者は胸を張ってほしい。それがこの場を作った大きな目的のはずだったんだけどなぁ。
— 虚無透 (@zeromoon0) 2015, 9月 2
これは本当に日頃から何に対しても思っていることです。特に短編小説の集いに関しては、今でも根に持ってるんだけどブログのURLと「僕も小説書けたら書いてみたいです!」って言って文章指南系の本のアフィを貼っただけの記事を書かれて、それが本家より「小説書いてみたいですね」とか「勉強になります」とかいって拡散されていたのがすっごく腹立たしかったんだよね。当たり前なんだけど、その記事を読んで参加してきただろうなって言う人は皆無。つまり完全にダシにされたわけですよね。しかも記事内で「ノベラックス」とか正式名称を書かないと言う糞っぷり。まだその記事を晒し上げない理性はある、というかこちらの不快感を理解する感性がないと思うので何か言ってきても「宣伝してあげたのに」とか「ネガコメ怖い」「炎上商法」とか言われるのもやだなぁというのがあって何もアクションは取っていません。そんな経緯があってそういうのがちょっとイヤだなって思っている感じです。
この辺触ると長くなるので本題の「テーマ偏る問題」についてですが、出てくる声は「体験がないから書けない」っていう奴ですね。体験を元に書くって言うのは大正義ですが、慣れてきたら「絶対自分では経験できないことを書こう」っていうことをやってもらいたいんですよね。そもそも「短編小説の集い」っていう企画の根本が「自己承認欲求からの解放」というところがあって、自分のことを公開してずっと書いていくと「自分って何なんだろう」って思うと思うんですよ。で、そういうと自家中毒に陥って承認欲求のダークサイドに堕ちていくので「たまには違った視点を持とう」というのが裏テーマなんですよ。
つまりテーマが偏るっていうのは、やっぱり出発点が「現実」から限りなく離れていないと思うんですよ。まずは自己を軽く分析して、自己を相対して「これは自分にないな」というのを追求していくと「表現」の幅が広がると思います。そういうとなんか難しそうなんですが、簡単に言うと「自分の経験の引き出しって意外とすぐなくなるぞ」っていうことです。まずは自分を疑う。創作に置いて一番の敵は自分の絶対的に「これは正しいぞ」って思う自意識だと思うんですね。そこで少し世界のバランスを崩して、新しくバランスをとる、っていうのをやってもらいたい。最初は自分の世界、それに慣れたら新しい「他己」の世界。だから三人称推奨なんですよ。
「祭り」に関しては真面目に「トマト祭り系」を誰かに書いてほしかったので、そのうち別のところで書くかもしれません。それよりも「魚」がヤバイ。できれば毎度のようにお手本のような作品にしたいけど、今回ニッチな感性がビンビン働いていて、感想のつけにくい話を書きたい。もう少し悩みますが、今回「意味わかんない作品」でいいですか?
【その他】
「オリンパスを憎む」と「ナード系」が非常に面白かったです。男性の少女漫画問題では、『パタリロ!』とかマライヒとバンコランがアレなので少女漫画だと思います。あと立原あゆみが男性っていうのびっくりしました。柔らかいタッチでずっと女だと思ってた……。
実は川添さんのネットラジオ企画結構楽しみにしています。いろんな人の本性が出てくるのが面白くていいです。これからも楽しみです。
【余談】
あと余談なのですがそのうち「20000字の話を無理矢理5000字に要約する企画」を考えています。でも、「誰もが感情移入できる設定の話」を書けるかっていうと結構難しくて、毎回自分の作品の感想読むと「ちゃうねん、そこ見るとこちゃうねん」って生意気にも思ってしまうので、なかなか「ニーズのある設定」というのも考えるのが難しいみたいです。
そこでもうゆるーく「こういう感じのあらすじのお話が読みたい」っていうの募集しますまたは「こういう設定は考えてみたけどお話にするのは難しいから誰か書いて!」というものでも結構です。。どんな無茶ぶりでも何とか頑張って料理します。学園でも異世界でも恋愛でもどんとこいです。でもクトゥルフ系はよくわからないのでちょっと無理ですごめんなさい。特に募集要項など定めないので、ゆるーく何かあればアイディアをコメント欄にください。
そんなわけで誰か助けてください。私だけの設定だとニッチすぎてダメっぽいです。どうしてもニッチ要素を入れたくなるので、この企画ではそういうのを排除したほうがいいと思うんですよね。よろしくおねがいします。