ぼーっとテレビを見ていたらNコンの課題曲の番組をやっていた。小学生、中学生と微笑ましく見ていたのですが、高校生の部で胸を抉られました。殺人事件が発生しました。歌詞、動画などは下のリンクから見てください。
そんなわけでこの『メイプルシロップ』、楽譜を手渡された学生は口々に「歌詞が難しい」「ちょっとブラック」などと感想を漏らしていました。それもそのはずで、作詞は歌人穂村弘。鋭い感性でど真ん中を貫かない言葉を抉らせたらあっという間にチョキチョキしてしまう方です。
番組を見て印象に残ったのは「透明な銃とは、言葉ですか」という学生の質問に対して穂村弘が「本物の戦争には本物の銃が必要だけれど、平和だと言われている日本でもいじめなどの戦いがある。そこに本物の銃を持っていくことはできず、違う武器が必要になる。それは言葉でもあるし、仔猫に名前を名前を付けるにも必要なもの」というコメントをしていたことですかね。あとは「何故数ある具の中からたらこを選んだのか」という問いには「『たらこ食べたい』という語呂の良さが第一。それからたらこってつぶつぶがひとつひとつ命になっていて、それをパクリと一口で食べるという悪夢的な食べ物だ」という返しをしていたのも面白かったです。
また、作曲の松本望さんも「ストレートな表現だけが表現だけではない」「悲しい場面でとても笑顔なんだけれど、だからこそ悲しみが一層深くなるような素直でない表現を高校生なら考えてほしい」というようなことを言っていたのもなるほどなぁと思いました。
そして「仔猫」というとやっぱり最近はコレだ。
穂村弘は「仔猫の名前を考えることも戦い」という表現をしていた。アジコ先生は「子猫を殺すくらいしか取り柄がない」主人公の理不尽さを描いていた。どちらも「目に見えないものと戦う人」の対極に存在しているのが「こねこ」だった。「こねこ」っていうキーワードから何が見えてくるのか。
実は自分のやっている「短編小説の集い」でお題を「猫」にしたときも、似たようなことがあったなぁと思ったのです。
もっと「ぬっこぬこもっふもふ」な感じの話があるかと思えば意外と「子猫を殺す」というモチーフがあったのですね。そういえば印象として異常者が殺人に走る前に殺す動物と言えば犬でもカメでもなく大体「猫」なんですよね。次点で学校のウサギ小屋ですかね。漫画で嫌がらせに「猫の首」を贈りつけることはあっても、魚のお頭とかハムスターの死骸とかはあまりない。「猫」とはそういうイメージの付きまとう生き物なのかもしれない。
歌詞の「ホットケーキにメイプルシロップ」の部分はやたらと明るく、甘くて透明な液体がごてごてとかかっているけれど、その甘さの裏には一体どんな「悲しみ」が潜んでいるのか。たらこおにぎりがすぐ食べられない世の中は夢だったのか、それとも今ホットケーキにたっぷりメイプルシロップをかけていることが夢なのか。そんな胸をチクリどころか大砲でドキリと撃ちぬくような面白い歌です。
さあ、透明な銃で世界を撃ちぬこうじゃないか。