あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

まどかは自分探しをするようです

 やぁまどか。君はまだ名前より確かに自分のことを示す言葉を探しているのかい? そんな昔のバンドマンが言っていたことより魔法少女になれば、君は誰でもない魔法少女としてのまどかとして存在することが出来るし君の望みも叶えられるんだよ。

 

魔法少女まどか☆マギカ キュゥべえ ソフビフィギュア

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まどか「で、でもそういうのは願い事じゃないし……」

 

 確かにそうだ。まどかが探しているのは確かにまどか自身のはずなんだけど、まどかという存在を外的に規定するものを定義するのにどうしてまどかの内面を掘り下げる必要があるんだい? まどかの内面をまどかが掘り出しても、まどかの理想のまどかしか取り上げないから現実のちっぽけで何もできないまどかは存在しないことになるんじゃないかな。

 

まどか「そ、そのダメな私をちゃんと見つめることも大事なの!」

 

 そもそも人間って言うのは物事を全て公平に見る事なんて出来ないんだよ。結局まどかの言う「ダメな私」のまどかだって、本当は「まどかにとって都合のいいダメな私」の可能性はないのかい? 不思議なことに人間は自分の価値を貶めて相手の価値をあげることで相手に取り入ろうとする習性があるからね。まどかにはそういう人間のイヤらしい一面を見る勇気はあるのかな?

 

まどか「そ、そんなことないよ!」

 

 君たち人間はよく「本質」という言葉を口にするけれど、その本質と言う言葉すら自己の欲望のままに事象をゆがめたものに対応させることも多いね。暴力事件を起こした人間に対して「家庭不和が生んだ心の闇」という物語を創ったり「暴力を用いた娯楽の規制」といった要因の排除活動をしたりするけれど、結局は暴力事件を起こした人間が何を考えているのかなんて説明したくてもできないくらい衝動的なものに後から理由をつけているだけなんだよ。そこに本質なんてものは存在しない。あるのはただ「暴力事件があった」ということだけなんだ。まどかのいう「自分探し」はこれらのスキャンダラスな暴露大会とどう違うって言うんだい?

 

まどか「私は暴力なんて嫌いだし、そんなことしないから……」

 

 暴力と言うものは「存在そのものが理不尽」という衝動的で定義しがたいものなんだ。誰かが単純にまどかを嫌っているだけで既にまどかの存在は暴力的あると言える。誰にも嫌われない人間など幻想以外の何物でもないし、ましてそういう現実を直視することがまどかに出来るとは思えない。どんなにまどかが優しくても「誰かを消してしまいたい」と願わずにいられなかったことはないだろうね。その瞬間君は確かに暴力的で、理不尽な存在なんだよ。

 

まどか「わたしが、いけないの……?」

 

 そうだまどか。君が誰も傷つけないように存在しているという思い込みそのものが幻想だ。まどかが自分探しをすることでより汚いまどかがたくさん出てきて、まどかを傷つけるならまだしも具現化された思考は他の誰かを傷つける可能性もある。君の大切な友人を守りたいなら、君は何も知らないまどかでいたほうがいい。それでも自分探しをしたいのならば、魔法少女になるといい。魔法少女は君のあるべき姿、誰かを傷つけることを恐れるまどかの本来の姿なんだ。だって君は最強の魔法少女になれる器を持っているんだからね。さあ、願いは決まったかい?

 

 

 

 

ほむら「まどか、そいつの口車に乗っちゃダメ!」

 

 また来たね暁美ほむら。前にもこんなことがあったような気がするけれど、僕の記憶には存在しない不思議な記憶だね。それよりも見てごらんよ。自己実現を果たしたまどかの大いなる希望と、自己を完全に理解したことによる絶望が最凶最悪の魔女を生み出したよ。まどかはまどかだけの「神」になった。他の誰も邪魔できない、彼女だけの「物語」の中で延々と生き続けるんだ……暁美ほむら、君はいった